自作短編について

武州人也

奇絵画

 第十回本物川小説大賞参加作。歴史時代伝記ジャンルなのですが所謂怪奇小説。

【ごくごく簡単なあらすじ】

 舞台は隋の文帝時代の揚州。絵売りの老爺が市場に持ってきた、美少年が描かれた一枚の絵を巡るお話。疾走した友人を探していた朱という男は老爺の後を追うが……

【雑記】

 時代を隋の文帝時代にしたのは、隋の統一=華南で生き残っていた漢人王朝が完全に潰されて、五胡と呼ばれる異民族(の内の鮮卑族)に膝を屈したという時代だからです。老爺の持ってくる絵は、美少年画を除けば漢の武帝の建章宮だったり霍去病による匈奴討伐だったりと、どれも華北中原を追われた漢族の心を慰撫するものばかり。けれどもいざ老爺を追って屋敷に入ると今度は匈奴兵に討たれる漢兵の絵とかがあるんですよね。媚びを売りつつ実は内側に鴆毒ちんどくを抱いている……みたいなものが暗示されているわけですね。

 正体不明美少年が「盗跖とうせきのように生きるか。それとも伯夷はくい叔斉しゅくせいのように死ぬか。それを選べるのは人間だけだよ」という場面があるのですが、盗跖というのは古の大盗賊で、悪党の代名詞として扱われています。それに対して伯夷と叔斉というのは周の武王が殷の紂王を討伐しようとするのに反対して山に籠り周粟を食むのを拒んで餓死した兄弟で、清廉な人物の代名詞として度々その名が使われる存在です。盗跖が悪党でありながら天寿を全うし、伯夷叔斉が清廉でありながら餓死という最期を遂げたことに関してかの司馬遷は「これは天の道として正しいのか」と疑問を投げかけています。

 郭や朱は美少年の色香に抗えずに彼と交わり、結果として獣となってしまうわけですが、獣になった朱が「思えば、自分がこのような怪魚に姿を変えてしまったのは、あの少年によるものとは思えなかった。寧ろ、なるべくしてなったとしか思えない。自分は、己の中の獣に負けたのだ。己の内にいた獣に負けたからこそ、それが表に出てきたまでのこと」と悟るシーンがあります。人間は盗跖にも伯夷叔斉にもなれるけど、結局自分は前者であり、自分の獣のような心が自分を獣に変えてしまったのだと(真相がどうであれ)思うわけですね。そして、それは自分ばかりではない。そういった輩が天下にどれほどいるだろうか……と、皇帝の悪行(隋の文帝もとい楊堅は猜疑心の強い人物で、北周の宇文うぶん氏から皇位を簒奪後に宇文一族を皆殺しにしました。「白狄」というのはかつて存在した異民族で、梁に仕えて西魏に使者として赴いた庾信ゆしんは自身の詩の中で北朝を指して「白狄」と呼んでいます)を引き合いに出して考えるわけです。

 因みに本編に登場する妖獣たちは「山海経せんがいきょう」に登場する獣たちです。よかったら読んでみてください。

【終わりに】

 講評つけてくださる自主企画に初めて参加した作品です。これ書く前は遅筆な上にクオリティも不満足なものばっかりだったんですけど、これ以降はコンスタントに書けるようになって作品の出来にも(自分で言うのも何ですが)まぁまぁ満足できるようになりました。いろんな意味で原点になった作品です。

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