第76話 75、銀座のシークレット

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 イスマイルは軍事衛星の設計に没頭していた。

毎日、妻の乙女を大学で降ろし、川本研究所に行き、夕方まで地下の設計室に籠(こも)っていた。

アクアサンク海底国の大使館でもある川本研究所は多数の戦闘機と人型ロボットで地上から高空まで守られている。

日本国の警察も研究所の門の外側を警備している。

シークレットに出番はなかった。

 シークレットは時々イスマイルからお暇を出されることがあった。

「シークレット。今日は夕方まで設計室に籠る。昼食は乙女の作ってくれた弁当を食べる。コーヒーをポットに入れて置いてくれたら後は夕方までは自由にしてくれ。ワンボックス車を使ってもいい。夕方いつもの時間に戻っていればいい。」

「はい、イスマイル様。ありがとうございます。今日は東京の銀座辺りを散歩しようと思います。」

「お金は持ってるね。」

「十分に持っております。」

「何かあったら電話してくれ。シークレットが必要な時は電話する。」

「了解いたしました。」

 シークレットはワンボックス車で東京に行き、ワンボックス車を東大理学部裏の研究所の駐車場に停め、車を降りてからワンボックス車を空中10mに浮遊させた。

これで誰にも迷惑をかけないし、何かあれば乙女奥様が何とかしてくれる。

ワンボックス車には構内駐車証が貼はられていたし、外交官ナンバーを持つその車が乙女夫婦の車であることは関係者の誰もが知っていた。

 シークレットは東大から徒歩で銀座に向かった。

東大から銀座までは7㎞ほどの徒歩では長い距離であったがシークレットは街を歩くのが好きだった。

その日のシークレットは若草色の半袖のワンピースにハイヒールの姿で、乙女からもらった小さな革のポシェットを肩から下げていた。

初夏のそよ風がシークレットの長い髪を揺らす。

 銀座に入るとシークレットはマイクとテレビカメラを持つ二人の男に早速呼び止められた。

「お嬢さん、少しよろしいでしょうか。毎朝テレビの『銀座でおじゃま』です。」

「何でしょうか、銀座ではお邪魔さん。」

「少しお話を伺ってもよろしいでしょうか。」

「今日は銀座を楽しむ日です。」

 「・・・どこからいらっしゃいましたか。」

「本郷からです。」

「これからどちらに行かれますか。」

「特に目的地はありません。それゆえ貴方の質問にも答えしております。」

「・・・お綺麗ですね。」

「美醜は個人の好みによると思います。貴方は私が綺麗だと見えるのですね。」

「そう見えます。スタイルも抜群だし。」

 「私のような女性はどこにでもおります。好みの女性が多くて幸運ですね。結婚なされておられるのですか。」

「・・・まだです。」

「それなら貴方は選り取り見取りです。貴方をそのように育ててくれた親御さんに感謝しなければなりません。」

「まいったな。僕が質問されたら困るのですよ。何かスポーツでもなさっているのですか。」

「いいえ。」

 「ご趣味は何ですか。」

「趣味を生業以外の個人的興味とすればありません。」

「社会人ですか。」

「いいえ。」

「学生さんですか。」

「いいえ。」

「ご職業をお聞きしてもよろしいですか。」

「無職です。」

「ご家族とお暮らしですか。」

「いいえ。」

「お一人でお暮らしですか。」

「いいえ。」

 「まいったな。お嬢さんは僕の想像の外におられる方です。」

「貴方の質問には『専業主婦か』と『同棲者はいるか』が抜けていると思います。その質問には共に『いいえ』が答えです。はて、私は誰でしょう。」

「まいったな。・・・大金を持っていて仲間と暮らしている妙齢の娘さんでどうですか。」

「残念でした、違います。」

「参った。降参です。貴方はだれですか。」

 「世の中には色々な人間がいるのですよ、銀座ではお邪魔なレポーターさん。今日は楽しい経験をしました。ありがとうございます。私は・・・実は・・・幽霊なのです。それでは失礼いたします。」

そう言ってシークレットは二人から足早に離れて行った。

 シークレットが銀座の散歩を楽しんでいるとシークレットの後ろから男性の声がかかった。

「お嬢さん、少しよろしいでしょうか。」

シークレットが振り向くと、声をかけたのは身なりの良い優しそうな中年の男性だった。

「何でしょうか。」

「私は善行企画のプロデューサーの吉本と申します。」

そう言って男性は名刺を差し出した。

 「吉本善行さんですか。なんでしょうか。」

「貴方のスタイルがあまりに良かったので思わず声をかけてしまいました。どうでしょうか。貴方の写真を撮らせていただけないでしょうか。雑誌に掲載したいと思います。数カットだけです。お手間は取らせません。報酬ははずみますよ。」

「写真のモデルになってくれということですか。」

「そうです。雑誌に載れば芸能界の登竜門になるかもしれません。」

「まあ、芸能界への門ですか。それは楽しそうな門ですね。」

「どうでしょうか。」

 「何事も経験です。OKです。撮影スタジオはどこですか。」

「通りの反対側のビルの裏通りにあるビルの地下にあります。ご案内いたします。」

そう言って男は信号機を渡って裏通りのビルの地下に向かう階段にシークレットを案内した。

「銀座ってこんな所もあるのですね、吉本さん。」

「わが社はまだ小さいのでこんな場所しか借りられないのです。どんどん大きくしますよ。」

男はそう言って階段の下の重そうな扉を開けてシークレットを先に通した。

 地下室は一通りの撮影器具らしいものが揃っていた。

ロココ風のけばけばしい椅子があったし、撮影用の背景幕もあったし、奥の方には天蓋の掛かったダブルベッドもあった。

部屋の中にはハンチング帽子を冠った若い男がタバコを吸っていた。

 「モデルさんをお連れした。写真を撮ってくれ。お嬢さん、一応5カットと言うことで1万円のモデル料でよろしいですか。」

そう言って男は財布から1万円札を取り出してシークレットに差し出した。

「撮影が完了したらモデル料をいただきます。それが日本の商業ルールです。」

「分かりました。後は二人のスタッフに撮影を任せます。」

そう言って吉本は部屋の隅に引っ込んだ。

 若い男の一人が言った。

「お嬢さん、最初はそのままだ。壁の白い撮影幕の前に立ってポーズを取って。」

撮影用ライトが点灯され、シークレットは撮影幕の前に立ってポーズを決めた。

「いいね。美人はいい」と言ってカメラを連写した。

「OK。次は黒い幕の前に立ってポーズを取って。」

シークレットは黒い幕の前で微笑んだポーズを取った。

撮影が終わると男が言った。

 「次はヌードだ。服を脱いで。」

「撮影はここまでにします。ヌード撮影は遠慮します。」

「なにい。撮影しに来たんだろうが。服を脱がされて欲しいのか。」

「脱がせることができるならどうぞ。」

「なにい、このあま。おい、この女の服を引っ剥がしてやれ。」

カメラの男がもう一人の若者に命令した。

 もう一人の男がシークレットの前に進んで言った。

「痛い目に会うより脱いだ方がいいぞ。」

そう言いながらシークレットの鳩尾にパンチを繰り出した。

男のパンチはシークレットのお腹にめり込まなかった。

そこは1㎝厚の鋼板で囲まれている。

男は「ぎゃっ」と言って手首を掴んだ。

 「この女、プロテクターをつけていやがる。」

「ほんとかよ。そんな風には見えないぞ。やい、舐めた真似をするな。ゆるさんぞ。痛めつけて素っ裸にしてやる。」

そう言ってカメラの男はカメラを置いてシークレットに飛びかかった。

シークレットは跳び下がりながら男が伸ばしていた手首を両手で掴み締め上げた。

男の手首は見る見る間に細くなりフランクフルトソーセージの太さになった。

男は爪先立ちになり「ぎゃー」と長い叫びをあげ続けた。

手首の骨が粉砕されたのだ。

 シークレットが男の手首を離すと男の手首は見る見るうちに膨れ上がって来た。

「さて、私を誘ってくれた善行企業の吉本善行さんはどうします。私を裸にしますか。」

シークレットは壁際に座っていた男に言った。

「参ったな。こんな小柄なお嬢さんがこんなに強いとはね。でも大抵の人間はこれの前にはひれ伏すのさ。」

男はそう言って椅子の横の小机の引き出しから銀色の拳銃を取り出してシークレトを狙った。

撃つつもりはないようで、安全装置は掛かったままだったし遊底も引かれなかった。

 「おやまあ。銀座は怖い所ですね。一般人なのに拳銃を持っている。人を痛めつけようとする人は痛めつけられても文句は言えない。人を殺そうとする人は殺されても文句は言えない。それでいいかしら。」

「そうできればな。」

そう言って吉本善行はシークレットの足首を狙って拳銃を持っている腕を少し下げた。

 シークレットはそれを待っていたように左に移動し、床を駆けて吉本の右に行き、右足の甲を踏みつけ、拳銃を持った右腕の手首を掴んだ。

200㎏の体重を持つシークレットのハイヒールが吉本の靴を押さえた状態でシークレットは吉本の腕を曲げて拳銃を吉本の下腹部に向けた。

吉本は空いている手で必死に逆らおうとしたがヒールの踵は100㎏以上の力で吉本の安全靴を押さえつけており、シークレットの細腕は不思議なことにピクとも動かせなかった。

 「吉本さん、睾丸に穴を開けるのと膀胱に穴を開けるのとどちらがいい。」

「くそっ。・・・助けてくれ。勘弁してくれ。」

「だめ。これまでそう言って哀願した女の子の願いは無視したのでしょ。逆の立場だったら吉本さんは助けるかしら。」

「助けてくれ。」

シークレットは「だめ」と言ってもう片方の手で拳銃の安全装置を外し吉本が握っていた拳銃の指を6回引いた。

吉本にとっては不幸なことに、拳銃の薬室には弾が装填されていた。

貧弱な発射音が5回だけ部屋に響いて吉本の股間は血で染まった。

 「まあ、吉本さんはご自分で自分の睾丸とペニスに穴を開けたのね。まだ付いていればいいけど。」

そう言ってシークレットは拳銃を手からもぎ取って吉本善行から離れた。

「吉本さん、撮影は不首尾に終わったからモデル料はいらないわ。私が写っているカメラはしばらく借りて行くわね。後で自宅に送ってあげる。さて、まだ軽傷でいるお兄さん。頼んでいいかしら。」

 「何だ。」

「貴方は軽傷で済んでラッキーよ。こんな会社は早く辞めた方がいいわよ。吉本さんの睾丸みたいに潰れるから。それでっと、吉本さんの免許証を取り出して私に渡してくれないかしら。違法な拳銃を吉本さんの現住所に郵送するから必要なの。それからカメラマンの男性の免許証も渡してね。借りて行くカメラを郵送するから。貴方の免許証はいらないわ。二人を病院に連れて行くのに運転免許が必要でしょ。できる。」

「・・・そうする。」

若者は二人の免許証を取り出してシークレットに渡した。

二人の男は抵抗しなかった。

唖然として口もきけなかったらしい。

 「ありがとう。大切なお洋服が汚れなくてよかったわ。後はお願いね。」

そう言ってシークレットは二人の免許証をポシェットに入れ、隅の方に置いてあった大型の紙袋を拾い、小型拳銃を床に落ちていたハンチング帽子に包んで紙袋に入れ、大型カメラも紙袋に入れ、最後にダブルベッドに置いてあった黒いショールを紙袋に入れ、片手を上げながら重いドアを開けて階段を登った。

その後のシークレットは何事もなく銀座を散歩し、夕方の時間に間に合うように川本研究所に戻った。

 帰りの車の中でイスマイルが言った。

「シークレット、銀座はどうだった。」

シークレットは詳細をイスマイルに語った。

「そうか、活躍だったね。拳銃は前科があるかもしれないが貰っておきたまえ。弾はついでの時に持ってきてもらおう。アクアサンク海底国は軍事国家だから国民の拳銃携帯は当然だ。僕もグッロッグ18Cを持っている。ボルチモアで貰った。カメラも貰ってしまおう。戦利品だ。アクアサンク海底国にはまだまともなカメラがない。」

「了解しました、イスマイル様。」

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