勇魚千秋の譬話

「三羽の鳥がいた」

 勇魚千秋氏の譬えはこのような語りだしから始まった。「白鳥と鷹と蝙蝠。ある日、彼らの前に悪魔があらわれてこう云った。お前たちの願いを一つかなえてやろう。ただしその代わり、死んだら私の下で人々を不幸にするために働けと」

「それはかなり、ありきたりな悪魔ですね。それに蝙蝠は鳥類じゃない」

「いいだろう、こういうのは簡単な寓話なんだから」私の指摘に少し拗ねながら、彼女は物語を続ける。「当然三羽は悪魔の元で働きたくない。そこで知恵を絞り、どうにか悪魔から逃れられるように願いを考えた。

 美しい白鳥は『不老不死になりたい』と願った。悪魔は笑顔で承諾した。

 強い鷹は『姿かたちをなくしてほしい』と願った。悪魔は笑顔で承諾した。

 ひねくれ者の蝙蝠は『ペンを持つための手だけあれば十分だ』と願った。悪魔は大笑いで承諾した。

・・・さて問題だ。この中で唯一幸福な結末を迎えたのは誰だと思う?」

 小考。「統計的に言えば、この手の話は最後の無欲なものが幸福になるのでは?」

「まあ確かに言ってしまえばその通り。だがその推察方法はルール違反だし、無欲は悪魔を打倒する理由足り得ない」

「悪魔を打倒、ですか…」

「その通りだ。この悪魔を最後に打倒するのは誰か。なぜ他の二羽は悪魔から逃れられなかったのか」

「…いや、わかりません。非現実的な願いで悪魔から逃れようとして失敗したと考えるのが関の山でしょう」

「うむ、正直でよろしい」そうして彼女は煙草を一服すると、話をつづけた。「最初の白鳥は永遠の肉体を願い、約束通り永遠に生きることとなった。死ぬことも、朽ちることものない、永遠に美しい肉体。

 だが時代を超えてその姿を見ていた人々はやがて彼を捕えたいと思うようになった。無数の狩人から追われる日々に疲れ果てた白鳥はついにある王様に捕まり、かごの中に入れられる。けれど今度はその鳥を巡って争いがおき、多くの人々が死んだ。その魂はみんな悪魔が刈り取っていった。それを見ていた白鳥はとても嘆き悲しんだが、死ぬこともできなかった。争いのさなかで解き放たれた白鳥はその身を汚そうと泥の沼に飛び込むが、体からあふれ出る美しい輝きを塗りつぶすことはできなかった。以来その白鳥は永遠に彷徨いつづけ、行く先々で争いを振りまく災いの鳥となった」

「『火の鳥』ですか?」

「元ネタについては頼むから詮索しないでほしいな…」すこし気まずそうに彼女は言い、物語を続ける。「二番目の鷹の話は少し難しくなる。彼は姿かたちを見えなくし、悪魔から逃れようとした。悪魔は約束通り、彼から肉体を消し去った。もちろん、こうなってしまえばだれの目からも見えなくなる。鷹はたちまち悪魔の元から飛び去った。

 けれど鷹はしばらくたってあることに気づく。物理的肉体を失った彼は木の枝に立つことができない。それどころか、あらゆる物体をすり抜けてしまう。けれど彼は肉体を失えどまだ生きているので疲れも溜まる。困った鷹だが、やがて人々の頭の中にのみ止まれることに気付いた。肉体を失い、概念的存在になった彼だが、そもそも『概念』は人の頭の中にのみ宿る存在だ。彼は人の頭の中で休み、言葉になって空を飛び、他の人の頭の中に移る。これでよいと一時は鷹も安心する。

 けれど概念になっても生きている彼はやがて腹がすく。空腹に耐えきれなくなった彼はつい人の頭の中にあった魂の一部を食べてしまう。するとその人は発狂し、自殺しようとするではないか。魂は一種のプログラムだ。一部が欠けてしまえば、エラーの後に機能停止するのは避けられない。それを知らずびっくりした彼は慌てて『言葉』になって近くの人へ飛び移る。けれどそこでも腹が減り、思わず魂を啄んでしまう。無論その人も発狂する。『言葉』になって逃げる。鷹はこれを永遠に繰り返すこととなった。彼の飛び立つ先には、無数の狂い死にした人々の屍の群れが築かれ、すべて悪魔が魂を回収する。鷹は『死』からは逃れたが、最後は『死』という『詞』になり果ててしまったというわけだ」

「うまくないですよ、それ」喉の渇きより杯を仰ぐ。「それにその話、子供にわかるんですか?」

「たぶん大人でもわからないよ」彼女は苦笑した。「そして最後の蝙蝠は、ペンを握るための手を所望した。彼は賢くてね。人の文字も言葉も理解していたんだ。だから手を得た彼は『物語』を書くことができた。彼は出来上がった物語を一冊の本にして市場でたくさんの人に売りさばいた。彼には文才があったようで、街中の人々に読まれた。

 やがて蝙蝠は寿命を迎えて死ぬ。悪魔は彼の魂を回収しようと彼の住んでいた街へ赴いた。けれど街に足を踏み入れた時、悪魔はとたんに姿が変わった。黒くて小さいただの鼠の姿にだ。彼はようやく、最も叶えてはいけない願いをかなえてしまったことに気付いた。何故だかわかるか?」

「蝙蝠の『物語』…?」

「その通りだ。蝙蝠が書いた物語は街の人々を困らせる悪魔を打倒する童話だったが、その中で悪魔の正体は『黒くて小さな鼠』だった。彼は人々とただ遊びたくて悪魔の着ぐるみを着て悪戯に走っていた、ごく普通の鼠だった。もちろん本物の悪魔は本来そんな正体ではない、真性の悪魔だ。だが詰まるところ、悪魔というものは伝承的怪物だ。人から人へと語られる正体不明の悪意そのものであり、故にこそ悪魔は強大足り得る。しかし蝙蝠の物語に親しんだ町中の人々は、悪魔の正体をただの鼠だと。その真相から因果を遡求し、本物の悪魔でさえもその『真実』からは逃れられない。悪魔はたまらず街から逃げ出し、蝙蝠は無事天国へと迎えられたそうだ。おしまい」長い語りを終えた勇魚氏はパンと手を叩き、一息つく。「さて、これは『先生』が話していた譬え話だ。そもそも物語はその体を為している以上、何かしらのメタファーとして機能する。わかるか?」

「…まあなんとなくは」

「では時に奏さん」彼女は私に向き直る。私は思わず固唾をのむ。

「ここから我々が得るべき教訓を、君は何と考える?」

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