夜明けを駆けるうんち(中)

「ここが例の珍獣料理店ですか」

「ようこそ、野生屋へー」

 佐伯さんは待ちわびたかのようにドアを開けて、私を店に誘った。

「ワイルドな名前…」

 店内は牙や骨、毛皮類で飾りつけされており、所々櫂や角つきの兜が置かれている。バイキングをイメージしているのだろうか。

「何食べたい?」

 席に着くと、佐伯さんはメニューを広げた。

「カンガルー…」

 カンガルーって食べるんだ。

 かわいいカンガルーのイラストが添えられていたのでまず目に入ってしまった。「美味しいよ」と食材本人がコメントしている。

「それは割りと食べやすい方だと思う。始めはこれあたりから食べ始めるといいかも」

「へー」

「あ、ウーパールーパー?」

「おや、面白いのを見つけましたねぇ~」

 私はウーパールーパーの形をした揚げ物が写真にあるのを見つけたのだった。その様子を見てわくわくしているようだ。

「姿揚げですか…そのまんま揚げるんですか…」

「はい!」

「楽しそうですね…」

 下に目を落とすと、写真の愛らしいままの顔がこちらを見つめている。

「ちなみに、お味は?」

「白身魚みたいなところかな。食べやすかったと思うよ。えっと、やめとく? もっと食べやすそうなのあるからね」

 微妙な顔をしていたのだろうか、そう諭されてしまった。

「いえ、分かりました。私、それ行きます」

 覚悟を見せろ。かわいい顔をしていたが、この子はもう食材なのだ。「えっ、こんなの可哀想~食べられない」などとそんなふざけたことを抜かす上辺だけの憐れみを見せる女にはなりたくない。生き物たるもの、命を食べることに自覚的であるべきだ。

 もちろん、佐伯さんに失望されたくないと理由もある。なんなら、この店のもの何でも食ってやるぞという気で行かねば。

「じゃあ、私ダイオウグソクムシにしよっかな」

「えっ?」

 何食うつもりだこの女。

「どうかしたの?」

「い、いえ。そういえば、お酒はどうします?」

「何しようかな~」

「じゃあ、私はカシオレにします」

「私、プレモルで」


「あ、意外といけますね。ウーパールーパーさん」

「でしょ~」と言いながら佐伯さんは切り分けられた虫の肉をつついている。ダイオウグソクムシそのもののフォルムで出てこなくて本当に安心した。

「でも思ったより量は無いかもですね」

「お、次のお肉決めちゃいます?」

 佐伯さんはそう言いながらビールをガブガブと飲んでいる。どうやら酒豪のようだ。

「そうですね…。私、最初に見たカンガルー気になります」

「いいねいいね。色々食べてみよう」

 ところで、と佐伯さんは言葉を接いだ。

「意外だったな」

「意外とは?」

「前村さんのこと、勝手にこういうお店苦手だと思ってて」

「それなのに誘ったりして、結構意地悪ですね」

 私は冗談っぽく笑って見せた。

「あはは。確かにそうだよね。前村さんどう反応するかなって好奇心が出ちゃってね」

「なんだか扱いが未確認生物みたいじゃないですか」

「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだけどね。前村さんのこと色々と知りたくてさ」

「おや?」

「ぶっちゃけ、なんだか前村さんってミステリアスなんだよね」

「秘密のある女なので」

 私は妖艶な身振り手振りをしてみた。

 そうだよね。お酒のノリでも目の前でいきなり奇行をされたら困惑するよね。

「意外と愉快な人ってわかったかも」

「冗談はこれくらいにして、何がミステリアスなんです?」

「いつもすごい言葉遣いとか物腰とか上品だなんだけど、時々何だろう…不思議な言動とか行動とか…さっきみたいな」

 おかわりしたビールを佐伯さんは飲み干した。

「何です?」

「えっと、「うんち」とかいきなり言い出すじゃん」

 飲みかけのカシオレを吹き出しかけてしまった。

「大丈夫?」

「え、ええ。それにしても、聞かれてましたか」

「残念ながらたまに言うのを聞いてました」

 茶目っ気のある笑顔を佐伯さんはする。

「そうですか…。あれはですね、「クソ」っていう心の中の叫びなんですよ」

「そうなの? でも、素直に「クソ」って言っておけばいいのに」

「なんだか変なところで丁寧なんですよ」

「あはは、そうなんだ。じゃあ、私はいつも「うんち」って言うことになるかも」

「どうしてですか?」

「私って、結構ドジでさ。本当に嫌になるくらい」

 驚いた。私より仕事ができて人付き合いも上手いように見えていたからだ。

「そうは見えないですよ。佐伯さんがドジなら私はドジ過ぎてナメクジみたいなものです」

「そんなの見かけだけ。ほら、人当たりが良いだけだし、それだけじゃどうにもならないこともあるんだ」

 佐伯さんは俯いてジョッキの縁を指でなぞる。

「そうですか…」

 私も佐伯さんのことはそこまで知らない。ミステリアスなのはお互い様なのだ。だからこそ、私は一緒に話す機会が嬉しかった。

「佐伯さん…私でよければ好きに愚痴ってくださって構いませんよ。聞くだけなら得意なので」

「ありがと、前村さん。でも今日は辛気くさい話は遠慮しとく。折角のダイオウグソクムシが不味くなるし」

「ええ。ところで、それって美味しいんですか?」

「気になる?」と言って肉を挟んだ箸を私に近づけてくる。

「け、結構です」

「まだ早かったね~。ところで、前村さんって結婚考えてる?」

「いえ、まだですけど」

「まだ早いよね~。うちはなんかすごいうるさくてさ~」

 この後、私たちはいくつかお肉を頼んで、バカみたいな量のお酒を飲んだ。オットセイかセイウチか忘れてしまったが、ほとんど脂のような肉を食べたり、熊の手を食べたりした。佐伯さんはノリで色々ときわどいお肉を食べていた。どうやら虫肉を好んでいるようだった。


 佐伯さんとの話はびっくりするほど弾んだ。お酒のおかげで、変なところで笑いあったところもあったが、意外なところで趣味が合ったのだった。

「お会計済みましたよ。佐伯さん?」

「あり」

 ぐでんぐでんに酔っている。酔って足元がおぼつかないと、こんなふうに歩くのか。

「千鳥足ですね」

「強いね~お酒。ザルじゃん」

 私は佐伯さんに肩を貸した。

「はい行きますよ~」

 お店を出て駅へと向かう。終電ギリギリまで呑んでしまった。

「太宰先生みたいな堕落っぷり」

「お薬打ってないだけマシですよ」

「いや、酔っているのは演技で、実は酔ってない。こうしているのもわざとかもしれない」

「酔いが回っているのは確かです」

 私たちは太宰トークを弾ませながら夜道を歩いた。









 

 




 

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