10 秘密がバレました(注・だから逃げました)
一瞬、頭が真っ白になった。
「……知って……」
「うん」
彼はうなずく。
思わず、「どうして」と口から言葉がこぼれた。
彼は、ノストナ家の敷地内から一歩も出ていない。使用人たちも話していないはずだ。それとも、誰かが話したんだろうか。
アルフェイグは、少し後ろめたそうに笑った。
「オーデンの王族はグリフォンに変身できるだけじゃなくて……その、動物たちとある程度、意志の疎通ができるんだ。ソラワシたちに教えてもらったよ。ここがオーデン王国だって」
「ええっ!?」
(それじゃあ、何もかも、筒抜け……?)
私は胸元で、手をぎゅっと握りしめる。
「……悪かったわ、黙ってて。……私はオーデン公爵なの。あなたの国を、今は私なんかが」
「え? 私なんかって、ルナータ……」
「ごめんなさい!」
緊張に耐えられず、私は身を翻すと部屋を飛び出した。
ちょうどお茶のワゴンを押してやってきていたセティスが、驚いて声を上げる。
「ルナータ様?」
「出かけます」
短く言って、そのまま玄関ホールを抜けて外に出た。まっすぐ厩へ向かう。
ずっと後ろの方から、アルフェイグの声がした。
「待って、ルナータ! 僕は……」
私はベロニカにまたがり、足で合図を出した。ベロニカが駆け出す。
視界の隅にアルフェイグの姿が映り、私は顔を伏せた。
(私が悪いのよ。アルフェイグがまだ若いからって、それを言い訳にして、真実を伝えなかった。王太子殿下なのに、侮るような真似をして。本当は自分が傷つきたくなかっただけなのに)
ベロニカが敷地から出る。
(そうか。森に行ったら、きっと動物たちが私の居場所を彼に教えてしまうわ。どうしよう)
ほんの数秒、迷った後──
──私は、オーデンの町に馬を向けた。
「あらあら、ルナータ様」
居間に入ってきた私を見て、その老女は編んでいたレースをテーブルに置き、私を見上げた。
「どうなさったの? 今日はお勉強の日ではございませんね」
「ユイエル先生……」
息を整えながら、私は言葉に迷って立ち尽くす。
老女は立ち上がって微笑むと、オーデン語で言った。
『お茶を淹れましょうね』
オーデン中心部にある町、そのはずれに、ユイエル先生の家はある。
彼女の家系は、代々この地に暮らしている。オーデンがどこの属領になっても、それは変わらなかった。ユイエル先生はずっと、オーデンの文化を受け継いで育ったのだ。
私は公爵になってすぐ、町長にオーデン語を話せる人を探してもらった。すでにこの地を離れてしまった人も多く、現在公爵領はこれまでオーデンを支配したり保護したりした各国の民が入り交じっている。オーデン語を話せる人は多くない。
そして見つかったユイエル先生に、私はオーデン語を教わり始めた。だから、先生、と呼んでいる。
『先生、ごめんなさい、急に。ええと、その……夜まで、ここにいる、いいですか?』
居間のすぐ隣の台所にいる先生の背中に、私はカタコトのオーデン語で声をかける。先生はお茶を淹れながら答えた。
『もちろんですとも。たまには公爵の地位を離れたいこともおありでしょう』
『たまに……いつも、かも?』
私は苦笑して、先生のはす向かいの椅子に座らせてもらった。
テーブルには先生の編んだレースのテーブルセンターが飾られ、その上の花瓶に先生の育てた花が挿してある。そういった布類や小物には、オーデンの伝統的な青と黄色の植物柄が入っていた。心に馴染む、とても好きな色だ。
先生がハーブティを私の前に置いてくれ、自分の椅子に戻った。お礼を言って、一口飲む。ほろ苦く、後味がすーっとして、お腹が温かくなった。
先生はにこにこと、私が話すのを待っている。
何かあったことは、もうバレバレなのだろう。
「……ユイエル先生には、いい知らせだと思うわ」
私は自嘲気味に前置きしてから、言った。
「オーデンが王国だった頃の、王族の家系に連なる男性がね、見つかったの。その……やむを得ない事情で今まで出てこられなかったんだけど、オーデンを大事に思っている方」
「まあ」
先生は軽く目を見開いた。
「素敵……! 町を見においでになるかしら?」
「ええ、きっと」
「お会いできたら、どんなに嬉しいかしら。私の祖父母がね、当時の王太子殿下のお姿をお見かけしたことがあるのを、とても自慢していたの。うらやましくてねぇ」
頬を染め、先生は上品に笑う。
(それ、アルフェイグ本人かもしれない……)
相づちを打ちながら思う私である。
先生は、軽く首を傾げた。
「それで、その方はこれから、ルナータ様のお仕事を助けてくださるの?」
「さ、さぁどうかしら。国の意向もあるし」
私はハーブティを一口飲み、笑ってみせる。
「でも、その人が長い時を経て、オーデンの地を治める地位に復帰したら、すごいと思いません? 私はほら、女だし。やっぱり、男性の方が、この国だと色々うまくいくだろうし!」
「あらあら」
先生はまた、目を見開いた。
「ルナータ様ったら、またそこへはまりこんでおしまいなのね」
「う。……だって先生! 今度ばかりは本当にそう思うんだもの!」
私は額に手を当て、椅子の背もたれにもたれる。
「その男性がオーデンを治めたいって言ったら、私が公爵の座にしがみつく理由なんてないし。そうよ、降りろと言われるより前に自分から降りようかしら。身の振り方を考えておかなくちゃ」
先生はまた、ほほ、と笑った。
「そんな風にはならないと思いますけれどねぇ。もし、その王族の男性が本当にオーデンを大事に思ってらっしゃるなら……ルナータ様に代わろうとはなさらないかもしれませんよ」
「ええ? どうして?」
口をとがらせる私に、先生は穏やかに語りかける。
「その男性になったつもりで、今のオーデンをご覧になって。そうすれば、おわかりになるはずです」
「……?」
(そんなわけないじゃない)
私にはさっぱり意味がわからなかったけれど、先生はにこにこするばかりだった。
すっかり暗くなってから、私は公爵邸に戻った。
母屋の扉の脇にランプが点されていたけれど、私はベロニカを厩に入れてから、こっそり裏手に回った。
離れの裏口をノックする。
「……ルナータ様!」
扉を開けてくれたのは、住み込みで働いている庭師のヴァルナだった。日に焼けた顔に、驚きの表情を浮かべている。
「どうしてこちらから?」
「え、ルナータ様!?」
「お帰りなさいませ!」
他の使用人たちも次々と、奥の使用人用食堂から顔を出す。
本来、離れは彼らの領域なので、私は来るべきではない。彼らにだって、誰にも気を使わずにいられる場所が必要だからだ。
裏口から厨房に入りながら、私は謝る。
「ごめんなさい。ちょっと事情があって、アルフェイグに見つかりたくないのよ。すぐに自分の部屋に戻るから、二階の渡り廊下を使わせてちょうだい。……彼はどうしてる?」
「今はお部屋にいらっしゃいます!」
従者で従僕のモスリーが、夜も大きな声で元気に教えてくれる。
「昼間は、おひとりで外へ出かけておいででした! お止めするべきか迷ったんですが!」
声量を下げさせようと、つい両手で抑えるしぐさをしながら、私はうなずく。
「ちゃんと戻ってきたのね? なら、いいわ。どこへ行ってたのかしら」
「森に行かれていたようです! 明日は町に行きたいと!」
「そう、わかったわ」
「ルナータ様が戻られたら教えるよう言われておりますが!」
「言わないで」
すぐに言うと、モスターは素直に「わかりました!」と答えた。
離れの階段に向かうと、ちょうど下りてきたセティスが、私を見てやはり目を丸くした。けれど、すぐに言う。
「お夕食、お部屋にお持ちします」
「ありがとう、少しでいいわ」
私は二階の渡り廊下から母屋に入り、すぐそこの執務室に入った。アルフェイグのいる客室は一階なので、バレないだろう。
「はぁ……」
ぐったりと、ソファに沈み込む。
やがて小さくノックの音がして、セティスが入ってきた。ワゴンを押して入ると、扉を閉める。
すぐに、ローテーブルに夕食が並んだ。
湯気の立つスープを一口飲んで、ため息をつく。
そばに控えたセティスが、スパッと言った。
「アルフェイグ様にバレましたか」
「その通りよっ」
私は破れかぶれで、フォークを肉に突き刺す。
「えー、私が悪いの、わかってるわっ。……だから余計に、顔を合わせにくくて……」
「アルフェイグ様は、ルナータ様と話をなさりたいようでした。お怒りの様子はありませんでしたが」
「内心はわからないわ。王族だもの、感情をあからさまにしたりしないでしょうよ」
やけのように食事をする私を、セティスはしばらく黙って見ていた。
そして、言う。
「明日は、どうなさいますか?」
「……早朝から、出かけたことにしてくれないかしら。ヴァルナに頼んで、ベロニカを散歩に連れ出してもらえると一番いいわ。厩に置いておくと、私がいるのがわかってしまうかもしれないし」
私は彼女から目をそらす。
「彼は町に出かけるそうだから、その間にここでどうするか考えるわ。モスリーに、もしアルフェイグが許すなら町へ同行するように言って」
「かしこまりました。では、朝食もこちらのお部屋で」
「ええ、お願い」
私が食事を終えると、セティスは食器をワゴンに片づけた。
そして、一度私に向き直る。
「ルナータ様は、アルフェイグ様を心配なさって、気を使われただけです。……でももし、謝罪なさるなら、早い方が」
「……そうよね」
私は、セティスに微笑んで見せた。彼女もまた、私を心配している。
セティスは挨拶をして、部屋を出ていった。
(逃げ回ってるわけにもいかない。明日の夜には……顔を合わせなくちゃ)
私は、もう今日何度目になるかわからないため息をついた。
(私って、どうしてこうなんだろう……)
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