第40話 鼻水
ラルポアも慌てた。カナンデラは急いでイスパノスイザに飛び乗って、ラナンタータから自動小銃を奪い取った。
カナンデラが飛び乗った時点でラルポアは発進している。ラナンタータが叫んだ。
「イサドラに伝えて。必ず捕まえる」
追っ手が迫る。カナンデラが空に威嚇射撃した。ラルポアはアクセルを踏み込む。イスパノスイザはスピードレースで優勝したこのあるスポーツタイプの車だ。素直にスピードが出て直線距離を引き離す。追っ手が数台のフォードに乗り込んだ時は大通りを爆走していた。もう誰も追い付けない。
「事務所はヤバいな。何処に行く」
日中の気温が十度だと幌屋根を立てずに走ればどうなるか、三人はスカーフやマフラーで鼻と口を覆った。
「ねぇ、何故、狙われたの、私たち」
ラナンタータが鼻声で叫ぶ。風で声が後ろに流されるからだ。
「イサドラさんが誰かと手を組んだとか……」
ラルポアも鼻声になっている。
カナンデラは座席に膝立になって幌屋根を立て始めた。
「おお、ヴァルラケラピスとか……ぐすっ」
「嫌だぁぁぁ。何で超強力殺人鬼とカニバリズム教団が手を組むのだ。イサドラは殺しのカリスマかぁぁぁ」
「ラナンタータ。お前にはダンディー探偵と女殺しがついているべ。叫ぶな……ぐすっ」
おちょくる時に使う田舎訛りだったが、鼻水混じりでお笑い芸人風になった。
「あはははは……ああ、笑える。でも、彼処で捕まっていたらどうなったかな」
「まあ、間違いなくお前は食われていただろうな、ラナンタータ。特別な肉だとか血だとかなんとか」
「カナンデラの馬鹿ぁぁ。恐ろしいことを言うな。カナンデラとラルポアも食われるのか」
「ラルポアはイサドラとベッドを共にした後で殺されて、おらは貞操を守って殺される……あれ、なんか俺様、損してる感じ……」
屋根はストッパーでしっかり立った。側面の幌を風避けに下ろす。
「わははは。カナンデラは貞操を守って死ねるのか。好きなイットガールの為に。ラルポアには節操がないからイサドラと寝るんだ」
「え……何故そうなる……」
「なるだろう、大概は。ね、ラナンタータ」
「え……」
ラルポアは目をしばたいたが諦めて「なるようになるさ」と呟いた。
「え、何て言った、今……」
「イサドラが好きだから自分から誘って寝るってさ、ね、ラルポア」
「ち、違う……」
「違うんだって。予感がするんだって、ラルポアは。おいらと違ってさ、そこら辺の女の子で予知能力が発達しちゃってるから、ね、ラルポア」
「違あああう」
珍しくアクセルを強く踏み込んだ。交通量の少ない郊外の大通りを突風のように走る。
「おおおお、ラルポアが怒った。切れた。何故だ。真実だからかっ。ショーファー失格だべ」
「ラルポア。モテモテなのは仕方ないけれどイサドラだけは止めてえぇぇ。その前に私が殺すぅぅ」
イスパノスイザのスピードが落ちた。カナンデラがラナンタータを振り向く。ラルポアは路肩に駐車してラナンタータを振り返った。二人に注視されてラナンタータはきょとんとする。
「どしたの」
「殺すって、誰を。イサドラに取られる前にラルポアを殺すのか、ラルポアを取られる前にイサドラを殺すのか……」
「ぇ……」
「僕も知りたい」
「ぇ……え……」
「要するに、ラナンタータはイサドラにラルポアを取られるのが嫌なんだね」
「嫌だ。絶対に嫌だ。イサドラだけは嫌だ」
「ラナンタータ、捕まったら殺されるとか言ってるけど、僕たちが捕まえるんだろう、相手を」
「うん」
「んだ」
「じゃあ僕のことで遊ぶのは止めて。節操がないとかなんとか」
「そうなんだってさ、ラナンタータ。良かったな」
ラナンタータの片方の頬が痙攣る。
「ラナンタータ、従兄だから包み隠さず言うが、悪魔でも可愛いく怒れるんだね」
イスパノスイザは静かに路肩から離れて警察に向かう。
「私も従妹だから包み隠さず言うけれど、カナンデラは警察辞めてマフィアのヒモになって自分一人で贅沢するつもりみたいだから一生憑依いてやるからね」
「あ、ラナンタータ、偉い。お陰でおいら名案が浮かんだぞ。みんなでガラシュリッヒ・シュロスに行こう。シャンタンに匿ってもらうんだ。どうだっ、名案だべ。ジゴロも使い様だろ」
「ああ、其れ良いね。良いね百万回。ラルポア、ガラシュリッヒ・シュロスに行こう」
ラナンタータの頬がひくひく痙攣している。
「警察が先だよね」
「いや、もしかしたら警察よりもシャンタンの方が使えるかも。イサドラの関係者をマフィアに取り囲ませる」
「名案、名案」
ラナンタータは単純に喜んだ。いつかシャンタンに教えてあげたいと思っていたことがある。
『カナンデラはシャンタンのこと遊びじゃないんだって……』
殺されるかも知れない場面でも貞操を守るんだよね、ジゴロ探偵カナンデラは。その前に、あの殺人鬼のイサドラがアホのカナンデラとエッチな関係なんて、イサドラの方で望まないと思うけど……
鼻水が垂れた。
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