第四話 絵本! カダール、おうじ様?
母上とゼラが食事を終えたテーブルの上に絵本をひとつ置く。タイトルは『蜘蛛の姫の恩返し』
その内容ときたら今のゼラと似通っている。というか、明らかにゼラがモデルだこれは。倉庫の中からあまり外に出ない俺には解らないが、この絵本と同じ話が、今、街で流行っているという。
「エクアド、どうなんだ、これは?」
「どう、と言われても。現在、ローグシーの街で流行っている話で、絵本はこの前出たばかり。以前にゼラがカダールを抱えて聖堂の屋根から飛び出て、二人が屋根の上で話をしてるとこを目撃した住人も多くて、下半身蜘蛛の魔獣は街で噂になっている。それをこの絵本の話とか、街の紙芝居とか、ゼラと関連づけて見てるのも多い」
「街に魔獣が現れるのは一大事件だが、それにしても出回るのが妙に早くはないか?」
「それは……、」
エクアドが俺の母上をチラリと見る。母上は絵本を開いて中身を見ながら、
「それはこの絵本は、私が書いたからよ」
「母上ェ?!」
身内の仕業だったのか? 母上、絵心ありますね。じゃ、無くてだ。
「母上、何故、こんなことを?」
「我がウィラーイン領にて、魔獣アルケニーを預かるということは知れわたっています。街の住民にはゼラが危険では無いと知って貰わなければなりません。危険な魔獣がすぐ側にいるとなれば、不安に思う住民もいることでしょう」
「情報操作ですか? 父上はなんと?」
「今はプラシュ銀鉱山で、採掘の復旧、付近の村に町の復興、例の卵の件の調査と忙しいので、街のことは私に任されてます」
「父上が現場に出向いているのは知っていますが。それで、絵本なのですか? ゼラは人に危害を加える魔獣では無いと、宣伝するために?」
母上は絵本を開いてゼラに見せる。そのページにはゼラと同じ、下半身が大蜘蛛の女の子が、デフォルメされて可愛らしく描かれている。母上の意外な才能、絵本の作者。
ゼラは目をパチクリさせて絵本を見る。絵本の蜘蛛の姫を指差して。
「ゼラ、似てる?」
「えぇ、ゼラがモデルですもの。ほら、カダール、可愛いでしょう?」
「そうですね、可愛いですね。しかし、何をしてますか母上?」
「絵本だけでは無く、吟遊詩人に紙芝居も使って広めて、噂も流すようにしたわ。そして街に現れた半人半獣のアルケニーのことを、愛する人を求めて現れた蜘蛛の姫、ということにしてしまおうかと」
「母上、何を考えてますか?」
「ウィラーイン領を治める者の妻として、領地に住む者の不安は取り除かなければ。街の住人がゼラのことを怖がらないようになれば、ゼラが街を歩けるようにもなるでしょう」
「それはそうかも知れませんが、こんなデマを流すようなことは、バレると逆効果になります。伯爵家が扇動するようなことは」
「真実を隠して都合の良い嘘を流し、それを見破られてしまえば民の不信を買うでしょう。ですがこれは真実をちょっと誇張したもので、嘘はついてはおりません。バレたところで、騙しているところはひとつも無いのです」
「しれっと言いますが、そう上手くいくものですか?」
「それに私、娘と一緒に街にショッピングとか、行ってみたいし」
母上とゼラが並んで街でショッピング? いや、下半身大蜘蛛の魔獣アルケニーが街を歩いたらパニックになるだろう? そんなのが絵本と紙芝居でどうにかなるのか?
「どうする? エクアド?」
「どうするもこうするも、既に出回ってしまっている。今さら回収したところで広まった話までは消えんし」
「まさか母上がこれほど手早いとは」
「策とは臨機応変に、常に先手を打つものです」
「母上ェ……」
母上はゼラに絵本を見せながら読んでいる。ゼラは母上の後ろから母上の肩にあごを乗せるようにして、絵本を覗き込んでいる。
「蜘蛛の姫は人に変われる魔法を探して旅に出ました。助けてくれた王子の為に、蜘蛛の姫は森の中を進みます」
「ウン、ウン」
相手の男は王子となっているが、絵本に描かれる王子は赤い髪で俺と同じ色だ。蜘蛛が追いかける赤毛の男。これは誰がどう聞いても俺が浮かぶんじゃないか?
エクアドが現在のローグシーの街の状況を説明してくれる。
「街の住人は突然現れた半人半獣の魔獣について、いまもいろいろ噂をしている。ウィラーイン伯爵が王家に頼まれて保護する特別な魔獣、と、街には立て札出してるし、ハンターギルドの方にもアルケニーのゼラは討伐しないように伝えてはある」
「それだけでも街の住人は異常事態と思うだろう。特定の魔獣を討伐せずに保護するなんてのは、王立魔獣研究院以外では初めてじゃないのか?」
「ハンターギルドの方では、魔獣を飼い慣らす新たな実験とでも勘ぐってるようだ。ゼラの恋路がこの街と王国を揺らしてるのは間違い無い」
「恋路って、だが、こうなるとゼラをひっそりとウィラーイン領の外れで匿うのは無理か?」
母上が俺とエクアドを見て呆れたように言う。
「これだけ目撃した者が多い一件をひっそりと隠すなど無理でしょうに。と、なれば如何に見せるかを考えるべきです。今は演芸場で蜘蛛の姫の恩返しのミュージカル公演の為に、役者が練習中だから。来月には公演予定よ」
「ミュージカルって、もうそこまで?」
「収益は灰龍被害の復興に当てるということで、縁のある貴族からも援助は頂いてます」
もう、なんと言えばいいのか。母上が父上を影から支えていたのは知ってるが、俺とゼラが倉庫で暮らしてる間にそこまでやってしまっていたとは。ミュージカル? ゼラがモデルで? 蜘蛛の着ぐるみか?
「カダールもウィラーイン領の為に協力しなさい」
「協力って、何を?」
「ゼラが無害な魔獣であることを街の住人に、領民に知って貰わなければ。ねぇ、ゼラ」
「ゼラ、カダールの言ったこと、守ってる。人、襲わない、家畜、襲わない」
ゼラは左手と蜘蛛の左前脚を、しゅぴっと上げる。
「そうねゼラ。だけど全ての人がそれを知ってる訳では無いの。そのためにもゼラには礼儀作法を憶えて貰わないと。いずれはウィラーイン家の娘として他所に紹介する為にもね」
「ウン」
「ちゃんとできるようになると、カダールとの結婚式が近づくわ」
「!結婚式! ハハウエ、ゼラはがんばる!」
しっかと手を握り会う母上とゼラ。確かに母上の言うことは間違っても無い気がするが、なんだこの不安になる気持ちは? 落ち着かないというか、目眩がしそうというか。足場が崩れて落ちそうな感じはなんだ?
「外堀は既に埋められ、城壁には梯子をかけられた、というところか」
「言うなエクアド。既に落城間近でも、もう少し目を逸らす時間をくれ」
俺が片手で目を覆うと、母上はさらりと言う。
「男とはこういうときに往生際が悪いわね。観念して首を差し出しなさいな」
「母上ェ……、息子を斬首するおつもりか?」
「ゼラが人に進化すれば何も問題は無いでしょうに」
「そうは言っても灰龍以上の魔獣などそうそういるものでは無いし、いたとしても手を出して災いを招く事態にする訳にはいきますまい」
「そこは王立魔獣研究院に調べてもらいましょうか」
「それと母上、その絵本についてですが」
「よく描けたと思うのだけど、何か?」
「他の絵本では主役の姫が王子と結ばれ、ハッピーエンドでしょう? なんですか、この終り方は?」
母上の描いた絵本『蜘蛛の姫の恩返し』
王子に助けられた蜘蛛が王子に恩返しをしようとがんばるお話という、蜘蛛が主役という一風変わった絵本。
人の姿に変わる魔法を見つけて、蜘蛛は人に変わる。だけどその人の姿は半分だけ。
悪い魔法使いに襲われた王子を蜘蛛の姫は必死で助けるも、王子は半分蜘蛛の姫の姿に怯える。
蜘蛛の姿から半分人になれたのは、蜘蛛の愛の力で、残りの半分は王子の愛を得られねば人になれない、というもの。
やがて王子は蜘蛛の姫の献身を知り、蜘蛛の姫の手を取ってその手の甲に口づけするが、蜘蛛の姫の身体はまだ半分蜘蛛のまま。そんな中途半端なところで終わっているのだ。
「何故、蜘蛛の姫が人になってめでたしめでたし、としなかったのですか?」
「そうすると今のゼラの姿と連想しにくいでしょう。この絵本の目的は半人半獣でも恐れることは無い、と知ってもらうためのものですから」
「いえ、この絵本の物語から俺とゼラの関係を想像されたら、ゼラの下半身が蜘蛛というのは、まるで俺のゼラへの愛が足りないと邪推されてしまうのでは?」
「でしたらカダールはゼラが人に進化できるようにがんばりなさいな」
「無茶言わんで下さい」
「そうね、ゼラが人の姿になったらこの絵本の続編を出すことにしましょうか。売れ行きも良いようですし」
なんだか頭が痛くなってきた。昔から母上に口で勝てた試しは無い。
ゼラを見ると絵本を見て、ポーッとしている。絵本は最後のページを開いている。蜘蛛の姫が逃げないようにその手を掴まえて、その手の甲に赤毛の王子が口づけをしているところだ。
ゼラは薄く微笑んだまま絵本の王子の赤い髪を指で撫でている。そのままチラッ、チラッ、と俺を見たりする。あー、うん。
人前でやるのは恥ずかしいので、あとで倉庫に戻ってから、絵本のようにゼラの手を取って、その手の甲に口づけしてみた。
もちろんそんなことでゼラの下半身が人になる訳では無い。だが、ゼラが嬉しそうなので良しとしとこう。
「むふん」
ゼラは俺が口づけした手の甲を押さえてうっとりしている。……なんでこう、いちいちいじらしく見えてしまうのか。
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