線路上

ぐすたふ

線路上

 

 春先の暖かい午後だった。僕は買い物に出かけるために、線路沿いの道を駅に向かって歩いていた。漆喰塗りの住宅が並ぶ、のどかな小道である。駅に着いたら、駅前の総合スーパーでペンやノートを買うつもりだった。どれも新学期が始まって、新しく必要になったものだ。

 僕は小川に架かった小さな橋から、川沿いの鮮やかな緑を見下ろした。澄んだ水の下には、岩の間にたっぷり苔生した川底が見える。もう盛りは過ぎてしまったが、まだいくらか桜も咲いていた。ソメイヨシノだろうか。都会育ちの僕に詳しい品種は分からなかった。図鑑や教科書を使っていくら知識だけを蓄えたところで、自己の生命や生活に結び付いた知恵とはなりえない。自然に親しんで育ってきた祖父や友人が「これは何々の木だね」などと言っているのを聞くたびに、僕は憧憬の念を抱かずにはいられなかった。自らの手足の先のように自然と親しむ彼らが、僕には羨ましくて堪らなかったのだ。

 脇の線路を、梅田行の特急が通過した。この辺りは線形が良いので、列車は時速百キロを超える速度で、勢いよく駆け抜けていく。歯切れの良い車輪の音が爽快だった。列車が行ってしまうと、春の匂いを乗せた生暖かい風が一気に流れてきた。揺られた桜の木から、残り少なくなった花弁が散って、川面へ零れ落ちる。

 ――警笛。ゼリーのような春の空気が、びりびりと震えた。駅の方から聞こえてきたのは、先の特急が鳴らしたらしい大警笛だった。


 十分ほどの後、僕が駅の西側に差しかかると、異様な光景が広がっていた。踏切の上に、何台もの自転車が止められている。何事かと思って近付いてみると、自転車を押していたはずの人々が立ち止まっているのだと分かった。もちろんこれは危険な行為だ。いつ列車が来るやもしれぬ踏切の上で、人々は一体何をしているのだろうか。

 救急車のサイレンが聞こえだし、人々がざわめいた。踏切に列車が来るか否かという心配は不要だった。二百メートルほど先、駅構内の線路上を、駅員が盛んに行き来している。その向こうに、警官、チリの様な布きれ、ブルーシート、特急列車。

 何が起きたのかは、すぐに分かった。駅員が頼りなさそうに線路を歩いている一方、警官たちは手慣れた様子で、ホームに片手をついて軽やかに線路へ降り立ち、事もなげに何やかやと調べていた。

 あの向こうで、人がどうにかなっているのかと思うと、寸時ぞっとした。が、そんな生々しい光景の、既に青いベールに包まれてしまったらしいことがわかると、僕は途端に安堵してしまった。核心に触れずに済んでしまったことへの安堵と、汚い失望は、踏切の上にいる多くの人々の間で、無言の内に共有されているものらしかった。

 ずっと眺めていても仕方がない、しばらくしてそう思った僕は、駅前の総合スーパーに向かって歩き始めた。踏切にいた多くの人々も、同じように思って、それぞれ踏切を後にするのである。僕はスーパーに向かって駅前のロータリーを抜けながら、自責とも自己嫌悪ともつかない感情に、じりじりと歩を詰められた。僕は、あの異様な野次馬たちの一員だったのだ。生々しいのは僕らだった。人の生き死にをまるで娯楽にして、もっとも人間らしい連帯を生み出していたのだろう。


 一通りの買い物を終えた僕はスーパーを出た。駅前のロータリーに、先にサイレンを鳴らしていた救急車の姿はない。数台の警察車両が、バスの邪魔にならない場所に陣取っていた。一時の慌ただしい雰囲気はなかったが、駅の入り口で途方に暮れる人々を見る限り、事態の収拾は未だついていないらしいとすぐに分かった。ある人は電話口に向かって頻りに、電車が停まってるから、いつ動くかわからないから、と繰り返している。駅員は振替輸送の案内に追われていたが、他社線までバスを乗り継がなければ到達できないこの駅では、振替輸送も意味を成しているとは言い難かった。災難なことだ。改札口の掲示板は「人身事故の為運休、復旧の目途は立っていません」などと表示するばかりで、運行停止を示す赤色が、かれこれ数十分は路線図の上で点滅し続けていた。

 ホームで待つのを諦めた乗客が、一人、二人と改札から出てくる。それに混ざって、時折警官が、改札を越えて構内とロータリーの警察車両の間を往復していた。捜査のために必要な措置だが、切符も持たない人が改札を自由に行き来している様は妙だった。普段僕らが無意識に感じている「改札内」と「改札外」との境界が、いとも簡単に取っ払われてしまった。今この場所は、警官にしてみれば「駅」「現場」という一つの場所として存在している。そこに改札内外の別は存在しないのだ。僕はこういう光景に、僕らが普段信じている物事の意味のようなものについて、疑問を抱かずにはいられなかった。


 しばらくして駅員が改札前にスペースを確保し始めた。警察が通ります、道を空けてください、そう言って次には警官が出てきて「そこちょっと空けてくださいねー」などと、人波をかき分けて指揮をとっている。東奔西走の汗を滲ませる駅員たちに対して、警官の立ち振る舞いは手慣れたものだった。僕らにとっての非日常、非常が、彼ら警官にとっての日常だ。僕らには一種特別の事件が、彼らには数ある内の一つなのかもしれない。そう思わなければ、やっていけない仕事だろう。

 ホームの奥から、一団となった数人の警官が、何か荷物を載せて歩いてくる。

「担架通りまーす」

 彼ら警官が手にしているのは、確かに担架である。文字通りの、怪我人を寝かせて運ぶための担架であるのに違いなかったが、しかし便宜的にその名称を使用している、という感じが否めなかった。担架の上に載っていたのは、目が痛くなりそうなほどに、いたずらに明るい青色をしたブルーシートだった。要救助者は、シートの向こう側にいるらしい。周囲からは、ああ、駄目だったか、そんな声が漏れた。駅員はやっと一仕事終えたという感じで、担架を見送る見開いた目に疲れを浮かべる。警官たちは、自動改札機に担架をぶつけないようにと、器用に間を通り抜けて向かってきた。

 僕の目の前を通る――その時、担架の上のブルーシートが、ぐるりと揺れた。

 近くを持っていた警官が、シートを軽くおさえる。何事も無い所作だ。揺れては困るものが揺れたから、おさえる。当然の行為を無意識にやっているという感じだった。

 が、僕にはその揺れが、確かな重みをもった、確かな軸をもった、ぐるりというその揺れが、命の証明に思われてならなかった。そこには生ける者が、寸前まで間違いなく存在していたのだ。血が流れ、温かみをもち、飲み、食い、僕と同じように、春空の下を歩いていた命が。

 担架は、救急車ではなく、ロータリーに停めてあったワゴン車のような警察車両に、後部の扉から積み込まれていった。数分もしないうちに、サイレンも鳴らさずに行ってしまう。あまりにも、呆気ないという気がした。


 そのうち駅員たちは、駅前で待ちぼうける人々に対して、運転再開の目途を案内し始めた。二、三十分の内には電車も動き始めるだろうということであった。僕はまっさらな大学ノートを入れたレジ袋を手に、家路を歩き始めた。澄んだ春の青空があまりにも鮮やかで、気味が悪かった。




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