イラード侯爵と『アルゲの町』


 それから約十日をかけて、ようやく『アルゲの町』へとたどり着いた。

 一年半ぶりの『アルゲの町』は別な町のように活気があり、建物も修復され、人が溢れ返っている。


(そういえば忘れてた……『ウローズ山脈』は今関所作りをしてたんだっけ)


『アルゲの町』付近まで伸びてきた高い壁。

 建設はまだ途中のようだが、順調ではあるらしい。


(お祖父様が『ワイルド・ピンキー』で挙兵しなかったのは、関所が役立ったのかもね。まあ、逆の意味……お祖父様がもしもストーリー中、公帝に援軍を送っていたとしても関所が邪魔で駆けつけても間に合わなかった、ってパターンもある。その場合は完全に公帝の読み違いだ)


 元々公帝はクロッシュ侯爵をもっとも警戒していた節がある。

 祖父が治政において大変優秀な人物だからだ。

 ビクトリア伯母の夫、スティングも大変優秀な人物だったので、生きていればクロッシュ侯爵家はここまで跡取り問題で右往左往しなかっただろう。

 マルティーナ夫婦はイラード地方務めで戻る気配はなく、また跡を継ぐ事に関しては諸々の理由以外にも本人が「柄じゃないから無理!」と言い放ち、ビクトリア伯母は娘たちが全員嫁ぎ先を見つけているので「オリバーかフェルトがいいんじゃないか」とそこそこ投げやり。

 まあ、従姉妹たちが婚約者とラブラブなのは知っているので「お幸せに」以上の言葉は出てこないが。


(でも中には婿入りしてクロッシュ家の当主を狙ってた人もいたと思うんだよな)


 祖父がそれを許さなかったのだ。

 確かな血の入った者以外は信用しない。

 そちらの方面では、祖父は非常に『貴族らしい』と言える。


「あの……オリバーさん……今日はこの町に泊まるんですか……?」

「なんで『ミレオスの町』じゃないんだ? 師匠〜」

「ん、ああ……この町にはイラード侯爵の別邸があるんだ」

「「えっ」」

「ご挨拶していきたいのと、疲れを取るのにちょうどいい面白いものがあるからそれも二人に教えておきたいかなって思ったし、俺の厄呪魔具のサイズが合わなくなってきたからその調整も含めて……色々都合がいいって、二人ともどうかしたの? 顔が青いよ?」


 馬車と御者に三日後出発予定と伝え、一度別れる。

 そして二人を連れて目指していたのはイラード侯爵の別邸だ。


「え、あ、あ、会うの?」

「? ウェルゲムは親戚だろう? 確か……旦那様の父君と侯爵が従兄弟同士だったとか」

「う、うん……」

「そんなに怖い方だった? 俺の記憶では普通の紳士だったように思うんだけど」

「う、うん。普通に優しい……人、だと思う……でも、なんか、仮面みたいなんだ……」

「ああ、まあ、でもそれ別にイラード侯爵に限った事ではないしね」

「うっ! ま、まあ、それもそうなんだけど……」


 ウェルゲムは顔に全部感情が出てしまうタイプだ。

 ……ある意味感情が分かりやすいというのは父親似なのかもしれない。

 貴族としては、あまり社交向きとは言えないだろう。


(旦那様は自分の適性をよくご存じだったのかもしれないな。だから冒険者になった。貴族冒険者なら社交場に出ても別な意味で舐められない……)


 冒険者=乱暴者。

 そう考える者も少なくない。

 上手く使えば社交場でその肩書きは『畏怖』という形で我が身を守る鎧となろう。


(ウェルゲムもその辺り覚えていってもらわないといけないんだけど……というか教えてもなんで覚えないんだ?)


 人には向き不向きがある。

 とはいえ、いい加減ウェルゲムは貴族としての流儀を少しくらい覚えて欲しい。もう十歳。

 あと四、五年すれば、社交界デビューする事になる。

 今回のお茶会は練習の場としては大きい。

 だが貴族としての勉強や、友人作りには最適な場所となるだろう。


「心配しなくても、ご挨拶の面会の予約をするだけだよ。いきなり行って会える方ではないからね」

「あ! な、なーんだ?」

「そうですよね……侯爵様にいきなり行って会えるはずが、ありませんよね……!」

「(あからさまにほっとしてるなぁ、二人とも……)そりゃそうでしょ。相手は『四侯』の一人だよ? とはいえ素通りしたら失礼すぎて名前を覚えられかねない。どっちがいい?」

「「……っ」」

「まあ、そういう事なので挨拶は形だけでもするよ……」

「「は、はぁい」」


 お分かり頂けたようでなによりだ。


「さて」


 いつの間にか坑道のある近く……町の北には大変大きなお屋敷が出来ていた。

 一年も経つのだから貴族の別荘がいくつか建つのは想定していたものの、ここまで大きなお屋敷が建つとは思わなかった。


(うわあ、温室まである。研究家だとは聞いていたけれど……)


 思ったよりもガチ勢の気配。


「失礼、オリバー・ルークトーズと申します。イラード侯爵はご滞在中でしょうか?」

「はい、在宅しております」

(…………ん? 今在宅って言った? 在宅?)


 これはマグゲル伯爵に提案した件、期待してもいいかもしれない。

 まあ、会う会わないは向こうに決定権がある。

 門番に身分を名乗り、立ち寄ったので挨拶をしたいと告げ、とりあえず三日後まで町に滞在する予定だと伝えた。

 そこから門番の一人が屋敷の中にこの事を伝えに行く。

 その間エルフィーとウェルゲムの緊張した顔。


(だから、すぐ会えないってば)


 会えたとしても明日。

 その場合、自分が代表で一人会いに行ってもいい。

 商売の話以外する予定もないので。


「お待たせ致しました。お会いになるそうです。どうぞこちらへ」

「ふぁ?」


 門番、笑顔で門を開ける。

 いやいや、いやいや。


「……行きましょう」

「「…………」」


 腹をくくれ。

 笑顔でオリバーが二人を促した。




「……まさか本当に会ってくださるとは」


 応接室に案内されて軽く頭を抱えた。

 半泣きの二人はずっと怯えて震えている。

 気持ちは分かる、相手は大貴族……『四侯』のゲーティン・イラード。

 祖父に引き合わせてもらった事が一度だけある。

 あれは祖父の誕生日パーティーの日だった。

 思い出していると、扉が開く。


「オリバーくーん!」

「! え、町長!」

「久しぶりだね! 一年ぶりかな? いやいや、君のおかげでこの町はこんなに賑わいを取り戻したよ! ああ、ゲーティン様! こちらがオリバーくんです!」

「聞いておるよ」


 かつ、と杖をつく音。

 眼鏡をかけた、杖を持った紳士が入ってきた。

 その瞬間、なるほど、と思う。


(空気が……違う)


 祖父が社交に出ている時に纏うそれだ。

 マグゲル伯爵とはまた質の違う圧。

 町長はよく平気だなぁ、と感心してしまう。


「座ってくれて構わない」

「はい」

「ん? そちらはもしかして……」

「ウェルゲム様、ご挨拶を」

「ひ! は、はい! ウェルゲム・マグゲルです、おじ様!」

「おお! ウェルゲム! お前も一緒だったのか! 大きくなったなぁ! どれ、顔をよく見せておくれ!」

「へ?」


 パァァァ! と途端に笑顔になり、あの圧が消えた。

 それにウェルゲムは拍子抜けしたのだろう、変な声を出す。

 両手を広げられたので、オリバーが促してウェルゲムを侯爵の横へと座らせる。

 すると侯爵は、頭を撫でてそれはもうほくほくとした顔になった。


(あれ? 本当に聞いてたのと違うし、思い出の中とも全然違うな?)


 オリバーが紹介された時、いかにも貴族らしい重圧を感じたのだが……今目の前にいるのは気のいい優しいおじ様。

 にこにこウェルゲムの頭を撫でながら、「そちらは?」とエルフィーへ目線を向ける。


「あ、はい、婚約者のエルフィー・マグゲル嬢です。庶民出なのですが、あまりにもお優しそうな雰囲気に一目惚れ致しまして……伯爵にご相談したら養女として引き取ってくださり、今度の祖父の晩餐会で正式に身内に紹介しようと思っております」

「ほう?」

「はっ……はじめまして……こ、侯爵様……エ、エルフィー・マグゲルと申します」


 及第点。

 ギリギリ、許される範囲の噛み噛み。


「なるほどなるほど……ふむふむ、よいのではないか? そういえばそんな話を聞いた気がするな。最近は温泉の成分分析に夢中でそちらの仕事はからっきしだが」


 なにしてんですか。

 喉まで出かかったが、オリバーは耐えた。偉いと思う。


「マルティーナ伯母様が引き取ったタグレリックが手紙で書いてくれました。侯爵はたいそう温泉を気に入ってくださったと」

「ああ! あれは素晴らしいものだ! 本当に数日入っていたら腰痛が消えた! 十代からずっと私を悩ませていた腰痛がだぞ! これはもう! 奇跡ではないか!?」

「…………なによりでございます」


 腰痛持ちだったのか。

 笑顔の裏でその感極まった笑顔に衝撃を受けていた。


「? ですが、杖をまだご利用なのですね?」

「ああ、実は調子に乗りすぎて岩場から落ちて転んだんだ。歳のせいかポーションが効きにくくてリーニアの活性化魔法をかけてもらっているからだいぶいいよ」

「そうで、…………、……え?」

「リーニア。君が名づけたリーフ・ティターニアだよ。温室でよく日向ぼっこしているよ」

「…………」


 斜め上をきた。さすが『四侯』。

 まさか魔物の一種と……いくらこの町が多種多様な種族と共生しているからといっても、よもや魔物まで受け入れられる貴族がこの世にまだいたとは。


「そう驚く事もあるまい。君の伯母もダイアナを飼っているじゃあないか」

「……そうでした。侯爵は伯母とも知り合いなのでしたね……ダイアナとも」

「うむ。それに、リーニアは幼い娘のようで話していて飽きない。こんな老いぼれの話を楽しそうに聞いてくれる。ここは私の求めていた楽園そのものだ……」

「そ、そんなにもお気に召して頂けていたとは……」


 ここまで言われるともう、なにも言うまい、という気分になってきてしまう。

 そして、足下を見た。


「ちなみにお怪我は右足ですか?」

「ああ……」

「見せて頂いても?」

「? 構わんが……」


 席を立ち、ズボンの裾をめくった公爵の足元に膝をつく。

 患部は青く腫れていた。


(なるほど、岩場に打ちつけたのか……骨に異常はなさそうなのは救いだな)


『鑑定分析』で症状を確認し、手を添える。


「癒しの光よ、ハイ・ヒール」

「!」


 幹部に直接治癒魔法をかけた。

 こうする事で、集中的に治癒出来る。

 見る見る腫れが引き、内出血も消えていく。


「なんと! 君は中級治癒魔法が使えるのか!」

「本当は温泉で養生なさっても治ると思いますが……」


 実は上級治癒魔法も使えます。

 とは、あえて言わない。

 治癒魔法の使い手は希少だからだ。

 その上上級が使えるとバレたら色々面倒になる。間違いなく。


「せっかく楽しそうにしてらっしゃるので……どうか、長生きしてください……」


 六十半ば、とはオリバーの前世ではまだまだ人生これから、という年齢だが、祖父同様イラード侯爵はこの世界において高齢の部類だ。

 彼にとっては、きっと『アルゲの町』は余生を楽しむ最高の安住の地となっているのだろう。

 それなら、最期まで幸せに……。

 きっとこれまでは貴族として、侯爵として、国と民に尽くしてこられた方なのだ。

 見上げて微笑むと、それは嬉しそうに微笑み返された。


(印象が違うのも当然だな……イラード侯爵は今、自由に生きておられるんだから)


 立ち上がってエルフィーの横に戻る。

 すると、なにやらキラキラした目で見上げられた。


「?」


 かわいい。

 だがちょっとこのタイミングでキラキラ見上げられる意味が分からない。

 でもかわいい。


「……私、完全に侯爵引退する」

「…………えっ!」

「今、決めた。全部譲ってくる。手紙書いてくるからちょっと待って」

「えっ!? えっー!?」


 ……ちなみに戻ってきた侯爵に毒草研究の件はちゃんと相談出来ました。

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