2-6

「何事ですの……!」


 ヴィヴィアンが相手に聞こえない程度の小さな声で不満を口にした。

 それでも彼は隣国の王太子だ。ヴィヴィアンはその場でやや顔を伏せて、淑女の礼をした。

 エディもそれに習う。


「……君は?」


「お久しぶりでございます、ロードリック殿」


 エディはゆっくりと顔を上げ、淑女らしくほほえんで見せた。

 五年ぶりにまみえたロードリックは、以前とかなり印象が違っていた。面影を感じられるのは髪の色や太めの眉毛くらいだろうか。


「久しぶり、だと? ……銀髪……そうか、なるほど。ティリーン王国の王女は……あと二人いるんだった……。ゴホン、王女も見違えたぞ。う、美しくなった……とても、いや、驚くほど」


「光栄でございます……?」


 以前、親しくしていた相手にこそ、エディの性別詐称は受け入れられないという可能性がある。

 それを危惧していたエディだが、ロードリックの態度はぎこちなくも好意的なものだった。


「ところでエディ王子はどこだ? 再会したら必ず叩きのめすつもりで心待ちにしていたのだが!」


 突然、彼の態度が豹変する。目が血走り、今にも腰にある剣を抜き放ちそうな勢いだ。


「……叩きのめす?」


 エディはしばらく考えて、ロードリックは目の前にいる王女がエディであると気づいていないのだと理解した。どう考えてもエディを異母妹と勘違いしている。


(どうしよう? 名乗ったら、決闘をしなければならないのか?)


 やはり、ロードリックは性別詐称をしていたエディを許していないのだ。

 完璧な淑女でいなければならないのだから、当然、剣の勝負などには応じられない。


「王女よ、安心しろ。怪我くらいはするかもしれないが、命までは取らない」


 エディを安心させるためなのか、白い歯をチラつかせて爽やかな笑みを浮かべた。

 彼の攻撃対象であるエディが、今の言葉で安心できるはずもないのだが。


「あの――」


 エディが意を決してロードリックの勘違いを正そうと口を開く。

 ところが彼女を庇うようにヴィヴィアンが一歩前に歩み出た。


「わたくし、王女殿下の話し相手として同行しております、メイスフィールド侯爵の妹・ヴィヴィアンと申します」


「メイスフィールド侯爵? 確かエディ王子の夫となった者だったな?」


「さようでございます。失礼ながらロードリック殿下、エディ殿下が王子ではなく王女であらせられた件はご存じでらっしゃいますか?」


 ヴィヴィアンが真顔でたずねた。

 ロードリックははっきりとメイスフィールド侯爵がエディの夫だと認識している。それなのに、わざわざ質問していることにエディは突っ込みを入れたくなった。


「性別など関係ない。……いや大いに関係ある! 年下の……しかも女に負けたままでは王位など継げない! 大丈夫だ。いくら、男みたいながさつな王女でも、手加減くらいはしてやるつもりだ」


「どうしても闘わなければならないのですか?」


 エディは困惑して、彼に問いかけた。

 いったい彼の中で、〝元王子のエディ〟はどんな姿をしているのだろうか。


「……王女よ……。すまない君の兄――いや、姉? を傷つけたいわけではない! だが、男には成さねばならぬことがあるのだ……」


 なぜかマントを翻し、ロードリックは決意を語る。

 エディはただ戦慄するだけだ。

 身長はハロルドとジェイラスのあいだくらいだが、服の上からでもがっしりとした体型がよくわかる。恐らく剣の腕前に相当な自信があるのだと推測された。


(……今ではジェイラスにすら勝てないというのに、弟よりも腕力のありそうなロードリック殿の剣を受け止められる力が、私にはない)


 エディは、剣の技術だけならば「それなり」だと自負している。

 けれどあくまで、「それなり」でしかないのだ。体格差のある相手に勝てるほどではないのは明らかだった。


「残念ながら、エディ殿下は旅の疲れでお休みですわ」


「軟弱な! たたき起こしてやろうではないか。そこの……ヴィヴィアン殿だったな? 案内せよ」


 ロードリックは建物のほうへ歩き出そうとする勢いだ。

 なんだか腹が立つからビシッと言ってやりたい衝動と、ここで問題を起こすわけにはいかないという常識のせめぎ合いで、エディは動けずにいた。


「ロードリック殿下。恐れながら、体調の優れないエディ王女殿下と闘い、勝利を収めたところで、あなた様は満足なのでしょうか?」


 ヴィヴィアンは冷静だった。静かな声で、諭すように語りかける。


「ん? ……確かに……」


「どうかお願いですエディ王女殿下と個人的にお会いになるのでしたら、ティリーン王国の代表であるジェイラス殿下と、エディ殿下の夫であるわたくしの兄へお話を通してくださいませ」


 ヴィヴィアンはあえてエディの正体を知らせない作戦を取るらしい。

 エディとしても、今この場で名乗って勝負などする気はないため、ヴィヴィアンを支持するしかない。

 そしてヴィヴィアンはおそらく、問題をハロルドに丸投げするつもりなのだ。


「わかった、ここは出直そう。……王女よ。エディ王子の早い回復を願うのと同時に、彼に剣と防具の手入れを怠るなと伝言を頼む。逃げるなよ! と……」


「ええ、……承りました。ロードリック殿」


「では、騒がせてすまなっかった。……また会おう!」


 もう一度白い歯を見せて爽やかに笑ってから、ロードリックは身を翻す。

 申し訳なさそうにする侍従を引き連れて、彼は颯爽と迎賓館から出ていった。


「……なんだろう? よくわからないが、とりあえずハロルド殿にこの件を相談する時間は稼げたな。ありがとうヴィヴィアン殿、助かった」


 彼女がいなければ、間違いなく正直に本当の名を告げていた。

 そして勝負を挑まれたら、勢いで応じていたかもしれない。


「王女殿下のお役に立ててなによりですわ。……それにしてもあの方、この国の王太子殿下なのですよね? とてもがっがりなお方ですこと。理想の王子様なんて、きっとどこにもいないのですわ」


「見た目はとても爽やかで……熱い人物のようだが? それに優秀な方だという評判も……あった、はず……」


 ヴィヴィアンの好みは線の細い儚げな印象の美少年のはずだから、きっとロードリックはそこから大きく外れているのだろう。

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