[0][5] = "カレンダーコンポーネント異常終了事件{6}"


 あれから、何時間が経過しただろうか。


 私達は原因の糸口すら掴めないまま、時を無為に費やしていた。星のない都心の空はすっかりと闇に覆われて、高層ビルの灯りも時間の経過とともに少しずつ消えていった。


 時計の短針は頂点に向き、人のいないオフィスで不機嫌に唸る冷房は徐々に身体を冷ましていく。


「佐倉さん、帰らなくて大丈夫なんですか」


 彼女のデスクの上には栄養ドリンクがいくつも並んでいた。


「ノズちゃんこそ」


 微かに笑う彼女の顔には疲労の色がにじんでいた。


「私は終わるまで帰れないので」

「じゃあ、私も帰らない」

「いいですよ。一人でどうにかしますから」

「そんなこと言われたら帰れないじゃない」


 失敗した、と私は思った。私がこんなことを言ったのは決して善意からではなかった。どうせ大した戦力にならないんだから、一人で仕事させてもらった方がいいと思っただけだ。だけど、結果は逆に彼女を会社に留めることになってしまった。


「どこまでできましたか?」

「1から5まで終わって、今6をやってるけど、全然なにも起こらないから、もう適当に数字入れていこうかなって。ノズちゃんは?」

「私も同じようなものです」


 かれこれ数時間触っているが、なにも起こらない。もちろん触っているうちに軽微な問題はいくつも出てくるがアプリケーションが終了するほどの事態は発生していない。


 先方の勘違いなのではないか。あるいは別のコンポーネントの問題なのではないか。そんなことすら疑い始めている。


 私はそれから十分だけ仮眠を取って、また解析を再開していた。

 時計の針が進んでいく。


 午前の三時を回った頃のことだった。突然

「あっ」

 という声が上がった。


 私は立ち上がる気力も無く、か細い声で

「何かありました?」

 と訊いた。


「アプリケーションが落ちた」

「本当ですか!?」


 私は力を絞って席を立つと、よろよろと彼女のデスクに向かった。


「なにを入れたんですか?」

「わ、わからないの」

「わからないなんてことありますか?」

「たぶんこのファイルの中のどれかの値を入れたんだと思うんだけど……」


 彼女の指差した画面を見ると、スプレッドシート上に無数の年月日が並べられていた。スクロールしていくと千個ぐらいはありそうだった。上からいくつかは一つ一つチェックマークがついていたが、途中からはチェックが途絶えていた。


「一個一個確かめていこうって思ったんだけど、途中で集中力が切れちゃって。ごめん、でもこの画面の中のどれかの値を入れたらアプリケーションが落ちたの」


 私は彼女の雑な仕事に怒りを覚えたが、喧嘩をする気力すらなかった。


「いえ、なんの……なんの手懸かりもないよりはマシですから」


 私はぼんやりとした目で候補を眺めてみた。


 1998/11/01

 9999/12/31

 H23.01.13

 1869/03/31

 M05.12.03

 2000/02/29

 1111/11/11

 0001/01/01

 2112/09/03

 1900/02/29

 H31.03.21

 R999.12.31

 

 確かに怪しげな値はあるが、何の問題もなさそうな数値も混じっている。


「これどうやって値を選んでるんですか?」

「適当に値を入れていってるだけ。もう怪しい値は全部やったし、人海戦術でやるしかないかなって思ったから」

「人海戦術って、二人しかいませんけどね」


 この中で問題のありそうな値は既に私が入力したことのある数値だった。


 現時点で存在しないR.999.12.31や9999/12/31などは真っ先に試すべき値だ。またシステム的には閏年の制御についても考えないといけない。閏年は四年に一度、四の倍数のときに発生するが、実際にはもう少し細かい仕様がある。西暦で百の倍数の年は閏年ではないというのがそれで、1900/02/29というのは無効な値としてエラーを発火する必要がある。それに加えて、四百で割り切れる年は閏年が発生するというルールもあり、候補の中にある2000/02/29はその四百年に一度の閏年の年だった。


「でもこの中に、問題が発生する値はあるんですね」

「たぶん……」


 候補は千以上ある。彼女のいう通り一個一個入れていくしかないのだろうか。


 ピー。ピー。ピー。ピー。

 その時、突然ドアの方からアラーム音が聞こえてきた。侵入者を検知したときの警報音だった。


「ど、泥棒!? こんな時に」

「私が処理します。下がってください。あと警察と救急に電話を」

「どうするの? ノズちゃんが救急車に運ばれてくとこなんて見たくないよ」

「救急車は私のためじゃなくて相手のためです」


 私は消火器を手に取って、ホースをドアの方へと向けながら徐々に近付いていった。噴射で相手が怯んだところをそのまま消火器で殴る。落ち着け、難しいことは何もない。


 私はドアの向こうを凝視する。

 曇り硝子の向こうには――見覚えのあるシルエットが映っていた。


「佐倉さん。通報は待ってください」

「え?」


 警報を消してドアをゆっくりと開くと、そこには案の定あのカラスが立っていたのだった。


 自称元探偵は、いつも通り上着をハンガーにかけると、ふらふらと覚束ない足取りで自分の席についた。いつにもまして挙動が怪しい。


「御園さんどうしたんですか!?」


 佐倉さんが驚いたような声を上げる。それはそうだ。こんなわけのわからない時間に出社する人間なんているはずがない。


「いや、電気がさ。ついてたから」


 短い単語を途切れ途切れで吐き出していく声は、強いアルコールの香りをまとっていた。


「飲んでるんですか?」

「佐倉君に紹介してもらったところで飲んでいたんだけどね。ずいぶん酔っ払ってしまって」

「あそこのお酒、どれも度数高いですからね……」


 佐倉さんもさすがに呆れたような声を上げる。


「で、帰れなくなって会社に戻ってきたってわけですか」


 そう訊くと彼はぶんぶんと首を横に振った。


「いやそうじゃないさ。君らにこの灰色の脳細胞が必要なんじゃないかと思ってね」


 彼の言葉は私に怒る気力を取り戻させるのに十分な力を持っていた。


「ただでさえ疲れてるのにそんな腐った脳みそ要りませんよ! 帰ってください!」


 荒げた声を上げると、彼はさすがに驚いたような顔をしたが、結局は佐倉さんの取りなしで彼もこの調査に参加することになった。


 私の邪魔はしない、という条件付きではあったが。


 だが、結局のところ、彼が私の邪魔なんてする時間は一秒たりとも無かった。五分もしないうちに上がった御園の声は

「解いたよ」 

 だったのだから。

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