4話 団欒


 これまた不思議なえにしが繋がったものだ、とアキホは流されて辿り着いた今の状況を客観視していた。


 テーブルの隣、すぐ横に座っている彼女。自分を力ずくで引きずり込んだ銀色の綺麗な髪をした少女は、席に座ってからこれまでの経緯を話し続けている。背筋をピンと伸ばして、机の上に重ねた両手を置いたまま。


 そしてその話を、ふわふわした薄茶色の髪を揺らしながら一人の女性が料理台に立って聞いている。よほど料理し慣れているのだろう、意識は会話に向けたままに淀みなく包丁を動かしていた。


「あらあら、それは大変なことね~」


 全く大変さを伺えない声色で、エプロンを身に着けた女性は話を聞いていた。これまでの経緯余すことなく伝え、その全てを聞いた後に彼女は深く頷いた。


「それならあなたには私たちのお礼を受け取ってもらわないといけないわね」


「いや、ですからこれは自分が勝手にやったことで」


「お義母さんは関係ないんじゃ」


「二人とも」


 なおも否定する二人を静かな声がいさめる。

 怒るでも責めるでもない優しい口調。しかし、これが母親としての威厳なのか年の功なのか、その言葉に込められた威圧感に同時に二人は口をつぐむ。


「まずは、アキホ・ヨシカワさん」


「は、はい」


 煮込んでいた料理の火を止めて彼女は椅子に腰を下ろした。テーブルの真向かい、アキホとシルヴィアが二人並んだ反対側、青年へと身体を向けて真っすぐ彼の眼を見つめている。


「私からもお礼を。私はこの娘の義母で、エステライエ・アスティルと申します。この度は私の大切な娘の窮地きゅうちを救っていただき、本当にありがとうございました」


 心を込めたその言葉の後に、誠意をもって深く頭を下げた。その誠意を正面から受け止めたアキホは、先ほどと同じ言葉を返す。


「頭を下げないでください。あれは本当に勝手にやったことで……」


「その勝手な行動に、私は強く感謝しているのです」


 その言葉を言わせないように遮り、彼女はゆっくりと顔を上げる。そしてどこまでも深く澄んだ瞳で、アキホを優しく微笑みながら見つめていた。


「ねぇアキホさん。私は全ての行動に、すべからく『責任』というものが付いて回ると考えています」


「え、あ、はい。それはわかります」


 唐突なその責任の所在についての持論に戸惑いながらも肯定を示すアキホ。その素直な反応にエステルは満足そうに頷いた。


「分かってくれて嬉しいです。そしてそれは悪しき事に対して責任を取るというだけでなく、正しき行いに対しても変わらず責任というものは発生するものだと、わたしは思うんです」


「………」


「働いたものに給与を、功績を残したものに褒美ほうびを与えるように。なのでアキホさん。私の娘を助けた責任を取って、私からの礼を受け取っては貰えないでしょうか」


 どこまでも丁寧で、どこまでも誠実なその言葉にアキホは堪忍した。困ったように笑いながら、その澄んだ瞳を見つめ返して頷いた。


「そんな風に言われたら、受け取るしかありませんね」


「そうです。受け取るしかないんです」


「っふふ……ではご厚意に甘えます。えっと……エステライエさん」


 胸を張って断言するその姿に思わず笑みが零れるアキホ。

 名前を呼ばれた彼女は張っていた胸に手を当て、困ったように微笑んでいる。


「そんな畏まらないで。私の事は愛称で、エステルって呼んでくださいね」


「はい。ではエステルさんもどうか敬語ではなく話しやすい形で。年上の人に敬語で話されては、緊張してしまいますから」


「ええ、わかりました。……ねえ、シルちゃん」


「何」


「一回り若い男の子に愛称で呼ばれちゃった。お義母さん年甲斐もなく胸がぽわぽわしてる~」


「恥ずかしいからやめて」


 頬に両手を当ててくねくねしている義母を冷めた目で見ているシルヴィア。その目に気付いて姿勢を正したエステルは、小さく咳払いをして自分の浮ついた気持ちを整えた。


「そしてシルちゃん」


「……はい」


「貴方に対しては単純な一言です。……娘を助けてもらって嬉しくない母がどこにいますか」


「……っ、ごめんなさい」


 親として至極しごくまっとうなその言葉に息を詰まらせるシルヴィア。冷やされた紅茶が入ったグラスを両手で包むように握り、罪悪感に顔を俯かせる。そんな彼女に優しい声色で、諭すようにエステルは語り掛ける。


「シルちゃんのそれはもう癖だから咎めません。でも、貴女がそう口にするたびに、私はその言葉を全部否定するんですからね」


「うん……ありがと」


 その言葉に満足したかのように頷いたエステルは、コトコトという鍋の煮える音に慌てて立ち上がる。鍋を熱していた火の魔導具のスイッチを切って、中身を確認して小さく溜息を吐いた。


「それじゃ私からのお礼をさせてもらいます。と言ってもそこまで大仰なものだとアキホ君がまた受け取ってくれないでしょう。そこで!」


 何故かだいぶテンションを引き上げて再び鍋のスイッチを付けるエステル。先程の母としての威厳は何処へやら、どこかしら得意げな顔でスイッチに手を当てたまま彼女は振り返る。


「もうちょっとでご飯が出来るから、良ければうちでご飯を食べてってもらえるかしら。もうちょっとと言っても、鍋が煮えるまでしばらくかかるんだけど……」


「そういうことでしたら喜んで。今日は母が遅くなるからご飯をどうしようか考えていたところなので、助かります」


「そうなの。それならよかったわ~」


 安堵したかのように息を吐くエステル。戸棚から紅茶を取り出して、そのまま流れるように空になっていたアキホとシルヴィアのグラスに冷やされた紅茶を注いでいく。


 その容器を机の上に置いて、エステルは再び席に座った。ニコニコと微笑みながら机の上に肘を置き、両手を頬に添えて二人の顔を交互に見つめている。


「それじゃ、鍋が煮えるまで時間もあるし、良ければアキホ君の事について教えてくれないかしら~」


「ちょ、お義母さん……?」


「いいでしょ~?颯爽と現れて危機を救う青年なんて、このご時世じゃ珍しいでしょう?お義母さんこの子の事が気になって仕方がないんだから」


「僕も別に大丈夫ですよ」


「やった〜!」


「……本当に、すみません」


「いえいえ」


 心の底からの謝罪に笑いながら応えるアキホ。そして鍋が煮えるまでのしばらくの間、三人で他愛もない雑談を交わすことになった。








 ことことと鍋が煮える音がする中、暖かい部屋で三人はしばらく経った今も会話を続けていた。


「そっか、気が付いたら一人ぼっちで、今の母親に引き取られてこの国に来たの……大変だったでしょう」


「いえ、僕は全然。それより義母が大変だったと思います」


「……」


 夜が帳を下ろし、いつの間にか窓の向こうが暗くなっていた。ものすごく時間が経っていたわけではないが、それでもそれなりの間エステルとアキホはお互いに言葉を交わし、その二人の話を黙ってシルヴィアは聞いていた。


「でもそのお義母さん、大変ね~。子供を家に放って頻繁に夜遅くまでお仕事をしているなんて……」


「詳しくは聞いていませんが、どこかの学園で教職をしていると聞きました」


「そうなの……お義母さんが家にいなくて、寂しくない?」


「遅くまで働いていてるのは仕方ないですから。それに、僕が生活できるようになるまでは無理して早く帰ってきてくれてましたから。感謝はあれど、不満なんてありません」


「う~ん、聞けば聞くほどアキホ君はいい子ね~……頼み込んだらうちに貰えないかしら」


「何言ってるの」


 どことなく本気のニュアンスを含む母の呟きに釘を刺すシルヴィア。愛娘のその反応にエステルは目をぱちくりさせた。そしてその言葉を嫉妬と曲解したエステルは、ガタリと音を立てながらテーブル越しにシルヴィアを強く抱きしめる。


「……っ」


「大丈夫よ、シルちゃん。私の大切な子供はシルちゃんただ一人!今のは冗談なんだからね~!」


「ちょ、揺らさないで。紅茶が零れる……」


「ぎゅ~~~~~~~~~っ!!!」


 抱きしめるエステルと逃れようともがくシルヴィア。ようやくの思いで引き剥がしたシルヴィアは、隣のアキホを横目にグラスに入った紅茶を飲み干した。


 その横ではアキホがその光景を首を傾げながら見ていた。その視線を感じたのか、小さなグラスを手に抱えたままシルヴィアは彼を横目で見る。


「私の顔に、何か?」


「顔になにか付いてるわけじゃなくて。二人は親子っていうか、姉妹みたいだなぁって」


「あらあら、そんなに若く見えちゃうのかしら、私~」


「年甲斐がないだけ」


 嬉しそうに頬に手を当てて微笑んでいるエステルに呆れるシルヴィア。アキホにとってその光景は、ぽわぽわしている姉としっかり者の妹にしか見えなかった。


「まあ、母親としての貫禄があまりあっても困るけど」


「困る?」


「この人、まだ30歳になるかどうかなので」


「そうなんだ。……………え?」


 一度納得しかけて、よく考えるとおかしいことに気がつきアキホの口から声が漏れる。


 アキホの記憶が正しければ、この国では18歳になってようやく婚姻が認められると教わったはずだ。ということは、一番早い段階で子供を産んだとして、その子供は大きくとも10歳前後になるはずだ。


 だが、澄ました顔でお茶のおかわりを注いでいる彼女は、どう取り繕ってもそんな幼くは見えない。


 そんなアキホの胸中を察したのか、エステルはどういったものかと小さく考えている。しかし、明け透けとシルヴィアは言いにくいはずの事を事も無げにアキホに離した。


「私も貴方と同じ、気がついたら独りだったんです。そんな折に数年前に引き取ってもらったので、互いの年齢に関しては多少おかしいのは仕方がありません」


 幾分あっさりと告げられた身の上話。アキホは失礼なことを聞いたと謝罪を返そうとし、二人のこれまでの関係性を思い返して口を閉ざした。


「………そっか、そうなんだね」


 そして彼は納得したように呟いて、小さく頷いた。その眼は教えてくれたことを感謝するように、真っすぐ誠実にシルヴィアを見つめている。


 予想外の反応を返された親子は、思わず不思議そうにアキホを見つめてしまう。


「…………謝らないんですね」


「うん」


「こういう時は普通は謝るものだと思っていましたが」


「僕もそうしなきゃいけないのかな、とは思ったんだけど」


 今もなお微笑んでいる彼は、二人の顔を見ながらゆっくりと自らの考えを紡ぎ出す。


親子そこに至るまでの道は辛く大変だっただろうけど、今の二人はもう素敵な家族なんだって分かるから。だから、教えてくれたことに謝るべきじゃない、って思ったんだ」


 その考えを聞いた二人は同時に目を丸くした。そして娘は噛み締めるように目を瞑って、母は心の底から嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「どうかした?なにか変だったかな?」


「少し変です。でも、素敵な考えだと思います。……凄く」


「僕も謝られるよりは肯定してもらったほうが嬉しいから。……もしかしたら、謝らないとだめだったのかもしれないけれど」


「ダメなんかじゃありません~!」


「ぎゅむ」


 感極まったのか、エステルは机を挟んだ真正面から、今度はアキホを手加減なしに抱きしめた。豊満な胸に当たって倒れた空のグラスを気にも留めず、力いっぱいに胸元へと引き寄せる。


「私はシルちゃんと出会えてよかったって、心の底から思ってるんです!だから謝らないで、私もシルちゃんも、そう思ってくれている方がず~~~っと嬉しいんですから~!」


「………ぐむ」


「ぎゅーーーーーーーーっ!」


 呼吸が出来ずアキホは小さくもがくが、エステルは決して放そうとしない。そのままアキホが酸欠で動かなくなりシルヴィアが静止に入るまで、エステルはアキホをこれでもかと抱きしめ続けるのであった。








「ごちそうさまでした。美味しかったです、凄く」


「あらほんと?気に入ってくれてよかったわ~」


 他人から見れば幸せな窒息から解放され、食事を終えたアキホは玄関の外へと出ていた。虫の声と風の音が聞こえる軒先で、家の中にいる二人に向かって頭を下げる。


「私としては、もう少しお話ししていたいんだけど……」


「お気持ちは嬉しいんですがすみません。どうしても明日は早いので」


「いえ。むしろこんな時間まで付き合ってくれて、本当にありがとうございました」


 我儘を可愛らしく口にするエステルをいさめながら、シルヴィアも次いで頭を下げた。


 お互いが顔を上げて、三人の目線が交差する。エステルが胸の前で両手をぽんと合わせて、困り顔だった顔がふとにっこりと笑った。


「また、いつかご飯を食べに来てもらえると嬉しいわ。今度はちゃんと準備をして、おもてなししますから~」


「はい。また機会があればよろしくお願いします」


「……今日は本当に、ありがとうございました」


「いいえ、こちらこそ。それじゃ」


 小さく頭を下げたアキホは、振り返り帰路へと付いた。細い路地を大通りへと真っすぐに進む。大通りに出たところで振り返ると、二人はまだ家の前でこちらを見送ってくれていた。エステルははち切れんばかりに手を振り、シルヴィアは真っすぐこちらを見つめていた。


 そんな二人に小さく会釈をして、アキホは再び歩き始め大通りを進む。久方ぶりに義母以外と囲んだ団欒のひと時を噛み締めながら、いまだ閑散としている夜の街を微笑みながら家路へと付いたのだった。












 アキホが大通りへと姿を消した後も、しばらくの間二人はその方向を見つめ続けていた。そして幾ばくかの後に、呟くようにエステルが口を開いた。


「……不思議な子だったわね、アキホ君」


「うん」


「シルちゃんの顔を見ても、私のを聞いてもずっと態度を変えなかったものね」


「……うん」


 寡黙な彼女にも、あの稀有な青年ともう少し話してみたかった気持ちがあったのか、僅かに顔を俯かせた。そんな彼女の珍しい姿を横目に見て、エステルは優しく微笑んだ。


「……ふふふっ」


「……嬉しそうだけど、どうしたの?」


「ううん、ただ、アキホ君明日早いんだなぁって」


「……?」


 具体的には話そうとしないエステルをシルヴィアはいぶかしげに見つめる。そんな彼女の視線に気づいているのかいないのか。彼女はいつの間にか懐から取り出したを読みながら、なおも嬉しそうに頬に手を当てて微笑んでいる。


「ふふっ、楽しみだわ~」


「……ほら、風邪ひくから」


 いつまでも笑顔を絶やさない義母に理由を聞くことを諦めたシルヴィアは、引きずるように家へとエステルを連れ込んだ。


 もう出会うことは無いだろう不思議な青年の事を思い出しながら、シルヴィアは意味の無いその懸想けそうを振り切るように、靴を脱いで玄関の扉を勢いよく閉めたのだった。

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