第2話
「んあ……」
ぼんやりと、目を覚ます。いつも起きて一番に目に入るものとは違う天井。ゆっくりと起き上がると、身体の節々が微妙に痛んだ。
「……そっか。ここで寝たんだっけ」
結局、昨晩はリビングで寝た。不法侵入幼女がソファを大いに気に入ったみたいで、頑としてその場を動こうとしなかった。目を離すと何をしでかすかわからなかったので、彼女が眠りにつくと仕方なく俺ももう一つのソファで睡眠をとることにしたのだった。
言っておくが添い寝なんてしていない。絶対に。そこはわかってほしい。誰に言い訳しているのかは俺もわからん。
「ん、むう……」
テーブルを挟んだ向こう側のソファには、もふもふした塊がひとつ。丸まった毛布の中から顔だけをひょっこりと出して、すうすうと小さな寝息を立てながら幼女が眠っている。
「こうして寝てる分には、普通の小さな女の子にしか見えないんだけどなあ」
俺は首を傾げながら、幸せそうな寝顔の浮かべている頬をつついてみる。
ぷにぷに、ぷにぷに。
……うーむ。
「どう見ても人間、だよな……?」
「……か、神様?」
「うむ。そうじゃ」
おにぎりをひとしきりたいらげた幼女は、けぷっ、と小さくげっぷを放った。
「……」
たしかにこの子は自分の家があの無人の神社だとは言ったけど……。
俺がまんまと嘘に引っかかっている、という可能性もあるわけで。というか、常識的に考えれば子どものイタズラに結びつくのが普通だ。
しかし、俺はそう断言してしまえない。
その理由のひとつが、彼女の服装。
着物……にしては変わりすぎているし(こんな肩や太ももを大きく露出した着物を着せる親はそうはいないだろう)、今どき髪をとめるのにかんざしなんてほとんど使わない。それにこの言葉遣いも、なんとなく違和感がある。
だけど確証はない。
「うーん、じゃあお前が神様だっていう証拠を見せてくれよ」
「んなっ、なんじゃと!」
「驚くことないだろ。神様なら人間にできないすごいことのひとつやふたつ、できるだろ? でないと俺も信じようにも信じられないしさ」
私は神様です、なんて言うやつはだいたいアヤシイ宗教か何かだ。まさか教祖様がこんな幼女ってのは予想の遥か上をいくけど。名づけるならロリコン教、だろうか。
ここではぐらかしたり、何もできないようじゃこの子はただのいたずらっ子確定。朝になったら親御さんのところへときちんと送り届ける。
だけどもし、本当に何か超常的なものを見せられたら……? そのときは、この子の話を信じるしかないんだろうか。怖いもの見たさのような、言い様のない不安が広がる。
「むむむむ……」
唸る幼女。どうやらいらぬ心配だったみたいだ。そりゃそうだ。神様だなんて非現実的なことが目の前に現れるわけないし――
「おぬしぶれいじゃぞ! おぬしが願ったからわしが来てやったというのに、しょうこだとか何とかぬかしおって!」
「え?」
叫ぶような彼女の言葉の中に、奇妙な部分があった。
「俺が願ったから……来ただと?」
「そうじゃ! おぬしがわしの社まで来て熱心に祈ってくるからわざわざ出向いてやったのじゃ!」
「あの神社に行った……俺が?」
はて、いつのことだろうか。最近あそこに行ったとすれば……、
「ああ、今年の正月か」
枝穂と行った、初詣。きっとそうだろう。それ以降にあそこを訪れた記憶はないし、それ以前に行ったのは最早記憶にすらない。
「ふん! たしかそれくらいの時期じゃったかの」
ソファから立ち上がり、幼女は睨むようにこちらを見てくる。
「ふだんやって来る人間がぜんぜんおらぬから、わしはうれしかったのじゃ。じゃから願いを叶えてやろうと来てやったのに……恩をあだで返された気分じゃ! 感謝こそすれ、子ども扱いやうそつき呼ばわりはなかろう!」
「ちょっ、とりあえず落ち着けって」
目じりに少し、涙まで浮かべて声を荒げる。神様だという話が本当だとしても、この様子じゃ子どもにしか見えないって。
だがどうもしっくりこない。そもそも俺はあの時自分がどんな願い事をしたのか、あまり覚えていないのだ。自分で覚えてないことをこの子(神様?)が知っているとは考えにくい。それに、枝穂のこともある。アイツの方が熱心に願い事してたみたいだし、この子は俺の願いを叶えたあとにアイツの家にも向かうつもりなのだろうか。それとも、順序が逆なのか……。
ともあれ今はなだめないと。さっきから怒り度がどんどん増してきてるし。
「ま、まあ座れよ。いい子だから、な?」
「うるさい! わしを子ども扱いするなと言っておろうが!」
しまった、逆効果だった。
「そもそも家の場所を伝えてきたのはおぬしじゃというのに、なぜわしが神ではなく子ども扱いされねばならぬのじゃ!」
「ん?」
そこで、またしても引っかかる言葉が。
「お前、それって……」
「なにを驚いた顔をしておる」
幼女は俺が驚いたことに驚いたような顔をすると、
「おぬしら人間の願いを叶えるにはおぬしらのところに行く必要があるじゃろう。おぬしらが正月にやって来たとき、きちんと場所を伝えてきおった。じゃからこうして来てやったのじゃよ」
手を腰に当てて、胸を反らせながら幼女は続ける。ちなみにその胸部と腹部は一体となって見事に滑らかな弧を描いていた。
「社に来た人間ひとりひとりを、いちいち覚えてはおれぬからの。『ここに来てくれ』と伝えてきたものには改めて向かうことができるのじゃ」
「じゃあ、正月に俺が神社に行ったっていうのを覚えてるわけじゃないんだな?」
「むろん。じゃが、あのとき言ってきた家の場所におぬしがおるということは、おぬしが願いの主なんじゃろう?」
「…………」
ここで、俺は気づいてしまった。大きな、重大な、過ちに。
確認を取るため、俺は彼女に質問する。
「お前、その時聞いた住所、覚えてるか?」
すると幼女は当然だと言わんばかりにふん、と鼻を鳴らして、
「ばかにするでない。いくらわしでもそれくらいは覚えておるわ」
そして、すらすらと、自信たっぷりにそらんじる。
「……」
それを聞いて、やっと納得がいった。
なぜ俺のところに神様と名乗るこの子が来たのか。自分でもよく覚えていないような願い事を叶えにきたのか。
俺は、確信を持って真実を告げる。彼女が信じている、すべての前提を覆す言葉を。
「その住所、俺の家じゃないぞ」
「……はえ?」
「……ふゃっ……ひゃっ。お、おぬし、やめぬか……」
ぷにぷに。
「これ! やめろと言っておるのが聞こえんのか!」
「おわっ! わ、悪い」
「人のほっぺたをいつまでもつつくでない。ぶれいものめ」
「ごめんごめん」
人じゃなくて神様なんだけどな。この子の言ってることが正しければ。
そんなツッコミはさておき。
「やっぱりソファで寝ると身体が凝るな……」
あちこちが固まっている気がする。身体を起こすためにも、俺は目いっぱい伸びをする。
「ふあ~あ」
そして自然と漏れ出るあくび。結局何時間寝れたんだっけか。
「それよりおぬし」
「ん? なんだ?」
「少し前にこやつがそこでぴーぴーうるさかったのじゃが、これはなんなのじゃ?」
言って、彼女は手に持ったそれを見せてくる。
目覚ましの止まった、俺のスマホを。
「……」
一瞬の空白。
……よし、脳細胞たちをフル稼働させて現状の認識だ。そして神経を通して反応。
「ちょ、ちょっと待て! なんでお前が持ってるんだよ!」
「何故といわれてもの。こやつがおぬしの眠りを妨げると思ったからわしがいろいろして音を止めてやったのじゃ。どうじゃ、すごいじゃろ」
えっへん、と得意げな顔をする。褒めろ褒めろと言わんばかりだ。
「すごくねえ! なに勝手に止めてんだよ!」
「ほえ?」
リビングには目覚ましがないからスマホを代わりに置いておいたのに、コイツ止めやがったな! いや、今となってはそれはどうでもいい。それどころではない。
「今何時だ!?」
壁にかけられた時計の方へ勢いよく振り向く。見れば、予定していた時間はすでに過ぎてしまっている。
「やっべ……」
「うぬ? どうしたのじゃ?」
「どうもこうも俺は今急いでるんだ! 話の続きはまたあとだ!」
首を傾げる彼女に言い放って、俺は慌ててで準備を始める。
「さすがに始業式から遅刻するわけにはいかねえって……」
そう。今日は高校二年生の初日。新たな生活のスタート。
なのに寝坊とは。すっかり春休み気分が身体に染み付いてしまっていたってことか。実際は夜更かしして目覚ましを止められたのが原因だけど。
それにあんまり遅すぎると、アイツが……枝穂が家にやって来かねない。こんな変な状況を見られたら、余計ややこしくなってしまう。説明できる自信もない。
俺は急いで身支度を整え、リビングに戻ってくる。
よし、リカバリー成功! 朝飯は抜かざるをえないけど、今から出れば余裕で間に合いそうだ。本当なら俺はもっとゆったりした朝を過ごしたい派なのだが、そうも言ってられない。
「む? おぬし出かけるのか?」
「そうだよ! 昼前には帰ってくるから、お前はそれまで家でおとなしくしてろよ。冷蔵庫の中のものは好きに食べていいから!」
「おい! おぬし!」
幼女の返事を寄せ付けずに俺はリビングをあとにする。
とりあえず面倒ごとはあとに回したい。
俺はそれだけを考えて家から駆けだした。
◇
家を出て数分。
「はあ……」
俺は盛大にため息をついた。本当は新生活を迎えて清々しい朝なはずなのに……。
「なんじゃおぬし、ため息なぞつきおって」
隣には、神様(自称)幼女。
「お前さ……。家でおとなしくしてろって言ったよな、俺」
すると幼女は小さく鼻を鳴らしてそっぽを向くと、
「はん、なぜわしがおぬしのような人間の言うことをきかねばならんのじゃ。わしはわしのやりたいようにするわ」
「だからって別に俺についてくることないだろ。どこへでも行けばいいじゃないか」
「なにを言う。わしは昨日から何も食べておらん。おぬしの近くにおればうまいものが食べられるとわしの直感が告げておるのじゃ」
「俺はお前の保護者かよ……」」
それか飼い主か。まるでエサをねだってくるペットみたいじゃないか。
「はあ……」
再びため息。もしかして学校までついてくる気だろうか。そうなったら俺は周りのやつや世間様にどんな説明をすればいいんだよ。
まるで泥の中にいるようなどんよりとした気持ちの中、彼女の下駄だけがカラン、コロンと軽やかな音を奏でている。
「それより、おぬしよ」
「なんだよ」
「わしが……その……場所を間違えた、というのは……本当なんじゃろうな?」
口元をごにょごにょとさせながら、聞いてくる。
「……ああ、本当だよ」
今さら冗談でしたー、とか嘘をついても誰のためにもどうにもならない。昨夜も説明してやったことを、俺はもう一度言う。
「確かに初詣でお前がいたっていう神社には行ったけど、家の場所まで伝えて願い事したのはたぶん一緒にいたもう一人の方で、俺じゃないんだよ」
もう一人――幼なじみの、
「むう……」
「それをお前が聞き間違えたか覚え間違えたで、俺のところに来ちまったってわけだ。まあ仕方ない部分はあるけどな。アイツと俺の住所、よく似てるし」
番地だけが違って、他はみんな一緒。郵便だってごくまれに間違って届くことある。
「で、では……」
幼女は唇を震わせながら、
「わしはまったく関係ない人間に、関わりのない願いをかなえてしまったことに、なるのか……?」
「……ま、そういうことになるな」
「っ……」
おそらくそれが真実だろう。コイツにとっては悲しいことなんだろうが。
そういえば、枝穂がお願いしたことっていうのはどんなことだったのだろうか。それが今の俺に作用しているんだろうが、今のところ、願いを叶えられる前とは差して変化はないように感じているけれど……。
「……わしは……」
幼女は呆然としてその場に立ち尽くす。
まったく、うるさくてかなわないやつだけど、こうも意気消沈した姿を見せられるとこっちが悪いことをしているような気分になる。これじゃあ俺が幼女をいじめているみたいじゃないか。一応フォローでも入れておいてやるか。
「おい――」
そう思って声をかけようとしたその時、
「おーい、実ー!」
後ろから俺を呼ぶ快活な声と足音が聞こえてきた。
「おはよー」
振り返れば、にっこり笑った女の子が手を振りながら近づいて俺の隣――幼女がいるのとは反対側――に並ぶ。
短めのおさげに小さな花の髪飾りをつけた、女の子らしい女の子。渦中の人物、木賀枝穂その人だった。
「お、おう。おはよう枝穂」
俺はぎこちなく手を上げる。するとさっきまで適度な距離を保っていたはずの幼女が俺の腕に自分の腕を絡め、力いっぱい抱いて(とういうよりしがみついて)きた。そして俺の身体を盾に枝穂の方をチラチラと見ている。
「ちょ、お前……」
待て待て、この状況はまずくないか? 俺が朝から幼女(しかも肩をはだけさせているような謎の格好をしている)にしがみつかれている現場なんて目撃されたら、どうなることか。いくら温厚な枝穂でもこれは誤解する。その結果、最悪おまわりさんとランデブーすることにもなりかねない。
そもそも幼女を隣に侍らせているだけでも今のご時世、十分危険な行為だ。何の疑いの余地なく、事案が発生する。
「今日から学校だねー」
「そ、そうだな」
どうやって誤魔化そう。今さら家に帰るように言ってもこの幼女は聞く耳を持たないだろうし……多分手遅れだ。というかさっきから俺の腕をしっかりホールドしたまま離さない。というか腕を絡めすぎだ。痛い、痛いって。
頭の中では、人生という道の先が光なき暗闇に包まれている景色が思い描かれる。ああ、さらば俺の未来。そしてようこそ監獄ライフ。
「それにしても、今日はあったかいね。もう春全開ってかんじ」
「あ、ああ」
しかし。
いつまでたっても枝穂は幼女に対してツッコミを入れてこない。いつもどおり、ほんわかした空気を周りに放っている。
まさか見て見ぬ振りをしてくれている……なんてことはないな。そんな高度なこと、コイツにできるとは到底思えないし。
「……わしの姿は、今のところおぬし以外には見えぬから安心せい」
俺の影から枝穂の様子を窺いながら、ぼそりとつぶやく。
「そ、そうなのか……」
言われてみれば、枝穂はこの幼女の存在自体に気づいていないようだ。さっきから歩いていても、時々すれ違う道行く人たちは俺に怪しげな視線を送ってきたりはしていない。ひとまず見えていない、というこの幼女の発言は信用してもよさそうだ。
見えない、気づかれない。そんな非現実的な現状を目の当たりにして、この幼女が人間とは違う存在であるということを否が応でも認識させられる。夢でなく、現実なのだと。
ともあれ、まずは一安心だ。正義の味方おまわりさんと友達にならずに済んだし、俺の両手に手錠がかかることは免れられた。これからもシャバの空気を吸っていられる! 万歳!
「もー実ってばどうしたの? さっきから気のない返事ばっかりだし」
「あ、ああ悪い。何の話だったっけ」
「今朝の話だよー。わたし、せっかく迎えに行ってあげたのに実ったら先に行ってるんだもん」
「そんなこと言われてもな……お前が来るなんて聞いてなかったし」
「むー、だからメールしたのに」
頬を膨らませてむくれっ面になる枝穂。俺は慌ててスマホを確認する。
「あ、ホントだ……。悪い」
バタバタしていて気づかなかった。
「い、いいよ。ちゃんと実とこうして二年生初日から一緒に登校できてるし」
うれしそうな笑みを向けてくる。その感情を体現するかのように、小さな花飾りが色素の薄い髪のおさげとともに揺れる。まったく、俺なんかと一緒なくらいで何がうれしいんだか。
「じゃ、じゃあさ……明日から待ち合わせとか……する?」
「待ち合わせか……俺は別にかまわないけど」
「やたっ! 約束だからね?」
今までも特に待ち合わせすることなく一緒に登校したりしてたから、あんまり変わらないと思うけど……まあ枝穂本人がうれしそうにしてるし、いいか。
くい。くい。
「ん?」
視線を反対側に向ければ、顔をうつむかせたまま幼女が俺の袖を引っ張ってくる。
「なんだよ」
不審に思われないように、努めて小さな声でそれに応じる。
「早くがっこーとやらに向かわんか。わしは……あまりこの娘の近くには居とうないのじゃ」
「……」
なるほど。
コイツとしては、本来願いを叶えてあげるはずだった相手の近くには……顔を合わせたくないってことか。たとえ向こうからは見えていないとしても。案外人間っぽいとこもあるじゃないか、この神様は。
「さ、早く行こう? 急がないと遅刻しちゃうし」
先ほどの笑顔をそのままに、枝穂が言ってくる。
「そうだな。急ぐか」
「えへへ。行こ行こ」
「……」
右には無言でしがみついてくる、他人に見えない幼女の神様。
左には、ぽやぽやした笑顔の幼なじみ。
如何とも形容しがたい組み合わせに挟まれながら、俺は学校への道を歩いていった。
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