第6話

 大規模検診から、一か月が経ったハイムの街――。

 そこは、至って穏やかだった。シャルロットの視察に同行したカナは涼しい風を味わいながら、彼女の傍を一歩下がって歩く。

 彼女はそっと風になびいた金髪を手で押さえ、軽く笑う。

「すっかり秋ね。大分、収穫も進んだし――収穫祭も、盛り上がりそうね」

「はい、あれ以来、商工組合と農協組合も、いがみ合いを控えていますし」

 病気の原因が、商人が手配した食料にあった――。

 その事実に、ジャン商工組合長をはじめとした商人たちは肩身を狭くし。

 また、農民たちも自分たちの自己管理の至らなさで、発病したようなものだ。余計な騒動を招いたことに、少し申し訳なさそうにしていた。

 その結果、お互いがお互いに譲り合うようになり、街会長は喜んでいた。

(屋敷の仕事も減るし、万々歳だな)

 あとは、農民たちから職人税を徴収する。それができればしばらくの財政は安泰である。そう思いながら、二人で街を歩いていると、ふと向こう側から歩いてきた人が手を挙げた。

「おお、お嬢ちゃん」

「リヴェル工房長、ごきげんよう」

 向かいから歩いてきたのは、地方通貨を作ってくれたリヴェル工房の主だった。大柄の身体の彼は、シャルロットに一礼をした。

「あら、やけに丁寧に挨拶するのね」

「それは当たり前だ。お嬢ちゃんは領主様だしよ、それに――大分、儲けさせてもらっているんだ。あのハイム通貨のおかげで、わざわざ領地の外から声がかかる! この前は、ナカトミ領から依頼を受けてな! 一刀彫の机が欲しいらしい」

「い、一刀彫……さすが、ルカ様、頼むスケールが違う」

 だが、それだけの注文を受けられるようになったのは、やはり、彼自身の腕前によるところが多い。ハイム通貨の精密な彫刻が、大きく伝わったのだろう。

 ちなみに、ハイム通貨は案の定というべきか、偽造通貨が出回った。

 だが、すぐに粗悪であるために見破られ、流通を辿り、その偽造犯も捕まえた。

 その罰金刑により、また財政が潤ったのは、また別の話である。

「よかったわね。工房長」

「いやぁ、腕が鳴るわい。それで、是非とも礼をしたいと思ってな。これを作ってきたのだ。是非とも受け取ってくれるかね、お嬢ちゃん」

 そういって工房長は何かを差し出してくる。その小さな箱をシャルロットは受け取り、きょとんと首を傾げながら蓋を開ける。

 その中に入っていたのは――木目の、リングだった。

「これは……指輪?」

「うむ、木で作った指輪だ。しっかりと鑢掛けをしていて、滑らかになっている。小さいが宝石も埋め込んだものを、二つある――お嬢ちゃんは、宝石一つもつけないからな。農協の者に良質な木を選んでもらい、商工で宝石を加工した。この世に、二つしかない指輪だ」

 シャルロットはそれをそっと掌の上に出す。

 その木の周囲には家紋をモチーフにした草花の衣装が示されている。小さな蒼い宝石を彩るように、周りには花弁が彫られている。

 きっと、シャルロットの指に嵌められれば、きっと似合いはずだ。

「二つ用意したのは、お嬢ちゃんがいつか結婚するときに相手に渡してほしいからだ。まあ、相手は誰か予想はついているがな」

 リヴェル工房長はにやりと笑い、シャルロットとカナを見比べる。

 シャルロットは頬をわずかに染めながら、こくん、と小さく頷いた。

「ありがとう。リヴェルおじさま」

「いいってことよ。そんじゃ、俺は仕事に戻る。何かあったら、連絡しな」

「ええ――必ず」

 頼もしい職人の後ろ姿を見送りながら、シャルロットはその指輪を大事そうにしまいこむ。そして、カナを振り返って控えめに微笑んだ。

「ね、カナ――少し早いけど、屋敷に戻りましょう」

「……はい」

 カナはゆっくりと頷きながら、心の中で覚悟を決めつつあった。


 二人で屋敷に戻ると、屋敷には誰もいなかった。

 施錠されていた扉を開けながら、はて、とカナは首を傾げる。

(マリーは休みだし、でも、ゲオルグ様とサーシャさんがいるはずだけど)

 ふと、疑問に思いながら、二人でシャルロットの部屋に戻ると、そこには書き置きが残されていた。走り書きしたのか、少し乱雑な文字だ。

『少々、確認しなければならないことができたので、サーシャを連れて行ってまいります。緊急ではないので、お気になさらないでください。ゲオルグ』

「緊急ではないにしろ、屋敷に使用人を残さないなんて、何かあったのかしら」

「まあ、ゲオルグ様のことを信じましょう」

 シャルロットとカナは視線を合わせて微笑み合う。

 ふと、途端に静けさが満ちて――否が応でも、意識してしまう。

 今、屋敷の中で、シャルロットとカナは、二人きりなのだ。

 彼女は金髪を少しだけいじると、ちら、とカナを上目遣いで見やる。カナは緊張しながら、一つ咳払いをした。そして、真っ直ぐにシャルロットを見つめる。

 幼馴染であり、主人であり――そして、何よりも大事な人。

 その人に抱いている気持ちを、はっきりさせるべく、口を開く。


「シャル様、聞いていただきたいことがあるのです」

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