大詰 2 現代版・歌舞伎「車引」
(1)
桜子と祇園お茶屋「花いかだ」で逢った。
「専務取締役就任おめでとうございます」
「おめでたいのかどうか、わかりません」
「そやかて、一致団結して渦中の栗を拾いに行き張ったんやから、手柄たてたんやから」
「渦中を覗いたら、気づきました」
「何どすか」
「実は栗はもう一つありました」
「もう一つ?」
「はい。その栗も今回と同じくらい、焼けて腐っているようです」
「また変な気をおこさはったらあかんええ」
「わかってます」
「でも心配どす」
「今度は、こちらも火傷するかもしれません」
「まあ恐ろしい」
桜子は、大げさに身をそらした。
そして鞄から何やら取り出した。
「火傷せんように、これもろておくれやす」
「何ですか」
「車折神社のお守りどす」
京都の西、車折神社は、末社に芸能社がある由緒ある神社である。
芸能社の周りには、朱色に黒の文字で各界の芸能人の名前がある。
お笑い芸人からアイドルグループ、宝塚、歌舞伎役者と様々である。
「これ持って栗拾いに行っておくれやす」
「有難うございます」
「今年も、もうじき終わりますなあ」
「終わりますね」
「竹松さんにとっては、震撼の年どしたな」
「ああ竹松の将軍塚の鳴動した年でした」
「これできれいさっぱり、再出発どすなあ」
「さあどうかな」
「もう一つの栗どすか」
「ああ、そうです」
白川は、この時腹をくくった。
「これを渡すために、わざわざ桜子さんは今回の宴を開いてくれたんですか」
「いえ、違います。渡したいのはもう一つあります」
桜子はテーブルの上に小石を乗せた。
直径10センチほどのもので、所々、うっすらと焼けていた。
「車折神社にこんな祈念神石あったかなあ」
白川はつぶやいた。
車折神社には、願いが叶うと、石を奉納するならわしがあった。
社務所では黄色い紙で包まれた「祈念神石」を販売している。
それを目よりも高い所に置いて拝む風習があった。
「これは祈念神石やおへん」
「じゃあ何ですか」
「今から話す事は誰にも内緒どすさかいに」
「わかりました」
姿勢を正した。
桜子の母親の梅子は、当時竹松の社長、清水龍二宅に通いのお手伝いを務めていた。
龍二には兄、竹太郎がいたが、中学生の時琵琶湖で水死した。
水死した時、手にしっかりと石が握られていた。
「兄さん、ついに見つけたよ。幸運を呼ぶ石を」
嬉々として竹太郎はそう云って、再び潜ったのだが、浮かんでこずにそのまま亡くなった。
「溺れたんじゃないのか」
「心筋梗塞とも云われたそうです」
「何を持って、見つけたと確信したんだろうねえ」
「今となっては謎のままです」
石は、その後龍二に渡された。
この事件後、東京にいた創業者の弟、竹次郎は一切関西行きを封印したそうだ。
「あの放火事件の時・・・」
龍二社長は、息子利之と話していた。
例の女優、今出川恵美との結婚話である。
「女優に手を出すとはけしからんと云うたのは、正解どすけど、猛反対した理由がもう一つあったんどす」
「もう一つ?」
白川は桜子の目を見ながら聞き返した。
「はい。実は、今出川さんの本籍地、滋賀の大津どした」
「琵琶湖かあ」
「そうどす。実家は琵琶湖の漁師家です」
龍二は、父が関西行きを封印するぐらい毛嫌いしていた。
兄が水死した、云わば、げんの悪い地域なのだ。
だから決して結婚を認めようとしなかったのだ。
「あの火事の時、あなたのお母さんは、燃え盛る火の粉の中、この石を取りに戻った」
「そうです」
「龍二さんは、その事をどうして云わなかったんですか」
「遺体の面通しは親族だけで、この石は、警察の方から貰いました」
「龍二さんには、云わなかったんですね」
「何や、云いそびれてしもうて」
「またしても、握って亡くなったのかあ」
「そうです」
「じゃあ幸運を呼ぶどころか、災難を呼ぶ石じゃないですか」
「私は、そうは思いません。この石があればこそ、今回の討ち入りも成功したのです」
「そうですか」
「白川さん、この石を貰って下さい」
「いいんですか。お母さんの大切な形見でしょう」
「いえ、元々は竹松の創業者の息子さんが見つけたものです。だから竹松にお返しします。どうかもろておくれやす」
「わかりました」
白川は、ハンカチを取り出して、大切にくるんだ。
「白川はんも、創業者のかたわれどすさかいに、これで私もほっとしました」
「肩の荷が降りたって事ですか」
「そうどす」
桜子の晴れ晴れとした顔とは対照的に、白川の顔、頭は急速に曇っていた。
(2)
十二月二十六日顔見世千秋楽。
嵐山がやって来た。
あの解任騒ぎ以来、逢うのはこれが初めてだった。
午前中、役者への挨拶を済ませると、白川は、縄手副支配人とともに嵐山を誘い出した。
「どこへ連れて行くんだ」
「京都大学です」
嵐山は東京出身だが、戦時中京都に疎開した。戦後そのまま京都で過ごして、京都大学文学部に入っていた。
タクシーは京大正門前で止まった。
車外へ出た。
風が頭から足元までびゅんと通り過ぎる。
暖冬と云われたが、やはり十二月の下旬となるといつもの冬の顔が前面に出て来た。
寒い感覚が身体に蘇って来た。
「京大の前に、こちらへ」
すぐ隣りにある吉田神社へ誘導した。
「お前、早く番付の絵を送れよ」
嵐山は、人間国宝、常盤隆司が描いた原画の事を云った。
「ええ、その件なんですが」
白川は、右手を上着のポケットに突っ込んだ。
中には、桜子から貰った小石と車折神社のお守りが手に触れた。
小石を一回ぎゅっと握りしめて、外に出した。
「もうやめませんか」
いきなり白川が核心をついた。
嵐山は、一体こいつ何を云っているんだと云う顔を向けた。
「あれは、竹松と云う会社がお金を出して、描いて貰っているんですよ」
「そんな事は、お前に云われなくてもわかってる」
嵐山のこころのマグマに火が灯る。
「だったら、あの絵は竹松と云う会社の資産です。竹松へ戻すのが本筋でしょう」
「お前、俺に説教か!」
「説教ではなくて、正論です」
「うるさい!黙れ!」
「いいえ黙りません!」
「何だとおう」
嵐山と白川が向かい合った。
背後に吉田神社がそびえる。
歌舞伎演目「車引」では、この吉田神社前が舞台である。
(舎人(とねり))
藤原時平・・・・・・・松王丸→嵐山会長
管承相(菅原道真)・・・梅王丸→白川専務
斎世親王(帝の弟)・・・桜丸 →縄手副支配人
三人は元々は兄弟だが、それぞれ上司が違うために、立場も違って来る。
戯言で、管承相を九州大宰府へ左遷させるのが藤原時平で、いわゆる悪者である。
松王丸、桜丸、梅王丸の三人がそれぞれの意地を見せて張り合い、見得を切る。
白川は自分は梅王丸、縄手副支配人が桜丸、嵐山が松王丸だと思った。
この演目では、「石投げの見得」がある。
右手を握りしめて、やや横を向いての、石を投げたような格好での見得である。
今まさに、白川は、右手で桜子から貰った石を握りしめて向かい合っていたのだ。
「お前をこの前の役員人事で専務にしてやったのは、この俺だぞ。その俺に歯向かうのか」
「その件と絵画の件は違います」
「嵐山会長、会社の金で描いた絵画を自宅に持ち帰るって、横領ですよね」
今まで二人のやり取りを見ていた、縄手が口火を切った。
「縄手、貴様もこの白川の尻馬に乗ってるのか!」
「尻馬じゃないです。船です。竹松と云う船に皆乗ってるんです」
「その竹松船がまさに沈没しようとしてるんです」
「その沈没を救ったのは、この俺だぞ!」
「ええ、それには感謝します」
「だからこそ、きちんとしようじゃありませんか」
「東山親子は、解任されましたが、別に会社の金を私的に使ったわけではありませんよ」
「お前は、どっち向けて鉄砲向けているんだ!お前ら二人ともくびだ!くびだ!」
嵐山は大きな声で叫んだ。
「そこまでです、嵐山会長!」
三人は、一斉に振り向いた。
千本新社長が立っていた。
「千本弁護士・・・じゃなくて社長!」
慌てて、白川は訂正した。
「三人さんが、タクシーに乗り込むのを見て後を追って来ました」
千本は、深々と頭を下げた。
千本は、三人に近づいてからさらに話した。
「顔見世千秋楽なので、私も来ました。
三人がタクシーに乗り込むのを見て、これは何か顔見世千秋楽の儀式か何かでどこかへ行くと思ってました。何しろ社長ですが、歌舞伎の事は全くの素人なので」
今回の緊急人事で、映画部門の立て直しが急務だった。
千本と利之、衣笠の三人体制でのやり直しと位置づけた。
歌舞伎は、白川が専務昇格となったが実権は相変わらず、嵐山が握っていたのである。
「そうでしたか」
「今、ここで三人が諍いあうと、東山親子に笑われますよ」
肩を上下に激しく動かしていた嵐山は、少し落ち着いて来たようだ。
「で、諍いの原因の絵画の件。私に任せていただけませんか」
千本は前職は竹松の顧問弁護士である。
法律の事は、一番よく知っていた。
「わかりました」
「わかったよ」
両者それぞれの思惑を抱きながらの和解となった。
嵐山は千本と、白川は縄手とそれぞれ別の車で帰る事にした。
「では、白川支配人。また後程」
千本は、高笑いしながら車に乗り込んだ。
去り行く車を頭を下げて二人は見送った。
(あっ)と思った。
「どうしたんですか」
「あいつは、藤原時平やな」とつぶやいた。
「(時平(しへい)の七笑い)ですか?」
縄手がこれも歌舞伎演目の一つの(時平の七笑い)を云った。
「(車引)と合わせて、二つリアル歌舞伎やな」
白川がつぶやくと、縄手もこの真意がわかって大笑いした。
「役不足の桜丸でした」
縄手は頭をかきながら云った。
大晦日の夜。
白川は、桜子と八坂神社に参っていた。
大晦日恒例の行事、をけら参りをしていた。
火縄にその火をともすと消さないように、くるくる回しながら家に持って帰り、台所のかまどにも使用する。
昔は、そのまま電車に乗れたが、今は出来ない。
二人は、人混みをかきわけてようやく都座の前に立った。
すでにまねき板も絵看板も取り払われていた。
「来年はどんな年になるやろねえ」
「さあねえ」
二人は、まねき板が上がっていた付近を見上げた。
すると、雪が降って来た。
「あっ雪や」
桜子は子供のようにはしゃいだ。
「寒くなって来た」
白川はぶるっと身震いした。
今頃和夫はどうしているのだろうかとふと思った。
また来年もあの嵐山、千本との対決があるのだろうか。
(でも負けないぞ)
火縄を回しながら、ポケットの中の石を握りしめた。
二人が四条大橋を渡る頃には、雪は本降りとなり、頭や肩に降りそいだ。
(終わり)
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