第十九話「私がして差し上げますから」
貧困区にあるボロ屋。
中ではまだ幼い少女が仰向けになっている。そして横から覆いかぶさるようにのっぽの男。
少女の体は小刻みに揺れる。男の巧みな指捌き。あまりの快感に少女は足を内股にして膝をこすり合わせる。
「そ、そこがいいです。あ……そこです」
「…………」
男の額を流れる汗。快感に溺れる少女の歪んだ表情。
「もういいだろう?」
「まだ足りません。……もっとお願いします」
男は続ける。少女は胸の前で腕を交差させてうねる。
「右手を貸してくれ。出すときここを握っていて欲しい」
「もうですか? 次は顔にかけないで下さいね」
貧困区にあるボロ屋。
少女が快感に溺れている中、一人の女性が手に荷物を提げて向かっていた。
彼女はいつも身に着けている白いローブを着ていない。
今日は一張羅のワンピース。決して高価なもではないが、母から譲り受けたワンピース。首元が大きく開かれていて豊満な胸が作り出す谷間が覗く。
このラーン王国では珍しく女性だというのに髪の長さが短い。肩の辺りで斜めに切られた髪型。左側が短く右が長い。
汚物やごみで匂いがキツイ貧困区の道。しかし彼女の周りの香りは違う。
ラーン王国特産の香水。小瓶で金貨一枚もする高級品。王族が使用している洗髪剤にも配合されており、優しく清々しい花の香り。
彼女は右手に持つメモ紙と家の壁に貼ってある住所を交互に確認しながら進む。
提げている袋からは米や卵、野菜が覗く。
「住所はここね……。ってか本当にここに住んでいるのかしら?」
彼女がたどり着いた家はあまりにもみすぼらしいものだった。
剥がれかけて錆のひどいトタン。くすんだ窓ガラス。物干しに干してある様々な草とタオルや衣服。
彼女は恐る恐る窓に近寄ってひょっこりと顔だけを覗かせる。
「え!?」
彼女の目に映ったものは、横になっている少女の顔の辺りに腰を近付けている男の姿。男はこちらからだと背になっていてその全貌は確認できない。
しかし、彼女は全貌を見なくとも理解した。
急いで玄関の引き戸を力強く開けた。
「モリオさん!! いけません!! そういうこと《・・・・・・》は私がして差し上げますから!!」
モリオと呼ばれた男は突然玄関が開かれた音と大声でびくりとする。
その反動で持っていた少女の手を滑らせて放してしまった。
解放された少女の手からは凄まじい勢いで噴出するお湯。
お湯の勢いもあって少女の手は蛇のようにうねり、辺り一面にお湯を散布した。
「モリオー!! 急に手を離さないで下さい!! また顔にお湯が掛かったじゃないですか!!」
「キュリ。悪い。ミルさんが大声で入ってきたからビックリして」
キュリといわれた少女の顔にはお湯が掛かっている。着ている服もしっかりとお湯を吸収していた。
手からのお湯を急いで止め、泡だらけの頭のまま体を起こしてモリオを睨んでいる。
モリオはタオルでキュリの顔を拭き、自分の手も拭く。
「ミルさん。もう少し静かに入ってきてもらえると助かります。せめてノックとかしてもらえれば……」
「はへ??」
モリオはお湯の散布された床や天井を見ながらため息を吐いた。
ミルは想像と全く違う状況であったことで顔面が赤く染まる。熱も帯びて頭から湯気も上がる。
「ミルさんはシャンプーをご存じなんですか? それともキュリの練習に付き合ってくれるということでしょうか?」
「しゃ……しゃんぷー??」
「ええ。怒鳴っていたではないですか。そういうことは私がして差し上げますから。と」
「あ、と。えっと。その――」
熱湯から上げたばかりのタコのようなミルは奇声を上げながら走ってどこかへ行ってしまった。
呆気に取られるモリオとキュリ。
「あの女はなにをしにきたんですか?」
「約束では、カットをしてその後夕食を作ってくれると――まあいい。床を拭いたらシャンプーの続きをしよう」
キュリは体を倒して移動式シャンプー台に頭を収めた。
「なるべく早くお願いします。頭が寒くなってきました」
ウエスキンに発注してから一週間が経った今日の朝。モリオの家に移動式シャンプー台とシャンプー用の椅子が届いていた。
シャンプー用椅子はモリオが発注したもう一つの物。
折り畳みが可能で、サイドのレバーで背もたれを倒すことが出来る。座席の高さ調節も可能。持ち運びのことも考えて作られており、とても軽く丈夫な木材が使用されている。
移動式シャンプー台もモリオの提案通り作られている。
ボウル部分は陶器ではなく木製。水をはじくようにニスがしっかり塗ってある。サイドシャンプーとバックシャンプー両方を行うことが出来る形。
ボウルの下部分は美容用品が収納可能な箱型の棚になっている。運ぶことも考えてリュックのように背負うこともできる。
排水溝には毛くずなどを取り除くために金属製の網。その下に還元砂のフィルター。還元砂によって魔石に戻った粒は棚内の小瓶に溜まる仕組み。
モリオは早速キュリにシャンプーを教えることにした。教えるにあたって一番大切なのは、まず体験してもらうことだった。
シャワーはキュリの手を借りて行った。水魔法でお湯の出るキュリの手をモリオが操作する状態。
最初はキュリがモリオの顔の方に手のひらを向けて魔法を発射したため、モリオの顔面にシャワーが直撃。
二回目以降からボウルの縁を握ってもらい、下向きに固定させてから出させるようにした。
慣れないキュリの手というシャワーヘッドで何度かキュリの顔にシャワーを掛けてしまい怒られもしていた。
モリオはキュリの力を考慮してサイドシャンプーを教えることにした。
横に立って行うサイドシャンプーの方が力を入れやすいからだ。
そしてシャンプーを体験してもらうこと数回目のところでミルが来たのだ。
茹でダコミルは、モリオがせっせと床を拭いているところで戻ってきた。
しっかりとノックをして、さも初めて来ましたと言わんばかりの表情。
「モリオさん。お邪魔します」
「え、ええ。どうぞ。汚いところですが適当に座って下さい。キュリの頭を流したらミルさんのカットをしましょう」
モリオは手早く床拭きとキュリの頭を終えてミルのカットに取り掛かった。
「緊張します」
布製のカットクロスを巻かれたミルは目をぱちくりとさせる。
すっかり美容師モードのモリオ。
キュリは隅でアモスの宿題をしているが集中は出来ていない。ちらちらと様子を覗う。
「カットはお任せでもよろしいですか?」
「ええ。初めてなものですから。モリオさんにお任せします」
モリオは合わせ鏡を使ってカットの内容を説明する。
「長さは左側の一番短いところに合わせますね。もしかすると違う髪型にしたいと思うことがあるかもしれないので、段の入れないボブスタイルにします。こう真っすぐ切る感じですね」
「段? 段を入れると違う髪型に出来なくなるのですか?」
「全くではないですが簡単に言うとそうですね。段というのは自然な状態でてっぺんの毛と襟足のような下側の毛との長さの差のことです。段が無いっていうのは差が無いってことです。今の状態がそうですね。――例えば、段を入れて切ったとしましょう。後で今のようなスタイルにしたいと思った場合戻すことは出来ません。切ってしまったものは戻せませんから。でも逆は可能です。だから今回は段を入れないスタイルにします」
「なるほど。難しい話ですが理解は出来ました」
「前髪を作るのもいいかと思いましたが、今のように横分けで耳に掛ける感じが似合っているのでそのままにします」
鏡越しに頬を膨らましたキュリの顔が見えるがモリオは見ないふりをする。
「キュリちゃんの前髪が短いのも元の世界の?」
「ええ。眉上まで短くした前髪は可愛らしさが増す魔法の前髪です。僕の世界では結構人気ですね」
「へえー、確かに可愛いですね。見慣れないものなのに不思議です」
「ミルさんも似合うと思いますが、上品な大人っぽさの方が合っていると思うので今回はやめておきましょう」
ミルはまんざらでもない顔で鏡越しにキュリを見た。キュリは鼻穴に指を入れて変顔で対抗する。
モリオはシザーとコームを取り出してカットに取り掛かる。
スタイルはワンレングス。美容師を目指す者が一番最初に習うスタイル。一定の位置で真っすぐ切るだけのシンプルなものなため最初に習うが、極めようとするなら最も難しいと言っても過言ではない。
なぜか。人はそれぞれ毛質や毛の生える方向が違うからだ。真っすぐに切ったつもりでも長さにばらつきが出たりする。
さらにその人のスタイリング方法のこともある。自然乾燥なのかドライヤーで乾かすだけなのか、ブローするのか、アイロンするのか。
毛の癖は濡れている状態が最も現れる。ウエットカットで真っすぐカットしても乾かしたときに変化する。これで長さに差が出る。
かといって乾かした状態でカットしても、普段アイロンで癖を伸ばしている人なのにただのドライ状態でカットすれば、美容室では真っすぐでも家でセットした際に長さが変わる。
ここで美容師に求められるのは『カウンセリング力と癖を見抜く目』である。
いかにきちんとお客様のことを訊くことが出来るか。毛髪の癖を見抜けるか。
練習用のカットウィッグでワンレングスのコンテストに優勝している人でも、生身の人間となると変わってくる。
しかし、誤魔化す方法もある。良い言い方をすれば『万能ワンレングスカット法』。
それは一定の位置でカットしないという方法。内側にあたる襟足の部分を目標より短く切り、表面の毛に向かってだんだんと長く切っていく方法。
この方法を用いれば本を裁断機に掛けたような断面にはならないが、トップから落ちる表面の毛が内側に収まりやすくなり綺麗に見えるのだ。
段を表面ではなく内に入れる方法でイングラデーションという。略してイングラ。
モリオはもちろんイングラでカットを進める。
イングラのワンレンは自分での手入れもしやすく、適当に乾かしただけでも綺麗に毛先が収まる。
タオルドライしか行わないこの世界にも合っているからである。
ミルのカットは十分掛からずに終わった。
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