第32話 拉致監禁強姦未遂事件
遡ること五年前の十一月。みぞれ混じりの雪の朝。
カナンデラ二十二歳は怖いもの知らずの刑事だった。組んだ相手はブルンチャス。いぶし銀のように地味だが味のある温和な性格と、町中歩き回り靴底を減らす地道な捜査には定評がある。
「カナンデラ、遅刻だぞ。グァルヴファイレスに行く。ガサ入れだ」
グァルヴファイレスは麻薬の凌ぎで組を大きくした売人組織だ。其の証拠と証人が揃って、事務所に組員が揃う時間を見計らってのガサ入れ決行予定だった。
「ぇ……グァルヴファイレスなら潰して来ました」
カナンデラは軽く笑った。息が白い。
「はあぁ……お前、何言ってんの。相手はガラシュリッヒの傘下だぞ。潰したって、何やったんだ」
「通りかかったついでに……いや、えっと……相手は同じガラシュリッヒ傘下のジョスリン組と問題起こしてて、グァルヴファイレス組の手下十八名、強姦未遂、職務妨害乱闘だから……しょっぴいて」
「ちょっと待てぇ。グァルヴファイレスが、ジョスリン組と何をやってたって……」
カナンデラの自宅はグァルヴファイレス事務所からさほど離れいない。
華燭の魔城ガラシュリッヒ・シュロスを中心に此の地域全体を放射線状に八分割した傘下組織の力関係は、時として摩擦を起こし統一ファミリーに亀裂をもたらす。グァルヴファイレスは父親の代門を継いだジョスリンを狙って吸収合併に動き、ジョスリンはガラシュリッヒ前会長に身を差し出す処だった。
カナンデラは出勤前にグァルヴファイレスの事務所の前をわざわざ迂回して通った。
「事務所の前にジョスリン組の車が来て、撃ち合いになる処だったんですが、まあ、其れは困ると、ちょっと待ってもらって踏み込んだんですよ。えっと、ドアは開けてもらっちゃったけど……」
自動小銃で鍵を壊させ、中に踏み込んだのだ。
「ホールドアップ。警察だ……って言って、逮捕して来ました。容疑は、ジョスリン拉致監禁強姦未遂、其れから職務妨害で乱闘……かなぁ」
「お前……相手は五十人はいるはずだ」
「十八名しかいませんでしたよ」
「十八人と乱闘か……五十人いたらどうするつもりだったんだ」
ブルンチャスは目頭を押さえた。
「実は……親父っさんにだけ打ち明けると、グァルヴファイレスのドンを先に逮捕しておいたんです。事務所に行く前にちょっと……」
「何がちょっとだ。どうやった」
「親父さん、おいら、尋問されているみたいな気分」
「してんだよ、尋問。お前は勝手に動いてばかりだからな」
心配しすぎて心臓に悪い。温和なブルンチャスがこめかみに青筋をたてて睨む。
「いや、ちょっとね、車に一緒に乗り込んで、えっと其れは拳銃使いました。こう、突きつけて……」
脇腹に指を突きつける。ブルンチャスは思わずホールドアップのポーズを取った。
「お前、其れは犯罪だぞ。懲戒免職か減俸ものだ」
「懲戒免職ならいいけど減俸は嫌だな……」
指を納める。ブルンチャスも両腕を下ろした。
「カナンデラ……お前といると命がいくつあっても足りない」
ため息が漏れた。
「其れで、ドンは監禁してあります」
「はあぁ……カナンデラああああ」
ブルンチャスの怒声が刑事部屋全体に轟く。
カナンデラは両耳を押さえた顔でムンクの叫びを再現する。
ラナンタータは十四才になり、女子ハイスクール八年生に編入して毎朝ラルポアのイスパノスイザで登校する。半数の生徒が地域外からの子で寄宿舎に入っている。半数の生徒はラナンタータのように車で通う。ショーファーが美形男子ラルポアだったことは、ラナンタータにとって幸運だった。
「アンナベラ、お早う」
「ラナンタータ、これ、預かって。頼まれたの」
アンナベラは可愛い封筒をラナンタータの手に押し付けた。
ラルポアに学校中の女子から手紙が集まる。ラルポアは「僕はしがないショーファーです。お嬢様とはとてもお付き合いできません。ラナンタータと仲良くしてください」と、毎週幾つかの手紙に返事を書く。
アンナベラは金満家の娘で、刺繍やピアノ、マフィンを作ること、フランス語とワルツの授業に才能を発揮した。
「ラナンタータ、其の虹羽根、可愛い」
「そう。あげるよ、アンナベラ。校門の前で子供たちが売っているから、私はまた買える」
学園中に虹羽根が流行り、黒マントの子も増えた。グァルヴファイレスとしては、ドンとの交換条件の人質としてラナンタータを拐うのは難しい。学園は、部外者の出入りが出来ないように建物の分厚いドアを閉めて、生徒を徹底して守る。グァルヴファイレスは下校を狙ってきた。
「ラナンタータ。尾行されている。フォード3台だ。僕は拳銃を持っていない」
「ヴァルラケラピスかな……」
「大丈夫だよ。僕の後ろにいて」
「嫌だ。助手席に移る」
走る車の中で座席を跨ぐ。
イスパノスイザのアルフォンソ13世はスピードレースで一位を取ったことのある優秀な車だ。世界初のスポーツカーと謳われ、伊達に高級な訳ではない。
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