22 夜にこっそり魔法のおさらいをしました(注・逢い引きになってしまったのは、結果的に、です)

 二人が馬を並べて出かけていくのを、私は自室の窓から見送った。

 彼らの姿は緑の木々の合間に埋もれ、やがて見えなくなる。


「よろしいんですか」

 声がして振り向くと、セティスがワゴンの上でお茶を淹れていた。

「何が?」

「ルナータ様もご一緒しなくてよろしいんですか、と」

「二人にしかわからない話がたくさんあるのよ。私も困ってしまうし、向こうも気を使うわ」

「それはそうかもしれませんけれど」

 書き物机にカップを置いて、セティスは短くため息をついた。

「せっかくお二人、いい感じでいらしたのに」


「セティスったら、何を気にしてるの。まずは儀式を無事に終えること」

 ちょっと呆れて言うと、セティスは仕方なさそうに答えた。

「はい、申し訳ありません。そうですね、儀式さえ終われば、あの方もお帰りになるし。コベック様は当日、こちらに?」

「ええ。アルフェイグは森の滝で禊ぎをするから、儀式の始まる直前にここに来てもらうよう、手紙を書くわ。宿に届けさせて。それと、儀式に使うワインなんだけど……」


 私は細々とした打ち合わせをしながら、思う。

(変なことに気を取られて失敗したら、そっちの方が嫌だわ)

 儀式の方に、気持ちを集中させる。

(アルフェイグが身分の証し立てをして王族だったと認められれば、オーデンのためにもなるんだから)



 領地での仕事が入って外出などしているうちに、アルフェイグたちと昼もすれ違ってしまい、再び二人と顔を合わせたのは夕食時だった。

「ルナータ様が、オーデンをどんなに大事にして下さっているか、アルフェイグ様に町を案内していただきながら伺いました。博物館も素晴らしくて。伝え聞いていただけの品の実物を見られて、感激です」

 満足そうなため息をつきながら、パルセは褒めてくれる。


(アルフェイグ、パルセと二人きりの時に、私の話をしてくれたのね)

 嬉しい、と感じたとたん、私は戸惑ってしまう。

(嫌だわ、どうして嬉しくなったりなんか)


 自分の気持ちがわからない私は、また落ち着かない気分になりながら答えた。

「そう言ってもらえると、私もホッとするわ」

「ランプも借りてきたよ。館長が磨いておいてくれた」

 アルフェイグが報告する。

 パルセが、軽く身を乗り出した。

「火魔法で灯りを点すんですよね。私、そのくらいならできますから、よろしければ当日──」


 反射的に、やや強い調子で、言葉が口をついて出た。

「いえ、私がやるわ」


 はっとしたように、パルセが身を引く。

「あっ、ルナータ様は魔法をお使いになるんですのね? ごめんなさい、出しゃばったことを」

 一方の私も、はっとして言葉を探した。

「いえあの、お気遣いありがとう。その……」


 アルフェイグがパルセの方を見る。

「ルナータは素晴らしい魔法の使い手でもあるんだ。安心して任せられるよ」

「まあ……精霊語にもお詳しいなんて、ルナータ様は何でもおできになるのですね」

「そんなことないわ、知識が偏っているものだから」

 またもや持ち上げてくれるパルセに、私は曖昧な返事をしてしまうのだった。


 夕食が終わり、私が部屋に戻ると言うと、アルフェイグとパルセも今日はすぐに部屋に引き取るとのことだった。さすがに疲れたのだろう。



 屋敷の中が静まりかえった頃──

 私はそっと、自室を抜け出した。


 裏口から外に出ると、夏の夜の庭は、満月に近い月に照らされていた。建物の陰に身を隠しながら、奥庭の方へと静かに足を進めると、あちこちで虫の声がする。

 ファムの木を通り過ぎて、今は使われていない物置小屋を回り込んだところに、小さな池があった。水草の浮いた水面に、月が映って揺れている。


 私は池のほとりに座り込んで、ため息をついた。

(あーあ。パルセが来てから、私ちょっとおかしいわ。どうしてこんな変な気分になるのかしら)

 しっとりとした夜の空気を吸い込み、心を落ち着かせようとする。


 不意に、声がした。

「ルナータ」


「ひっ!?」

 驚いて振り向くと──

 月を背に立っていたのは、アルフェイグだった。


 彼は珍しく、不機嫌そうである。

「一人にはならないと、君は言ったはずだよ」

「えっ、あっ、でもコベックは屋敷には」

「町にいるんだから、ここに忍んでくるかもしれないじゃないか」

 少々乱暴な動作で、彼はドスンと隣に座った。

「僕の側から離れないでと言ったのに、別行動ばかりだし」

「それは」

「わかってる。パルセに気を使ったんだよね。でも僕は、ずっと君と二人で話したくて、今夜は部屋まで行こうかと……あ、いや、もちろん中に入れてもらおうっていうんじゃなく、テラスにでも誘おうと思ったんだけど……」

 視線を逸らして口ごもったアルフェイグは、ひとつため息をついてから、私をもう一度見つめた。

 いつもの、優しい眼差しに戻っている。

「ルナータ、眠れないの?」


「違うの。魔法のおさらい」

 私は苦笑する。

「火魔法、時々ここに来てこっそり練習していたのよ。部屋でやったら危ないでしょ? ここなら水があるから、私の服やなんかに火が移っても、池に飛び込めばいいかしらって」

 アルフェイグは軽く目を見開いてから、はは、と面白そうに笑った。

「準備万端だね」

「オーデン公たるもの、これくらいはね」

 勝手に、冗談が飛び出した。

(私、少し浮かれてる? だって、久しぶりに、二人きりで。……二人で過ごす時間が、こんなに楽しかったなんて)


 何にも気を使うことなく、私は尋ねる。

「アルフェイグ、何か私に用だった?」

「ああ、うん。君と二人で話したかった、それが用事。目的」

「なぁに、それ」

「パルセの前ではつい、王族らしく振る舞おうとしてしまうから。まあ、王族なんだけど」


 アルフェイグが笑う。

 私も笑う。

 他人がいる時とは違う、ゆったりとした表情、空気。

 彼にとっても、私と二人だけで過ごす時間は特別なのだ。そう思うと、嬉しかった。


「火、もう点せるの? 見せて」

 彼に促されて、私はちょっとためらったけれど、ショールから左手を出した。手には、ごく小さな燭台を持っている。

「アルフェイグ、ちょっと離れていた方がいいんじゃない?」

「いいから。いざとなったら、君と一緒に池に飛び込むよ」

 いたずらっぽく微笑む彼は、私のそばから離れない。


 視線を感じ、少し緊張したけれど、私は燭台に立てたろうそくに右手をかざした。

 慎重に、発音を守って、火の精霊に語りかける。

『フーアフェ、アヒグフィ、ヒュイ、スファーニス』

(火よ、夏の夜の闇を照らせ)


 ジジッ、という音がして、ポッ、とろうそくに火が点った。


 火に照らされたアルフェイグの表情が、嬉しそうに明るくなった。

「完璧じゃないか」

 私はホッとしながら答える。

「何度も練習して、ようやくね。やるって言ってしまったし」

「パルセがその話をした時も、君がやると言ってくれて、僕は嬉しかったよ」

「そ、そう?」

 何となく照れてしまって、私はそっぽを向きながら続けた。

「明かりといっても、光の精霊に頼んで、ただ光を集める方が私には簡単なのよ。だから全然やったことがなくて。パルセが火魔法を得意としているなら、本当は頼んだ方がよかっ──」


 不意に、後ろから、温かいものに包まれた。

 私の腰に、両手が回っている。アルフェイグが、後ろから私を抱きしめているのだ。


「なっ」

「おっと」

 左手の燭台に、彼の左手が添えられる。

「気をつけて、ろうそくが池に落ちる」

 耳元でささやかれて、私は混乱した。

「あの、アルフェイグ」

「君のいいところ、もう一つ。責任感が強いところ。……早く、儀式を済ませてしまいたいな。また君と、オーデンの領地経営の話をしたり、二人きりで森に出かけたりする生活に戻りたい」

 腰に回っていた右手がゆっくりと上がり、私の頬に触れた。優しく、振り向かされる。

「戻る、というか……始めたいんだ、新しく。成人し、王族だと認められれば、公にも君と釣り合う。その日が待ち遠しい」

「アルフェイグ……」

 ろうそくの炎を映して、彼の緑の瞳が熱を持って煌めいている。

 きっと、私の瞳も。


 ふと、アルフェイグが下を向いた。

「……あー、うん、その日まで我慢するつもりだったんだけど……」

 パッ、と顔を上げた彼は、一気に言う。

「今、キスしたい。今度は、ちゃんと」


 胸の高鳴りと彼の視線に耐えきれず、今度は私が下を向いてしまったけれど。

 恐る恐る、彼の胸に、頭をもたせかける。


「ルナータ」

 かすれた声がした。

 燭台の火が、フッと吹き消される。


 大きな手が私の頬を包み、上向かせた。

 私は、目を閉じる。


 柔らかなものが、唇に触れた。

 離れたくないと、何度も、何度も。愛おしむように。


 ようやく唇が離れた頃には、私は頭がくらくらして、力が抜けてしまっていた。

 アルフェイグは私を抱きしめ、首筋に顔を埋めて、熱いため息をつく。

「……我慢のきかない男でごめん……ルナータが年齢を気にしてたことがあったけど、僕の方こそ、わがままな年下だよね」

「そ、そんなこと、ない」

 伝えなくてはと、何とかかすれ声を押し出す。

「私、あなたが来てから、何度も、救われたもの」


「救われたのは僕だよ。君がいなかったら、僕は無力感に苛まれるだけだっただろう。……目覚めた時、勘違いでキスしたって言ったけど」

 微笑みを含んだアルフェイグのささやきが、耳をくすぐる。

「君の両脇にいたアンドリューとマルティナが、僕に伝えてきたんだ。この人はいい人、安心して受け入れて、って」


(あの子たちったら何を勝手に推薦してるのよ、もう!)

 恥ずかしすぎて、私は無言でアルフェイグの胸に顔を隠した。


 小さく笑って、彼は嬉しそうに私を抱きしめ直す。

「ルナータ、大好きだ。僕を目覚めさせてくれたのが君で、本当によかった」


 私も、思った。

(……彼を目覚めさせたのが私で、よかった)

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