第4話 T氏のコウフク

「あなたがそこまで言うのなら、私が謝るか謝らないか、ゲームで決めましょう」


「ゲーム? ほぅ、どんな?」


僕はそう言って、コーヒーカップを口に運んだ。落ち着いて見せているつもりだが、内心はハラハラし通しだ。こんな彼女は、今まで見たことがない。


カナはキッチンまで、いつも以上に大きな足音を立てて向かったと思うと、何かを背中に隠してすぐに戻ってきた。


僕は、彼女の表情を横目で伺いながら、飲み終えたコーヒーカップをテーブルにそっと置くと、まるで、それを待っていたかのように、カナがカップを大げさに払い退けた。宙を舞った白磁のカップセットは、大きな音とともに破片となって床に飛び散った。


僕は体を硬直させて絶句する他になかった。


カナはそのまま、表情も変えずに、背中に隠し持っていたナイフの刃先を僕に見せつけて、ドンとテーブルに突き立てた。


「ねぇ、このナイフを今からテーブルの上で回転させてみて。もし、刃先が私を向いたら謝ってあげる」


僕はゴクリとツバを飲み込んだ。ここでひるんだら負けだ。ハッタリでも売られた喧嘩は買うしかない。


「じ、上等だ。では、刃先が君を向かなかったら?」


「ナイフの回転の儀式は、刃先がどちらかを向くまでやるわ。ミキヒコのほうを向いた場合、二度と心を込めずに謝るなんて愚行ができないように舌を落とす」


僕はガタンとテーブルを揺らした。


「冗談だろ……?」


「何言ってるの? 謝れと言ったのはあなたでしょ? さぁ、早く回して」


カナはそれきり何も話さない。僕とカナは、テーブルの上のナイフを挟んで動かなかった。僕は、空気がだんだんと凍りついていくように感じていた。その空気が、今度は口から体内に入り、気道を通って、やがて、肺に到達しそうになる。


この凍てついた空気が肺に入る時、僕はきっと降伏してしまうだろうと直感した。


そうして、気が付けば床に額を擦り付けて謝っていた。散々謝ってから顔を上げると、擦り切れた額は血がにじんでいるように熱かった。


それを見たカナの「あぁ、スッキリ」と笑い飛ばす姿に、僕は絶望し、テーブルの上のナイフの柄に指を掛けた。


僕は今、幸福だろうか。

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