五.四 インパール
佐藤孝信は、左右田恒久から「写真」の話を聞いてすっかり動揺してしまい、どうやって家に戻ったか思い出せないほどであった。ビールを飲み始めて少し落ち着いてから、彼の話を反芻していた。
ふと、ナコンパトムの街中を流れる川の
同じ守備隊に同姓同名の「佐藤孝信」がいたとは思っていなかった。
その写真は、間違いなく自分がラチャマイに置いていった物である。置いてきた写真は一枚だけだし、豊橋市出身で第十五師団少尉は自分しかいない。
《だが、左右田君の言う知り合いの娘の祖母が、もし万が一あのラチャマイであったとすると、自分がビルマに発ってから彼女が誰かとの間に子供を作ったのか?だが、あのラチャマイがそんな事をするとは思えない。――とすると、まさか一回限りのあの夜の?》
ビルマに発つ前の晩、ラチャマイは自分の部屋に帰りたがらず佐藤の部屋に泊まった。通常、佐藤は病院近くの賄い付の一軒家に隊員達と寝泊りしていたが、病院内にも守備隊長用に寝起きする部屋を持っていた。
佐藤はそれまでラチャマイに手を付けていなかった。彼女への純愛を不純なものにしてしまうような気がしていたからである。しかしながらしばしの別れを前に、離れがたい思いがぶつかり合った激しい抱擁から、ごく自然に二人は結ばれたのであった。
封印していた辛い思い出があふれ出て、佐藤の頭の中でぐるぐると堂々巡りをしていた。《まさかあの時の……》
酔いが回ってくるにつれて、ナコンパトムを出発してからの事がよみがえってきた。
一九四四年五月
暑さが幾分和らいできて雨季がそろそろ始まろうかと言う頃に、佐藤は泰緬鉄道に乗り、一年前に急ごしらえで完成した鉄橋でメクロン河(現クワイ川)を渡り、ジャングルの中や岩盤を掘削したり、断崖に張り付くようにしたりして敷設した線路を北上した。
幸いこの時期はまだメクロン河に架かる鉄橋を含めタイ側の泰緬鉄道は連合軍の空爆にあっておらず、タイのカンチャナブリ県とビルマ(ミヤンマー)のカレン州が接する国境地帯にある三仏峠辺りまでは豪雨の中を比較的円滑に進むことが出来た。
だが、ビルマに入ると時折晴れ間を縫って敵機が襲ってきた。汽車は昼間はジャングルに隠れ、夜間に走った。
一週間ほどかかってやっと軍司令部の置かれたメイミョーに着いたが、ナコンパトムを出る時十人いた部下の警備隊員は七人に減っていた。石山中佐は、バンコクからラングーン(現ヤンゴン)まで飛行機で行ってからメイミョーに既に到着していた。佐藤たちは、臨時の野戦病院で警護といっても殆ど衛生兵のように傷病兵達の手当をしていた。
川に流されたり、崖から転げ落ちてしまったりして残り少なくなってしまっていた薬も、消毒剤も、包帯も殆ど尽きた頃、軍医の石山中佐に「どうやらインパール作戦が失敗したらしく、連合軍の反攻が一層激しくなってきている。我が皇軍は徐々に後退し始めているので敵はいずれこちらにもやってくるに違いない。この臨時の野戦病院は殆ど薬もないし閉鎖せざるを得ないので、後はメイミョー兵站病院に任せるしかない。
自分は方面司令部のあるラングーン経由で帰国するよう命令が下った。もっとも、制空権をすっかり奪われてしまったのでラングーンまで行ければありがたいとは思っている。君はここにいても致し方ないのでバンコクに戻り、タイ国駐屯軍の指示を仰ぐように」と、言われたのである。メイミョーに到着してほぼ四か月近く経った頃であった。
ビルマとインドの間に横たわるアラカン山脈を越えて、インドのマニプル州のインパール攻略を目論む日本軍のインパール作戦が一九四四年の三月上旬に開始された。
インパールは、当時日本と戦っていた中華民国に対する英国、米国、ソ連の軍事援助ルートの要衝の一つで、インド駐留の英国軍の重要な拠点で、ここを占拠し蒋介石率いる国民党軍の弱体化を図ろうとしたものである。
始めのうちは敵の要衝であるインパール北部を一旦は攻略し、インパールを孤立化させたものの、連合軍は空輸で次々と戦車までも運ぶ補給作戦により反撃を始めた。
一方、三方からインパールを目指した日本軍は制空権が無い中、雨季でぬかるんだ山道に足を取られ、補給が困難を極めた為に、食べる物が尽きて餓死者が続出した部隊も少なくなかった。撃つ弾薬も尽き、敵の強力な機動力の前に作戦は失敗し、遂に7月に入ってインパール作戦は中止されたのであった。その後、英米の連合軍の反攻が激しさを増してきたのだ。
佐藤は、ナコンパトムに残してきたラチャマイの元に戻れると思うと矢も盾もたまらず、部下とタイに戻るという数十人の兵隊と一緒に、マンダレーを経由して、北タイにあるチェンマイをまず目指す事にしたのだ。既に鉄道はあちこち敵の爆撃で寸断されたも同然で、タイまで陸路を行くしかなかった。
途中、英国軍の空からの攻撃で幹線道路は通れず、タウンジー辺りから東に向かい獣道のような山道を歩いた。多くの兵隊はタウンジーから真っ直ぐ南下してタイのメーホンソンを目指したが、自分達は少しでも目立たないようにと別行動をとる事にしたのであった。
装備は既に飯盒と三八式歩兵銃ぐらいしか持っていなかったが、米など既に無く、途中の山岳民族の村で、元々のビルマ・ルピーの絵柄に似せて英語で「ザ・ジャパニーズ・ガバメント」と書いてある「軍票」で食べ物を分けてもらおうとした。だが、猛烈なインフレで今や価値が数十分の一になってしまっていることもあるが、日本の軍票などほとんど見たこともない人たちで、ただ不憫に思って食べ物を恵んでくれたのであった。
メイミョーを出るときに同行した兵隊の中に経理部の者が三人いて、それぞれがかなりの量のビルマ・ルピーの軍票とタイのバーツ紙幣を持っていたのだ。タイは占領した訳ではないので、タイ・バーツは軍票ではなくタイ政府発行の正規の紙幣である。
数十人の仲間も途中でマラリヤやデング熱、赤痢にやられていつしか半数以下になっていた。病に倒れた仲間に、タイに戻って体勢を整えたら戻ってきて助けに来るから待っていろと、口では言いつつ涙を流しながら置き去りにした。
ケンタングを越えて何日かして、山道に差し掛かったあたりで、まさかここまでは敵も追ってこないであろうとタカを括って昼間に道路の脇を歩いていた。これまでは夜しか道路を歩かなかったのである。ところが単発式のエンジンの音が聞こえてきた。
慌てて茂みに駆け込みながら、枝葉の隙間から英国軍のスピットファイア戦闘機が見えたと思ったとたんに、タタタタタと機銃掃射の音が聞こえ、砲弾がピシッ、ピシッと辺りの木にあたる音がした。太い木の陰に身を寄せた瞬間に左の太ももに鈍い感覚が走った。
痛くはなかったが、ズボンの破口に沿って七~八センチほどの傷口がパックリと開いていた。見ていると深さ三センチ程の傷口のまだ血の気のない白っぽい肉が、みるみる赤い血に覆われ泥まみれのズボンを濡らした。
どうやら二十ミリの機関砲弾が太ももをかすったらしい。慌てて、体の他の部分を調べたが無事であった。激しい痛みがだんだん襲ってきた。幸い骨までには達していなかったようだ。
生きる見込みのありそうな兵士にと言って、石山中佐に持たされた「貴重な」痛み止めやペニシリンなどの医薬品を使った。激痛には勝てなかった。自分以外数人が被弾したようであったが、皆即死であった。
佐藤は、次々と兵士が脱落していくのを他人事のように無感覚でいる自分と、いつかは自分もああなるのではと思っている自分と、戦いもせず病死する兵士を見て心の底から怒りを感じている自分と、さらに一段上にいてそれらを眺めている自分が、もうろうとした意識の中で彷徨いつつ、ぬかるみにズブズブと全てが沈んでいく感覚を覚えながら、痛い足を引き摺りながらジャングルの中を漂流していた。
自分が正気を保っているのかどうかも不確かだが、明らかに正気を失って隊列から離脱して行く兵士を見て、自分はまだ正気なんだと気付かされる。そうして置き去りにしていくことに違和感を殆ど覚えなくなった頃、激しい下痢が始まった。
少しずつ同行の部下や兵士達から遅れるようになり、遂には一人になった。置き去りにする者とされる者が逆転した。置き去りにしてきた兵士の無念の顔はこれまで沢山見てきたが、今度は自分が置き去りにされ、置き去りにして去っていく者の憐みの顔を初めて見た。
自分もこんな顔をして置き去りにしてきたのかと思った。必ず戻ってくるから頑張れと言う励ましの言葉がこんなに空虚に響くものかと思いつつ、有難うと礼を言い横たわった。
既に一人になってしまったものの、少し休んでからまた移動を始めた。谷間が続きなかなか目指す方位に向かえない。既に手榴弾は渡されている。だが、ここで死ぬわけには行かない。待っている人がいるのだ。
這いつくばりながら泥の山道を登っていた。山道といっても、雨が降り始めれば濁流と化す川底である。だがこの所、雨は少しずつ減ってきており、気温も下がってきた。辺りは暗く、時折雲間からのぞく月の明かりが密林の闇を薄ぼんやりと照らした。時折、死肉の匂いが漂ってくる。木の根が盛り上がって乾いたあたりに腰掛けて休んだ。
ハエかと思うほど大きい蚊が何匹も襲ってくるが、追い払う気力も体力もなかった。しばし休んでから体を起こし、また這いつくばりながら登り始める。体の芯が熱い。大きなハエの大群の羽音が低いサイレンの様に聞こえたと思ったら、ぬるっと柔らかいが、細い芯のある物を踏みつけ転んだ。体中に、転んだときにべっとりとついた血や腐った肉の匂いがしたが、麻痺して何も感じなかった。ハエの羽音が自分の周りを回っている。上着やズボンの乾いた部分は、血糊で板の様に固くなっている。
途中で拾った雨合羽にくるまり、かなりの時間寝込んだ。太陽が真上に来ているらしい。ジャングルの中にはあまり陽が差し込んでこないがそれでも随分と明るくなった。本格的に乾季が始まったのだ。
雨が降り続き膝まで沈むぬかるみの中の行軍は厳しいが、一方で乾季になれば敵の攻撃が激しくなる。
佐藤は急がねばと思った。
今や戦況がどうなっているのか皆目見当がつかなかった。寝ぼけ眼で雨合羽をたたんで腰から提げた雑嚢に突っ込み、よろけながら立ち上がって辺りを見回した。ところどころに腐乱した死体や人骨が散乱していた。爆撃や戦闘の跡はなかった。赤痢やマラリヤにやられて亡くなったのであろう。どうやら、このあたりは兵士たちの敗走路になっていたに違いない。
高熱に侵されたせいか、それらの死体や人骨が全て自分の亡骸に見えた。
だが、どうしてもラチャマイの待つナコンパトムに帰らなければならない。佐藤は足元の泥水のように濁った頭でラチャマイの顔を思い出そうとしていたが、なかなか思い出せない。
ラチャマイのくれた首から提げたプラクルアン(仏像のお守り)を握り締めながら、思い出そうと思えば思うほど意識が遠のいていった。
一九四五年一月始めの事であった。
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