第10話 デリンジャーじゃなくて良かった


マフィアから巻き上げたカシミヤのマフラーで男っぷりをカスタマイズしたカナンデラが、煌々と電気ランプの灯るきらびやかな廊下を、意気揚々と帰る。


ドアの外で待機していた側近の前でわざとカシミヤを巻き直す。


「会長からの直々のプレゼントだ。嬉しいなぁ」



シャンタンには耳に口をつけて

『女は恐ろしい生き物なんだぞ。一度関係を持ったら墓場までついていくんだからな』

と甘ぁぁく教えておいた。



口笛を吹く。


涙ぐんじゃって、可愛い。さすが18才、お肌スベスベ。もうちょっといたぶりたかったなぁ……

でもねでもね、オシゴトで来たのだからクライアントの為に早く戻らなければ……何せクライアントはあの殺人鬼サディだからな。ラナンタータ、生きているかな。ラルポア、生きていろよ。シャンタン坊やからのプレゼントを見せびらかしてやるからな。はっはぁ……



カナンデラが魔城を出る際に、玄関口の黒服が2人カナンデラに会釈した。



「此れ、見覚えあるだろぉ。シャンタン会長から直々のプレゼントだぞぉ」



マフラーの縁をひらひら振ってみせる。黒服が尊敬の眼差しになるのを見て取ってどや顔のカナンデラだ。



「はっはっはぁ……またな」



そのまま表に出ると走って来た男とぶつかった。



「済まない、急いでいるんだ。会長に会わせてくれ。妹が……妹が殺された」



男は震えてカナンデラにしがみついた。



「此の先のデルタン通りのアパルトマンで、妹が……」


「誰に殺られた」


「足を引き摺る男とすれ違った。あの男に違いない」


「武器はなんだ。ナイフか銃か」


「首を折られていた……」


「怪力だな。わかった。シャンタン会長に会わせてやれ」



カナンデラは若頭にでもなったかのようにシャンタンの手下に顎をしゃくった。




アントローサ警部は余りの悲惨な状況に目を反らした。


頭を割られた男は、時間をかけて殺されたと見えた。切り離された手足の爪は全て剥がされて血に染まっていた。生きていながらにして皮膚を削ぎとられ、筋肉の見本となっている。


部屋を転がしたのか、血は床板の端まで黒く染めて、元の床の色を止めていない。其のことに、部屋に入って初めて靴底に付着する粘着質の感覚で気づく。被害者の血に染まった床板を踏まなければ調査もできない。血の海と云うのは此の部屋のことだと、捜査員全員が旋律した。


急遽、履く為の紙袋が用意された。


本来ならビニール袋がほしい処だが、レジ袋などを生成するポリエチレンに繋がる素材が偶然発見されたのが1933年、其れに遡る6年前の1927年にビニール袋があれば其れは立派なオーパーツと言える。


オーパーツの手に入らないアントローサ警部は、紙袋をブーツのように履いて部屋に入ったが、血糊の水分を吸って紙袋は破ける。不快この上ない現場検証になった。


娼婦の連続殺人事件を追って辿り着いた部屋だった。娼婦はデルタン通りの川沿いで布袋に入れられていた。胸部を鋸で切り取られている。死体には心臓と子宮がなかった。其の娼婦の部屋が此の通りだ。


娼婦は独り者だった。此の皮膚のない男は誰だ。顔は切り刻まれて判別がつかない。



「伯父さん。アントローサ警部。凄いなぁ、此れは。鉄錆びの匂いが半端ない」


血液に含まれる鉄分の匂いだ。シャワーを掛けたように部屋中に染み付いている。


カナンデラ・ザカリーが何時ものように粋な姿で現れた。シャンゼリゼが似合いそうなファッションセンスで血糊の貼り付いた床に踏み込む処だ。



「待て、カナンデラ」



思わず飼い犬に命令するように言った。



「ワン、ワン」



カナンデラがすかさず応える。



「此の床は血糊だ。踏み込むと靴底に付くぞ」


「ワオオオン」


「お前、犬みたいに鼻が良いな。もう事件を嗅ぎ付けたのか」


「いや、別の部屋の事件を……伯父さん、まだ知らない。あ、それなら伯父さんもご同行願えますかね。このアパートだって言うものですからね」


「何の事件だ。こそ泥や行方不明なら」


「コロシですよ、旦那。コ・ロ・シ……」


「カナンデラ、何処の部屋だ。案内しろ。誰か、付いて来い」



一歩踏み出した刹那、アントローサ警部の足元でバリバリと音をたてた紙袋は完全に崩壊した。



「警部、今、タオルをお持ちします」



何処から調達したのかタオルを床に敷く捜査員。其のタオルを踏んで靴底の血糊を拭き取れという意味らしい。


アントローサ警部はタオルの上で不器用なダンスを踊り、タオルは血糊で赤黒く染まってぐちゃぐちゃになった。



「さぁ、行こう」


「ワン、ワン。ご主人様と一緒で嬉しいなぁ」


「嘘をつけ。其れなら何で警察を辞めた」


「いやぁ、朝起きられなくて……」


「お前がか……嘘ならもっと高級な嘘を聞いてみたいものだ。月旅行に行く為だとかアラブの王族と結婚するとか……」


「ははは……ヒエラルキーの違いかなぁ」


「嘘をつくのにヒエラルキーが関係するのか」




血の靴跡を見ながら警部が独り言ちる。



「犯人は靴跡を残さずどうやって此の現場から逃げた……」


「簡単ですよ、伯父さん。予め他の靴を用意していたはずです。返り血を浴びて衣服も着替えなければならないはずですからね」


「成る程、計画的犯行と言うのだな。ではあの残忍さは」


「復讐かなぁ。彼処まで時間をかけて人間を壊せるなら相当な恨みか、あとは狂人の仕業……ぁ……」


「どうした。何か思い当たることが」


「いやぁ、クライアントが待っていることをすっかり忘れてて、あはは……ヤバいな。ラナンタータが上手く持て成してくれてたら良いんだけど」


「あの子は無理だ。人間を化け物だと思っている。持て成しならラルポアが上手い。心配するな」


「此の部屋だ。失礼しますよ」



ドアの隙間から中を覗く。殺風景過ぎるほど家具のない部屋で、別段異常は見られない。カナンデラはドアを開いた。



「伯父さん、あれは……」



奥の部屋に足が見えた。生活感に押し潰されそうな古びたキッチンに、不似合いの、若い女が倒れている。首が折られていることは、身体の向きに対する異常な角度から一目でわかる。あり得ない姿だった。



此れが家族なら俺でもへなへな崩れる処だ……

あの男の魂消る様子が目に浮かぶぜ。

しかし、惜しい美女だ。



カナンデラはアントローサ警部の指示待ちだ。部外者が勝手に触るなと言われることは必定だ。


アントローサ警部は付いて来た若い捜査員に、人を呼べと言った。自身は隣室をノックする。聞き込み開始だ。


カナンデラは向かい側の部屋をノックした。






ラナンタータはイサドラにコートを脱いだらどうかと言い、イサドラは睡眠不足で寒気がすると断り、ラルポアはお茶のお代わりを勧めた。



「昨日出てきたばかりだから、大した服を持ってなくて、薄着なの。友人も裕福な暮らしはしていないから、このコートくらいなものよ」



イサドラは、未払い分の給料を待っている。お金が入ればホテルに泊まるつもりだが、目立ってはいけない。天才ダンサーとしてだけでなく精神異常の殺人鬼としても名を馳せてしまった街だ。



「カナンデラさん、遅いわね」



イサドラの顔に険はない。寧ろ楽しげですらある。イサドラは此の街でやるべきことを思うと、どうしても心が華やぐ。



「まあ、明日も生きていたければあんたの給料で飲み歩いたりしないはずだ」


「ふふふ。私の給料って雀の涙くらいなものよ。探偵さんの飲み代になるかしら」







カナンデラは頼まれてもいない殺人事件に首を突っ込んで、ラナンタータの父親アントローサ警部に恩義を売るつもりでいる。



向かいの部屋の住人は眼鏡を掛けたスレンダーな若いお針子、同居の弟はレストランの厨房見習いと言った。



「其の部屋は夜仕事の方で、女性はたしかコリーン、男性はポールと……たまに羽根売りを見ました」



殺人事件と聞いて震え上がった女性は、眼鏡の縁を指先で上げて廊下の左右を確認した。警察の姿を見て、目の前のカナンデラを刑事だと勘違いしたらしく、すらすら答える。



「羽根売りって」


「あの色とりどりの羽根のブローチです。虹羽根とか、貧しい子供たちに愛の手を……と言って街角で寄付を乞う……」


「コリーンは子持ちなのか」


「さぁ、よくわかりません。弟が帰る前に食事を作らなければならないので、もう良いですか」


「もうひとつ、弟さんのレストランは何処」


「ボナペティです。ケインズ・ファミーユの一階のボナペティというレストランです」


「有り難う」


「弟が何か……」


「いや、このアパルトマンの住人全てを調べる必要があるだけです」







帰って来るなり「みんなでボナペティに行こう」とカナンデラは言った。出掛ける時にはしていなかった品の良いマフラーを首から垂らしている。


ラナンタータとラルポアの非難バリバリの視線に刺された。



「ああ、そうそう。イサドラ・ナリスさんの給料から先に」



カナンデラは異様に膨らんだ懐から大判の封筒を出した。シャンタンが札束を鷲掴みにして無造作に入れたものだが、どう見ても普通のダンサーの給料分以上の金額だ。其れを出しても、カナンデラの懐はまだ膨らんでいる。



「あら、有り難うございます。シャンタン会長は何か仰っていましたか」


「高給取りだったんだな、あんた。本来なら劇場の評判が傷つけられたのだから慰謝料請求したいところだが、シャンタン会長のお慈悲で給料の他にも当面の暮らし向きに困らない額をくれると……俺様に頼んで良かっただろう」


「ええ、ガキの使いじゃありませんね。私でしたらそうはいかなかったでしょうね」



イサドラはシャンタンを殺してでもオフィスの金庫から金塊や現金を掻っ払う予定だった。銃もほしい。シャンタンはカナンデラにセクハラを受けて悔し涙に咽んだが、大局を見ると命拾いしたのだ。神は奥深い方だとか言うが……




ドアに鍵を掛けて直ぐに抱き締めた。


『今日はゼニを貰いに来ただけなのにやっぱりお前が可愛いくて、ああ、もうたまんね』


とシャンタンの抵抗力を奪いつつ舌を噛まれないように頬を掴みつつのセクハラのあれこれ。


『俺様も反省してるよ、シャンタン。お前まだ18才だからこれ以上は犯罪だもんな。しかもお前は闇社会の帝王なんだから、俺様にセクハラされても裁判所に泣きを入れるなんて面子丸潰れ劇場出演なんかできないもんなぁ……同情するよ』


シャンタンは叫ぶに叫べずソファーに押し倒された格好で舌を絡ませられて首を噛まれぼろぼろにされた。キスマークが胸の辺りまで幾つもついた。


おまけにカナンデラは衣服を着たまま勃起したものを押し付けてグリグリ擦り上げ、シャンタン坊やの其れを見事に勃起させたのだ。


『止めろおおおおおおお』


両手首を掴まれて抵抗できず、上擦って掠れた声がソファーの上で漏れたが、主にシャンタンの喉辺りで消えた。


シャンタンは涙ぐみながら『あっ、あっ』と嗚咽とも喘ぎとも取れる声を発し続けて衣服の中で果てた。


『可愛い。此れね、シャンタン専用電気アンマって言うの。いつでもやってあげる。今、お代わりするか』


『止めろ、止めろおおおおおおお』


『わかったよ。そんなに照れなくても、機会はまたあるし。処でさぁ、シャンタン。イサドラ・ダンカンの偽物が今、うちに来ているんだけどね……シャンタン、お前、やっぱり可愛い……此のカシミヤ、良いなぁ。モーブ好きなんだ、お前の次に。なぁ、シャンタン、此れね、俺にくれない』




思い出してカナンデラは浮き浮きと気分が乗ってきた。可愛いシャンタンの勃起した銃が結構な代物で『俺様のイチモツも、デリンジャーじゃなくて良かったぜ』と胸を撫で下ろして黒い笑いを止められない。巻き上げたカシミヤをフリフリする。




「な、みんなで行こう。ボナペティ。旨いって評判聞いたことない、あ、そ。マドモアゼル・ナリスから、ほら、こんなに謝礼を頂いたのに……」





その頃、シャンタンのオフィスではガウンに着替えたシャンタンが鏡の前でキスマークを数えていた。


水を弾いた若い肌にピンク色の花びらが散っている。目眩を感じた。


「あの野郎、ふざけやがって。此の俺様は此の街のドンだぞおおおお。闇の帝王の怒りに触れるとどうなるか、思い知らせてやる」


キスマークの数を越える銃弾が、日本円で200万を越える絵画に撃ち込まれた。既に5発の穴が空いていたが、更に撃ち込まれて見る影もない。それでもまだ気が済まないのか、サイレンサーつきのスミス&ウエッソン22口径リボルバーが、わなわなと震える。シャンタンは充填済みのリボルバーに手を伸ばす。其の足元には空になった数丁のリボルバーが転がっていた。



「カナンデラ・ザカリーめ。口が良いか、穴が良いか。いつかこいつでお前を……」



シャンタンはふっと勃起しているモノに気づいた。



「ううっ、うわあああああ。糞おおおお、止めろおおおおおおお」



シャンタンのリボルバーが火を吹く。200万の絵画がカタンと落ちて、壁に無数の焦げ穴が残った。



「はぁ、はぁ、カナンデラ・ザカリーめ。よくも此の俺様をイカせやがったな。糞おおおおお。覚えていろおおおおお」





「ね、ラナンタータ、ラルポア。あ、イサドラさん、一緒にどう、ボナペティ」


「私は遠慮しておきます。ほとんど寝てないし、薄着で寒気がするの。ボナペティはムール貝が美味しかったわ。トリュフを練り込んだ数種類のデザートは迷いますよ」



イサドラ・ナリスは立ち上がった。ラナンタータはイサドラに近づいて片方の頬を痙攣させた。笑ったつもりだ。



「私はスイーツを食べに行く。あなたは、此れから何処に」


「友人の具合が悪いので、食料品を買いに。お世話になりました。」



歩き出すイサドラにラルポアが挨拶した。



「オールボワール、マドモアゼル・ナリス」



ラルポアはイサドラに敬意を払ったつもりでフランス語でさよならと言った。

イサドラは軽く振り向いて複雑な笑みを見る。



「オールボワール……あなたはとても優しい素敵な方ね。オールボワール……そうね、マドモアゼル・アントローサ。あなたにはまた会いそうな気がするわ。だからアデューは言わない。オールボワール……」



アデューとはフランス語で永遠の別れを示す。オールボワールは日常的なさよならの意味で使う。


歌うようにオールボワールと口遊むと、イサドラ・ナリスは頭から巻いたストールの胸元を押さえてドアに向かった。カナンデラから受け取った封筒で膨らんだハンドバッグをしっかり抱えて。



「階下までお送りしますよ、マドモアゼル」



お調子者のカナンデラ・ザカリーが真面目な顔で言った。ドアを出る。



「私、その言い方は嫌いなの」


「マム、お送りします」



カナンデラはにっこり笑った。階段を先に降りる。



「出来ればあなたにはアデューと言いたい」


「正直ね。あなた、シャンタン会長のマフラーが良く似合うわ」








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