結婚式の準備は大変です(注・彼には思惑もありました) 後編
私とアルフェイグは、庭に出た。庭も、すっかり綺麗に手入れされている。
二人で歩きながら、さらに色々と相談を重ねた。
「招待状を出した親戚は、皆、来られるって。私の親戚は女性ばかりだから、アルフェイグ、きっと驚くわ。そうだ、式の後のパーティには、町の人たちも来られるようにしたいんだけど、この庭で軽食を……あっ。ごめんなさい、私ばっかり」
「いや。ルナータが楽しそうにしているのは、僕も嬉しい」
アルフェイグが私から目を離さないので、つい視線を泳がせる私である。
(そーゆーとこよっ。どうしてこんなに真っ直ぐなの?)
「ええっと、アルフェイグも、希望があったら言って?」
「希望ね……」
彼はふと、自分の顎を撫でた。
「そうか。僕が目立つのは、いいわけだ」
「え?」
私は目を瞬かせた。何の話だろう。
彼は続ける。
「宰相殿からの手紙の内容だと、親族のいない新郎に配慮して新婦もおとなしくせよ、みたいな建前だったよね。でも、新郎がおとなしくする必要はないわけだろう?」
「まあ、そういう解釈もできるわね」
うなずくと、アルフェイグはにっこり笑って、軽く腕を広げた。
「それなら、ルナータ。結婚式の日、僕のグリフォンの姿を、庭で皆にお披露目しよう!」
「ええ……!?」
「いいだろう? きっと盛り上がる」
「盛り上がるってそんな、宴会芸じゃないんだから。グリフォンはもっとこう、神聖で尊」
言いかけた私の手を、アルフェイグはさらりと握る。
「ルナータ、頼む。結婚式に関して、僕の希望はこれだけだ」
「でも、王族の神秘性が……って、言ってなかった?」
「それは昔の話だから。ね」
「……わかったわ」
うなずくと、彼は嬉しそうに笑い、私の手を引いて庭の奥に進んだ。
気がつくと私たちは、あたりを囲む木々が様々な高さで絶妙に配置された空間に出ていた。屋敷からは見えない場所のようで、まるで小さな秘密の花園だ。
「ルナータ」
優しく、名前を呼ばれる。
甘い予感を感じながら振り向くと、すぐにアルフェイグに引き寄せられた。
すっぽりと、彼の胸の中に包まれる。
「あ……」
「しばらく、ここにいよう。このところ、あまり二人きりの時間がなかったから」
彼がささやく。
実は私も、少し、そう思っていた。
力を抜いて、アルフェイグの胸に身を委ねる。
彼はさらに私を抱き込むと、私の額に頬をすり寄せた。
「早く一緒に暮らしたいな。そうしたら、夜もずっとこうしていられる」
(夜……)
さっきの寝室の様子が目に浮かんで、顔が熱くなった。
「ルナータ……愛してる」
頬から顎を手のひらが包み、促されて、彼を見上げる。
唇が触れ合った。
そのまま、小さく音を立てて、キスが繰り返される。何度も。
「ん……」
気分がふわふわしてきた。自分の唇が、甘味を増して、砂糖のようにとろかされていくような気分になる。
「可愛い。ルナータ、君の気持ちも……聞きたい」
「ア……ルフェ、ん……」
「ルナータ。言って」
キスの合間、私を呼ぶ声に、切望の色が混じった。
身体中が熱くなり、膝の力が抜ける。
「待って、もう、あ」
倒れそうになってとっさにしがみつくと、アルフェイグがしっかりと抱き直して支えてくれた。
「大丈夫?」
大丈夫じゃない。これ以上していたら、気が遠くなってしまう。
「そ、外でこんなっ」
キスに溺れて倒れそうになった、という事実が恥ずかしくて、口ごもりながら抗議した。
アルフェイグは指でそっと、私の唇に触れる。
「ここを攻め落としたら、言ってくれるかと思って」
(攻め落とす!?)
攻略されている自分にどぎまぎして、私はポロッと、言ってしまった。
「今までもそうやって、女性に言わせてきたのかしらっ」
しまった、と思ったけれど、彼はちょっと目を見張り、そして口ごもりながら言った。
「ごめん。そうじゃなくて……君と一緒にいると、君のことで頭がいっぱいになってしまうんだ。タガが外れてしまった。余裕がないな」
「よ、余裕に見えるけど?」
「全然そんなことないよ。王国時代、僕と真剣に付き合おうなんて思う女性はいなかったから、こんな風に両思いになれたのは初めてだし」
よく見ると、アルフェイグの耳がちょっと赤い。
照れているのだ。
(そうだった。アルフェイグは王太子で、とても美しくてモテそうで女性慣れしていそうだけれど……彼と結婚したら苦労が絶えないと思われていたんだったわ)
そのせいで、パルセの曾祖母との婚約も、一方的に破棄されてしまったのだ。
しかし、アルフェイグは続ける。
「当時、一度だけ、とても魅力的な女性が僕に近づいてきてくれたことがあった」
「えっ」
どくん、と、心臓が鳴り、胸の中が重くなる。
(過去の恋の美しい思い出を、語られてしまうのかしら)
しかし、アルフェイグは遠い目をしてため息をついた。
「キストルの、間者だったよ……」
「ああ……」
アルフェイグを、ちょっと可哀想に思う私だった。
さて、アルフェイグの希望を叶えるため、私たちは庭に止まり木を作ってもらうよう職人に注文した。
「大きな爪のあるグリフォンの足で歩くと、地面がえぐれてしまう。ここの庭はせっかく綺麗に手入れされているから」
と、彼が気にしたためだ。
何日かして、完成したそれを確認しに行った。
「さぁ、アルフェイグ、使ってみて!」
私の腰より少し低いくらいの止まり木を、私は両手で示す。
「うん」
アルフェイグの手が、真っ先にソラワシの前足に変化し始める。
彼が軽く身を屈めると、髪の色が変わっていき、ぶわっと翼が広がった。
次に身を起こした時には、頭はソラワシに、後ろ足はモリネコに。美しいグリフォンの姿が、そこに顕現していた。
「はぁ……いつ見ても素敵ね」
私はつい、満足のため息をもらしてしまう。
『よっ』
彼は止まり木につかまった。四本の足を全て使っている。ソラワシの前足はしっかりと止まり木をつかみ、モリネコの後ろ足でバランスをとっている感じだ。
『うん、ちょうどいい太さだ。城の上にあったのと同じくらいだね』
「よかったわ。……触ってもいい?」
『もちろん。君ならいつでも』
アルフェイグの許しを得て、私は彼のすぐそばに近寄る。手を伸ばすと、ふわ、という極上の感触とともに、手のひらがすっぽりと胸の羽毛に埋まった。
両手とも、埋めてみる。
「温かい。気持ちいい……」
『本当に好きなんだね、グリフォン』
「ええ、大好き。うっとりしてしまうわ」
私は正直に答えた。
すると、アルフェイグはちょっと黙ってから、こう言った。
『……ルナータ。後ろを向いて』
「? 何?」
『いいから』
私は不思議に思いながら、アルフェイグに背を向ける。
『そのまま、目を閉じて』
「ええ……はい。閉じたけど」
すると、閉じた目や頬の周りに、ふわふわと柔らかな羽毛が当たった。
アルフェイグが、翼で私に触れているのだろうか?
私はくすくすと笑ってしまう。
「ふふ、くすぐったい」
「でも、好き?」
その声を聞いた瞬間、私はすぐに、あることに気づいた。
けれど、気づいたことは言わず、答える。
「……好きよ。とても、好き」
すると、アルフェイグは言った。
「こっちを向いて」
ゆっくりと振り向くと──
──人間の姿の、アルフェイグが立っていた。片手に、自分の羽根を持っている。
彼はちょっと、すねたように言った。
「ルナータは、グリフォンの僕には何のためらいもなく好きって言ってくれるのに、人間の僕には言わないよね。少し悔しいから、人間の耳で聞かせてもらおうと思って」
それで、こっそり人間に戻って、抜けた羽根で私の顔をくすぐりながら話しかけてきたのだ。
私はそっぽを向く。
「……気づいてたわよ」
「えっ」
「そりゃあ、気づくわ。姿が違うと、声の感じも違うもの」
すると、彼はパアッと顔を明るくした。
「えっ、えっ、本当? 人間の僕だとわかってて、言ったんだ? ルナータ、もう一回!」
「ま、また今度っ」
逃げようとしたけれど、一瞬、遅い。彼の胸に引き込まれる。
「嫌だ、今がいい」
「ダメだって……あっ」
またもやタガが外れたアルフェイグが、私に夢中でキスをする。
私はとうとう攻め落とされて──
「アルフェイグ、す、好きよ。だから」
(だから、もう、許してー……)
その訴えは、遠くなる意識の彼方に消えていった。
やがて訪れた、結婚式の日。
式の後のパーティで、アルフェイグはグリフォンの姿を、人々の前に現した。
あまりの美しさに、人々は大騒ぎ。グルダシアの王女殿下もおいでになっていて、やはり感嘆の声を上げた。
アルフェイグはさらに、私を背中に乗せてみせたのだけれど。
『僕に触れることができるのは、生涯の伴侶であるルナータだけだ』
そう言って、私以外の人には決して、自分に触れさせなかった。王女殿下にさえ。
この話はやがて、王女殿下を通じて王宮にも届いた。
そして、貴族たちの間に話が広まるにつれ、『生涯の伴侶にのみ触れさせる神獣』というように、グリフォンは神秘性を回復していった。
私たちの結婚式に出席した人は、うらやましがられ。
私はすっかり、神獣を従えるオーデン公爵、という風に見られるようになった。
グリフォンの姿を見せつけたのは、もちろんアルフェイグの策略である。
「ルナータは唯一無二の存在なんだと、グルダシアのお歴々に知らしめないとね」
彼は結婚式の後で、その意図をこっそりと私に教えてくれたのだった。
【結婚式の準備は大変です 完】
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