第五章 四つ葉のクローバー

空を見上げる

 歩きながら、夕暮れの空をふっと見る。季節は二月。ずいぶんと陽が長くなった。空気はこんなにもキンと冷えているのに、桃色と紅色を混ぜたような空はむしろ優しい。



 仕事帰りに乗る電車は、残業や飲み会さえなければいつもおなじ時刻だ。門限はあるけど、かなりの幅をもたせてくださっている。だからべつに慌てているわけでもないんだけど、わたしは、自分の呼吸と合わせて歩くとどうもいつもそうなるみたいで。


 ダイヤが変わらないかぎり、電車の時刻はどの季節でも一定だ。けれども季節によって当然、景色は変わる。会社から会社の最寄り駅へ歩くあいだ、この五分にも満たない時間に、わたしはもっとも季節を感じる。……四季というものにあまり縁のない生活をしているのだし。


 わたしが帰り道こうやって、ふっと空を見上げるということだけは、たぶんだれも知らない。


 それ以外のわたしのすべてを、未来さまが知っているとしても、わたしのまるごとすべてを知るのはきっとあのひとにさえも、無理なんだ。たとえ――わたしがあのひとの前にすべてを投げ出したいとこれほどまでに思い詰めていたって。



 意識を向ければいつでも、すっ、と、あの夜の未来さまの表情をなぞることができる。



 ……あのひとはきっと、わかってない。

 わたしを、苦しめたとばっかり思い込んでいる。



 違う。……違うんです。

 わたしにとってあなたがどれだけの救済か、どう説明すれば、わかってもらえるのでしょうか。





 ふっと息を吐き、ゆるやかな人波とともに歩き出す。まるでふつうのOLみたいに澄ましているのが、自分でも、いつもおかしい。


 人波とともに、階段を上がっていく。カツンカツンとわたしのローヒールも鳴る。



 ここにいるひとたちはたぶん、まったき人間で。

 でも、人間として生まれてきたからって、人間になるとは、かぎらないでしょう?



 改札はもう、目の前。あっというま。五時十三分の電車に乗って、五時四十七分にお家の最寄り駅に着けば、いつものようにだれかが車で迎えに来てくれているはずだ。週に三日は飯野さんなんだけど、きょうはだれだっけ。それで帰宅して、携帯電話をチェックして、もろもろ人間としてやっておかなきゃいけないタスクをこなしたら、……わたしのほんらいのほんとうの生活がはじまる。



 ふだん通りだ。……ふだん通り。

 わたしの主人がお家にいないこと、以外は。





 きょうで、四日めになる。

 わたしは、待てって命令されたから、その手がよしって振り下ろされるまでは――待ち続けるだけのことだ。

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