第41話 ガラシュリッヒ・シュロス
華燭の魔城と謳われるに相応しく、ガラシュリッヒ・シュロスは美しい電飾の輝きに隈無く照らされた黄金のアールヌーボーの世界。
ラルポアが天井を仰いで言う。
「警察に行くべきだよ。アントローサ警部が逮捕してくれる。僕たちが囮になってあいつらを誘き出せば事務所を壊されることなく逮捕できるはずだ」
カナンデラは口笛でも吹きそうな足取りでガラシュリッヒ・シュロスの正面玄関から入った。
「でもさ、ラルちゃん。イサドラを捕まえることはできないじゃない。もしあいつらが事務所に来るとして、警察に逮捕されても警察の尋問では吐かないよ。その点、ガラシュリッヒなら容赦はしないだろう。拷問とかさ……」
「ひええっ、拷問っ……カナンデラ本気か」
ガラシュリッヒには、たまに手元が狂って鞭を股間に当ててしまう拷問の名人がいる。其のことを彼らは知らない。
「拷問するなんて恐ろしい奴らと仲間な訳、カナンデラは。そんな恐ろしい組織のボスの囲い者な訳、カナンデラは」
眩い大きなホールの向こう正面に広い階段があり、金色のレリーフの手摺は丸い踊場から左右に別れる。
「俺様は仲間でも囲い者でもないが」
壁はボルドーの紅に金色の唐草模様の刺繍、天井から垂れる形の柱は象牙色に金の配色、全てがアールヌーボーの曲線美で作られている夢の別世界だ。
「あ、そうだった。ヒモだった。ジゴロだった。怪しいことしてる売春夫だ、カナンデラは。稼いだ金の使い道は考えたか」
「悪魔め。大きな声で言いやがったら口止め料はやらないぞ。これから会長室に連れていってやる。貧乏人は入れないんだぞ、ラナンタータ」
「うわあ、嬉しいな。ジゴロが口止め料をくれるってさ、ラルポア。何か欲しいものを考えておこう」
エレベーター横の小窓に軍装備を見てラナンタータは怯んだ。
「げ、夢が壊れる」
「そうかぁ。俺様、いつも脳ミソ奮えちゃうんだけどな。こういうところを顔パスで歩けるって最高よぉ」
見事なアールヌーボーの曲線で装飾されたエレベーターも広々として、ボタンの下に彩りの美しい花を生けた小さなテーブルも猫足のアールヌーボーだ。全壁面が曲線のレリーフで飾られた丸鏡になっている。
「こういう処にいたのね、イサドラ・ナリスは。スターだったのに何故事件なんか起こしたのだろう」
「アロムナワ子爵を見たんだよ、客席に」
シャンタンは、世界を変える第一歩に会社を作りたいと言うカナンデラの為に、訳もわからず、金を出してやれとツェルシュに言っただけだ。
ツェルシュは仰せの通りにとか御意とか畏まって、金庫に入りきらない金をトランクに詰めた。
カナンデラが『みんなで一緒に世界を変えよう』と笑った時、ツェルシュは痺れた。
シャンタン会長がザカリー探偵とむにゃむにゃの関係になるのもわからないではないと理解した瞬間だ。
ツェルシュ自身、犯罪多発地区で育ち、其の地区の状況を憎んでいた。悪に君臨する存在になれたら世界を変えられるかもしれないと、マフィアの道に入ったが、会長側近になってガラシュリッヒ関係の経営見直しだけは綺麗にしたつもりだ。世界を変えるには程遠いが、カナンデラの意志はツェルシュの念願そのものだ。
其のカナンデラが連れを伴って来たと警備から連絡を受けた。カナンデラ自身は既に顔パスで七階まで来れるようになっている。
しかし、此の時間にやって来るのは珍しい。しかも連れというのは探偵事務所のメンバーだ。此の地域のネオ・ゴッドファーザー・シャンタン・ガラシュリッヒの顔は広まっているのだろうが、シャンタンの方は事務所メンバーとの面識はない。
ツェルシュはシャンタンに言った。
「どのようなものを連れてくるのか私が事前に見て参ります」
「いや、良い。あの娘だ。ラナンタータとか言うアルビノの……アントローサ警部の娘……」
「ご存知ですか」
「以前、一度だけ見たことがある」
二年前の雨上がりの森に、天使が二人歩いていた。男の天使と女の天使だ。シャンタンが眼を凝らして見ると、其の天使たちには羽根がなかった。
白いレインコートを滑る雨粒、夏の午後の木漏れ日は眩しく木立の輪郭を暈して、草花の茂みに無数の雨粒がダイヤモンドのように輝く。
シャンタンは木陰に隠れて天使たちの行方を見た。シャンタンが出てきたばかりの湖の小屋へ、カナンデラが一人残された小屋へと二人は歩いて行った。
「レストランのVIPルームにお連れしろ。ショーの見える部屋だ」
一階から三階まで吹き抜けのショーパブの、二階と三階の天井桟敷席は、予約だけでも高額だ。世界各国からのVIPで溢れ帰っている。歌姫、舞姫、手品師、サーカス、オペレッタ、お笑い芸人、イリュージョンと出し物には事欠かない。ガラシュリッヒ・シュロスのステージに立つことを夢見る若者たちが多くいる。イサドラの抜けた穴は新しいスターが埋めていた。
エレベーターが七階に止まった。
「楽しみだなぁ、シャンタンに会いたかったの」
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