フラウロスの証人

DJ T-ono a.k.a. 小野利益

伊勢崎七緒の遺言状

 拝啓

 

 無意味な人生を、過ごしてきた。

 勿論無意味な人生が罪であると決めることはそれそのものが人権に対する罪であることは頭の上ではわかっている。役に立たないことを生きてはいけない理由にしてはならない。命の価値を図ってしまえば、その天秤に釣り合わない人間を排してしまえば、その先に破滅が待つことは4000年の人類史が証明する。

 けれどそんなものは結局のところ理想道徳に過ぎない。つまるところあらゆる価値は投資の期待値である。この星にもこの国にも、もはやすべての生きとし生ける人類に分け隔てなく与えるほどのリソースは存在しない。利益を増やし、還元しうる人物にのみ、天運も才も機会も与えられる。それを悪だと叫んだところで、養えないほどに命を増やしたこの星しか責めるべきがいない。人類皆平等とかいう題目は、現実を直視してない馬鹿の唱える天国論か、現実に打ちのめされた凡人の縋る福音でしかない。 

 そして、私はこれに叶うことはできなかった。いや、しなかっただけだ。思い返すまでもなく自分は人より恵まれていた。できなかったわけがない。機会も才も初めからあったのに、結局私は何もしなかった。ただそれだけなんだ。いくらでも立ち止まれることはあった。いくらでも変われるチャンスはあったのだ。なのにそのたびに私はもう遅いと諦めていた。おそらくこれからもそうなのだろう。過去への後悔とそれでも捨てきれない「夢」とかという妄想を抱えて、私は醜い肉塊になっていくのだ。それは果たして、生きているといえるのだろうか。ただ無意味に生をむさぼるだけの魂を、この世界は許してくれるだろうか。

 実家との連絡は途絶し、仕送りも絶たれた。この下宿もじき追い出されるだろう。4年前には見えていたはずの未来を、私は見ようともしなくなった。けれど、未だに私は生きている。死にたくないと喚き続けている。これ以上私の人生がよくなることなんて決してない、救いは絶対に来ないとわかっていても、それでも死ぬのはどうしようもなく怖いんだ。生きる苦しみはせいぜいあと30年だ。けれど死んでしまえば、自分という意識は永遠にこの世から消え去るのだ。それを考えるだけで、心臓が締め付けられるように痛み、息ができなくなる。1年前はいつか死ぬのだからすぐ死んでも変わらないと言えたのに、今は縋るほどに死ぬのが怖くてたまらないのだ。とても高慢だと思う。恵まれながら怠惰で無意味に生きたという許されざる罪を犯しながら、それでも生きることを捨てられない臆病者、それが私だ。

 

 けれどこれは遺言状だ。まだ死ぬつもりもないし、世界はまだ私を殺してくれそうにない。だからこれが私の最後の言葉にする。隴西の李徴は虎になった。なら、私も虎になろうと思う。人として死んで、ただ生きるためにある獣に成り下がろう。それが私にふさわしい末路だ。だからこれは遺言状だ。明日人として死に、どこか遠い所へ去っていく一人のありふれた弱虫の特に面白みのない心の内だ。もしこれを読んでくれた誰かがいたのなら、すぐにでも私のことなんか忘れてほしい。こんなものは記憶される価値すらない妄言でしかないのだから。



―――――――――――――

伊勢崎氏が「獣」として私の前に現れたのは、それから7年後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る