第7話 007 思考停止


 全く理解不能のこの状況。

 

 「ここって異世界なんだよね?」

 花音は何を言っている?


 「お嬢ちゃんはわかっているのかい?」

 男は花音の方に向き直る。


 「マリーちゃんに聞いた」

 俺が気絶していた時か?

 「元の世界に戻ればお母さんにも会えるんだって」


 「元の世界か……方法は有るのかな?」

 苦笑いの男。

 それは無いと言いたいようだ。


 「難しいけど有るんだって……それまでは頑張って生きなきゃって言われた」


 一瞬男の顔が変わった。

 だが、すぐに元の笑顔に成る。

 「そうだね……頑張らなきゃあね」


 「時と空間の魔王がどうのって言ってたけど……良くわかんない」


 また変わる顔。

 「成る程……そのマリーさんに会ってみたいな」

 何かを考えているようだ。


 俺はそれを意識の表層だけで聞いていた。

 奥の深い所は混乱したままだ。


 「やはり、ここはあなたに頼るしかないようだ」

 

 その問い掛けにわけもわからずに頷いてしまう。


 「銃は貸せないが……代わりにこれをやる」

 そう言ってバトンの様な物を差し出した。

 

 やはりわけもわからずに受け取ってしまう。

 鉄の短いパイプの先に蓋の閉まった鉄のコップの様なモノがくっついている、見た目と違いずしりと重たい。

 鈍器か?


 「それとこれを」

 カードも出す。

 「その前に名前を教えてくれ」


 俺はそれを聞いていなかった。

 いや、聞けなかったのだ。

 バトンの様なソレを握った瞬間に、頭に意識が流れ込んできた。

 「ファウストパトローネ……」

 思わず口に出す。


 だが、ソレを聞いた男が。

 「わかった」

 そう言って何かを呟いている。

 「変わった名前だね……ドイツ人かい?」


 「いや……俺は日本人だ」

 表層での返事。


 「でも名前が日本人では無いよね?」

 

 「ファウストパトローネってのはこれの事だ」

 手に持っているバトンの様なソレを指し示す。


 「それはパンツァーファストだろう?」


 「正式名はパンツァーファスト30……通称ファウストパトローネ、対戦車武器だ」


 「そうなんだ……詳しいんだね」

 驚いていた。


 だがもっと驚いたのは俺だ。

 何故それがわかる?


 「それだけ詳しいなら使い方もわかるだろう?」


 わかる。

 安全ピンを抜いて照準を起こして……。

 見た事も聞いた事も無い物なのに。

 まるで手に持つそれが教えてくれているようだ。

 次々と意識とイメージが流れ込んでくる。

 

 「この人、シャーマンだからわかるんだよ……マリーちゃんが言ってた」

 花音が言った。


 「シャーマン!」

 少し考え込む男。

 「それは珍しい……滅多に無いスキルの持ち主だって聞いた事がある」


 なんだそれは?

 

 「マリーちゃんの隣に居たお爺さんが魂の魔王なんだって、人の魂が覗けるって言ってた、で……見たらシャーマンのスキルの卵を持ってたんだって」


 「魂の魔王! 元国王じゃないか!」

 驚愕の顔。

 「良くそんな人と知り合えたね」


 「私も見てもらったんだけど……占い師だって言われたの」

 つまらなそうに。

 「人の心が見えるスキルが有るって……それだけ何だって」


 「いや、それも凄いスキルだよ」

 

 「そうかな? 相手の手を握ってないとわかんないんだよ?」

 口が尖る。

 「詰まらないって言ったら、錬金術師のスキルを分けてくれたの……だから私は錬金術師に成るの」


 「錬金術師か、それは幾らでも居る職業の一つだね……珍しくも無いよ」

 

 「そうなの?」


 わけがわからない上にわけがわからない会話が続く。

 だが、両者の会話は成り立っているようだ。

 詰まりは適当に話をしている訳でもないと……そう言う事か?


 「君のお父さん……頭から湯気を出しているけど……もしかしてその話は聞いていない?」


 「お父さんじゃないよ」

 にこりと否定して。

 「その時、寝てたから」


 「成る程……」

 俺の手にカードを押し込んで。

 「ユックリと道中で考えてくれ」

 指差し。

 「村はあっちだ」

 

 「行ってらっしゃい」

 花音が手を振る。


 「君は行かないのかい?」


 「私はここで留守番してるわ」

 チラリと男を見て。

 心配になったのか?

 「すぐなんでしょう?」


 「まあ……迷わなければすぐだね」

 少し助かると、そんな顔の男。


 フラフラと立ち上がる。

 そんな俺をもう一度呼び止めて。

 「これを着て行け……その格好は目立つぞ」

 脇から引っ張り出した布……服?


 自分の服を見る。

 ネクタイは少し古臭いペイズリー柄だが、その他は濃い緑色の普通のスーツだ。

 手の渡されたそれは、両の幅……袖の短いポンチョのようにも、膝ほどの丈で裾の長いビプスのようにも見える形、それがしっかりした布で出来ていてズシリと重い。

 

 「寒いだろう? その格好じゃあ」


 別段、そこまで寒いわけでもない。

 だが、言われるままにソレを被る。

 胸と背中にデカデカと刺繍がしてある。

 緑色地に黄色い大きな三角……盾か? その中に収まる丸い輪の中を斜め上下で区切り……下に蛇? ソレを突き刺す剣? そんなモノが描かれている。

 これの方が余程に目立つと思うのだが……。

 しかし、考えるのを拒否した頭はそれを素直にのみ込んだ。

 


 一人で歩く草原。

 示された方向をただボーっと歩く。

 考えないといけない事。

 理解しなければいけない事。

 ……飲み込まないといけない事。

 それが有ると頭の片隅には引っ掛かってはいる。

 だが……すべての事を拒否して歩く。

 幾つかの丘を越えて……。

 幾つかの丘を下る……。

 そして……幾つ目かの丘の頂上に辿り着いた時。 

 俺はとても驚く事と為る。

 もうそれまでも、じゅうぶんに驚いている……なのに……今度は死の恐怖を突き付けてきた。


 目の前には戦車が在る。

 突然に現れたのだ。

 それもおかしな話だ。

 これだけ大きなモノが動いているのに、ここまで近付くまで気が付かないなんて。

 見えはしなくても……音くらいはしただろうに。

 強制的に俺の意識を引き戻したその戦車。

 ユックリと近付いて、その砲をこちらに向けた状態で停止した。

 直ぐ側だ。

 覗けばその砲の中から中が覗けそうな……そんな近い距離。


 中の人……見えるのモノなのだろうか?

 等と砲の筒を真っ直ぐに覗けるその立ち位置で、そんな馬鹿な事を考えてしまう俺の悪い癖が出てきた。

 わけのわからない状況で現実逃避してしまっていた俺が引き戻されたのだ。

 ボーっとしていた頭がまた動き始める。


 リアルな……俺達の元の世界の物。

 だがソレを実際に直接に目にした事は無い。

 見たとしても精々映画くらいだろう、戦争映画に金を払った記憶もないから……テレビでの映画……つまり……古い映画。

 そして、目の前の戦車は二次元では無い。

 リアルな本物だ。

 固まっていた脳が一気にフル回転を始めた。

 

 ……だがそんな事よりもと、俺は首元を締めているネクタイを緩めて、静かに両手を上げた、それが今の状況の正しい選択の筈だ。


 撃たれれば死ぬのだろう。

 痛みも感じず即死ってヤツだ。

 頬に汗が伝った。

 戦車はその場に停まって、ジッと動かない。


 時間の感覚はまだ狂ったままか?

 今、立ち尽くしている俺はどれくらい……こうしている?

 数分?

 数秒?

 動いていなかった脳と、目の前の恐怖が感覚を狂わせているのだろう。


 だがそれもここまでだ。

 死にたくはない。

 もう一度、戦車を観察。

 残念な事に何処も壊れているわけでも無さそうだ。

 低く唸るアイドリング音。

 後方には黒い排気ガスを規則的に吐き出している。

 今、まさに走っていたのだからそれはそうだろう。

 戦車の後方を見れば、進んだ軌跡がワダチと成って見える。

 ここまで真っ直ぐに走ってきたようだ。

 俺もここまで真っ直ぐに来た。

 明らかに出会い頭な筈。


 この戦車の乗員は何をしている? 何を考えている?

 戦車の方から動いてくれなければ俺は動けないではないか。

 何時までこうさせている気だ。

 俺は、手を上げて降伏の意思を示しているのだ。

 無抵抗で、無害であると。

 なのに誰も出てくる気配もなければ動く気配もない。

 このままわけもわからず殺されるのか?

 せめて説明なり何なりが有っても良いだろう?

 最後の方は自棄に成っての愚痴か?


 汗は背中に迄伝い初めた。

 随分と冷たくなった秋風が吹く草原の丘の上での事だ。

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