第7話 殺人犯登場

イクタ・シンタは頭を振って歩き出した。


多分、聞き間違えだ。今日は結婚式だ。銃声だなんて、縁起でもない。

縁起って、俺はやっぱり日本人だな。もう10年以上も故郷に戻ったことはないのに……

彼女を連れて帰ることができていたなら……

できていたならあんなことには……



ぉ…セホッポ……何を急いで……何処へ行くのだろう。俺に気づかないなんて……まあ、暗いから。

いや、月明かりは素晴らしいくらいだ。夜間の昼みたいに明るい。

銃声……だったのかな、やっぱり……

何処へ行くのか、其の方向はザカリー家……フォレステン家……


ザカリー家にはアルブレヒト・デューラーの水彩画が数点保管されている。見せてもらったが、世界の目の前に展示するべきだ。個人所有はややもすると名画を埋もれさせる。


フォレステン家は……奥さんの不倫があんな殺人事件にまで発展したかと……


ああ、ザカリー家の明かりが見える。全ての窓に明かりを点して結婚を祝う気持ちを表しているのか……


アリカネラ・ザカリー夫人は人種差別をしない。俺はもう長いこと此の村にいてザカリー夫人と顔馴染みだからか、裏表のない人柄はよく知っている。嫌われ者のメリーネ・デナリー未亡人とも仲が良い。


ただ……つんぼ桟敷か、あの人の耳には村の出来事は届かないらしい。俺がザカリー家の使用人と連絡を取り合うこともある。ギルドの女王のはずなのに……


アパルトメント建設計画もつい最近まで知らなかったようだ。バイオリンの集いに参加して音楽を楽しむついでに、世間話でもしそうなものなのに。


うちの女主人と何かあるのか……ファイアッテン未亡人は若いけれどやり手の実業家だ。年輩のザカリー夫人との間に確執めいたものがあるとしたら……


どうした……


新郎新婦とセホッポ、後はよそ者の……


「カナンデラ兄貴、うちの周りは僕たちが。行こう、アンナベラ」


カナンデラ・ザカリーと


「ラルポア、俺たちはフォレステン家の周りを巡ってみよう」


ラルポア……ラルポア・ミジェールか……まさかな……


「イクタ・シンタ。俺たちはフォレステン家の古い納屋の処に行ってみよう」


「納屋……何をしに」


「知らないのか。ラナンタータがいなくなった。雨宿りしたとき、少し話しただろう、アルビノの美少女。あの子が行方不明だ。銃声が2発聞こえた。くじ引きの途中なのに、てんやわんやだ」


いなくなった……アルビノのあの女の子が……ラナンタータ……ラナンと同じアルビノの女の子……硝子細工のようなドレスが似合っていた。雨で絵の具が流れて……ラナンと同じようなことをするのだなと思った。あの子が……


まさか……納屋で……ラナンのように……


足が……足が動かない。震える。

ラナン……助けられなくて……ラナン、助けられなかった。僕は……ラナン……君を日本に連れ帰るべきだった。

殺されるくらいなら、あの時……どんなに貧しくてもどんなに苦労をかけるとしても、日本に連れ帰って……


「どうした、イクタ・シンタ。顔色が悪いぞ」


「大丈夫だ。セホッポ、嫌なことを思い出しただけだ」


「ラナンのことか……もしかして、イクタ・シンタ……あんたがラナンを殺したのか……」


「何でそうなる。俺たちは愛し合っていたのだ。結婚の約束までしていた。ラナンがあんなことになって俺はずっと苦しんで来たんだ。犯人を見つけ出して必ず復讐すると誓って生きてきた。其の俺をお前は犯人だと言うのか。お前こそどうなんだ。お前たち兄弟が此の村に来たのとほとんど同時期に事件は起きた。お前こそ怪しい」


震える。怒りが腹の底から沸き上がって押さえられそうもない。こいつが犯人だとしたら許せん。いつもの笑顔は裏の顔を隠す偽りの笑顔だったのか。お前の笑顔に癒されていた自分が腹立たしい。


「待ってくれ、兄貴。俺たちはラナンとは親戚だ。メリーネ叔母さんは俺たちの父親の妹だ。俺たちはラナンとは従兄弟だ」


「従兄弟……」


確かに、メリーネ・デナリー未亡人は此の村の出ではない。見かけはどこも変わらない白人だけど、村人同士に通じる何かがないのだろう。共通の訛りとか、風習とか……其れで嫌われていたのか。


ならば、アリカネラ・ザカリー夫人も同じだ。ザカリー夫人もよそ者だ。だから、村人とのコミュニケーションが#捗__はかど__#らない訳か。


「行こう、急ごう。納屋へ行ってみよう」


「おおおい、おおおい、其処に誰かいるかあ」


カナンデラ・ザカリーだ。セホッポが走り出した。若いから動きが早い。もうずっと前を走っている。



辿り着いたら衝撃の場面が空気ごと貼り付いている。

ラルポアは青ざめて、血に塗れたメリーネを抱き抱えている。メリーネは側頭部を銃で撃たれているが意識はある。メリーネの玄関先に倒れているのは深緑色のオリエンタル調の衣装。ヨルデラだ。頭を叩き潰されている。


「医者は、此の村に医者はいるか」


ラルポア…ミジェール。やっぱり……


「早くから酔っぱらって家で寝ている。普段から役に立たない医者だが、呼んでくる」


セホッポが走った。早い。俊敏な動きだ。

俺は息を切らしてメリーネ・デナリー未亡人とヨルデラ・スワンセンを見た。


「デナリーさん、しっかりしてください。何があったんですか」


メリーネ・デナリーが僕を見る。気を失いそうな目付きだ。涙が滲んでいる。顔の半分は血に塗れて痛みに顔が歪む。そんな感じで痛々しい。


ヨルデラ・スワンセンの顔には見覚えがある。ムーラン・ルージュに出演したこともある素晴らしい経歴の歌手……其の濃い化粧を落としたら思い出せるかもしれない。いや、既に思い出したが……名前が思い出せない。


「此の女がいきなり発砲して……何がなんだか……私は其処らの物で殴り倒したのよ。ううっ……」


「わかりました。もう、口を開かないで」


「ラルポア・ミジェール……」


「は……何故、僕の名前を……」


「あなたはフランスにいる美術留学生の日本人にとって、ヨーロッパの大きな壁のような存在でした。ラルポア・ミジェール」


そうだ。ラルポア・ミジェール。16才でフランス・アーバン協会のアーバン・ラ・メールの公募展に入選。油彩の世界は裾野が広く奥が深い。特にフランスは世界中から芸術家の集まるメッカだ。其の中で天才が出現した。ラルポア・ミジェール。何故、絵筆を取らないのか。


「あなたは……」


「日本人のイクタ・シンタです。私は故郷に錦を飾りたかった。こんな場面でまさかあなたに会えるとは……」


「日本人……素晴らしい。お会いできて嬉しい」


握手を求められたよ。

人種差別はしないんだ。


「何を握手してるんだ。おお、チャイニーズか。俺はカナンデラ・ザカリーだ」


握手……俺の右手は今ラルポア・ミジェールに差し出すつもりだが……

カナンデラはにこやかな顔で手を差しのべている。仕方ない。左手、出してみる。

しかも腕をクロスした状態になったが……

ブンブン振られた。カナンデラ・ザカリーに。ラルポアは苦笑しながら軽く握手する。


「よろしくな、チャイニーズ。青い絵皿がナイスだ」


「俺は日本人だ。イクタ・シンタという。昔は絵をやっていたが、今はファイアッテン未亡人の納屋暮らしだ」


「おお、フランスは今、ウキヨエ狂いだ。イクタ・シンタ・ウタマロ・ホクサイ。ウキヨエを描けば売れるさ。おっ、馬が来た」


「医者だ」




ハウンゼント・ザカリーの館周辺を、後から加わった村人と手分けして見回った。何の異常もないとわかったからには手を広げてファイアッテン未亡人の通りも調べる

べきだと話し合っているうちに、メリーネ・デナリーの家で殺人事件が起きたと知らせる者がいた。


銃声が2度も続き、くじ引きダンスは中途半端に終わった。広場から一番近い家が犯行現場だとは知らずに、村人たちはくじ引きダンスの興奮の中、暫くは何が起きたのか分からないでいた。殺人事件があったと知って、村人たちは驚いた。くじ引きダンスを踊っているわけにはいかない。それで、黎明祭は明日に繰越そうとの打診を持って来たのだ。


「アンナベラ、死体は見ない方が良い。君の従姉が殺されるなんて、どうしてだかまだわからないけれど、ラナンタータは必ず探し出す。母と待っていてくれるね」


「私も行くわ。ドレスを着替えるから待って」


「アンナベラ、花嫁のドレスは新郎が脱がせる風習だよ。母も気分が優れないと言っているから、一緒に待っていてくれ」


ハグしてフレンチキスを交わして離れた。


「お義母様、ラナンタータをご存知ではありませんよね」


「アルビノのラナンと同じアルビノのラナンタータのことね。カナンデラが少しだけ話してくれたけど、ほんの少しよ」


「行方不明なんです。もうずっと探しているんですけど……」


「まあ、其れなら納屋を……先ずはフォレステン家の納屋を……彼処はもう使っていない古い納屋で、ラナンが其所で……もしかしたら、フォレステン家の人々が亡くなった理由は……」


「何か思い当たることが」


「いいえ、何か繋がりがあるのかもしれないと思っただけ。其れよりもあなたの従姉さんは何故……」


「私もわかりません。ほとんど付き合いがなかった親戚なのですが、こんなことになってどうしたら良いのか……ヨルデラ・スワンセンというのはステージ・ネームなんです。本名はターニャ……」





「納屋だ。此の村のアルビノが殺された現場……フォレステン家の古い納屋。其処にラナンタータがいる」


「取り敢えず行こう」


カナンデラ・ザカリーとラルポア・ミジェールを伴ってメリーネ・デナリーの家から出た。


医者は「此の怪我は止血と化膿止めと痛み止めだ」と言った。セホッポと医者と集まって来た村人に任せて、おけば良い。


ラナンタータを探さなければ……殺される前に……


「待て」


カナンデラが制止する。何故……




ラナンタータは悔し紛れに悪態をついたが、猿ぐつわで言葉としては理解不能な音を漏らすばかりだ。


「大人しくしたら面白い話をしてやるぞ。昔、此の村で起きた殺人事件の真相だ。


俺はザカリー家の相続人だ。隣村で生まれた。俺が子供の頃は父親がたまにプレゼントを持ってやって来た。大好きだったよ。

ところが、森の小道で父親が他の男と争う姿を見た。其の男はフォレステンだ。フォレステンは逃亡した。


俺は此の村が憎かった。此の村のアルビノを殺した。金になると思ったんだ。しかし、カルト教団は死肉は食わないと、取り合わなかった。


運命とは不思議なものだ。逃亡先のフランスで俺はフォレステンと出会い、フォレステンは富くじに当たったからブガッテイに乗って堂々と帰れると言った。

一緒に此の村に来た。俺が殺したアルビノの母親やザカリー家が気になって、村を一巡りする為にフォレステン家から離れたら、フォレステンのやつは殺されていた。既に死んでいた。俺はフォレステンの金を探したが、フォレステンのやつは車に注ぎ込んで大した金は持っていなかった。


俺は幼なじみのターニャを連れてブガッテイに乗って村を出た。途中、フォレステンの爺に見られたから、轢き殺して……


ターニャがファイアッテン未亡人の家で女中をしていることは知っていた。従妹の家は金満家で寄宿舎学園で優雅にお勉強なのにあたしは朝から晩まで小突き回されるように働いていると言って、付いてきた。ターニャ……さっき、お前がヨルデラ・スワンセンだと信じていた女の本名さ。お前……生意気な目をしている」



男は再び皮ベルトを振り上げた。



「其処までだ。手をあげろ」



ドアを足蹴にしてカナンデラ・ザカリーが現れた。ピストルを手に納屋へ入る。照準を男の額にぴたりと合わせてラナンタータに近寄った。


後ろからイクタ・シンタが素早くラナンタータに駆け寄る。ラナンタータの後ろ手に縛られた縄を解きにかかった。



「どうして此処がわかった」



其の質問にカナンデラは語気を強めて答える。



「オ・マ・エ・は馬鹿か。此処はアルビノ殺害事件の現場じゃないか。持ち主のいない納屋は此処だけだ。ナーニヤは死んだっ」



「ナーニヤ……」


男の目が泳ぐ。記憶をまさぐる目付きだ。



イクタ・シンタが言い直す。


「ターニャだよ。ターニャ。ファイアッテン未亡人の女中のターニャだ」


「そ、そうだ、ターニャだ。ターニャは死んだ」



余りのポカにラナンタータが思わず失笑する。人の死に関してあまりにも不謹慎だ、慎めと自制を働かそうと勤めたが、カナンデラの言い違いはラナンタータの腹筋を崩壊させた。


縄から解かれたラナンタータは男の足に蹴りを入れた。刺繍の美しい民族衣装が月明かりの納屋でふわりと舞う。戦争で遣られたと言った足はどの足か検討はついている。


ラナンタータは殺されたラナンの民族衣装で男の足を蹴り、

「殺されたアルビノの無念はこんなものじゃない」

と吐き捨てた。



「ラナンタータ、生きてて良かったぁ」



カナンデラが腕を開いてハグの体勢になる。



ラナンタータはひょいとかわして

「遅いよ、カナンデラ。私はこいつに何度も遣られたんだからな」

と睨んだ。



「や、ヤられた……げっ……マジか」


「マジ、何度も鞭打たれた。あの皮ベルトは相当痛い。カナンデラァ、恨んでやる」


「へ、何で。おらぁ助けたじゃないかに」


「もっと早く来おおおおおおおおい」


ラナンタータの叫び声が夜気に木霊する。



車の音が近づく。ラナンタータは納屋を飛び出した。

イスパノ・スイザのアルフォンソ13世が静かに停まった。月明かりの下で茶と金色の混じった甘い髪色のイケメンが微笑む。



「ラルポア、ナイス・タイミング」


「ラナンタータ、綺麗だよ。民族衣装も良く似合うね」


「折角助けたのに何で俺ぁ辛く当たられなくちゃいけないんだ。ラルポア、お前がボディ・ガードだろう。其のイケメン面ぁ何か癪に障る」



カナンデラの目には、月明かりさえもラルポアに味方しているように見える。


車に乗り込むラナンタータ。ラナンタータを縛り付けていた縄で男を柱に括った。



「さぁ、警察に連絡だ」


「カナンデラ亀さん、遅いと置いてくよ」



ラナンタータがカナンデラに毒を吐く。犯人に鞭打たれたことがよほど悔しいのか、助けに来たカナンデラをさえも親の仇のように睨みながら

「まだ事件は終わっていない」

と呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る