　人は成長する生き物である。

　成功して、失敗して、たくさん涙を流したぶんだけ優しくなる。

　そして、恋をして、勇気を出して、フられたぶんだけ心の中の世界は広がっていくのだ。

　しかし、25年もかけて広げた俺の心は、いまやただの足かせでしかない。

　沢山悩んで練り上げられた思考回路が、

　幾多の苦難を乗り越えて積み上げた俺の自尊心が、

　俺の"赤ん坊生活"の邪魔をする。

「ん〜、ちゅっ、クナイちゃんは〜、世界で一番かわいいんでちゅよ〜」

　生後1週間が経った。

　現在俺の顔面には、母親の唇が嵐の夜の落雷の如く降り注いでいた。

　これはもはや俺が赤ん坊だからで済まされる問題ではない。

　この女は頭がおかしい。

　この女は考えた事があるのか？　自分のものの倍以上あるサイズの唇が顔面に吸い付いてくることの恐怖を。

　こいつは、人の心がわからない人なのかもしれない。

　この話を聞いているお前らはきっと、「育ててくれるお母さんのこと、そんなふうに言うなんてサイテー！」とか思う事だろう。

　まぁ、それもわかる。確かに、大人の精神を持った状態における生後ゼロヶ月生活を経験してないお前らには想像しにくいかも話かも知れない。

　なのでまずは想像してみてくれないか？自分の中で一番怖い人の姿をだ。

　それは、親でも、先輩でも、強面なテレビタレントでもなんでもいい。

　しかもそいつはただそこにいるだけじゃねぇ。右手の上に30匹のゴキブリを乗せてニコニコと近づいてきて、おもむろにこう言うんだ。

「ヘイベイビー、ご飯の時間だよ♡」

　更にその時のお前の手足は重い鎖で繋がれていて、身動きは取れない。

　俺の今の状況は、それぐらいには辛いのだ。

　愚痴ぐらいは好きに言わせてくれよ。

　そしてこれから、そんな状況で心を壊さずに、明日への希望を持ちながら生きていくことが出来る日は、やって来るのであろうか？

　もしも神がいるのならば、たった一つ願うこと。

　心を強く、強く閉ざしたい。

　喜びも温もりもいらない。

　ただ、……何も感じたくない。

　このままでは死んでしまう。

🍼次回、失われた希望🍼

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