忘れられた約束

シィータソルト

第1話

“来年の十二月二十四日の夜に君を迎えに行く。僕達の思い出の場所で再会しよう”

 この一言だけど、忘れてはならない大事な約束が記された手紙を何度目を通したかわからないけど、もう一度目を通す私、谷崎春奈、二十八歳。付き合って八年になるこの手紙の差出人でもある山本冬樹は、私と同い年の二十八歳。出会いは、同じ会社の先輩、後輩としてであった。

 彼は高卒で弊社の新卒として入社して、私は短大卒で入社したため、同じ年であるが、入社歴では彼は先輩。

 冬樹は、海外出張の為、二十五歳から出張していて三年ぶりに日本へ帰ってくる。そして、約束の日である、十ニ月二十四日とは、明日だ。

 世間では、クリスマスだと浮かれている時期、私達も一緒だった四年間は、毎年同じホテルで過ごした。プライベートが合えば他の月も一緒に出掛けたりしているが、十ニ月は特別にお泊りまでするのだ。最初は、友達としてだった。同じ年で良いお世話係の先輩としてのお出かけであった。ホテルの同じ部屋でお泊りしても何もない先輩後輩や性別を超えたタメの友達同士のお泊りだった。

 だけど、二十三歳の時、私が会社に慣れたのを見計らって、冬樹が実は恋愛感情を抱いていることを告白してくれて、私もいつの間にか同じように冬樹に特別な感情を抱いていたことを告白によって気づかされたため、晴れて恋人同士となった。ホテルのロビーに飾られているクリスマスツリーの前での告白によって。

「谷崎さん。いや……春奈さん。今年も一緒にホテルでクリスマスを共に過ごしてくれてありがとう。おかげで毎年、クリスマスが楽しみになっている」

「う、うん。だけど、どうして、急に名前呼びに?」

「そ、その……。き、緊張して、る。ま、待って、一旦、深呼吸させて?」

「ん? うん」

 あの時は、いつもより呼吸が荒くなっている冬樹を見て、私にまでなんか緊張がうつってドキドキしてしまったのよね。けど、その後に、違うドキドキに変えてくれたんだ。

「お、俺と! つつつ、付き合ってください!! ずっと、好きという気持ちを隠していたんですぅ!!!」

「えぇ!?」

 本当に驚いた。三年間も同じホテルで寝泊まりするけど何もない仲であると何とか堪えて、私を恋愛感情で意識していたなんて。

「友達以上の関係になりたい……。返事を今、聴かせてもらえませんか?」

 この人と一緒に過ごしていて楽しいが大きい。会社では厳しいところもあるけど、プライベートでは、ひたすら私を楽しませようとしてくれる。私も友達だけど、この人の前では綺麗なところを見せたいと服に化粧にと、無意識にお洒落を尽くしていた。

 忙しい会社だから、いつも休み返上で働きプライベートはあまり取れない。会社でも一緒に過ごしているけど、プライベートで過ごす時間も増やしたい。だから、結婚して共に過ごす時間を増やせば一緒に過ごせる時間も増やせるのではないかとも頭の片隅で考えていた。

 何だ、もう、私、答え、出ているじゃん……。

「はい、私も冬樹さんと付き合いたいです。一緒に幸せになりましょう」

「……!! ありがとう! ありがとう!! 嬉しいです!!」

「そんな大きい声ではしゃがないでよ。周りの人、こっち見てるじゃん……」

「……!? あ、すみません。お騒がせしました~!」

「申し訳ございませんでした~」

 冬樹のせいで周りからバカップル認定をくらっただろうから、そそくさと部屋へ戻ることにした私達。

「さっきは、あなたが騒いだせいでちゃんと返事できなかったじゃない!! ……私も、嬉しかった。告白してくれてありがとう。これからもよろしくね」

「あ、ああ。よろしく。そ、その……、春奈さんに、触れたい……もう、我慢できないよ……」

「もう……。しょうがないなぁ。でも、食事もお風呂も済ませてあるのは、余暇を楽しむため、だもんね。いいよ、来て」

 重なる2人の体。めくるめく剥き出しになる欲望。呼び合う互いの名は、もう敬称もなくなっていた。その年のクリスマスイブは、友達同士の過ごし方がなくなり、恋人の交わりがあるいつも以上に温かいクリスマスとなった。



 そして、二十四歳も同じように過ごせると思っていたクリスマスイブ。きっと、また眠れない夜になるだろうと思っていた。ピロートークはどのようなこと話してくれるのだろうと思っていた。だけど、その甘い幻想が打ち砕かれる冬樹の衝撃の告白をされた。

「春奈、聞いてくれ。俺、来月から海外出張になった」

「えっ、すごいじゃない! 名誉なことよ。もっと誇らしく思いなさいよ~。何で、そんな不安そうで青ざめた顔しているのよ。しゃんとしなさい!! 何、外国で言葉が通じるか不安なの? 語学研修受けていたじゃない」

「ああ。語学は大丈夫だし、向こうにも通訳の方がいらっしゃる。って、そうじゃない。その海外出張の期間なんだけど……」

「もしかして、三ヶ月とか帰ってこれない?お正月も一緒に過ごしたかったけど仕方ないよね。帰ってくるのちょうど春くらいじゃん。お花見で埋め合わせしてよね」

「違う。三ヶ月どころじゃない……。三年だ」

「えっ……」

「海外支社で、しばらく研修で現地の人材を育成するまで帰ってくるなとのことだった。それで最低三年だ。もしかしたらそれ以上かも、しれない」

 冬樹が泣きそうになるのを堪えている。私まで釣られて泣きそうになる。だけど、伝えなくちゃ。

「待っているから……」

「あぁ、待っていてくれ、必ず迎えに帰って来る。その時、結婚しよう。春奈の夢だった、子供だって考えよう。温かい家庭を作れるように、俺、基盤を作ってお前を路頭に迷わせることなんてさせないから」

「何言っているの、私だって例え子供ができようと働き続ける。妊娠中はさすがに育休もらうけど、産んでからも、仕事は続けるよ! 私達の会社は育休にもその後の復帰にも理解があるから! 冬樹に指導してもらった部署、大きくしてみせる!! 本当、この会社に入社して、そして、冬樹に出会えて、良かった」

「俺もだよ。俺の指導を受けた春奈なら、留守の間の俺達の部署の主任の座だって狙えるかもしれない。俺は、お前を見込んで指導に当たっていたんだ。海外行っている間、手紙で報告書出してもらうからな。もちろんメールもいいけど、手紙を書く時間でお前のことに集中する時間を作るんだ」

「いいわ。でも、それなら冬樹だって海外での成績、逐一報告してもらうからね。あと元気なこともね! こんな青ざめて不安な表情のまま、現地の方まで不安にさせたら承知しないんだから!」

「あ、ああ。それは、今、お前に励まされて解消されてきたよ。……、お前を刻みたいから、もう一度、しないか?」

「……。優しく、でも激しくして、私を焼き付けて!!」

 結局、二十四歳のクリスマスイブも二人を分かつ運命があろうとも、絆を確かめ合う行為によって、眠れない夜となった。



 そして、二十五歳になった私達。一月に彼は、海外へ旅立った。私も寂しさを紛らわす為にも仕事に打ち込んだ。そして、プライベートは、仕事のスキルアップ、料理、育児の知識など、これからの生活について知識を深める時間に費やす日々。

 二十五歳の四月、ある人と再会した。短大の時の同い年の元彼である。彼とは、喧嘩別れではなく、どうしても仕事の関係で違う地域に引っ越ししなければならない為別れることを選んだ。私は私でこの地域に残ってこの会社にどうしても入社したかったから譲れなかった。

 だけど、こうして働いている間に私と元彼の会社は提携関係になり、会う機会が増えることになった。久しぶりの再会は弊社が企画する飲み会でであった。提携会社も呼ぶ程、規模が大きく元彼も参加していた。

「お疲れ様です~……って、春奈!?」

「えっ、嘘!! 夏彦なの!? 久しぶり~!!」

「春奈こそ、元気そうで。そうか、俺達の会社、提携関係になったから。俺もまた、この辺に戻ってきたんだ……。その、昔みたくは戻れなくても……また、遊んだり話したりしないか?」

「もちろんよ、私達、別に喧嘩別れとかしたわけじゃないじゃない。仕事の事情ですれ違ってしまっただけよ。ここで再会できたのもまた縁よ。仲良くしてちょうだい」

「もちろんさ! なぁ、近況とか教えてくれよ。恋人できた?」

「いきなりそれ聴く!? ……う、うん。いるよ」

「へぇ、誰々? 同じ部署の人とか?」

「うん、同い年の人で、先輩なんだ」

「あぁ、その人高卒なんだ。他には?」

「仕事の時は厳しいけど、プライベートは、私のことを楽しませようとしてくれる人」

「そっか。なら負けらんねーな」

「えっ? 何を?」

「いや、何でもねーよ。とにかく、久しぶりの再会だ。パーッと行こうぜ」

「そうね。じゃんじゃん飲みましょっ!! ……って言っても私、お酒は飲まないけどね」

「俺だって、酒は飲めないさ。下戸だもん。でも、良かった、そういうところ変わっていなくて。お酒飲んでたら、持ち……いや、何でもない」

「もち? もう、何よ~。とにかく、夏彦の近況も聞かせてよね」

「いいぜ、俺は……」

 それから、食もよく進み、話も途切れることなく紡がれていた。まるで、恋人の時の心地よさが戻ってきたみたいに。私達は、喧嘩別れしたわけではない。好き合っていたのだ。その気持ちはまだ潰えてはいやしない。危ないかも。今は冬樹の恋人なのに、夏彦への気持ちも再燃している。夏彦は私のことどう思っているのだろう?

 けど、恋愛の話は夏彦からは出てこなくて、ひたすら仕事に打ち込んでいたみたい。今は仕事が楽しいからだそうだ。私も見習わなければ。





 そして、今、二十八歳に至るわけだが、そわそわしている。夏彦とは、友達同士で上手くやっている。あの再会した時の昔の思い出の想起は、上手く友情のままで昇華されている。懐古の情に更けてしまったが、私の彼、冬樹が明日、私を迎えに来る。あぁ、楽しみで眠れなくなりそう。でも、化粧で誤魔化すなんて、ダメ!しっかり、睡眠取って、綺麗な肌に化粧で着飾って、冬樹に会いに行くんだからっ!!



 約束の日となった、二十八歳の十二月二十四日、またの名をクリスマスイブ。三年ぶりにまた一緒に過ごすことになるであろう、私達の思い出のいつものホテルのクリスマスツリーの前で彼を待っている。クリスマスツリーがイルミネーションで華やかに輝いている。七夕の短冊のように、このホテルの宿泊者の家族の子供がサンタクロースへの手紙が飾れるようになっているため、私はそれを見ながら時間を潰していた。

 夜というのが具体的な時間がわからないけど、早めに来て。現在、十五時。そういえば、ホテルの予約はしてあるのだろうか。手紙にはその旨が書いていなかったけど。ホテルの受付の方に聞いてみよう。

「あの、すみません。今日の予約に「山本冬樹」名義で予約って入ってますか」

「はい、ただいま確認しますのでしばらくお待ちください。……はい、ございますね。部屋への鍵を今お持ちしますね。」

「いえ、まだ部屋には行かないので。ありがとうございました」

 ちゃんと、海外から電話かメールで予約取ったんだ。気が利くじゃん。私はうきうきしながら、また、クリスマスツリーの前で子供達の無邪気なサンタクロースへのクリスマスプレゼントお願いの手紙を読んでいた。



 全ての子供達の手紙を読み終えそうと思ってふと、顔を上げたらロビーに飾られていた時計は十八時を指している。そろそろ、迎えに来てくれるだろうか。クリスマスツリーの前で立ちながら、目の前のガラス張りの自動ドアをまだかまだかと見つめる私。



 十九時。まだ、彼は来ない。もっと遅いのだろうか。でも一緒に夕飯を共にしたいと思うから我慢我慢。部屋の予約が入っているということはディナーも含まれる。再会したら、ご飯食べながら、近況を聞くんだ。


 二十時。こちらへ向かう途中で事故にでも遭ったのかと不安に思う。だけど、私の携帯や、ホテルにも連絡はない。ただの遅刻であることを祈りながらもう少し待つ。


 二十一時。もしかして、今、日本に到着したばかり、これからこのホテルに向かっているだろうか。早く着て。私のサンタクロース。三年前のあの日みたいに、サプライズなプレゼントをちょうだいよ。


 二十二時。もう、夕飯じゃなくて、夜食になってしまうじゃない。ご飯食べるのが遅いと太りやすいのよ!私が太ったからって、バカにさせないんだからねっ!!



 二十三時。冬樹ったら、本当のサンタクロースみたく、真夜中に来る気!?もう、睡眠時間削って、サンタクロースに会ってやるという子供みたいになっているじゃない。私達は物事を早く済ませてスマートに余暇を過ごす二人でしょ!?もったいぶらずに早く来て。




 二十四時、いや零時と言うべきか。ロビーに飾られている時計が鳴り出す。十二月二十五日、クリスマスになってしまった。もう、今日は迎えに来てくれないのだろうか。どっと疲れてしまった。

 私のサンタクロースは、寝ている間にそっと現れてくれることを信じて、受付に行く。先程とは違う受付の人が立っていた。受付が交代の時間に入るほど、私は長い時間を待っていたのだ。

「あの、山本冬樹名義で予約している者なのですが……」

「はい、ただいま確認しますね! ……確かにありますね。部屋への鍵を今、お持ちしますのでお待ちください」

「はい……」

「はい、こちらがお部屋の鍵になります。ごゆっくりお休みくださいませ」

 受付から部屋の鍵を受け取り、部屋へ向かう。


 部屋に入ると鍵をかけて、そのままベッドに埋もれてしまう。もう、疲れと眠気に堪えられなかった。でも、化粧は落とさなくちゃ。せっかく気合を入れて化粧をしてきたのに、見てもらえなかった。気力を振り絞り、立ち上がり洗面所に向かう。 化粧落とし終えると、気が抜けて、歩き方もふらふらとする。何時に来るかわからないけど、早く顔が見たい。六時にアラームをセットしておこう。そして、またベッドに埋まり、深い眠りについたのであった。



 ピピピとスマートフォンの電子アラームの音で目が覚める。勢いよく体を起こして、隣のベッドを見る。冬樹は!?……いなかった。

 夜中に目を覚ますことがないから、寝かしてくれたのと、冬樹も疲れて寝てしまったのだろうと信じたかった……。

 私のサンタクロースは、遅刻しているのかもしれない。朝に来てくれるかもしれない。チェックアウトの十時までは、ここで待っていよう。いや、もしかしたら、今日になってクリスマスツリーの前で待ってくれているかも!!身支度を済ませなきゃ!!



 化粧等を済ませて、時間は七時を指していた。部屋の鍵をかけ、私は早足でロビーのクリスマスツリーの前に行く。大きいクリスマスツリーだから、後ろ側は見えない程だ。見逃さないように、ぐるりと一周する。いない。でも、十時までは待つんだ。



 八時。朝、眺めるクリスマスツリ-も綺麗だと思った。いつもは、朝はすぐにホテルをチェックアウトして、冬樹と出かけてしまうからこんなに眺めてなどいないから新鮮だ。イルミネーションは昼夜問わず、輝いている。



 九時。そういえば、このクリスマスツリーに飾られている手紙は無事、サンタクロースに届いたかな。子供達は、プレゼント無事、受け取ったかな。私もここに手紙書いておけば、良かったかな。



 十時。とうとう来なかった。私のサンタクロースは、もう私に夢をプレゼントしに来てくれないのだろうか。帰ろう。受付に鍵を返却して、家へ帰った。何かあったら、私の携帯へ連絡してくれるだろう。

 また、どっと疲れた。家へ帰ったらまた寝よう。今日の有給も、一人で過ごすことになっちゃうのかな。早く会いたいよ冬樹。


 十一時、家に到着。化粧を落としてから、布団に入る。何かあってもすぐ出られるように、布団の傍に音量を大きめに設定した携帯を置いておいて。




 十五時。自然と目が覚めた。携帯を確認した。もしかしたら、音に気づかず爆睡してしまったかもしれない。電話もメールも通知がなかった。布団に蹲り、サンタクロースが来ないことに泣き叫んだ。

 布団が私の声を響かせないように吸収してくれることを良いことに、サンタクロースへの恨みを叫ぶ。

「どうして!! どうして!! 約束したじゃない!! クリスマスイブに迎えに来るって!! もうクリスマスなのよ!! 一緒に居ても良い時間なのよ!? うわわあああああぁあぁぁぁああぁ!!!!!」

 子供のように泣きじゃくった。化粧も涙で崩れ落ちているに違いない。布団、汚しちゃったな。でも、今は泣いていなきゃ、私を保っていられない。明日も仕事を休みたくなった。

 もしかしたら……私との約束は果たせなくても、会社には顔を出すかもしれない。明日、会社で聞いてみよう。サプライズは明日の会社で起こるかもしれない。私は、もう、これ以上何も考えたくないと思い、化粧を落としてから、明日の起きる時間にアラームをかけて、ひたすら寝て過ごした。



 クリスマスも終わった。今日からは、また平常通り冬季休みの十二月三十日までは仕事だ。引き摺っていられない。いや、クリスマスは実は今日のお楽しみに取っておいてあるのかもしれない。早く準備しよう。身支度を手短に済ませ、さっさと会社へ向かった。



「おはようございます!」

「おはよう、谷崎さん。早いね。昨日は、山本君に会えたかい?」

「え?」

「え? その様子だと会えなかったのかい?そうか。こちらには何の連絡もないから、連絡も寄越さず、君とクリスマスを楽しんでいるのかと思ったよ」

 部長がいらっしゃった。しかし、今の言葉で完全にクリスマスが終わったのだと告げられた。会社にも連絡を寄越していないだなんて。

「本当に何もないのですか? 最後に連絡のあった日は!?」

「いや、君と同じ内容だと思うよ。今年の十二月二十四日に日本へ帰りますと来たのは、十二月の上旬頃だったかな」

「じゃあ、同じくらいですね……。承知しました。取り乱して、申し訳ございませんでした」

「彼の海外出張は荷が重かっただろうか。向こうの人材育成に時間がかかっているのか。気が重いかもしれないが。休みまで、頑張って働いてくれたまえ」

「はい、失礼致します」

 私は自席に着き、パソコンの電源を入れる。社内のメールにも何も連絡はなかった。気がさらに重くなったが、切り替えて仕事に取りかかった。



 十五時、お昼の小休憩時間だ。給湯室でコーヒーとお菓子をつまみに行こう。

「こんにちは~。商談に伺いました~……うぉ! 春奈!!」

「そんな驚かないでよ。夏彦~。こんにちは、今日の商談は私だから、会議室でお待ちいただけるかしら?」

「はい、かしこまりました~」

 商談に来た夏彦は、会議室に向かっていった。私はちょうど向かおうとしていた給湯室へ向かった。良かった、すれ違わなくて。あやうく大事な商談の時間を忘れていたところだった。

 ダメね、切り替えられていない。いくら、知り合いの夏彦だからって、この商談では、プライベートは関係ない。大事な取引。しっかり話さなくては。コーヒーと茶菓子をお盆に乗せて、私は会議室へ向かった。



 コンコンとノックをする。

「はい! お待ちしておりました!」

 慌てて夏彦が起立をしてお辞儀をする。

「もう、どうせ私しかいないのだから、そんなにかしこまらないで。こちらこそ、お待たせしました。コーヒーとお菓子、どうぞ」

「ありがとうございます」

 夏彦は席に座り、コーヒーカップに口づける。

「さて、商談の話に入りますが……」

「いや、待て、春奈。昨日のこと聞かせてもらっていいかな。彼氏と再会する日だったんだろ?」

「え、今はその話は関係ないではありませんか」

「ダメだ。顔に出ている。他の人には隠せても俺には隠せていない」

「……」

「その様子だと、喧嘩でもしたのか?」

「……違うわ。喧嘩すらできない状況よ。会えなかった。約束を破られてしまったの」

「……そうだったのか、悪い。だけど、俺にはまた春奈を取り戻せるチャンスだと思って喜んでしまっているよ」

「え?」

「もしも、まだ俺のこと、恋愛感情で意識できるなら恋人になって欲しい!! 今の彼氏にも告白されているのかもしれないけど。まだ結婚していなかったから、俺にもチャンスを欲しい!! 俺は今でも春奈が好きだ!! 結婚して欲しい!!」

「……!!」

 夏彦の言葉で、また気持ちが再燃した。燻っていた気持ちが完全に燃焼している。冬樹のことが……。でも、約束は破られた。いつ迎えに来るかもわかりやしない。目の前の夏彦は今すぐにでも結婚して欲しいと約束を確約してくれている。

 でも、私の中では、忘れられていない気持ちも燃えている。この気持ちには制約を加えよう。時効が来たら、燃え続けようとする臆病な気持ちを鎮火することにしよう。だから、夏彦にこう伝える。

「ありがとう。私も実は夏彦への気持ち、忘れていない。だけど、まだ待ってもらっていい? 私の気持ちのけじめをつけたい。三十歳になるまでに彼が迎えに来なかったら、その時、私と結婚して……。いや、いくら何でも二年も待たせて結婚してくださいなんて虫がいい話だよね。夏彦なんていくらでも彼女作ろうと思えば作れるじゃない。気になる人がいたら、その人と添い遂げて欲しい」

「……ずっと、忘れられなくて他の彼女作らなかったくらいだ。いくらでも待ってやるさ。もう、春奈を離したりしない」

「えっ!? そうなの!? やっぱり、あなたのこと好いている人いたんじゃない!」

 おかしいと思ったのだ。短大の頃だって、私以外からもモテていた夏彦のことだから社会人になってもモテているに違いないと思っていたからだ。

「春奈以外に気持ちが向く人がいないだけ。それは、きっとこれからもだ。社会人になってから別れてからも、仕事をちゃんとする人間になって春奈を迎えに行こうと決めていたから。まさか、会社が提携関係になるとは思いもしなかったけど。おかげで近くに居ることができる。春奈が好きになった奴の顔も拝みたかったが、さていつ帰ってくるんだろうな」

「夏彦……。ありがとう。でも、今は受け止められないから」

「あぁ、春奈のそういう一途なところも好きだよ」

「もう……。商談の話に戻っていいよね?」

「あぁ、いいよ。社長からは、たくさん契約取ってこいと言われているから、もらえる分もらっていくよ」

「そうなの!? ありがとうございます! では、こちらにサインを……」



 夏彦からあのような告白を受けるとは思っていなかった。でも、私も鈍感だったかもしれない。久しぶりに再会したあの日にだって匂わせていたようなこと、今思えば言っていたかもしれない。だけど、今は、季節外れになろうとも、私のサンタクロースを待っている。






 三十歳になった。そして、今日はクリスマスイブ。昨年も相変わらずホテルには来なかったけど、今年も待つことにした。最後となる彼を待つ日。また、このクリスマスツリーには、どのような子供達の手紙が飾られているのだろう。私もこの手紙をしたためた子供達のように無邪気な気持ちでサンタクロースを待ちたかったよ。

 そこへ、携帯の音が鳴る。いけない、マナーモードにするのを忘れていたようだ。急いで着信に出る。部長からだった。

「お疲れ様です。谷崎です」

「お疲れ様、休みの日に悪いね。君に、山本君のことで連絡なんだけど……」

「は、はい! 何か連絡が会社に入ったのですね!! 彼は何と!?」

「あ、ああ。彼は元気にやっているそうだ。彼の奥さんがそう言っていた」

「……は?」

 思わず携帯を落としそうになりそうだった。しかし、話を最後まで聞かなくては。

「すまない、私も信じられなかったが、彼の妻を名乗る方から、国際電話があって。オータムさんという名前らしいのだが、海外支社で一目惚れをして奥さんが猛アタックをして、もう結婚五年目になるそうだ。残念だろうが、彼は迎えに来ない。海外支社に残り続けるとのことだそうだ」

「そ、そうですか……。わたし、まった、のに……」

「君は来年まで休みにしていい。今まで頑張ってくれたから特別な有給だ。辛いかもしれないが、この休みで気持ちを切り替えて、これからもわが社に尽くして欲しい」

「はい、ご配慮ありがとうございます。しばらく休ませていただきます。ご連絡ありがとうございました。良いお年をお迎えください。失礼致します」

「あぁ、元気な顔を見られることを祈るよ。良いお年を」

 着信を切ってから、うなだれてしまう私。だけど、最後の力を振り絞って携帯をもう一度、着信画面を開き、彼に電話をかける。

「なつひこ……ふゆきは、もう、かいがいで、けっこんしちゃっていた…。わたしとの、やくそく、を、わすれて……むかえにきて! 〇〇ホテルにいるから……! いまは、わたし、じぶんでたっていられないよう……!!」

「わかった、すぐ行くから!! その場を離れるなよ!!」

 着信を切ると、クリスマスツリーの近くにあるソファに座りもたれかかって、泣いた。ちょうど、まわりには人気はあまりない。受付の人も休憩に入っているようで奥に出払っている。



「春奈!!」

「……なつひこぉぉ!!」

 私は、夏彦の姿を確認して飛びついた。そして、わんわんと泣きじゃくった。夏彦は、ただただ抱きしめてくれた。

「なぁ、こんな状況で言うのもなんだけど……俺と結婚してくれ。春奈。俺は春奈との約束を破ったりしない。これからも春奈を好きでいる。二人で幸せになろう」

「……はい、こんな、わたしを……。よろしく、おねがい……します」





 私と夏彦は結婚した。冬樹からの手紙も待っていたが、自分からは結婚報告をしないつもりなのだろうか。私は冬樹との約束通り、逐一報告してやった。つまり結婚報告をした。メールでも送った。だけど、既読がつかない。すっかり、音沙汰すらなくなってしまった。完全に仕事だけに打ち込んで私のことは忘れてしまったのだろうかと思っていた私がバカだった。離れた年で、もう私との約束を破っていたなんて。後ろめたくてきっと、報告できないでいるのであろう。



 私も忘れて、夏彦と共に歩むことにした。もうすでに、お腹の中では、夏彦との子供が命の鼓動を伝えてきている。それは、周囲から見てもわかるくらいの存在の大きさを主張して。冬樹が叶えてくれなかった約束を夏彦はすぐに叶えてくれた。

 やはり、何もかも相性が最高だったのだ。彼に抱かれた私はすっかり彼の虜だ。冬樹の時は正直、言い聞かせていた。名前を激しく呼んで誤魔化していたけど、独りよがりの抱き方だった。時には喧嘩したこともあった。だけど、煙草吸って聞いていないふりをされていた。結婚すれば変わってくれると思っていた。結局、結婚もしなければ、そういうところも変わらないでいたのかもしれない。

 それとは裏腹に、夏彦は私のことを良くわかってくれている。顔を見るだけで私の心の内をよく理解してくれて……。夏彦と結婚できて良かった。失敗した恋愛をしてしまったけど、幸せな結婚はできたから良かったじゃない、私。

 忘れられた約束。幸せにある中の私をそれでも未だに囚われの身にする不幸な思い出。

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忘れられた約束 シィータソルト @Shixi_taSolt

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