『エンジーナの町』【後編】


「それにしても……」

「!?」

「君、本当に綺麗な顔だよね……」

「……えっ」


 テーブルの上に載せていた手を、タックが握ってくる。

 人差し指が手の甲を何度もなぞっていく。


「???」


 頭が、白くなった。

 思考が完全に停止し、目の前の事態を把握するのに誤差が生じる。

 なにか言われているが、なにを言われているのかが分からない。

 いつの間にか両手を握られ、ねっとり見つめられる。


(え? な、なに? なにこれ?)


「俺、君みたいな綺麗な顔の子大好きなんだよね……」

「……ッッッ!」


 舌舐めずりをする姿に、背中に氷水が流し込まれたかのような感覚を覚えて慌てて立ち上がった。

 事情はもう説明したのだ、これ以上この場に止まる理由はない。


「お、俺! 用事があるので、失礼します!」

「そう? じゃあ、またね」

「っ!」


 また?

 もう会うものかと心の中で叫びながら扉を開けて、騎士団施設からも飛び出した。

 まだ手の甲になぞられた感触が残っている。

 それを必死に手を擦ってかき消すが、しばらく鳥肌が治らなかった。

 ごまかすように町民に宿の場所を聞き、駆け込む。

 なんとか一部屋空いているというので、チェックインしてそのままベッドにダイブした。


「ううう! 気持ち悪い!」


 全身をさすり、それでも怖気が治らない。

 服を脱ぎ捨てて風呂場に直行した。




 翌日。

『ウローズ山脈』麓の町『エンジーナの町』に来て二日目の朝。


(まずは山越えの商人か冒険者パーティーを探そう。この町のギルドは……町の西側……大通りをまっすぐって聞いたけど……)


 オリバーの目的地は『ウローズ山脈』を超えた先にある『イラード地方』中心の町、『マグゲルの町』。

『イラード地方』は『四侯』の一人、イラード侯爵が治める『エドルズ公帝家派』寄りの土地となる。

『マグゲルの町』はそのイラード侯爵の息子の一人、イラード家の分家マグゲル伯爵が治める町だ。


「あ、ここかな?」


 町の西に来て、冒険者ギルドらしい建物を見つけたので入ってみる。

 中は故郷『トーズの町』のように賑わっていた。

 その喧騒に安堵する。

 なんとも不思議な感覚だが、冒険者ギルドというのはどこも同じなのだろう。

 だが、知らぬ冒険者が入れば途端に空気は凍りつく。


(うんうん、やっぱり冒険者ギルドはこうでないとね)


 その冷たい空気に笑顔になる。

「これこれ!」という意味で。


「いらっしゃいませ、初めての冒険者さんですか?」

「はい」

「「「きゃーーー!」」」

「……。……?」


 なぜ、悲鳴?

 黄色い悲鳴がカウンターの奥から響く。

 冒険者たちもあからさまに顔を背け、しかしチラチラと見てくる。

 一気にギルド内の空気が変な事になったような気がした。


「ヤバ! すごい美少年! あんな美少年この世界に存在するぅ!?」

「マジヤバーイ! 声も可愛〜い!」

「唾つけとこう」

「ばか、さすがに犯罪でしょ!」

「でもでもっ〜」

「あの?」

「「「はい! 私が担当です! …………」」」


 カウンターその1、に三人の受付嬢が固まる。

 オリバーが声をかけると、三人はお互いを真顔で見比べた。

 ……絵面が怖い。

 その無言の睨み合いは一分程続き、あまりの圧にオリバーはそっと後ろの冒険者たちを振り返る。

 ものすごい勢いで顔を背けられ、知らんぷりされた。

 こんな時ばかり見事なコンビネーションを見せつける。


「「「ジャンケンポン!」」」

「!?」

「おっしゃあああぁぁぁっ!」

「「負けたー!」」

「いらっしゃいませ、初めての冒険者さんですね? お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 突然始まったジャンケン。

 一人がチョキ、残り二人はパー。

 この世界ジャンケンあるんだ、という驚きよりも、彼女らの顔……失礼、勢いに驚いた。

 しかもその後の変わり身よ。

 満面の笑顔と溢れんばかりのご機嫌オーラ。


「……え、えーと……これで……」


 冒険者証となるプロンズの腕輪を差し出す。

『Cクラス』の文字に受付嬢はギョッとする。

 当然だろう。

 オリバーの年齢ならば最下級の『Dクラスブロンズ』だ。

 そこからDクラスの依頼を受け、総合レベルを上げ、申請してクラス上げを行なっていく。


「ッ! 『ルークトーズ』!? き、ききき貴族の方ですか!?」

「(ゲッ!)あ、えーと、はい、まあ……『トーズの町』の冒険者ギルドマスターの息子なんです。冒険者の先輩たちに鍛えてもらったので、『Dクラス』ではないと言い渡されています。ステータスデータもお見せしますか?」


 証明が必要だと思ったからこその申し出だ。

 場の空気が一気に変わったのをひしひしと感じる。

 貴族なんて平民を苦しめるだけの存在。

 しかし、その影響力は凄まじい。

 ましてルークトーズはクロッシュ侯爵家の分家のような扱い。

 もっと言えば、そのクロッシュ侯爵家当主の娘であった母はいわゆる直系……。

 貴族の『贔屓』でクラスが高いと思われるのは困る。

 オリバーは実力に見合った依頼を受けたいのだ。


「で、では、一応拝見させて頂いても?」

「どうぞ」


 ブロンズの腕輪を水晶の上に載せる。

 ギルドには必ずある、冒険者ステータス確認用の『聖霊石』を用いた聖霊魔具。

 その水晶に手をかざすと、オリバーのステータスが彼女にだけ開示されるのだ。


「……っ〜!?」


 冒険者たちが息を呑む。

 父は間違いなく贔屓目でオリバーをこのランクにしたはずだ。

 抗議したものの、父の言っている事もギルドで働いてきた分最低限理解は出来る。

 その上でやはりこのランクは高すぎると思っていた。

 だが、受付嬢の顔が驚愕に歪む。

 その横にいた他の二人も水晶を覗き込むと同じような顔になる。

 それが、答えだ。


「か、か、確認しました! ……護衛クエストは、どうなりましたか?」

「その報告も兼ねてきました。実は──……」


 町を越える広範囲でのクエストは、冒険者証の腕輪にデータが刻まれる。

 水晶玉には他のギルドとの連絡やデータの共有機能もあるため、冒険者証がなくとも確認は出来るが自分で説明出来るのだからした方が心証はいいだろう。

 事情を聞いたギルドの受付嬢、冒険者たちはどんどん顔をしかめていく。

 別の町から来た冒険者……それも冒険者になったばかりのオリバーがクエストをそんな形で終わらせたのは彼らにとって面白くないのだろう。

 そう、その時は思った。


「おい、それで……お前さんは大丈夫だったんだな?」

「え?」


 肩を叩いてきたのは赤茶髪の男性冒険者。

 端正な顔立ちで、歳は二十歳後半だろうか?

 気のいい兄貴、といった風態で、オリバーも一瞬気を許しそうになる。


「は、はい。なんとか」

「そうか。よく無事だったな。その顔で」

「……お、俺の顔、そんなに変でしょうか?」

「いやいや、逆だって。ここに駐在している騎士団の隊長の息子、タックとかいう奴は顔のいい少年が好みらしくてな……何人か連れて行かれたんだ」

「えっ」


 連れて行かれた?

 驚いて彼に向き直る。

 聞き捨てならない。

 それは、ギルドマスターの息子として、一人の人間として。


「それで、どうしたんですか?」

「いや、どうも? お菓子をもらって、お茶を飲んで帰ってきただけ、らしい。けど、始終手や太ももを触られて気色悪かったと言っていたな」

「…………」


 思い起こされる、あの手の甲をなぞられる感覚。

 一気に表情と顔色がなくなったオリバーに、その冒険者はスン……と表情を消す。


「遅かったか」

「……え、えーと、いや、その、手を触られたくらいで……」

「やっぱりか。……とは言え、俺たちギルドの冒険者は手出しが出来ないからな」

「…………」


 くそっ、と呟く者、しかめっ面で俯く者……皆表情には不満が浮かんでいる。

 受付嬢たちも俯いて、表情を暗くしていた。


(先を急ぎたい……。エルフィーが仕えるウェルゲム・マグゲルに怪我を負わせてしまうのはウィルゲムが十歳、彼女が十四歳の時……)


 オリバーが転生して救いたいと願った『負けヒロイン』エルフィー・エジェファー。

 苗字はあるが、今は亡き没落した子爵家の令嬢でマグゲル伯爵家に拾われ、なんとか生活を許されている使用人。

 ラノベのストーリーで、エルフィーは歳下の主人、伯爵家の孫ウェルゲムの無茶振りで森に連れ出される。

 彼女は必死に止めるが、ウェルゲムは聞く耳を持たなかった。

 そして悲劇は起こる。

 ウィルゲムは魔物に襲われ、顔に怪我をしてしまう。

 彼女はその責任を追及され続け、ウェルゲムに奴隷のように扱われ続ける。

 ウェルゲムにとっては彼女を束縛する事で優越感と支配欲を満たしていた、と描写があった。

 それを、主人公……シュウヤが救うのだ。


(でも今ならそれをなんとか出来る。そうなる前に、ウェルゲムが森に行かないように……行っても怪我をしないように……冒険者として、護衛に雇ってもらえれば……!)


 オリバーの祖父とマグゲル家の属するイラード侯爵は派閥が違う。

 しかし、どの領主貴族も本心は現政権を支持している。

 当然だ。今の地位は現政権があってこそ。

 要するに腹の中は分からない。

 派閥が違っていれば、その身内を中に入れるのは当然嫌がられるだろう。

 ならばそれを上回る『強さ』と『実績』を身につけなければならない。


(そう考えると、今回の件は放置しない方がいいのかな? ……でも、早く……早くエルフィーに会いたい……)


 今でも夢で見る。

 まるで『この世界に生まれてきた理由を忘れるな』と言わんばかりに。

 だがそれでいいと思う。

『ワイルド・ピンキー』をWebで知り、コミカライズ、そして原作ラノベを揃えた。

 その時、原作のエルフィーはアニメとは違う結末で、幸せになっていて欲しいと思ったのだ。

 結果は、アニメもコミカライズも、原作通り──。

 改変はされておらず、原作に忠実だった。

 いや、原作のファンからすれば絶賛ものなのだろうが……。


(人気もなくて、不幸になってサヨナラしても……みんなに『アレは仕方ない』みたいに諦められる。そんなの可哀想すぎる)


 他のメインヒロインたちに比べれば確かに彼女は地味だ。

 メガネ、そばかす、どこかぼんやりとした顔立ち。

 胸も巨乳だらけのメインヒロインたちに比べれば絶壁。

 SNSなどでの彼女の批評は「メガネの地味系キャラならせめて巨乳が良かった」などと書かれて盛り上がる始末。

 元々切り捨てられるヒロインだからなのか、性格もとても内向的で喋り方も辿々しく「鬱陶しい」と言われている。


(なんで? こんなに優しい子なのに)


 前世のオリバーはそう思った。

 優しいから、悪い事を全て自分のせいだと背負い込む。

 主人公のシュウヤは彼女をウェルゲムから解放したけれど、救済したりしなかった。

 それなのにそんなシュウヤにエルフィーは想いを寄せて、生涯想い続ける……そんなエンディングを、前世のオリバーは甘受出来ない。

 彼女には──いや、彼女にも幸せになる権利はある。

 誰も彼女を幸せにしないのなら……。


(俺が救って、幸せにする!)


 そして、やはりそのために『冒険者としての実績』は欲しい。

 顔を上げる。


「あの、事情を聞いてもいいですか? 俺にもしもし出来る事があるなら、お手伝いします」

「…………。いや、関わらない方がいい。坊主はまだ若いし、公帝国騎士団とやり合うのはちょっとな」

「でも、あの様子だとあの違法奴隷商人たちは釈放されてしまいそうですし……」

「ああ、その通りだ。タックとあの奴隷商人どもは通じている」

「!」


 はっきりと言い放たれ、さすがに驚いた。

 しかし、彼らの表情は『そこまで分かっているのに手出し出来ない』とありあり浮かんでいる。


(やはり、公帝派……)


 この町を内部から侵食しようとでも考えているのだろう。

 それ自体は悪いとは言わない。

 現政権を支持するのに理由などいらないからだ。

 しかし、それと罪を犯すのは話が別だ。

 権力を傘に罪を重ねればそれだけ被害が続く。

 傷つかなくていい人間が、傷つき続ける。

 そんなのは許しておけない。


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