20話『微かなる極光』


 上空から迫るかまいたち。先程とは違い無差別ではない、一まとめに束ねられた巨大な風の斬撃は轟音と共にシルヴィアめがけて迫り来る。


 触れるだけで二つに裂かれそうな風刃に対して、シルヴィアは躱そうともせずその場に立ったまま、自らが握っていた剣をあろうことか鞘に納めた。 



「『剣と為せ、天翔ける光彩よシュトラーレ ディ エスパーダ』」


 

 そして呟かれる二節詠唱。その言葉と共に彼女の両の手に無数の光が収束する。

 瞬きの間に光が形を作り、詠唱のままにその光が二振りの剣と成る。そしてそのまま間髪を入れずに、彼女はその両の手に収まる剣を振り抜いた。



 風の刃と交差し、直後に響く爆ぜるような轟音。

 迫る風の刃を真っ向から受け止め、彼女の両の手に咲く極光はその神風を力ずくで



 その光景に遠くで見ていたフィオが、そして至近で見ていたアキホでさえも言葉を失う。


 見紛うはずもない、あの風は全てを断ち切る神獣の怒り。紛い物が自らの全てを以て打ち出した神風。それを内部から焼き尽くしたシルヴィアの神技を見たフィオは、未だに自分で見たものを信じられないでいた。


 魔術に対する対抗策のうちの一つ。逃げるでも防ぐでもない、敵を上回る魔術を以て相殺するその方法。それを人の身で神獣の贋作相手にやってのけるその神話のような光景に、直接相対したわけではないアキホすら戦慄する。


 そして内部から焼き尽くされたかまいたちは、行き場を失い荒れ狂う暴風と化した。


 その中心で光の刃を振り抜いたシルヴィアは、吹き荒れる風にその白銀の髪をたなびかせながらその先の風王鳥フレスヴェルグを睨みつけ、遥か彼方に佇む彼の王に指を差す。


「『穿ち貫け、空駆ける迷光よシュトラウド ディ ドルヒヴォーレ』」 


 彼女の背に生まれた五つの閃光。瞬きの間に生まれた光球から、蜘蛛の子を散らすように解き放たれた。


 指を差したのはあいつを穿てという明確な意思。その魔力を帯びた閃光は澄み渡る空を乱反射して、あらゆる角度からその身を貫こうと奔る。


「――――――――――――!!」


 されど、その身は神獣の化身。風と鳥の王を基に造られた人造の魔鳥。


 迫る閃光に対し雄叫びを上げ、身に纏う風を以て迫る光彩を尽く捻じ曲げ、一つとしてその身に掠ることさえ許さない。この身に触れることはもう叶わぬとばかりに、遥か空から大地に縛られた塵芥を一笑に付す。


 まるで嘲笑うような甲高い叫び声。耳障りなその音に耳をふさいだフィオは、その下で再び両手の剣を構えるシルヴィアを見た。その目に宿る意思は未だに、遥か遠くに佇む敵を睨みつけて逃さない。


 空を飛ぶ術を持たぬ人は、その領域に辿り着くことは許されていない。だがしかし、空を飛ぶ獣を斬り伏せるのであれば、空を飛ぶ必要など決して無い。


「『閃光よシュトラーレ』」


 再び現れる光球。一節詠唱故に先ほどよりも光量の少ないその光球は、先ほどとは違い穿つための閃光ではない。瞬く間に魔獣へと接近し、その周囲をかく乱するように纏わりつく。


 二節ですら阻んだ風は一節の光など一笑に付した。片手間に吹いた風がその光球の良く手を阻み、近づくことすら叶わず光球はただふよふよと魔獣の周囲を漂っている。


 しかしそれでいい。その光球は魔獣をそこに縫い留めることが目的なのだから。



「……はぁっ!!」



 魔獣がその光に注意を向け纏わりつく光を吹き飛ばしている隙に、シルヴィアは両の手の光を一つにまとめる。一つの極光となったその刃を腰だめに構え、彼方にそびえる巨大なそれ目掛けて一息に優雅に振り抜いた。


 振り抜きざまに生まれる光の刃。世界を真一文字に切り裂いたそれは、担い手であるシルヴィアの手を離れ、先ほどの意趣返しとばかりに文字通り光の速さで距離を詰める。


 遥かからまばゆく輝く極光の煌めき。それに気付いた魔獣は軌道から外れようと身を捻るが、風王鳥といえど風を裂く光に抗うことは叶わない。

 微かに逸らした左の翼を深々と抉り取り、そのまま空の彼方へと消えることなく飛び去った。


「―――――――――――――――!!!」


 傷口から噴き出る血潮に苦悶の声を上げる魔獣。

 骨まで抉られた片翼が機能を失い、最早空は彼の領域ではなくなった。


 自由に空を駆けることは片翼の不完全な身では望めず、体勢を崩した以上は既に空から落ちることは免れないだろう。



 そう、あの鳥がそんなか弱い生物であったのならの話だが。



 わずかに高度を落とした後、風の王は翼を広げて急旋回する。


 目標は自らの片翼を抉り取ったあの極光。重力と風の加護を推進力に変えて自らが疾風となり、その速度と重量で轢き潰そうとなりふり構わず疾駆する。


 対する極光を纏う姫君は、その疾走に対し不動で相対する。

 手に持った光彩を纏う剣を構え、交差する瞬間に迫るアレを切って捨てようと、その剣の柄を握りしめる。


 数秒の後に交差する二つの影。その交錯するを以てこの戦いは終わりを告げるだろう。


 風が全てを押しつぶすか、光がそれを斬り伏せるか。二つに一つの結末は数秒の後に命運を分ける。




「――――――っ」




 その刹那、極光が揺らいだ。心臓を縛るような痛みと共に彼女の纏う魔力が霧散し、手に持った剣すらも形を崩して、彼女はあまりの痛みに胸を押さえながら膝から崩れ落ちた。






「シルヴィエスタさんっ……がっ……!!」


 その状況にフィオは思わず声を上げる。最悪のタイミングで起きてしまったに、どうしてよりによってそのタイミングで、と嘆くように叫ぶ。


 ぜえぜえと肩で息をして、膝をついたまま迫る魔獣を睨みつけるシルヴィア。苦悶を浮かべながら止めどない汗に顔を濡らして、先ほどまでの余裕と優雅さが嘘かのような表情で心臓の上を強く握りしめていた。






 これこそが彼女が軽蔑されるもう一つの理由。


 彼女は、膨大な魔力量を持ちながらほんの一部しか使う事が出来ず、度を越えた魔力行使を行えばそれに対して身に余る反動を受ける呪われた身体を持つ。


 圧倒的な強さを持ちながら、一瞬で途切れるその眩さ。

 そんな彼女に対して人々は二つ名を付けた。皮肉と嘲笑を内に含んで『微かなる極光リトルサンドリヨン』と。


 12時に魔法が解ける物語の少女に例え、蔑称の意を込めて。 








 今こそが好機とばかりに迫りながら声を上げる魔獣。


 急速に消えゆく敵の魔力を見て取り、そのままこの身で押しつぶしてしまおうと、さらに速度を上げて己の空を駆け抜ける。


 そして彼女は俯いた。もはや迫り来る敵を見る事すらせずに、下を向いて息を吐いた。死を前に諦めたようなその姿に、フィオは口に手を当て絶句する。


「シルヴィエスタさんっっ!!!」


「……っ」


 喉が張り裂けんばかりにフィオは叫ぶ。その声にシルヴィアは振り向いた。遠くで泣きそうな顔をしているフィオに、額に未だに汗を伝わせたまま何かを伝えようと言葉を発している。


 その言葉にフィオは微かに息を飲んだ。距離は離れており、絶え絶えになった息から漏れ出る声は、こちらに届かず掠れて聞こえてこない。


 しかし口の動きで、その顔で、何を言っていたのかフィオは確信する。




 「『大丈夫です』………?」




 そして膝をつくシルヴィアに影が差した。迫る鳥と屈む自分の間、互いの魔力が交差するはずだった直線上で、現れたがこちらを振り向き微笑んでいる。


「辛そうだね」


「……いいから前を向いて、ここまでは引き受けましたから」


「うん、ここからは僕の役割だ」


 返る言葉にシルヴィアは頷いて、安心したかのように微かに目尻が下がる。


 未だ状況は好転してはいない。なおも迫る白影は勢いを止めず、交差する刃がただ変わっただけ。大地じゅうりょくと空とを味方に付けたあの巨大な魔鳥に対し、刃一本で相対するその青年は誰が見ても心許ない。




 しかしシルヴィアは信じていた。二度在り得ざる奇跡を起こしたその刃が、三度あまねくを斬り伏せる未来を確信して疑わない。





 俯いたのは諦観ではなく安堵から。空を駆ける魔獣を大地に落とす自らの役割を果たした以上、自分に出来る事はこれで終わった。あとは、目の前の青年がそれを斬り伏せればそれで仕舞いだ。



 そして、結末を継いだその青年は何時いつもの如く淀みなく、対象を見据えて柄に手を置く。



 その身体は何処までも自然体で、魔力は淀みなく彼の身体を巡っている。

 

 それは動物としての本能か、生物としての機能か。

 魔鳥は自らの身の丈の半分もないその剣鬼に恐怖したかのように、威嚇を込めて最期の咆哮を放つ。そして滑空していた翼を開いて無理を通して風を起こした。


 先ほどまでは脅威であった千々ちぢに舞う風の束は、しかし抉れた翼では意味を成さない。か細く生まれたかまいたちを、手を足を微かに裂いていくそれを一瞥もせずに、アキホはただ迫り来るその魔鳥を待ち構えている。


 既に最高速となったその勢いは、傷ついた翼を広げた程度では止まることは出来ない。苦し紛れに鉤爪を振るうが、果たしてその抗いにどれほどの意味があったのだろう。



「……ごめんね」


「――――――――!!!」



 目と鼻の先に迫った瞬間にアキホの口から微かに零れた言葉を、魔獣は果たして耳にしただろうか。


 交差は一瞬。岩のように固い鉤爪をものともせず、抜いた刃が鮮やかに魔鳥を縦に切り裂く。


この一瞬のようで長かった戦いはシルヴィアの予見通り、彼が割いた肉片が左右に勢いよく落ちた音で終わりを告げ、再びそよぐような風と静寂が荒れ果てた街道を満たした。




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