13話 その理由



「何故、降参をした」


 模擬戦の勝敗が決し、学園長の締めの言葉を以て終えた実践授業の後、終業の鐘が鳴り生徒たちがまばらに帰宅していく中、ルークは帰ろうとするアキホを呼び止め別室に呼び出した。


 アリアは心配そうにちらちらとこちらを見ていたが、大丈夫だと宥めて一人でその部屋へと訪れる。


 ほかに人のいない教室で、長話にはならないからと互いに立ったまま。教室の扉を施錠し、最初の言葉がその問いだった。

 

「後は間合いを詰めて、斬り伏せるだけだったはずだ。なのに何故降参をしたのだ」


 納得が出来ないと不機嫌を隠す素振りもなく、徹底的に問い詰めようという姿勢がありありと見えている。アキホはその様子に小さく苦笑いした。


「……あの時もう僕は動けなかったよ」


「……何?」


 帰ってくる言葉にルークはなおも納得が出来ず、返す言葉に思わず非難の色が見えてしまう。アキホは苦笑しながら、焼けるような空に目を向けながら頬を掻く。


「君の魔術で空間が凍り付いて、満足に活動できる時間は限られていた。だからそれよりも疾く斬ればいいと思ったけど、それが出来なかった」


「しかし」


「確かにその後の君は斬れたのかもしれない。でもそれは恐らく凍り付いた自分の腕と引き換えに、だよ。学生同士の模擬戦でそんな光景を見せるわけにはいかないでしょ」


 そう言って、試合後にフィオに溶かしてもらった両手をプラプラと見せるアキホ。その言葉にすら背筋に刺すような戦慄が走る。


 彼はわかっているのだろうか。まだ学生騎士という身分の青年が、自らの腕を対価にする選択肢をそもそも持っていること。それがどれだけ異質なことなのかを。


 全く持って正論ではあるが彼の言葉に納得いかず、ルークは目を固く瞑り顎に手を当て押し黙る。


「………勝たなくて、いいのか」


「?」


「お前はシルヴィエスタの側に立つ人間だ。あの場で勝てばシルヴィエスタに対して他の生徒達は強く出れなくなっただろう」


 敬称の抜けた素の状態の彼が、納得の行かないアキホの行動に疑問をぶつけている。


 己たちの主張の代弁者として生徒たちは最も強いルークを出した。もしそのルークが打ち倒されてしまえば彼らの後ろ盾は無くなり、シルヴィアの影には常にアキホが見え隠れするようになるだろう。


 そうなればシルヴィアを悪く言うことは難しくなる。彼らは自分が不自由なく悪態をつくことができるのだ。


 もしあの時無理を押して勝ってさえいれば、ルークすら及ばないアキホという後ろ盾を持ったシルヴィアを恐れて、弱い彼らは表立って行動出来なくなるはずだった。


 だからこそルークは問いを投げかける。自身の行いや立場を棚に上げて、この身が問いかけること自体がふざけている行為だという事を自覚していながら、その問いを聞かずにはいられなかった。


「しかし君は負けてしまった。私という代理人が勝ったことで、君たちは自分達より下だと彼らは認識してしまった。これからも、今までと変わらない悪意が君たちに降り注ぐだろう。お前はそれで良かったのか。彼女が変わらず虐げられるままの世界で、お前は本当に良かったのか」


「もしあの場で君を斬り伏せたとして、何か状況が変わったわけではないよ」


 差しはさまれるアキホの言葉。予期せず試合中に自らが考えていたことと同じことを告げられ、思わずルークは言葉に詰まる。


「彼女への悪意が外に表れるか内で燃えるか。それだけの違いだ」


「……」


「僕の目的はただ悪口が無くなることじゃない。彼らの認識をもっと、根本から変えないといけないと思ってる」


 そう答えて、アキホは何かを思い出すように僅かに俯く。

 ルークはそのアキホの表情に思わす息を飲んだ。


 その面持ちはこれまでに見てきたアキホのどの表情とも違う。気の抜けたような笑顔でも試合の最中さなかに見せた小さな笑みでもない。

 ここではない何処か見つめて郷愁の想いに耽るようなその表情に、食って掛かろうとしていたルークの勢いが止まる。


「……僕の生まれた場所は、平和とはかけ離れた場所でね」


 ゆっくりと窓辺に歩み寄り、沈む夕日を見つめながらアキホはぽつりと言葉をこぼした。空いている窓から微かに流れた風が、彼の髪を優しく揺らす。


 唐突に飛んだ話題にわずかに思案するが、即座にルークは思い至る。

 鍔競り合いの合間に彼に問うた質問。刃を交わした理由を語るという約束を守るかのように、あの時の答えを今自分に返しているのだと。


「命の価値なんて常に揺らぎ、生と死の境目すら曖昧になっていた。戦が日常の一部に組み込まれてて、斬った敵の血の匂いがこびりついて離れない。命を賭して命を奪う事が当たり前で、その日を生きることが生きる理由だ、なんて謳う人がざらにいた」


 その口から紡がれている言葉は重く、冗談を言っているなどと疑う余地もない。

 だからこそ、その話にルークは絶句している。同い年の少年が背負うにはあまりにも重いその過去に。


「当然、娯楽など許されるはずもなかった。……いや、幼子には許されてたかもだけど、僕はその選択を良しとしなかった。兄の背中を守り、兄と共に戦場いくさばを駆けることで、日常を守ることを幼いながらに選んだ」


 自分の手のひらを見つめながら、夕焼けを背景に彼は訥々と言葉を紡ぐ。


「だから、言葉よりも多く剣を交わしてきた。言葉で人は止められないし守れない。戦場ではそんな余裕もないし、こちらがどう思っていようと相手はこちらを斬るつもりだから。そんな環境で生きてきたから……」


「言葉よりも、剣を以て会話をする……」


「そう。そういう欠陥品が生まれてしまった」


 思い至り引き継いだルークの呟きにアキホは小さく頷いた。


 ルークも話には聞いたことがある。魔力とは意志の力。すなわち、心を振るう力なのだ。

 そしてその力を込め刃を振るう人々の中には居るという。言葉よりも雄弁に、刃を伝って魔力こころを通わす人間が。


「もちろん言葉や表情でも気持ちや人柄は伝わるよ。でも、もう刃で会話を交わす方が気持ちが伝わるんだ。ご飯を食べるように、夜眠るように、それが生活の一部になってしまったから」


「……」


、生活を変えて、少しずつ言葉を交わす大切さも、他愛ない会話の楽しさもわかるようになってきた。でもどうしても相手の気持ちを知りたいときはこれに頼ってしまう」


 とんとん、と自分の刀をアキホは優しく叩いた。


「だからこそ、君と刃を交えることに決めた。嫌な人たちの私欲を満たすのは少し癪だけど、それ以上に君の気持ちを知りたかったから。あ、もちろんわざと負けたわけじゃないよ。最後に降参するつもりではあったけど、結果的に八百長をする必要もないくらい追い詰められてたから」


「…………」


 ルークは憮然とした表情を浮かべるが、それ以上は何も言えない。

 しかし、彼のわずかに語った己の人生に、その強さの根源に納得ができた。


 つまるところ、経験の数も密度も桁が違うのだ。限りない命のやり取りの中で培われた技術が彼の根底に宿っている。実践の中で培われた確かなものが、彼という存在を作り上げたのだろうとルークは悟る。




 すでに刃を交わして心を知ったからか、説明の足りない疑問にもアキホは淀みなく答える。しかし対するルークの方は短い言葉では伝わらなかったようだ。


「違った?」


「そう。君だけは他の人たちと違って、から」


 心なしか明るいその言葉にルークは目を丸くする。

 思いもよらないところで図星を突かれて彼は言葉を失った。


「他の人は君を担ぎ上げているけど、君自身は同じ思いじゃない。だからこそ、周りに流されてシルヴィアさんを虐げているみんなとは違い、僕の問いかけた主語のない質問の意味を理解して、きっと君は罪悪感に俯いたんだ」


「む……」


「だから本心を知りたいと思った。そして、刃を交わしてって思った。君には君でシルヴィアさんに味方ができない理由があるんだって。その理由まで分かるほど、これは便利なものではなかったけど」


 表情はそこまで動かないが、心の底から嬉しそうに目の前の青年は言葉を紡ぐ。


 そして彼は言葉の外で告げているのだ。その理由をしいするつもりはないと。君に大切な理由があるのであれば、シルヴィアを害する自分を理解できると優しく言っている。


 この不思議な少年に、少し心を開いたかのようにルークはぽつぽつと心情を漏らす。


「彼女は、何も悪くはない。それが分からないほど阿呆ではないつもりだ」


「うん」


「しかし、彼女を悪く言う事を否定することも、私は出来ない」


 その言葉を聞いてエルは小さく頷いた。

 目線で続きを促すアキホに、ルークは小さく頷いて自らもゆっくりと窓へと歩み寄る。


「この国はもはや狂っている。頂点に立つものは私欲で国を使い、喘ぐ人々には目もくれない。表立っては言えないが、陰で生まれる王族への憎悪は計り知れない」


 夕日ではなく、その下にある城下町を眺めながらルークは呟くように語る。その横顔、目線に浮かぶ複雑な感情を、アキホは黙って見つめている。


「お前は、刃を交わすことが日常だと言っていたな」


「うん」


「この国では、が日常になってしまった。積み重なった憎悪をどうにか紛らわそうと、王族への悪意を吐き出すことが当たり前になってしまった。元々は人々の間での会話に含まれていた程度だったが、そこに王族と容姿という共通点を持ってしまった彼女が現れた」


「……!」


「心の何処かでは全員分かっている。お前も言った通り、容姿が同じだからと言って彼女を一緒くたにする理由など無いと。しかしどうしようもないのだ。彼女を王族と同一視し、義憤をぶつける自分の行いを正当化しないと。理性で感情を縛れるほど、誰も彼もが強いわけではないのだ」


 深くため息をつきながら、ルークはアキホに向き直る。


「誰もがその行いを正当化するだろう。そうして生まれた本当の憎悪に巻き込まれて、流れに身を任せたが生み出される。それが、あの教室で起きた騒動の根幹にある物だ」


「……うん」


「しかしそれを否定すれば、日常を否定された彼らは、吐き出すべき憎悪を内に溜め込まざるを得なくなる。蓄積されたそれはいつか暴発し、下手をすればその連鎖は彼女シルヴィエスタを、そしてこの国を壊しかねない」


 その目付きは真剣で、しかしその奥に在る感情は悲しいほどの自身への無力感だった。


 彼もきっと心根は同じなのだろう。間違いを良しとし、正しき少女を悪しく言わなければならない現状に対し、何もできない自分が一番許せないのだろう。


「だから私は、彼女の敵であり続ける。彼女を害す彼らの側に立って、少しでもその間違いをせめて意味のあるものにすることが、私に出来る唯一だ」


 だからこそ、それが彼の唯一の偽善だと。淘汰することで彼女を守るという二律背反が、自分が今歩める自らの騎士道だと、アキホの眼を見据えて宣言した。



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