悪しきもの【後編】
あまりにも巨大な『それ』は……この世界で『天災』とされる、唯一無二の『Aランクレッド+』に区分される化け物。
『……アア、聖霊クセェ、聖霊クセェ……近イ、近イナァ……。絶対近クニインダヨナァ、ナァ? ナァ? 人間?』
「…………あ……」
『オ前、加護持チダヨナァ? コノ瘴気ン中デ、生キテンダカラヨォ。ナァ? ナァ、聖霊ガドコニイルカ、オ前知ッテッカ? ナァ……』
話した。
話しかけられた。
頭が追いつかなくて、後退る。
それは、ドラゴンだ。
森の木々より大きな顔が、オリバーの方に向けられている。
だから顔しか確認出来ない。
体は瘴気で覆われ見えなかった、
その瘴気は鼻や口から止めどなく流れ出ている。
目を細め、地を這うような響く声でオリバーに話しかけてきた。
信じられない。
しかし頭の中ではオリバーが五歳の頃に帝都に現れたというドラゴンの話が浮かぶ。
そう、ドラゴンは実在するのだ。
だがまさかそれが目の前にいると、どうして理解が出来ようか。
『クン、クン…………ァ? 違ェナ……』
「……!?」
ドラゴンは一度大きく目を見開いてから、細める。
そのあとズズズ……と音を立てながら消えた。
だが、圧迫感が増す。
消えたのではない、増したのだ。
「……匂う匂う……この世界に未だ馴染まぬ他界の匂い。そうかそうか、お前転生者だな?」
「!? なっ……ひ、人の姿に……!?」
「なるともさ。オレは『澱みの災魔』なのだから」
「よ、澱みの災魔?」
聞き返すと蛇のような目がすぅ、と細まる。
まるでこちらの様子を確認したかのように思える、その眼差し。
口許の笑みは深くなる。
間違いなく巨大なドラゴンだったはずのそれが、突如人の姿になったからこそ分かる表情だ。
どこかシヅアのまとっていた衣装に近しいデザインの服。
黄土色の短髪と、金の瞳。
歳の頃はオリバーと同じか、やや歳上か。
そんな風態の男の姿。
(なんだ、澱みの災魔って……それが『悪しきもの』なのか? 一体なにが、どうなっている? そんな存在、『ワイルド・ピンキー』には……)
いなかった。
記憶はかなり薄れてきているが、そもそもドラゴン自体出ていなかったように思う。
だが実在する。目の前に。
その上、人の姿になった。
こんな事が出来る事さえ、今、初めて知ったのだ。
いや、おそらく目の前にしたオリバー以外この世界で誰も知らないのではないだろうか?
それになによりオリバーを『転生者』と呼んだ。
このドラゴンは『転生者』を知っている。
すさまじい動揺だった。
目の前がぐるぐる回っているかのような感覚を覚えるほどだ。
「アァ、聖霊クセェ。お前、唾つけられてんなァ?」
「つ、唾? つ、唾つけられ……?」
「自覚なしかよ。まあいい。この感じからしてシヅアか。……うぅん、悩むな悩む。お前を殺してしまうのはとてもとても容易い。けれど同時にお前が『こっち側』に来る可能性もある。ああ、悩ましいな悩ましい。殺すか生かすかどっちにしよう」
「…………」
悩む、と言いつつなんとも楽しげ。
楽しくて楽しくて仕方ないと言わんばかりの笑み。
(……逃げ……いや、無理だな)
逃げた方がいいだろう。
だが逃げられそうにない。
足が地面に張りついたように動かないし、なにより目の前のこの化け物は背を向けた瞬間オリバーを八つ裂きに出来る。
距離はあるのに、首に刃を突きつけられているようだ。
「よし決めた」
「っ!」
「お前は生かす。まだ殺さない。シヅアと契約して『
「……セ、セイバー? カラミティ……? な、なんの事……」
「なぁに、どちらの陣営で戦争するかって話さ。この世界の生き物たちにしてみれば迷惑極まりない話だが、仕方ないよなぁ……悪いのは選んだ者たちなんだから」
「……」
なんの話なのか。
(戦争? 陣営? 選んだ者たち……? ああ、知らない単語やわけが分からない事ばかり言われて、全然まとまらない……!)
ただ、決定的に違う。
ここは『ワイルド・ピンキー』の中ではない。
別物なのだ。
あのラノベの中にドラゴンは出てこなかったはずだし、この男の言う言葉はどれも初めて聞くものばかり。
オリバーが『転生者』だから、こんな事になっている。それだけは間違いない。
「宴には時間がかかる。より強く、より高みに来い。待っている。お前と殺しあえるのを」
「…………」
その目は愉悦に染まっていた。
心の底から、それを楽しみにしている。
歯を強く強く食いしばった。
そうしなければ、カチカチと歯を鳴らして震えてしまいそうだったからだ。
『待ッテイル』
「!」
ドラゴンの姿に戻ったその男は、人の形をした靄をばくんと喰らう。
ひっ、と喉が引きつった。
なんの躊躇もなく、あの大きな口に人形の靄は喰われたのだ。
それから突然強風が舞う。
ドラゴンが飛び上がったのだと気がついてたのは、飛ばされて二、三メートルでんぐり返しをしてしまったあとだ。
見上げた曇り空には小さくなるドラゴンの影。
どのくらい上空に上がっているのかは分からないが、頭から尾っぽまで間違いなく十数メートルはあるだろう。
「…………すぅ……。聖なる光よ、浄化せよ! エルキ・ツ・ゾハザ!」
一度息を吐く。
集中して使うのは瘴気浄化の聖魔法。
しかし、やはりひどく濃い。
「……ふう……」
森の瘴気を消し、あの人形の靄が吐き捨てた『厄石』を回収する。
先程拾ったものよりも、吐き捨てた方が大きかった。
しっかり蓋を固定してから収納魔法に入れる。
「っ……」
手のひらが震えていた。
よく箱を落とさなかったと思う。
「…………」
その手のひらを眺めて、拳にしてから立ち上がる。
シヅアに用事が出来た。
だが、その前にニズニアに会わなければならない。
明らかに森の空気は悪くなっている。
もしかしたら他にも、あの黒い人形の靄が『厄石』を吐き散らかしているかもしれない。
『探知』を使いながら調べて進むと、とんでもないものを感知した。
「……あ……ああ……っ」
血の匂いと瘴気が充満している。
肉を喰らうトロールの群れ。
喰われているのは同じトロールや、森の弱い魔物。
トロールたちが作った住処は破壊され、あちこちに食い散らかされた動物の死骸が散乱していた。
中でもオリバーが衝撃を受けたのはニズニアの成れの果て。
仲間の肉塊に呑まれ、頭として一体化している。
噴き出す瘴気の濃度はドラゴンほどではないが、かなりの濃さ。
ランク分けするならば『Aランクオレンジ』。
ニズニアを呑み込んだ複数のトロールは、原型を大きく残す形で繋がっている。
繋ぎ目は別なトロールの肉塊。
その姿はミートウォールに似ているが、探知魔法で探る限り数珠繋ぎのようなものではない。
完全に溶けた肉が接着剤のような役割を果たして、トロールを素材とした怪物を作り上げている。
こんな魔物は知らない。
どうしたらこんな事になる?
(……瘴気毒……)
溶けた肉の部分にこびりつく、強い瘴気毒の成分。
あれでこんな事が出来るとは。
だが、スレリエル卿の厄呪魔具で似た事が出来るならばオリジナルはこれなのだろう。
確かにこれを見たあとミートウォールを見れば、あれが劣化版のようにも感じる。
まだこちらには気づいていないようだが、顔についているいくつかの目玉は赤く染まっていた。
餌を求めて、凶暴化している証だ。
あれが村は行けば……考えるまでもない。
(でも、『ワイルド・ピンキー』では……)
そもそもラノベでは瘴気を放つような魔物は現れなかった。
どうなっているのか。
仲間を引き連れながら、いよいよ動き出すその化け物。
足が向かったその方角はシュウヤたちの村ではなく……『トーズの町』方面。
ヒュゥ、と喉が鳴る。
(……俺のせいなのか?)
オリバーがここに来たから、ストーリーの冒頭がこんなにも変化したのか。
しかし、見捨てておけなかった。
その他大勢であっても、救えるのなら救いたいと思ってしまったのだ。
それがいけなかったのか。
「っ! ニズニア!」
『……』
大声を出し、魔物たちの注意を向けさせる。
ニズニアの取り込まれた化け物トロールも振り返った。
その瞬間、『鑑定』を使う。
【マスタートロール[ディザスター]】
総合レベル5500
複数のトロールが素体となり召喚された化け物。
ランクは『A』、カラーはレッド。瘴気排出濃度は【濃】。
「……ッ」
オリバーの知識で分析出来た結果だ。
シュウゥ、と吐き出された瘴気。
マスタートロール最強の武器であったはずの知性はおそらく……もう、ない。
『マスタートロール』という名は、別な意味に変わっている。
『ァァ……ァァ……』
ニズニアが声を発すると、魔物を喰っていたトロールたちが一斉にオリバーの方を見下ろす。
瘴気を消している時間はない。
それは目の前のトロールの群れを排除してからでなければ出来ないだろう。
だが、果たして一人でなんとか出来る事態だろうか?
(こんな化け物……【スキルコピー】で強くなったあとのシュウヤでも……無理なんじゃ)
普通のトロールならなんとか出来る。
だがあれはダメだ。
それこそ『クラッシュ地方』の冒険者と、騎士団をかき集めて戦争をしなければならないレベルの魔物。
総合レベル5500?
聞いた事もない。
オリバーの知っている範囲でも、確認されている最高総合レベルは2500程度。
その倍だ。
あれは、まるで──……『Aランクレッド+』……ドラゴン。
いや、ドラゴンは物理攻撃も魔法攻撃も無効化する。
それは言い過ぎかもしれないが、効かないという点で言えば同じだ。
あれには物理攻撃も魔法攻撃も通用しないだろう。
『……ァ……ァ……フ……封……ジ……』
「!」
『封……封ジ……ァ、ァァ……』
「……ニズニア……っ!」
オリバーが十歳の時に突然この森に現れたニズニア。
おかげで『ロガンの森』は立ち入り禁止になったけれど、森の手入れが必要な時はきちんと人を招き入れ、魔物たちに人を襲わないよう指示を出した。
ニズニアはある意味で、オリバー自身が初めて意思疎通に成功した魔物とも言える。
最初は父越しに。
それから、年に数回、伐採の時。
言葉数は多いわけではない。
必要最低限の言葉しか伝えてはこなかった。
魔物と人間の世界の線引きをきちんとしていたからだろう。
マスタートロールは知性の高い、統率力のある魔物。
まさに長に相応しい存在だった。
「…………封じ……封印……か。なるほど」
トロールたちはこちらを見るだけで動かない。
ニズニアの顔が苦悶に歪んでいるのを見て、抑え込んでくれていると分かる。
ならばその想いに応えなければ。
これまで使ってきた『クォレドゥーレン・ファレス』ではダメだ。
あれは一時的に壁を作る聖魔法。
もっと強固で、もっと長期間封じ込められる聖魔法──。
(イメージしろ)
彼が抑え込んでいてくれる。
その間に、彼を封じ込める聖魔法を作り上げろ。
「っ……」
聖魔法は先程も作ったばかりだ。
魔力が足りない。圧倒的に。
ポーションを飲みながら、練り上げる。
どうか彼の望む通りに、彼をこの地に縛りつけて欲しい。
その力が欲しい。
聖魔法……聖霊よ、どうか。
(言葉が……浮かんでくる)
胸が熱くなり、真っ黒な紙に白いインクが落ちて言葉に形成されていくかのようなイメージが浮かぶ。
その言葉だ、それが欲しい。
手を伸ばす。
(どうか……)
願う。祈る。
胸の奥に溶けて入った『聖霊石』が応えてくれたように、耳の奥に歌のような旋律が微かに響く。
「? ……クォ……」
いや、違う。
イントネーションと、言葉の意味。
これは、聖霊と意志を交わすための言葉だ。
ではこの旋律は?
耳の奥に微かに響くそれが、この言語の正しいイントネーションなのだろうか?
出来る限り、それに近づけるよう……唱えた。
「……クォレドゥーレン・ファレス……!」
半透明の光のドームがその広まった場所を丸ごと飲み込んだ。
これまでオリバーが使ってきたのは四角い結界。
だがこれはドーム状だ。
それも中身がガラス細工のように固まる。
「…………っ」
初めて使ったわけではないのに、初めて使った時のような消耗。
しかし、決定的に今までとなにかが違っていた気がする。
耳の奥、頭の奥で響いた旋律。
あれはなんだったのか。
「ん?」
ステータスに変化があった時の感覚。
気にはなるが、まず瘴気を消してしまおう。
改めてマジックポーションを飲み干しまくり、十本近くが空になってから口の端を拭った。
さっきから飲みすぎて気分が悪い。
(……また少し、聴こえた)
集中しようとするとなにかが阻害してくる感覚。
聖魔法を使うと必ずある感覚を出来るだけ無視して、必死に自身の中へと溶けた『聖霊石』を探すように集中する。
すると、また旋律が微かに響く。
「エルキ・ツ・ゾハザ」
その旋律を必死に真似する。
やはり以前とはやや違う効果になったようだ。
きらきらと白い粒子が混ざり、水面のように広がって瘴気を消し去っていく。
今までよりも広範囲。
今までよりも、遥かに強力。
あの濃度の瘴気を一瞬で消し去った。
「……なんなんだろう」
ステータスを開いて、ようやくその変化の一端を垣間見た。
体力値、魔力値の他に霊力値という項目が加わっていたのだ。
こんなものこれまでなかった。
そして、魔力値と霊力値はほぼ空。
「霊力値……」
サリーザやゴリッドの話を思い出す。
貴族は昔、聖霊の加護を貰っていた。
聖霊を信仰する事で得られる加護……もしかしなくともそれが聖魔法だとしたら?
実際オリバーの持つ生まれつきの称号、【世界一の美少年+++】の付随スキルの一つ[聖霊の寵愛]は聖魔法の効果をアップしたり、瘴気の影響を無効化してくれるもの。
「……、っ……ハァーーー……」
座り込んで頭を抱えた。
ドラゴンとの遭遇。
それが人の姿となり、わけの分からない話をされてからのニズニアとの再会。
聖魔法を使う時に感じた旋律。
ステータスに現れた霊力値。
ついでに『ワイルド・ピンキー』の主人公シュウヤとの出会い。
もうダメだ。情報の処理が追いつかない。
それでもまだやらなければならない事がある。
マジックポーションを取り出して飲み干し、若干量吐いたりしつつ『探索探知』で周辺を調べた。
魔物はシュウヤの村の方へ移動している。
それらはシュウヤが『ギガント・ハリケーン』で圧倒しているので問題はないだろう。
『厄石』の気配もないので、とりあえずシュウヤと合流し、『厄石』の影響で凶暴化している魔物を一掃。
そのあと村にいるウェルゲムを回収して『トーズの町』へ帰るのがよさそうだ。
「うぇ……」
もう何本空にしただろう。
好きでも嫌いでもないものから、嫌いなものになりそうだ。
胃の容量を超えて喉が飲み込むのを拒否している。
おかげで魔力値が回復しない。
それなりにふざけた魔力値の自覚はあったがシュウヤほどではなく、またこうなってしまうと魔法の方が得意なオリバーは凡人以下。
だいたい、シュウヤはまだ『ギガント・ハリケーン』を連発している。
そろそろ『ギガント・ハリケーン』の上位魔法スキルを覚えてしまいそうだ。
というか、『ギガント・ハリケーン』もそれなりに強力な魔法である。
それをあんなにぽんぽんと連続して使うあたり、まったくもってチートとはこれだから。
胃をさすりながらシュウヤの戦っている方へ戻る。
これは、睡眠以外の魔力回復は諦めて、得意な弓矢や槍で戦った方が早い気がしてきた。
だがシュウヤにコピーされるのはやはり癪なので、取り出したのは双剣だ。
剣はあまり得意ではないが、シュウヤにコピーされてしまう事を考えれば対して得意でない武器の方がいい。
「……ヴッ!」
……全部、吐いた。
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