第43話 遊びじゃないんだって
ショーが始まった。チョコレート色の肌の若く美しいしなやかな女が、腰の回りにバナナの飾りを付けた衣装で踊る。
「わお、ジョセフィーヌ・バケルじゃないか。俺様、タブロイド紙で見て一目で気に入った」
「ジョセフィーヌ・バケルって誰」
「アメリカからやって来てフランスで興行しているらしい。ジョセフイン・ベーカーと言うのかな、英語なら。チョコレート肌でセクシーでユニークで新しい。そそるだろう。ほら」
「何がそそるの」
「凄いダンスだべ。あれが本物のジョセフィーヌ・バケル、ジョセフイン・ベーカーならイサドラも観たいだろうな」
「え、ちょっと引っ掛かる。あのダンサーはイサドラと同じ偽物ってことが言いたいのよね、カナンデラは」
「当然だろ。本物はフランスで興行中だ。ヨーロッパ中回るらしいが、此の国にも来るかな。となると、都心での興行だろ。このガラシュリッヒ・シュロスがフランスにも負けないアールヌーボーの美しい城だとしても、時代はアールデコが流行り、都心ではどんどん新しい風が吹いている。都心には来るかもしれないが此の街に来るかどうかは」
「そんなことではない。カナンデラ、イサドラが観たがると言っただろ。ね、ラルポア。聞いたよね」
「うん、確かにそう言ったね」
「おお、言ったぜ。だってダンサーだろう。あのステージで観客を沸かせていたんだぜ、イサドラは。真剣だったんだ。遊びじゃ彼処には立てない。今思えば、スターだったんだな」
「だからさ、イサドラはやっぱりフランスに行きたがっているよね。何故、私たちを嵌めようとした。私たちを人質にして一緒にフランスに連れていくつもりだからなんじゃないの。ジョセフィーヌを観たくて」
「成る程。お前が人質ならアントローサ警部は手出し出来ない訳か。イサドラも考えたもんだ」
「イサドラはもう一度、私たちを嵌めようとするかも知れない。わかっていれば捕まえることも可能だ」
「おお、悪魔ちゃんは天才だ。捕まえよう」
「でも、ラナンタータを諦めてジョセフィーヌ・バケルを観に旅立っていたら……」
「ラルポア、フランス警察にも連絡するさ。そうだ、ツェルシュ、電話を借りられるかな」
「畏まりました」
「ラナンタータ、飲み過ぎだよ。もう少しゆっくり味わって」
5年前に知り合ったジョスリンは、二年間、ずっとラナンタータの学園の送り迎えの警護を買って出てくれた。時々助手席に乗って、肘を回して後部座席のラナンタータを向いてお喋りする。
僕は肉感的な胸の谷間に目が行かないようにひたすら前方を注視して、ラナンタータは年上の女性の色香にやられた。
ある夜、久しぶりにラナンタータが部屋に来て、僕の首に両腕を回した。僕もつい、ラナンタータのまだ幼い細い腰に腕を回した。子供の頃はそうやって抱っこして階段を上ったりしたものだ。
ラナンタータは不思議なことをした。僕に顔を向けたまま瞼を閉じた。唇が少し尖っていた。
『ラ、ラナンタータ……何かあった……どうしたの』
ラナンタータの鼓動が伝わった。
『キスってどうするの』
『……何で僕なの……』
『ジョスリンにキスしたいの。男と女がするようなキス。大人のキスを……教えて、ラルポア』
『む、無理だよ、ラナンタータ。ファーストキスは本当に好きな人と』
『子供の頃はキスしてたよ、私たち。でも子供のキス。ただチューしてただけ。ラルポアが先に大人になって他所でいろんなことを経験して、私は置いてけぼり食わされている。だからジョスリンにどうすれば良いのかわからない』
僕はラナンタータの額に軽くキスして、ラナンタータの腰を離した。
『大丈夫。此の世にラナンタータを嫌う人はいないよ。食べちゃいたいくらい狙われているじゃないか、ヴァルラケラピスに。嫌っているんじゃないんだ』
「ラナンタータ、イサドラのことを好きかい」
「え……」
ラナンタータは酔っ払ったらしい。きょとんと小首を傾げる目の焦点が合わない。
ドアが開く。シャンタン・ガラシュリッヒが手下をずらりと伴って入って来た。
「おお、会長」
カナンデラが律儀そうに席を立ち、ラナンタータとラルポアにも顎をしゃくって促す。
「ああ、あなたがシャンタン・ガラシュリッヒ会長。お見かけしたことあります」
シャンタンは笑顔で握手の手をラナンタータに差し出した。
「お会いしたいと思っておりましたよ。アントローサ警部のお嬢さん」
「あはは、ラナンタータで良いよ。私もあなたに会いたかったの。話があって」
ラナンタータがシャンタンの手を握った。
「お話とは……」
握手したままシャンタンがカナンデラを見る。
「あのね、遊びじゃないんだって、カナンデラは」
カナンデラとラルポアはブフッと吹いた。
シャンタンは笑顔のまま真っ青になり、ツェルシュは泡を吹いて卒倒し、手下に支えられた。
ラナンタータはシャンタンに抱きついて「可愛い」と頬っぺたにキスした。
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