第252話 擦れ違い(1)

 ――プレオープン初日の夕方。


「ふう……」


 スタッフルームのソファーに座ったあと、思わず溜息が出る。

 スキル「演武」で佐々木母娘の接客方法をトレースして利用客の相手をしていたが、それでも初の旅館の接客と言う事もあり心身ともに思ったより疲れた。


「社長、お疲れ様です」


 帰り間際のスタッフの20代後半の女性が話しかけてくる。

 たしか名前は……。


「永井さん、お疲れ様」

「はい。それでは失礼致します」


 朝10時から午後6時まで出勤の女性に言葉を返す。

 もちろん、午後6時から午前2時までの勤務の人員と総入れ替えなので彼女以外の女性達にも挨拶を行う。


 全員がスタッフルームから出ていったあと、備え付けの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し飲む。


「牛丼が食べたい……」


 すでに3週間近く牛丼を食べていない。

 おかげで、牛丼のことを考えるだけで貧乏揺すりが始まるくらいだ。

 きっと、3週間も牛丼を絶食したら誰でもこうなるだろう。


「はぁ……」


 思わず溜息が出る。

 旅館の料理長であり板前の源さんは料理の腕はいいんだが……、やはり良い食材を使っているという事もありたまにはジャンクフードも食べたくなる。

 むしろ牛丼を食べたい!

 三重県では、現在! 松阪牛を布教させるという名目で牛丼弾圧がされていて牛丼が食べられない。


「他の県には食べにいけないからな……」


 さすがに旅館には、政財界の大物たちがいる。

 追い返すくらいなら、夏目の顔に泥を塗るくらいだから問題ないが――、さすがにダンジョンから出た目玉商品であるアイテムを盗難に合うわけにはいかない。

 よって長時間、旅館を開けるわけにはいかない。


「はぁ……」


 ――コンコン


 溜息をついたところで、ノックのあとドアが開くと、「疲れました……」と、女将見習いの佐々木が入ってくる。

 服装は薄桃色の着物を着ていて、腰まである黒髪は後ろで結い上げられていてバレッダで止められており大人の女性という雰囲気を演出していた。


「――あっ!」

「おつかれ」

「お疲れ様です」


 スタッフルームに入ってきた佐々木は冷蔵庫からジャスミン茶のペットボトルを手に取ると俺の横に座ってきた。

 ちなみにスタッフルームは、10人分が座れるようにソファーを増やしていて、必ずしも俺の横に座る必要はない。


 まぁ、横に座るくらいは問題ないが――。

 佐々木は、ペットボトルに口をつけたあと、


「先輩」

「――ん?」

「お母さんが、先輩は接客の才能があるって言っていました」

「そうか」


 別に才能とかじゃなくてスキル「演武LV10」を使って、佐々木母娘の動きや接客方法をトレースしただけに過ぎない。

 言わば、努力でも何でもなく――、ただのチートに過ぎないのだ。

 だから、そんな尊敬の眼差しで見られても困る。


「そういえば、先輩」

「どうかしたのか?」


 椅子に座りながら、下から覗き込むように俺を見てくる佐々木。


「お客様からの――、アイテムを使った際の反応は、すごくいいですよ」

「そうか」


 反応が悪かったら逆に困る。

 何せ、市場では流れていない――、日本国政府どころか世界中を見渡しても類を見ないほど貴重なアイテムなのだから。



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