31話.思い。

 佐々木のことを千花と呼ぶとした日、千花は私の部屋で泊まった。あの夜、私と千花は強く互いを求めた。これから一瞬も離れないと誓うように抱いた。次の日、目が覚めた時には千花はもう部屋になかった。たぶん私が寝てる間に出て行ったのだろう。たぶん私は千花を呼びながら強く抱いて、また泣いていたと思う。千花には悪いことをしたとは思う。私は佐々木が好きなのだろうか、それとも死んだ千花を重ね見てるだけであって、佐々木のことなどなんとも思ってないのだろうか。よくわからない。千花は、いいや、佐々木はこれでいいのだろうか。

 私は千花のことを忘れられない。千花のことを忘れられないだけではなくいつもどこでも千花のことを探し求めている。千花との思い出を繰り返し思うことしかしていない。でもどうしたらいいのか、私にはわからない。いつもわからないものだらけだ。


 もう2月になる頃に私は休みを取って一人で東京に行くことにした。あの逃亡の日以来、初めての東京だった。

 ぎくって音をしながらドアが開く。鍵を変えてないことを見るとたぶん両親はこの家を売ってなかったようだ。

 その中は埃の匂いだけを除くとあの頃を同じ部屋だった。少し散らかっているのはたぶん両親が私たちを探していたとにできたものたちだろう。色んな感情が私の心臓を通り抜ける。ベランダにも出てみる。そこも相変わらずの夜空であの頃と少しも変わっていない。曇った暗闇は千花と付き合ったあの日を思い出させる。私は千花がいなくなった時から泣き虫なってしまった。いつも泣いてばっかりだ。

 あの時持っていけなかった荷物たちを一つ一つ触ってみる。私の部屋だったけれどどうして千花との思い出がもっと多いのだろう。どれを見てもどれを触ってもそこには千花がいた。いつも探していた千花がここにいる気がした。ここにいると千花の短いと言えば短いし、長いと言えば長いとも言えそうなあの髪の感触も、いつも私をじっと見ていてくれたあの純粋な瞳も。何もかも思い出させる。

 「千花、私は千花のことを忘れることになってもいいのかな。」

 誰もいない埃だらけの部屋で一人で呟く。

 「千花だけを思って生きてこうと決めたのに、私大丈夫なのかな。」

 でも帰って来るはずのない返事はやはり来ないまま、私の声だけが部屋の中を満たす。私はこんなにも一人で、私はこんなにも孤独だったと実感する。

 その夜は千花のことだけを思いながら過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る