藁の縄
紫 李鳥
第1話
渓からの川の流れは
峠から見ると、その渓谷の断面には太古の昔から棲みついている草木が生い茂り、激流に飲み込まれながらも押し流されることはなかった。
その川沿いにある一軒の掘っ立て小屋に、一人の女が住み着いていた。どこから来たのか、いつから居るのか。女の素性など誰一人として知らなかった。
居着いた頃は、村人から
女の噂は村中に広まり、夜な夜なやって来る男たちが金をくれるようになったからだ。言うまでもなく、女の体と引き換えに。
――十五年が過ぎていた。その川沿いの掘っ立て小屋には、娘が一人で住んでいた。その容姿は、八年前までそこに住んでいた女を
娘の名をおえいと言った。おえいは
誰に教わったのか、小枝を手にすると、小屋の横にある空き地に文字やら絵を描いて過ごしていた。
日が暮れると、一人の男がやって来て、おえいの頭を撫でた。おえいは笑顔で男を見上げた。
そんなある日、二人の男が突然、村から消えた。村人は口々に言った。「神隠しにでもあったんじゃなかろか」と。村人総出で至る所を捜したが見つけることはできなかった。
峠の茶屋で神隠しの話を耳にした岡っ引の銀次は、村人から事情を聴いた。
「ええ。二人のかみさんいわく、朝、目が覚めたら姿がなかったらしゅうて」
初老の男が、鍬を片手に手ぬぐいで汗を拭いた。
「うむ……二人に共通する点は何かなかったか」
銀次は眉をひそめた。
「二人とも所帯持ちの稼ぎ手でして、家のもんは途方に暮れてますだ」
銀次は腕組みすると、首を傾げた。捜査の同行を頼むと、畑仕事があると言うことで、甚作という大工を代行させた。
律儀な印象を受ける甚作は、口数も
川の辺りに来た時だった。
「しかし、この川は流れが速いな。……酔っ払って川にでも落っこちたんじゃねぇか」
「でしょうか……」
「おう、あそこにある小屋は?」
「あ……耳も聞こえず、口もきけない子供が一人で住んでおりますだ」
「そんな子がどうやって食べてるんだ」
「……わしらが芋やら残飯をやってますだ」
「なんでまた、そんな子が一人で」
「……母親は八年前に病死しましただ」
「父親は?」
「……それは分かりません。母親があの小屋に住み着いたのが十五年前ですだ。わしらに物乞いして暮らしちょりましたが、……いつの間にか
「何やら
「……」
「待てよ。耳が聞こえねぇのに、どうやって物をやるんでぇ」
足を止めた銀次は、素早く振り返ると、鋭い目で視た。
「……戸口に置いておくですだ」
「……なるほどな」
納得した銀次は、また歩き出した。
戸口まで来ると、
「さて、どうやって戸を開けさせる……」
銀次が独り言のように呟いた。
「……」
「おーいっ、開けろっ!」
銀次が激しく戸を叩いたが、中からはなんの応答もなかった。次に戸を引いた。
「チッ。閉まってら」
銀次は諦めると、小屋の裏手に回った。川縁には雑草が生い茂り、小屋を覆っていた。よく視ると、草に隠れるように、羽目板から藁縄がぶら下がっていた。
「なんでこんなとこに藁縄があるんだ……」
銀次は呟きながら、辺りを見回した。すると、その一ヶ所だけ草が倒れていた。不審に思った銀次は、小屋の羽目板に目をやった。
「うむ……切れ込みがあるな。こりゃあ、
「……さあ」
「――あんた、確か大工だと言ってたな」
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