光が教えてくれたこと

糸已 久子

第1話 出会い

 救急外来のナースステーションで電話のベルが響いている。最近になって外線からの着信を知らせる音が変わったようだ。どこにでもある、聞きなれた電子音…、昔自宅で使っていたメロディと同じだ。もう何年も経っているのに、私はこの音楽を聞くと、まだ、少し緊張する。

 4月に入ったばかりの肌寒い春の夕暮れ、日が落ちかけて薄暗くなってきた救急外来に向かって、赤い警告灯を回し、サイレーンを響かせながら先程連絡があった救急車が近づいてくる。見慣れた救急車がいつもの通りに救急外来入り口に近づいているだけなのに、サイレーンをバックミュージックにして、程よく創り込まれたPV(プロモーションビデオ)の早送りのような、Googleストリートビューをぐるりと回したような変な視点に取り込まれていく。私自身がその映像の中のモブに無理矢理ねじ込まれたような感覚がして、足元が少しふらついた。


 一枚の絵のように、救急車全体がほんの一瞬だけ白い光に包まれるように輝いた後に停止し、いつもの通り救急隊員が、きびきびと歩いて私たちに向かって歩いてくる。隊員は、搬送した患者の状態を本日の担当看護師である飯田さんに要領よく伝えた。私は隊員の話を聞きながら、救急車からストレッチャーが降ろされるのを待った。

 申し送りが終わった隊員が、救急車に一緒に乗ってきていた男性に、外来受付の場所を説明し事務手続きをするよう話している。

 同乗していた男性は、身長は170㎝前後で中肉中背、背筋を伸ばして歩く姿は美しく、整った顔立ちで目を惹いた。髪は亜麻色、眼は少し大きいが一重で切れ長、鼻筋が通り唇はやや薄めで紅色、全身が見えた。その男性は、病院の受付を済ませるために私のすぐ脇を通り過ぎて行った。

 別の救急隊員が降り、両手でストレッチャーをガチャガチャと大きな音をさせながら手前に引っ張ると、畳まれていた下部のタイヤが出され、ストレッチャーは地面に立ち上がり、患者を乗せたまま押し出されるように動き出した。

 ストレッチャーには、毛布を掛けられ、その上から落下防止ベルトで固定され、青白く苦悶した表情で仰向けに寝た40代の男性の姿があった。

 先ほどの男性のように光り輝いて見えない。今日の救急外来勤務のリーダーは、5年目になる飯田芽衣さんで、私は事前に彼女に指示された内容を観察した。

 ストレッチャーで運ばれてきた患者は石岡伸一さん41歳男性、職業俳優、診断名は右下腿脛骨腓骨単純骨折の疑い。会話はスムーズ出来ており、意識に問題はない。患者は舞台での稽古の最中に、アクロバットな演技を行い着地に失敗して転倒し、激痛および患部の腫脹を認めたため救急車を要請したようだった。

「ちょっとドジってしまって…。着地の場所を失敗してしまって…。」

 生年月日は1980年7月7日(誕生日が私と同じだ)、血液型はO型RH(+)、身長176㎝、体重62㎏。髪は栗色で眼は二重、あごから頸部にかけて引き締まっており、全体的に見て端正な顔立ちと評してよいだろう。よく運動をしているだろう引き締まった身体、受け答えする声は少し低いがよく通り、俳優であることを度外視しても、何かしら内に秘めたものを持っている、オーラというか見えないマントを身に纏っているような人だ。過去のカルテには感染症の報告はない。

 創部を見ようとして石岡氏の身体に触れたとたん、わずかな電流が流れたような、軽い衝撃が走った。驚いて思わず彼を真正面から見つめると、同じように驚いた彼の表情があった。

「どこが一番つらいですか?」

「足が痛くて、少し気持ちも悪いです。」

 体温、脈拍数、呼吸数、血圧を測定し、嘔気や疼痛以外の症状を確認し、医師に報告する。医師は症状を聞きながら診察をし、緊急の血液検査とレントゲンの検査から最終的に「右下腿脛骨腓骨単純骨折」と診断を下し、ギプスを巻いた。

 外来に来てから診断・処置が終了するまでに1時間以上は経過していただろう。苦痛に満ちていた彼の表情は落ち着きを取り戻した様子で、早々に点滴した痛み止めも効いているようであった。

 石岡氏は、この固定から3日後に手術となるため、一旦帰宅できる。幸い保険証を持参していたため、支払い手続きもすぐに終えることとなり、早々に帰宅できそうであった。

 車いすで石岡氏を整形外科外来まで搬送し、松葉づえを合わせているのを待つ間、あの時のは何だったのだろうかと自問自答を繰り返していた。


 

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