愛しさ溢れて


 夕方四時、誕生日パーティー開始の時間である。

 その三十分前──。


「オリバー、オリバー! エルフィーさんの準備が終わったわよ」

「ギリギリだな……はい」

「さて、どんな感じに仕上がったのか楽しみだな?」

「…………」


 父がからかうようにオリバーの頭を撫でる。

 それに唇を尖らせ、手をたたき下ろしてから片階段の方へと向かった。

 先に昇降機で降りてきた母は、ニコニコ満足気。


「きっととても驚くわよ」

「そんなに派手に飾ったの? 嫌がるような事してないよね?」

「してないわよー」


 むしろドヤ顔。

 その時、かつん、とヒールの音がした。

 上を見て絶句する。

 ツヤツヤに輝く紫色の髪をゆるやかに巻き、赤い花飾りが編み込まれた三つ編みをまとめあげ、紫紺の大人びたドレスは金の首輪からAラインに広がっていた。

 ただし、腰には大きな薔薇を模した布飾りがついている。

 そこから布が重なり合い、少し重そうだがその分彼女の華奢な体が強調されているように見えた。

 同じ色の手袋は二の腕まで隠れ、肩にも半透明なショール。

 なにより驚いたのは顔だろうか。

 普段の眼鏡はなく、緑色の瞳は黒く縁取られてくっきり。

 紫色のシャドーとしっかり描き込まれた眉のおかげで清楚な顔立ちになっている。

 眼元にはほんのりとしたピンク色の頬紅。

 唇は深紅。

 別人のような顔になっていて、思わず口を開けたまま固まった。


「どう?」


 ドヤ顔である。

 ビクトリア伯母もまた派手な赤。

 彼女は銀髪なのに瞳が茶色いせいか、赤を好む。

 そして着こなす。

 肩にもっふもっふのファーを纏い、派手な刺繍が入った扇をパン! と開く。

 妖艶な笑みとまとめあげられた髪のおかげで自信漲るパワフルな女性に映る。

 そんな伯母の横にいても見劣りしない、清楚で、しかし紫紺のドレスのおかげでとても大人びた淑女がそこに降り立った。


「こら、オリバー。ちゃんと褒めなさい。褒められないとは言わせないわよ」

「え、あ、あ、の、い、いえ、その、そ、そんな、む、無理に、とは……」

「はっ! み、魅入ってしまっていた……!」


 ストレートにそんな事を言われては、エルフィーが早くも茹で蛸になる。


「でも正直眼鏡がないのが気になります」

「あらやだ、オリバーは眼鏡フェチだったの?」

「はい」

「即答……」

「ふぇ……? ふぇち、とは?」

「ああ、いいのよ。深く考えてはいけないわ」

「? は、はい?」


 気を取り直して、オリバーが階段から降りるエルフィーへと手を伸ばした。

 その手に少しだけ困惑したが、最後はおずおずと手を載せてくれる。


「個人的には普段のエルフィーの方が好きですが、今宵の貴女の美しさは磨き抜かれた朝焼けの空のようですね。これからパーティーが始まればその輝きで貴女を見る者の目が眩さで潰れてしまうかもしれません。でもそうなったとしても、俺だけは貴女から目を逸らさず見つめ続けますよ。このような機会は少ない方が良いでしょうが、それならばこそ、貴重な機会。堪能しないわけには──」

「ストップ。長すぎるわよ」

「え、まだ始めたばかりなのに? 褒めろと言ったのは伯母上ではありませんか」

「限度があります。パーティーが始まってから思う存分やればいいでしょう? 取っておきなさい」

「なるほど」

「っ……」


 あれで途中。

 その言葉に耳まで赤くなる範囲が広がる。

 お客様をお迎えする立場と言う事なので、先に会場に入り、後は開始を待つばかり。


「あの、オリバーさん……私たちはなにをすればいいのでしょうか?」

「そういえばエルフィーは舞踏会は初めてだったね。えーと今日の流れとしては上座にいる祖父が主催であり主役。招待客はすでにそれぞれの控えの間に案内されていて、招待順に名前を呼ばれて会場に入ってくる。祖父に挨拶をしたあとは他の招待客を出迎え、全員が入場し終わったら祖父が挨拶。その時にフェルトが次期侯爵家当主として、俺とエルフィーが婚約者として招待客に紹介される。そのあとに立食がスタート。まあ、腹の探り合いとかがはじまる」

「……きゅ、急に……」


 言い方がアレに。


「でもあの、結構しっかりとしているんですね……?」

「うん。他の侯爵家は多分もっと雑。好きな時間に来て主役に挨拶も不要。不要とはいえさすがに招待されておいて、主役に挨拶しない人はいないと思うけど……。だからこれは祖父のパーティーでの形式かな。旦那様も結構こだわりがないパーティー形式だよね」

「はい」


 マグゲル伯爵はパーティー自体が嫌いだ。

 そのためパーティー大好きなルジア夫人が、夫の誕生日を祝う事を名目に年に二回、自分と伯爵の誕生日パーティーを計画して開いている。

 そういう事なので、彼女の存在はマグゲル伯爵を貴族としてしっかり支えている、といえるのだ。なんとも悲しい事に。

 だがそんな感じでパーティーにはまったく興味がないため、形式もルジア夫人にお任せ。

 とはいえそこは伯爵夫人としてマグゲル家に有益な貴族を招待。

 形式も堅苦しくないので、マグゲル伯爵の貴族としてのつき合い自体はそこまでひどいものでもない。

 ただ、マグゲル伯爵は怖がられているようだが。


「俺も身内のパーティーしか知らないけど、ここまでガチガチにタイムテーブルが決まっているのはお祖父様のパーティーくらいだよ」

「そうなんですか……」

「まあでも今日エルヴィン王太子が来る事になってるしね……」

「うっ……、……お、王太子様が……。突然来る事になったんですか……?」

「本当はエリザベス公女殿下の予定だったみたい。俺が一人で参加予定だったから」

「?」


 首を傾げるエルフィーに、複雑なものを感じつつ……。


「俺は婚約者候補の一人だから。どうやらまだ外されていないらしいよ」

「え……」


 それを言えば、目を見開かれた。

 しかしすぐに俯いて瞳を揺らす。

 エルフィーの様子に「おや?」と覗き込む。

 もっと淡白な反応をされると思っていた。


「……。……だから、祖父の挨拶の時に紹介されるんだけど……エルフィー、その時はよろしくね?」

「! ……は、はい……でも……」

「?」

「…………。い、いえ! はい! 分かりました、お任せくださいっ!」


 おお、と、今度はオリバーが驚いて目を見開く。

 ずいぶんやる気を出してくれた。

 こちらとしては嬉しいが、無理をさせていないだろうか?

 かなり目立つのが苦手なはずの彼女がそんな事を言うなんて……。


(むしろ俺がそこまで心配されてる?)


 確かにめちゃくちゃ体調が悪い。

 魔力が回復したらそのまま活性化魔法を自分にかけ続けている状態だ。

 おかげで現在進行形で、魔力残量がギリギリ。

 霊力は精神面へ影響が強いらしく、「パーティーめんどくさい」という思いのせいなのかこちらの回復も芳しくない。

 それでもエルフィーが参加すると言ってくれたおかげで、存外やる気が出た。

 やはり彼女は偉大である。


「お客様の入場でございます」


 リドルフの声が会場に響く。

 一礼ののち、リドルフが長い紙を持ち出してきて、招待客の名前を高らかに告げる。

 扉が開き、入場してきたのはまさに今話していた相手。


「!」


 エルヴィン公太子と、彼にエスコートされて入ってきた金髪赤目の少女。

 ビクトリア伯母に負けないくらいのド派手な赤いドレスとまさかの赤い礼服で決めてきた兄妹に、オリバーは口の中が血の味になるような感覚を覚えた。


(……嘘だろ……主催より目立ちにくるとかいくら公帝の子どもだからって、そういうの弁えたりとかしないの? 注意とかされないの? それとも押し切ってきたの? はあ〜? これだから〜……)


 エリザベスはハーレム要員の一人。

 直接顔を合わせた事はあるが会話など挨拶程度。

 歳も近いのでエリザベスの婚約者候補の中では有力候補だった。

 だが見て分かる通りアレはない。


「っ!」

「オリバーさんっ」

「す、すみません。ちょっと現実が受け止められなくて」

「あ、赤ドレスってそんなにダメなんですか? でもビクトリア様は……」

「伯母は身内ですし、祖父の添え物として斜め後ろに立っているので……」


 他人が着てくるのと、祖父の補佐の意味があり赤を纏うのとでは意味が違う。

『四侯』の誕生日を祝う時は赤系、という謎の風習はあるものの、それは形骸化している。

 まあ、おそらく祝い事=『聖剣イグリシャクラガ』の炎のイメージ……から出来た風習と思われるが……。


(エルヴィン殿下、エリザベス殿下……両方とも炎を模した刺繍……やべぇ……)


 着こなすあたりさすがだが、気合入れすぎてて引く。

 他人の誕生日だぞ、しかも。

 立ちくらみのような症状が出てしまった。


「……まだ座ったりは出来ないんですか?」

「招待客が揃い、祖父の挨拶が終わるまでは無理ですね」

「……やっぱり……私にも魔力があればいいのに……」

「え?」

「そうしたら、回復魔法や活性化魔法も使えるのに……。ごめんなさい……オリバーさん……」

「…………。エルフィーは魔力がない、の?」


 そんな設定あっただろうか?

 思いもよらず、聞き返す。

 するととても申し訳なさそうに頷かれる。


「……だからあの……私、オリバーさんには相応しくないと思って……」

「は!?」

「お、思って、たんですけど……それを言ったらビクトリア様に『じゃあわたくしはどうなるの』って叱られてしまって」

「あ……ああ、びっくりした」


 そしてその通りだ。

 ビクトリアは生まれつき魔力がない。

 それでも子どもを三人も産んで、今は祖父の補佐をしている。

 ちなみに、今回その従姉妹たちは『招待客』として入場してくる予定だ。

 彼女らは女学校を出たあと早々に婚約者の家に花嫁修行と称して突入。

 甘々の新婚生活を始めているようだ。

 まだ正式な婚姻を結んでいないのは末のジータだけだが、上の二人はすでに今年の初めに結婚が成立したはず。


(でも言われてみると確かに、エルフィーが魔法を使うシーンとか全然なかったなぁ。単に非戦闘員系ヒロインだからかと思ってたけど……)


 思えばエルフィーのあとに登場する『死亡ヒロイン』エマも非戦闘員系ヒロインだった。

 非戦闘員系なのに無茶して捕まって助けに来たシュウヤを庇い、死亡する。

 そのためエマはエマで人気が二分していた。

『余計な事をして勝手に死んだヒロイン』『主人公強化用ヒロイン』──と。

 今思っても、ひどい扱いだ。


(エマの登場は物語開始から二年後のはず。俺が二十歳の頃か……)


 そして物語自体は来年始まるはずだ。

 いつ、というのは具体的にははっきりと分からないが……王帝暦32年から開始される。

 ……来年だ。


「まあ、どちらにしてもエルフィーが魔力を持っていなくても俺は気にしないかな」

「……そう、オリバーさんならそう言うと……アルフィー様にも言われました」

「うっ……さすが母さん……」


 見透かされている。

 だが当たり前の事だ。

 そして、使用人が一人オリバーたちに近づいてくる。

 祖父の側へ、と耳打ちされて「ああ、いよいよかぁ」とげんなりした。

 だが、これさえ乗り切れば……。


「エルフィー、そろそろ時間のようだから行こう?」

「! は、はい。これが終わればオリバーさんはソファーで休めるんですよね……」

「うん」


 ずっと体調を気遣ってくれる。

 彼女が側にいるのといないのでは、精神的にまったく違った事だろう。

 もしエルフィーがいてくれなければ、早く休みたいと悶々していた気がする。

 こうして彼女が手を重ねて、横にいてくれるから頑張れているのだ。


「では客人も揃った事であるし、これを機に我がクロッシュ侯爵家の次期当主となる者を紹介しよう。フェルト」

「はい」


 まず、祖父がフェルトを横に呼び寄せる。

 フェルトは大勢の客の前で頭を下げると、すぐに「お初におめにかかりますわ、しんし、しゅくじょのみなさま」と難しい挨拶を始めた。

 一部には先日のお茶会の事を知っている者もいたらしく、とても歓迎ムード。


「以後、フェルトをわしの家の養子となり当主となる。見ての通り若い。どうか皆様のお力添えを賜りたく思う。よろしくよろしく、お頼み申す。そしてもう一つ、我が家に喜ばしい報告があった。ぜひぜひ、皆様とも共有したい。フェルトの兄、孫の一人オリバーに婚約者が出来た件ですじゃ。いやはや、たくさんの方に婚約の申し込みを頂いておりましたが、少し遠くに住んでおりご紹介が遅れまして。この度はワシの誕生日を祝いに駆けつけてくれましたので、皆様にもぜひ、ご挨拶をと……」


 オリバーがエスコートしながら、祖父の横へと並ぶ。

 エルフィーの顔は緊張気味だった。

 それが気がかりだったが、エルフィーの視線がビクトリアの方へと一瞬、向けられる。


「…………」


 その瞬間。

 その、ほんの一瞬──。


「────」


 おどおどとした少女が口許に笑みを浮かべた。

 堂々と胸を張り、前を向き、自信に満ちた令嬢の姿へと変わったのだ。


(お、伯母上……エルフィーになにか言ったのかな……?)


 どくん、どくん、とものすごい勢いで心臓が音を打つ。

 あまりにもその姿が美しくて祖父がなにか言ってもエルフィーがなにか言って、そして頭を下げてもなにも耳に入ってこなかった。


「? オリバーさん?」


 ようやく彼女から声をかけられて、ハッとした。

 そしてその時には色々遅かったと言うかダメになっていた。


「あ……ああ、やっぱり貴女は最高に美しいです……」

「ふぁ!? は、はい!?」

「もう無理です、ダメです、やっぱり俺は貴女が好きです……! 貴女より美しい人などこの世には、いや、どこを探しても存在しません。その美しい笑みをどうして俺が独り占め出来ないのか……! 口惜しくて頭がどうにかなりそうでした!」

「オォ、オリバーさん……!? な、なにを言ってるんですかっ! 今そ、そういう事は……あのあの……!」

「オ、オリバーちょっと!」


 父、ディッシュに回収されて祖父の横から引き摺り下ろされてもまだ口は自動でエルフィーを褒め称えていたらしい。


「すみません、オリバーはまだ少し疲れが残っておりまして」


 と、母アルフィーが笑顔でフォローしてくれたようだが、一番のポカをよもや自分がやるとは思わなかった。

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