第16話 あなたは神を信じますか?



 あれから何か大きなことがあるわけでもなく、休日がやってきた。


 俺はいつものように家事などをしてから、勉学に励もうと思っていたのだがルーナ先輩から思いがけないことを提案される。


「休み、ですか?」

「そうよ」

「しかし……自分だけ休みとなると」

「知ってるのよ。サクヤ、ここで働くことになってからまともに休んでないでしょ?」

「う……」


 ──バレていたのか。


 俺は休みの日であっても、仕事はするし勉学も疎かにはしない。それに、入学前の半年は入試のこともあってほぼ毎日勉強する日々。


 俺にとって、休みなどあってないようなものだった。


 しかしそれを分かった上で生活を送っている。今更休みが欲しいとは、特に思っていなかったのだが……。


「そうですよ、サクヤ! 私の護衛だからといって、ずーっと側にいる必要もないんですからね。今日は屋敷には、ルーナもバルツもいるわ。サクヤはちょっと羽を伸ばしてきてもいいんじゃない? お給料もあるでしょ?」

「そう……ですね」


 俺は今回の仕事をするにあたって、毎月十分な報酬を受け取っていた。そもそも、呪われた聖王女カースド・プリンセスであるアイリス王女の護衛は破格の報酬でこの王国では提示されていた。


 それを受けたということもあって、俺には十分な給料が支払われている。


 もっとも、散財することなくコツコツと貯めているのだが。



「お嬢様もそう言ってることだし。ちょっと外にでも行ってきなさいよ。夜までには帰ってきてよ」

「分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」


 自室に戻ると、支給されていた私服に着替える。いつもは制服や仕事用の燕尾服を着ていることが多い。


 パンツスタイルに軽くシャツを羽織る。そして、真っ黒なブーツの紐をキュッと締めて準備は完了。


 ということで俺は早速、街に繰り出すことにする。



「ふぅ……それにしても、一人か」


 ボソリと呟く。あの屋敷で働くようになってから、一人になることはほとんどない。アイリス王女の護衛として常に側にいる上に、屋敷の仕事はルーナ先輩やバルツさんと共に行うことが多い。


 完全に一人きり、というのは本当に久しぶりだった。


「どこに行こうか」


 ふと、その場で立ち止まる。


 目の前に広がるのは、異国の風景だ。道路は砕石さいせきを敷き詰めて、ローラーで固めたレンガ舗装。


 また、複雑に絡み合うようにしてむき出しになっているパイプや歯車も視界に入る。


 そこから生まれる蒸気が、空へと昇って消えていく。



「……もう一年になるのか」



 この王国に正式に入国して、一年が経過。慣れたものだと思っていた王国の景色を改めて、眺める。


 道ゆく人の服装は、男性はモーニングコートにステッキとハットを身につけている。一方の女性は、肩が少し膨らんだシックな衣装。それにスカートは大きく広がっている。


 整備士の人はゴーグルに作業着を着用しており、油や石炭で黒く汚れている。


 また、亜人種であるエルフ、ドワーフなども街の中を歩いている。


 ──本当に、色々な人がいるんだな。


 このフレイディル王国には、様々な人がいる。それこそ、俺が今まで想像できない世界が広がっている。


 魔法革命により、フレイディル王国は大きく変わりつつあるようだ。



「わーっ! 逃げろおおおっ!」

「待ってー!」

「わーいっ!」



 一人でブラブラと歩いていると、子どもたちとばったりと出会す。向こうは前を見ていなかったので、ドンッと思い切り俺にぶつかってしまう。


 その子どもがぶつかった拍子に転んでしまう。


「ごめんね、大丈夫?」


 転んでしまった一人の少年に、手を伸ばす。


 その少年はじっと俺のことを見上げると、恥ずかしそうに他の子どもの後ろに隠れる。



「もう。皆さん、外に出てはダメだとあれほど……って、あら?」



 小走りでやってきたのは、修道服をきた女性──シスターだった。


 チラッと後ろを見るとここは教会のようだ。


「申し訳ありません。自分が子どもたちの邪魔をしてしまったみたいで」

「いえいえ。とんでもありません。お手数おかけしました」


 ペコリと頭を下げると、シスターは丁寧に俺に接する。この国では俺のような容姿を敬遠するものが多いのだが、彼女はそうではなかった。


 肩まで伸びる明るい青色ライトブルーの髪は、太陽の光を綺麗に反射する。それに加えて、その豊満な胸は否応なしに目立つ。


 顔の造形は、美しいものではあるがどこか愛嬌がある。唇の左下にはホクロがあり、それが彼女の魅力をさらに引き立てる。



「では、自分はこれで失礼します」


 そう言って去ろうとすると、後ろから彼女の声が聞こえてきた。


「そのっ! 異国の方ですか?」

「はい。そうですが……」


 踵を返す。


 そして、彼女はニコリと人の良さそうな、それこそ慈愛に満ちた笑顔を浮かべるのだった。



「──あなたは、神を信じますか?」



 胸の前で手を組むと彼女はそう、言葉にするのだった。



 †



「すみません。中に入れてもらって」

「いえいえ。いいんですよ」



 教会の中へと歩みを進める。


 そこはステンドグラスが貼られており、室内には太陽の光が差し込むことで綺麗にその色合いが反射していた。


 ──不思議な場所だ。


 俺はそう思った。この荘厳な雰囲気は、このフレイディル王国の教会独特なもの。俺は純粋に、この雰囲気にどこか惹かれていた。


「あ。申し遅れました。私はシンシア=クレインと申します」

「自分はサクヤ=シグレと言います。東洋出身です」

「そうでしたか。よろしくお願いしますね、シグレさん」

「こちらこそ、クレインさん」


 自己紹介を終えると、教会の奥へと案内される。


 そこには大きな十字架がそびえ立つようにして飾られていた。圧巻、というしか表現する方法はなかった。それほどまでにこの空間は荘厳なものに感じられた。


「シグレさんは、神を信じてはいないのですか?」

「そう……ですね。私の出身地は、あまりそのようなことは。すみません」

「いえ、いいのです。神は等しく平等である。信じるも信じないも、決して強制するものではありませんから」


 そうして彼女はその場に膝をつくと、両手を握りしめて祈りを捧げる。


 その所作を見て、純粋に美しい光景だと俺は思う。


「祈りは、神に届くのですか?」

「えぇ。この私の祈りは、神の元へと届いているのです」

「そうですか……」


 多くを語りはしない。決して神を信じてない俺ではあるが、それを否定するわけでもない。


 色々な考えの人がいることは、当たり前なのだから。



「ここは身寄りのない子どもを預かっている場所でもあるのです。私は一応、この教会でシスターをしながら子どもたちのお世話をしているのです。もちろん他にもシスターはいますので、みんなで協力しながらですが」

「それは素晴らしいですね」

「はい。決して子どもたちに罪はないのですから」


 シンシアさんはふと、ステンドグラス越しに空を見上げた。それはやはりどこか神秘的な雰囲気が漂っている。


「ふふ」

「どうかしましたか?」

「いえ。なんだか、不思議だなと思いまして」

「不思議、ですか」


 的を射ない言葉だが、すぐにシンシアさんは言葉を続ける。


「私、実は男性が少し苦手でして。でも、シグレさんとはどうしてか自然に話すことができます。引き止めてしまったのも、何か運命的なものを感じたからなのでうす。あぁ……きっとこれは、神のお導きなのかもしれませんね」


 くるっと翻る。修道服の長いスカートがわずかにふわっと浮かび上がり、後ろの方で手を組むと軽く微笑を浮かべる。


 その何気ない所作だけでも彼女はとても魅力的だと、そう思った。


「そう言ってもらえて、恐縮です」

「とても謙虚なのですね」

「そうでしょうか?」

「はい。まだ、お若いのに物腰も穏やかですし。私はそう思います」


 その後。他愛のない話をすると、俺たちは分かれることになった。



「申し訳ありません。貴重なお時間をいただいてしまったようで」

「いえ。こちらこそ、勉強になりました。また機会があれば、伺ってもよろしいですか?」

「まあっ! それはとっても嬉しいです! 私はずっとここにいますので」


 大袈裟に表現して見せるが、それは意図してのことではないのだろう。シンシアさんはおっとりとしているが、感情表現は豊かなんだと思う。


「あ。でも、いつもこことは限りませんね」


 去り際。ボソリと呟く。



「申し遅れました。私は【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】にも所属しています。序列は第三位です。中央機関塔セントラルタワーにいることもありますので、もし機会があればそちらでもお声かけください」



 僅かな動揺を気取られないように、俺は間を置かずにすぐに応える。


「分かりました。それでは失礼いたします」

「えぇ。また、お会いしましょう」


 最後まで俺は笑顔を浮かべる。決して自分の違和感を覚えさせないように。


 そして、踵を返すと人混みへと消えていくようして進んでいくのだった。


 ──【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ──序列第三位】。まさかそんな大物が、ここにいるとは……。


 思惑は少しずつ加速していく──。




 

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