騎士団の光と闇【前編】


(ん……あれ? ……おれ……どう、したんだったっ、け?)


 目を覚ますと、強烈な頭痛がした。

 思わずまた目を瞑る。

 記憶がぼやけていて、断片的にしか思い出せない。


(……食事中に……そうだ、確か……食事中、急に眠くなって……)


 軽い吐き気。

 自分の状況がよく分からない。

 無理やり目を開けると、そこは暗い石造りの部屋。

 ランプが揺らめき、室内を照らす。


(鉄格子……牢屋……?)


 窓もなく、鉄格子の向こう側には通路がある。

 その奥にも、鉄格子。

 だんだんと視界が定まる。

 意識は相変わらず、気分が悪いが──。


「!」


 なにかが向かいの牢の中で動いた気がした。

 目を細めて、闇の中を覗こうとする。

 しかし、まだ上手く目蓋を開けていられない。

 眠気が強く、体は気怠かった。

 そして強い頭痛と、気分の悪さからくる吐き気。


「くっ……」

「…………だれか、いるの……?」

「! ……あなたは……?」


 声。

 顔を上げて、闇の奥をもう一度見る。

 声は出るが自分の声が頭の奥に響いて、目眩までしてきた。


「私はサリーザ……『エンジーナの町』の冒険者よ……」


 女の声。そして名前。

 この町の冒険者……そんな人がなぜこんなところに?

 闇の奥から聞こえてくる声は、オリバーより幾分しっかりしているが弱々しい。


「俺は……俺はオリバーといいます……『トーズの町』の冒険者、ですが……修行で、『イラード地方』へ、行こうと……思って……」

「立ち寄ったタイミングが最悪ね……」

「あの、俺、今どういう状況なんですか……」

「タックに会った?」

「はい……」

「アイツは自分好みの容姿の子どもをコレクションするのが趣味なの……。私、弟がいるんだけど……突然行方不明になってね……探しにきたら捕まっちゃった」

「……コレクション……?」


 嫌な予感しかしない。


(というか、俺……どうなってるんだ? 本当に……)


 頭を無理に持ち上げ、手足を動かそうとする。

 しかしまるで感覚がない。

 視界の感じから縦に吊るされているようにも思うが、痛みはないのだ。

 痛いのは頭だけ……体は怠くて仕方ない。

 視界もはっきりせず、ぐらぐらする。


「そう、コレクション」

「!」

「っ!」


 そこへ聞こえてきた声。

 タックの声だ。

 部屋のランプよりも光度の高いランプを手にしたタックが、格子の向こうの通路から歩いてきた。

 愉悦に歪んだ表情と、持ち上げられるランプの明かりで少しだけ視界がはっきりとする。

 手足に視線を向けて、ヒッ……と喉がひくつった。


「ああ、やはり美しく仕上がっているね」

「こ……れ、はっ!」

「心配しなくていい、手足をガラスで覆っただけだ。魔法は使えないけどねぇ!」


 顔つきが一瞬で変わる。

 オリバーの両手足と、牢屋全体が水色の氷のようなものに覆われていた。


(手足に、力も、魔力も……入らない!)


 歪んだ笑顔を睨みつける。

 タックはその笑みに狂気を滲ませた。


「その顔が見たかった!」


 そう叫んで、持っていたランプを護衛の騎士に預けて両手を広げる。

 鉄格子を通路から掴み、顔を近づけ、ニヤァと笑う。

 その笑みに、これまで感じたどんな恐怖よりも恐ろしいと思った。

 それはマスタートロールと対峙した時のような、命の危機への恐怖とは全く別物。

 生理的に理解を拒む不快感。

 その存在を看過出来ない拒絶感。

 同じ『人間』だという距離感だ。


「君! きみぃ、イイヨォ! その顔ォ! それが見たかったんだよぉ! その気持ち悪ーいって顔ォ! はぁ、それ、それぇ、それがいい、もっと、もっと蔑んで見下ろしてよぉ……はぁ、はぁっ!」

「…………」

「君くらいの、歳下の子に、はぁ、蔑まれて、見下ろされるのがさぁ…………さ、サイコゥにぃ、キ、キモチイィ、よぉねぇ! はぁ、はあ……あぁっ、もっと見下ろしてよ、もっとぉ、モットォ……」


 ゾリ……と、下へ下へしゃがんでいき、石の通路に頬を擦りつけながら舌を伸ばすタック。

 あまりの光景に、思考が止まる。

 目がギョロリとオリバーを見上げ、歯が格子に当たってカシャカシャと鳴る……その音でさえ、耳は受けつけたくない。

 気持ち悪い、というより、もはや存在を認めたくない。


(なんだ、この、生き物……)


 外を闊歩する魔物の方がよほど美しい生き物に思える。

 これは、一体なんだ?

 同じ人間か?

 人間に化けている、なにか別な生き物ではなく?


「……変態め……!」

「うるせぇよ女! 黙れよ!」

「っ!」


 サリーザが呟くと、タックは豹変した。

 起き上がり隣の牢屋の格子を蹴り飛ばす。

 ガァン、と大きな音がして、さらに格子に飛びついたタックは叫ぶ。


「女は黙れよ! 女ァ! ブスは黙れぇ! お前なんか父様が帰ってきたら雌豚になるだけの家畜なんだよぉ! その口縫いつけるぞ! クソが! おい! 誰だコイツのくつわ外したのォ! 噛ませとけぇ!」

「はっ!」


 あまりの激昂具合にまた、血の気が引いた。

 こんなに危険な人間だったなんて、とショックが大きい。

 むしろ、この世界にこんな人間がいた事も。


「そんな事をしていられるのも今のうちよ! こんな事をして、うちのギルドの冒険者たちが、いつか必ずお前たちの悪事を白日のものにしてくれるわ!」

「バーカバーカ! そんな日来るわけねーだろーが! 俺たちは天下の公帝国騎士団だぞ! 平民よりも多少強い程度のお前ら冒険者になにが出来る! ははは! バーカ! ほんっとにバーカ!」

「言ってなさい! 私のロイドは、絶対に負けないんだから!」

「!」


 ロイド。

 彼女の口から出た知り合いの名前に、ハッとする。


(そうだ……ロイドさん……今、時間は? クローレンスさんは……!?)


 彼女は「三日で行く!」と言っていた。

 有言実行をモットーとしている彼女の事だ、間違いなく明日には来るだろう。

 どうやらここの騎士隊の隊長もまた不在のようだが……この状況がクローレンスにバレれば隊長もまたタダでは済まない。

 もう少しの辛抱。

 きっと、あと少し耐えれば──。


「ははははは! まだ言ってるのかよ! ほんっとバカ女だぜ! おい、父様が帰ってくる前にお前たちで楽しんでもいいぞ」

「は? よろしいのですか?」

「ああ、少し痛い目見れば、現実が分かるだろう」

「「ありがとうございます!」」

「!」

「っ!」


 だが、その時間はない。

 タックが部下にそう言い放つと、部下たちは気色の悪い笑みを浮かべて牢の鍵を取り出す。

 あれが本当に『栄えある公帝国の騎士』のかおだろうか?

 いや、あれは、獣の顔だ。

 欲望だけで、それ以外のものを持たない……獣の方がまだマシかもしれない。

 平然と他者を傷つける。

 その感覚が信じられないし、理解出来ない。


「──やめろ!」

「んー? ……どうしたんだいオリバー。ああ、女の汚らわしい声なんて聞きたくない? いや、俺が聞かせたくないな。お前ら、上に連れて行ってやれ」

「はい」

「違う! ……よくもそんなひどい事を……! あなたたちは、自分たちがどんな立場だか本当に忘れてしまったのか!? 騎士とは国を守る者。公帝と、その持ち物である民を守る存在! あなたたちが今行おうとしているのは、公帝の持ち物を無断で傷つける事だ!」


 人を物として扱うつもりは毛頭ないが、騎士はそう教えを受けるはず。

 オリバーはクローレンスにそう教わった。

 公帝の物だからこそ守る。

 公帝の物だからこそ民もまた誇りを持って生きなければならない。

 騎士とはそれを守護する者。


「違うよぉ? 俺たち騎士は公帝の権威を借る者だ。公帝に認められた俺たちは、民草をどう扱おうが自由なんだよぉ。残念だけど、君もね……俺のおもちゃになる運命なんだ」

「……その理屈を通そうとするのなら、それこそ俺に手を出したのは過ちでしたね」

「?」


 使うつもりはなかったが、ここで使わねばいつ使うという話だ。


「俺は……俺の本当の名前はオリバー・ルークトーズ! 『トーズの町』のギルドマスターの息子! この『クロッシュ地方』を預かる、フィトリング・クロッシュ侯爵の直系の孫です! こう言えば、分かりますか?」

「っ……!」


 公帝国騎士団は、上位を除き平民か下級貴族がほとんど。

 隊長格であっても男爵がいいところだろう。

 騎士という職に就いた時、準男爵位を与えられるのは副隊長以上。

 そして、そんな彼らが絶対に逆らえないのが伯爵位以上の貴族。

 まして『四侯』は公帝に次ぐ地位。

 その直系。

 父もまた男爵の爵位を持つが、その後ろ盾は一騎士とは比べるまでもない。


「まさか、『四侯』の……っ」

「は、まさか……?」

「信じられないなら冒険者証を調べてみればいい」


 冒険者証は左腕の手首にある。

 ガラスと言っていたが、それに覆われて動かせない。


(確かに冷たくはない。グラグラするのも、多分食事に薬が混ぜられていたんだと思うし……。でも、魔力が通らない……遮断されているみたいだ。俺が魔法を使えるの、バレてるって事は……)


 やはりあの違法奴隷商人たちとタックはグルと見て間違いないだろう。

 奴らは処刑などされておらず、ほとぼりが覚めるのを身を隠して待っている。

 そいつらの捜索は後回し。

 今は自分の身を覆う氷のような謎のガラスの分析。


(『鑑定』……!)


 手足は使えない。

 だが、目に発現する魔法なら使えた。


魔氷結牢拘まひょうけつろうこう】呪

 所有者:タック・ローグ

 解説:標的を魔力封じの氷の中に閉じ込め、拘束する。


「!」


『呪』の文字は、それが厄呪魔具の効果であると示している。

 厄呪魔具は使用するのに資格が必要な上、『人間』への使用は禁止されていた。

 タックに使用資格があったとしても、オリバーに使うのは違法。

 たとえオリバーが『平民』であっても、だ。


「…………マジかよ……つまり俺の手の中に『四侯』の孫がいるって事かよ……? はっ……? 最強じゃねぇか?」

「!」

「確かあのジジイ、孫馬鹿で有名だよなぁ。パーティーに行くと孫自慢しかしねぇと聞くぜ? 確か、一番下の娘の息子……一番若い男孫はクロッシュ侯爵家の跡取り候補だとか……。まさか、オリバー、君がそうなのか? 君がクロッシュ侯爵家の、跡取り候補!?」

「っ……」


 祖父、フィトリング・クロッシュには孫が八人いる。

 母は三姉妹の末っ子。

 上二人の伯母たちに、娘と息子が三人ずつ。

 そして、オリバーとその妹フェルト。

 従兄弟たちはそれぞれ鍛冶屋や宿屋の跡を継ぐ事を希望しており、オリバーも父の跡を継いでギルドマスターになりたいと考えている。

 だが祖父は、オリバーに「いずれクロッシュ家を継がせたいと考えている」という話を両親にしていた。

 そういう教育も一部受けているが、成人してもギルドマスターになるという考えが変わっていなければクロッシュ家はフェルトを養子として迎え入れ、婿を取る事になるだろう。

 そう、だからあくまでオリバーは『次期侯爵候補』。


「……それってさ……それってさ……! 君の命をちらつかせれば、『四侯』も言いなりに出来るかもしれないって事!?」

「……なっ!」

「ひゃあー! 早く父様、帰ってこないかなぁ!」

「っ……!?」


 なんて事だ。


(お祖父様に……)


 祖父に迷惑をかける事になる?

 冗談ではない。

 両手を上げて喜ぶタックに、顔を見合わせていた騎士たち。

 時間稼ぎはしたが、これは事態が悪化しただけなのでは……。


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