第9話
倉庫の中、アルケニーのゼラと二人の暮らし。二日目。
朝には父上と母上が扉の外に来た。
「今のところゼラ、アルケニーはご覧の通りおとなしくしています。一晩同じ倉庫にいた私も無事で、このアルケニーが人を襲わないと証明されたかと」
「いや、カダール。無事では無いだろう、その目の下のくまはなんだ?」
「これは、ここ数日の疲れと枕が変わって寝づらかっただけです」
「本当か?」
「本当です。ゼラ、こちらが俺の父上と母上だ。挨拶を」
白いエプロンをもう一度着せて、なんとか胸を隠させたゼラが俺が教えた通りに挨拶をする。
「アルケニーの、ゼラ、です。よろしく」
ペコリと頭を下げる。母上が驚いて、
「本当に人語を解するのですね。ゼラ、さんですか」
「ウン」
「これはどうすれば良いのかしら? 魔獣と話ができるなど。しかも人を襲わないとなれば、何時までもここに閉じ込めておく訳にも」
父上がうむう、と唸る。
「灰龍のことは調べさせている。また、王の使者を待たねばならん。アルケニーのゼラよ、済まないが二十日ほどおとなしくしていて貰えないだろうか? 生活に不便が無いようにはさせてもらう。しかし、人は魔獣を怖れるもの、無闇に外に出て街の者を怯えさせたくもない。不自由させるが、暫くここにいて貰えるだろうか?」
「ンー、」
「カダール、このアルケニーが並の魔獣では無いというのは本当か?」
「はい、父上。ゼラ、今朝、俺に見せてくれたものをもう一度やってくれないか?」
「ウン」
ゼラが指を振る。
「みー」
と、ゼラが言えば四つの光の球が宙に浮いて辺りを照らす。
「すい」
空中に水の球が現れて大きくなる。慌ててバケツを持ってきて水の球の下に置く。落ちた水はバケツから溢れて倉庫の床を濡らす。
「らい」
ゼラの両手の平の間にバチバチと小さな雷が走る。
「このように、呪文の詠唱も無く簡単に幾つもの系統の魔法を使います。俺が顔を洗う水が欲しいと言ったら、ゼラは空中から水を湧かせました」
「なんと、それでは他にも幾つもの魔法が使えるというのか?」
「人の魔術師の使う魔術とは根本から違うようです。ですが、ここで試すわけにも。灰龍にとどめを刺した魔法を使えば、この倉庫ひとつ軽く吹き飛ぶらしいので」
「それは試してくれるなよ」
ゼラの方を見ると次は水を空中に漂わせている。その水は形を変えていく。ゼラは俺の方を見ながら粘土でも捏ねるように指を振って水の形を変えていく。
これは人の形をした水の彫刻、か?
「ちー」
ゼラが人差し指を唇に当てて呟くと、水は一瞬で凍りつき、氷の彫像ができあがる。
「できた、カダール」
「これ、俺か?」
等身大の氷の彫像、どうやら俺がモデルらしい。父上も母上も驚いて見ている。
「……こんな繊細な魔術を使える魔術師など、居らんぞ」
細かく操作でき、その上、水を瞬時に凍らせる。それを遊び感覚でやってしまう。空中に水を出して相手にかけて凍らせる、これだけでも敵には回したくは無い。
「ゼラさんは芸術の才があるのね。そしてカダールがこんなに凛々しく見えるのね」
母上、そこは驚くところと違うと思います。母上はゼラを怖れる様子も無く、倉庫の中に入り氷の等身大の彫像に触れる。
「冷たいわ。本物の氷ね。カダールをこんなにカッコよく作ってくれるなんて、ゼラさんは素敵ね」
「ウン、カダール、一番、ステキ」
「まぁ、ゼラさん、他にも作れるかしら?」
「ウン」
意外にも母上はゼラと話をしている。父上が俺に顔を近づけてコソコソと。
「カダール、これからどうするつもりだ?」
「灰龍を越える脅威を野放しにするわけにはいきますまい。王には事の次第を説明し、ゼラはウィラーイン伯爵領の何処かの森でひっそりと暮らしてもらう、というのは」
「うむ、それとあのアルケニーのゼラは、本当にお前が拾ったというタラテクトなのか?」
「まさかあのときの子タラテクトが伝説の進化する魔獣とは知らず。しかし、それがあるからこそこれまでゼラは人も家畜も襲わず、今も俺の言うことを聞いてくれます」
「ならばアルケニーのゼラを御せるのはカダールだけ、ということで我が領に留めて監視する、ということにするか。だが、魔獣が本当に人を襲ったことも食ったことも無いというのか?」
「森に入りゼラを見つけたハンターに襲われたことがある、とゼラから聞いています。その際、身を守るために交戦とはなっても人を殺したことは無い、と」
「信じられんことだが、その言で押すとするか。灰龍とその卵については早急に調べさせる」
「頼みます父上。それとゼラは灰龍を討伐したのです。このウィラーイン領の災害を鎮めたのです。丁重な扱いを」
「解っている。灰龍を越える脅威を怒らせることは慎むよう全員に伝えておく。それに我が領にとっては救いの使徒だ。報酬も考えねば。アルケニーのゼラは、なにか欲しい物があるのか?」
「今のところは。あ、食事については肉食であり、生の肉が食べたいと。これについては昨日の内にエクアドに頼んでおります」
「そうか、こちらでも手配しよう。それと……」
父上はゼラの方を見る。つられて俺もゼラを見ると、ゼラの作った氷の彫刻。小さな氷の蜘蛛の彫刻を母上が手のひらに乗せて笑っている。二人とも楽しそうだ。
父上が更に声を潜める。
「あのアルケニーのゼラは、ワシを恨んでいないか?」
「は? どういうことですか?」
「もとはタラテクトなのだろう? タラテクトが大発生したとき、その王種を討伐したのはワシだ。言うなればワシは群れと王の仇ではないか」
「そうなりますか。しかし、それについてはゼラからは何も聞いてはおりませんが。ゼラが街に侵入しても、直接危害を受けた者はいないとも聞いています」
「聖堂のステンドグラス以外の被害は無いか。カダールよ、アルケニーのゼラから目を離すなよ。調査と交渉はワシがなんとかする」
「もとよりそのつもりです」
「倉庫の外からはアルケニーのゼラごとカダールを監視することになるが、堪えてくれ」
「解っています。ひとつ間違えば灰龍以上の脅威がウィラーイン領を襲うのですから、この身に代えても最悪の事態にはならぬようにします」
「……あまりワシを脅かすな。灰龍がいなくなったというなら有り難いが、ただでは無いということか」
父上と母上が倉庫を出て、入れ替わるようにエクアドが来た。
「絞めたばかりのニワトリで新鮮だ。三羽で足りるか?」
「解らん。とりあえず食べさせてみよう」
吊り下げたニワトリ三羽を受け取りゼラに渡してみる。
「ゼラ、生の肉だ。ニワトリでいいか?」
「にくー」
ゼラは乱暴にニワトリの羽をむしると大口開けてニワトリに噛みつく。鋭い白い歯がチラリと見える。ムシャムシャとニワトリを噛み千切り食べていく。ニワトリの身体から出る血がゼラの口を、白いエプロンを赤く染めていく。
やはり、ゼラはアルケニー、肉を食らう魔獣なのだと改めて実感する。口の周りを赤く染めて生肉を貪る少女の姿に、背筋が凍る。
ふと、ゼラの目が俺を見る。
「あ……、」
ゼラは口を開けて、ポトリとニワトリを落とす。赤く染まった両手で口を隠す。どうしたんだ?
「……カダール、ゼラ、こわい?」
「あ? あぁ、いや、生のニワトリを食べるところを初めて見て、その、驚いた」
「……ン、ごめんね?」
ゼラはしょぼんとした顔をする。俺が怯えたことに感ずいたのか? 落ちたニワトリを手に持つと倉庫の隅に行く。大蜘蛛の下半身、その尻をこちらに向けて、蜘蛛の身体で隠すようにしてニワトリを食べている。音を立てないように、ゆっくりモソモソと。
……なんだか、いたたまれなくなってきた。なんで俺がゼラに冷たくしたみたいになってるんだ? なんで俺が罪悪感のようなものを感じているんだ?
「すまん、悪かったゼラ。俺と食生活が違うことにちょっと驚いただけで、俺はゼラのこと怖くは無いから」
「……ほんと?」
手で口を隠して振り返るゼラ。その手もエプロンもニワトリの血で真っ赤で、口だけ隠しても怖いは怖い、が。ゼラの目には涙が浮かんでいるのを見ると。
「ほんとだ。怖く無い。怖くは無いから、そんな隅っこでコソコソしないで、ちゃんと食べてくれ。三羽で足りるか?」
「ンー、にわ、で、いい」
「そうか、じゃ、こっちの一羽の羽は俺がむしっておくから」
横目でチラチラ伺いながら、ニワトリの羽をむしるのに集中するふりをする。ゼラはちょっとこっちに戻ってきてニワトリを食べるのを再開する。倉庫に血の匂いが漂う。このゼラの姿は他の人に見せない方がいいか。
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