第二話 絵本の人、誰だっけ?
倉庫の中に朝食を運ぶ。シチューを鍋ごと、あとは丸パンにチーズ。リンゴを丸ごと。
倉庫の中はゼラの魔法の明かりで照らしてもらう。俺を押し倒したことを気にしてるのか、ショボンとしてたので、
「ゼラがいるとランプが要らないし、この魔法の光りはランプより明るくていい」
「……そう?」
「そう、助かる」
言って頭を撫でるとちょっと元気になった。
エクアドが皿にシチューをよそうのを横目に、俺はいつもの白いエプロンをゼラに着せる。ウエストの後ろで紐を結ぶのが俺の役目になってしまった。
正面からだと褐色の双丘に顔が近づいてしまうので、……俺は慣れてないんだ、そういうの。いや、女が苦手とか嫌いとかじゃなくて、その、なんだ、恥ずかしいだろ。なのでゼラの下半身、蜘蛛の身体の上に乗り、ゼラの背中に回る。
いまだにゼラは服を着るのはムズムズすると嫌がり、エプロン以外は着てくれない。ゼラが裸にエプロンという姿は、俺の趣味という訳では無い。無いのだ。ゼラはエプロンでさえ寝るときは投げ飛ばすんだ。
もともとが服を着る習慣の無い蜘蛛の魔獣。人の上半身を持つアルケニーに進化してからも、まだ日が浅いという。
蜘蛛が服を着る訳が無い。それでも俺の頼みだからと、ゼラは我慢してエプロンは着けてくれる。
ゼラにエプロンを着させる為に、蜘蛛の背に乗る俺を見て、エクアドがポツリと、
「アルケニーライダー、か」
「茶化すな。それで、ゼラが着られそうな服はどうだ?」
「袖無しワンピース、とかになるのか? 別に裸でもいいんじゃないか? ゼラは気にしないんだろう?」
「俺が気になるんだ」
「カダール、二十一でそれはどうなんだ?」
「おかしいか?」
「いや、その方がいいのかもしれん。カダールが他の女を気にするようになれば、また天井が割れるのかもな」
「これまでそういう機会が無かっただけなんだが」
「まぁ、家柄とか騎士の名声とかに寄ってくる女が苦手というのは俺も解るけどな」
ゼラの背に合わせた高さのテーブルに朝食を並べて、俺とエクアドは脚の高い椅子に座る。ゼラの方には皿の上に切った羊の生肉。ゼラはフォークを使わないので手掴みになる。食事の度にエプロンをダメにしないように、食事のときにはナプキンをゼラの首にかける。
血の滴る羊の肉を手でつかんであむんと口に入れるゼラ。
「美味しいか? ゼラ?」
「ウン!」
口から赤い血を垂らして羊の肉を食べるゼラ。
俺もエクアドもゼラが生肉を食べるのを見ながら、食事をするのに慣れてきてしまった。慣れるようにしたというか、染まってきたと言うべきか。
朝食をとりながら、俺の血の話を続ける。
「ゼラ、俺の血を舐めて世界が開いたって、どういうことだ?」
「ン? むかし、ちっちゃいとき、カダールの血、口に入った。世界が、開いた」
ゼラの言うことはところどころよく解らない。俺とエクアドで訊ねてみたところ、どうやらゼラが進化する前、小さな子タラテクトのときに俺の血を舐めた。その後、世界の見え方が変わった、ということらしい。
「カダール、まさかお前の血に魔獣を進化種に変える力があるのか?」
「そんなバカな。俺は魔術師でも無いぞ」
「カダールの母、ルミリア様は火の系統の魔術の使い手だろう?」
「だが、その素養は俺には受け継がれていない。それに俺の一族、ウィラーイン家にも魔獣に影響する魔術の使い手などいないはずだ」
「そうか。だがカダールの血は一度調べて貰った方が良さそうだな」
エクアドは後ろ腰からナイフを取り出して、左の袖を捲って自分の手を浅く切る。止める間も無い。
「おいエクアド、バカなことをするな」
「アルケニーについては解らないことが多い。人の血を見る度に狂うと解れば、対策も考えることができるだろ? ゼラ、俺の血はどうだ?」
「ンー? べつにー?」
ゼラが心底どうでもよさそうに言う。羊の生肉の方が良いらしく、もぐもぐしながら。エクアドはゼラの前に血を垂らす腕を伸ばしたまま、憮然とした顔をする。
「……人の血を見たらおかしくなる訳じゃ無いのか。それが解っただけでも良しとするとして、なんだ? この、釈然としない気分は? いや別に俺はゼラに美味しそうに見られたい訳じゃ無いんだが……、こうもどうでもいい奴扱いされるというのは……」
「良かったなエクアド。お前はゼラには襲われ無い」
「ゼラにとってカダールが特別だ、ということは、改めて良く解った」
「ゼラ、エクアドのキズも治してくれないか?」
「ウン、なー」
ゼラが光る指でひと撫ですると、エクアドの腕のキズはすぐに治っていく。手拭いで血を拭けば、ナイフで切ったキズがあったことも解らない。軽く行うには信じられないような魔法だ。
「神官の作る
「治癒の魔術を使う奴でも詠唱無しでここまで早くはできんぞ」
まったくもって、ゼラの底が知れない。
「ゼラ、さっき俺の血を舐めてたわけだが、どうだった?」
「ンー、カダールの、血」
ゼラが口の中の羊の生肉をゴクンと飲み込む。指で口から滴る羊の血を拭うとゼラの顎が赤く染まる。
さっきのことを思い出してるのか、唇をペロリと舐める。ゼラの舌は赤くて、少し長く見える。目を細めて肩を小さく震わせて、指で唇をなぞりながら。
「カダールの血、舐めると震える。身体、溶けそう……」
そう言うゼラの顔がやたらと色っぽく見えて、背筋がゾクリとする。俺の血って、なんなんだ?
「俺の血を調べてもらうにしても、王立魔獣研究院の方は? あの眼鏡の、名前はなんといったか」
「器材と人員を揃える為に一旦王都に戻っているが、直ぐに来ることになっている。カダールとゼラの新しい屋敷の隣に研究室を造る、ということになってる」
「エクアドの方は?」
「アルケニー監視部隊の隊長、というのは昇進と言えるのか? エルアーリュ王子の直属、という扱いだ」
「エクアドには迷惑をかける」
「気にするな。カダールも監視されるなら、まだ顔見知りの俺の方がいいだろ」
「エルアーリュ王子はゼラを利用するつもりだろうか?」
「利用できるかどうか、調べたいというところじゃないか? だが一番は灰龍に匹敵する脅威の再来を防ぐため。ゼラには何者にも手を出させないように徹底しろ、予算は好きに使え、となっている。それで早速」
エクアドが持ってきた包みを開く。中からは色とりどりの絵本が出てくる。
「何がゼラの好みか解らんから、いろいろ買って来た」
ゼラが目をキラーンと光らせる。俺が人魚姫の絵本を読ませてから、絵本が気にいったらしい。
「ゼラ、エクアドにお礼を」
「ありがとう! 絵本の人!」
「絵本の人じゃなくて、エクアド」
エクアドを見ると肩を落としている。
「……いや、ゼラはアルケニーで人の女とは違うと解ってはいるんだ。ただ、俺は、モテる方だと思っていたんだが……」
「気にするなエクアド。ゼラは人の顔と名前を憶えるのが苦手なんだ。それでも今では、エクアドと母上は他の人間と見分けはつくようになっているから、マシな方だろ」
ゼラにとっては、人間はアルケニーとは違う生き物。昔、俺が言ったことを守って人は襲わないが、俺以外の人間はあまり見分けがつかないらしい。
大人、子供、オス、メス、というのは解るようだが、俺以外の人間にはあまり興味が無いらしく、見分けて名前を憶えるだけの興味が無いようなのだ。
これは俺達人間から見ても、興味が無ければ馬や牛の個体の見分けがつかないようなものだろうか?
エクアドが気落ちしているようなので、
「ゼラ、このエクアドは俺の友人で、これからもゼラの面倒を見る部隊の隊長だ。エクアドの顔と名前を憶えてくれ」
「ンー」
「こいつは、エクアド」
「こいつは、エクアド」
「絵本を持ってきてくれる、エクアド」
「エクアド、絵本の人」
「いや、もういい、絵本の人で」
エクアドがため息ついてテーブルの上の絵本を手にとる。俺も一冊手に取ってエクアドに言っておく。
「エクアドが持ってきた絵本のおかげで、ゼラが結婚式に憧れるようになってしまった」
「俺のせいにするな。女の子向けの絵本となると、灰かぶり姫とか、眠り姫とか、最後は王子と結ばれてハッピーエンドが多いだろうに」
「ネズミ君のチョッキとか嵐の夜にとかあるだろうが」
「ネズミ君のチョッキは子供のトラウマになるし、嵐の夜は今のカダールとゼラの状況にハマリ過ぎてないか? それと人魚姫で泣いたから明るい話の絵本に、と言われても俺は絵本に詳しく無い」
「どうして女の子向けの絵本はゴールが結婚なんだろうか?」
「ウン! 結婚! 結婚式!」
「ゼラ、絵本に触る前に血に濡れた手を綺麗にしようか」
「カダール! 絵本!」
「絵本は夜にしよう」
いつものように朝食を終わらせる。ゼラを相手にしても平然と給仕ができて、身元が確かな側仕えは現在、エクアドが探している。しかし、いつの間にかこの三人で食事を取るのにも慣れてきた。
「ん? この絵本はなんだ?」
「それか? 先日出たばかりの新しいヤツだ」
俺が手にとった絵本のタイトルは、
『蜘蛛の姫の恩返し』
……なんだこれは?
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