現代百物語 第9話 箱

河野章

第1話 藤崎の家

「ちょっとだけだよ、良いだろう」

「嫌です」

「ほんの一瞬だぞ」

「それでもです」

「何だよお硬いな、俺とお前の仲じゃないか」

「先輩後輩と言えど無理なものは無理なんです」

「ちょっとだけ……」

「あー!駄目ですったら、駄目です!」

「……例の100回?ってやつか」

「そうです。100回食べても嫌いなものは嫌いなように、100回見ても怖いものは怖いんです」

 小さな木箱を今にも開けようとする藤崎の手に手を重ねて、必死に開けさせまいとしながら、新也(アラヤ)は真剣な顔で目の前の男を睨んだ。


 谷本新也(アラヤ)はその日、高校時の先輩である藤崎柊輔の家を訪れていた。

 美味い酒があるからと言われて新也がホイホイとでかけていったのは梅雨時期の、珍しい晴れの昼時だった。

 マップのアプリで調べてたどり着いた藤崎の家は、屋敷と言っても差し支えないほどの古い日本家屋だった。祖父が死んだときに藤崎の両親に引き継がれたその家は、両親が不要だというので孫の藤崎が住むことにしたという。ちょうど実家から出たい時期だったのも幸いで、もう4年目になるという。

 両翼を広げる形に棟が展開する、入り母屋屋根の平屋の家屋だった。

 前庭は広く、元は格式高い日本庭園だったらしく、巨石が置かれ、池がある。しかし今は先代の趣味だろうか、植木の間間に柑橘類がちらほら見えるのが微笑ましい庭だった

 各翼に当たる左右の棟にも坪庭がついているというから、屋敷は敷地だけでも相当の広さのようだった。

 そんな豪邸の前で、新也は藤崎に迎えられた。

「よく来たな」

 藤崎は歯切れ良く言い、笑顔で新也を迎え入れる。

 主に母屋と向かって右の棟で生活しているという藤崎は、新也の予想を裏切って日本家屋とよくマッチしていた。端正な男前という形容が似合う彼は、和服も似合いそうだ。

「びっくりしました。お屋敷じゃないですか……」

「まあな。広すぎて、世話に手が回っていないのが現状だが……」

 恥ずかしながら、母親に時折掃除に来てもらっていると藤崎は明かす。

 そうは言うものの、通された座敷は広く清潔で、座卓の上には茶のセットと、酒肴がすでに用意されていた。

「まずは一献……」

 席に付けば、ふざけて藤崎が酒を早々と新也の杯に注ごうとする。

「では、遠慮なく」

 新也も笑って、盃を受け取ったのだった。


 そして2人は飲んだ。

 ともに弱いということはないので、かなりの量を明けた。

 そこで、珍しく藤崎が持ち出したのが件の木箱だった。

「ちょっと見てほしいものがあるんだよ、新也」

 そう言って、藤崎は屋敷の奥へ一度下がっていった。酒の肴でも追加があるのだろうかと呑気に構えていた新也は、藤崎が戻ってき、手にした箱を見るなり、ひっと悲鳴を上げて飛び退った。

「なんですか、それ!」

 問いかける声も悲鳴に近い。

 部屋の端に逃げるも、藤崎はニコニコと笑ったまま突っ立っている。いやあ、と頭をかいた。

「やっぱり。なにかあるか、これ」

「やっぱりって……?」

 恐る恐る新也は聞き返す。箱からは、どす黒い臭気のようなものが立ち上がっている……ように新也には見えていた。

 新也には不思議な体質があった。

 ありとあらゆる怪奇やホラーの類の現象を引きつけてしまうのだ。本人や周りはホラー体質とよんでいたが、今回も新也は常人には見えぬ物をその目に見ていた。

 藤崎が人の悪い顔でニヤリと笑った。

「何度捨てても、持ち主のもとへ返ってくる茶碗」

 酔っていても、悪い顔をしても、嫌になるほどの男前が嬉しそうに言う。

 新也はまたひっと言って、今度は部屋の違う角へ逃げた。

 どす黒い気が大きく丸く、箱を包み込んでいる。藤崎は箱を持っていて何も感じないのだろうか。

「なんですか、それ……」

「だから、捨てても戻ってくる茶碗が入っているんだよこれ。いわれはよくわからないんだけどな、箱にも中にも無銘だし……。人へ手渡しで譲るとOKなんだけど、単に捨てると翌日、玄関前に戻ってくるんだ。ご丁寧に箱ごと」

「そういう、意味じゃなく!」

 じりっと藤崎が新也に近寄る、逃げられずに新也は顔を背けた。

「見てくれって。俺じゃわからないんだよ、これ」

「見たくありません」

 ぎゅっと目を瞑る新也ににじり寄り、藤崎は大げさにがっくりと肩を落とす。

「いわれがどうとかいうより、本当に捨てたら駄目なのかだけでも見て欲しかったんだけどな。中身をちょっと見るだけでも良いのに」

「うっ……」

 箱を近くに寄せられて、新也は口を手で押さえる。

 なんとも言えない、生臭い臭いと土の臭いがした。

 たまらずに新也は箱を押し返す。

「無理ですって……」

 そして冒頭に戻る、である。

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