第8話 少女戦士と奴隷の矜恃

靴音が響く湿った石畳がわずかな街灯の光を受けて、爬虫類のようなぬめりを返す。

密室の蒸し暑さ、タンパク質が焦げる臭気や反吐の忌々しさが、胸の中にこびりついていた。


「呪いと言えば、呪い。何百年も経た呪いからの怨嗟の開放だな…。」

トーケンは、一人ごとのように呟く。

蒸し暑い。風がびくりとも動かない夜だ。


そして、背後から駆け寄ってくる獣のような呼吸音に振り向くと、小柄な少女が立っていた。炯々と光る大きな瞳をした瞬発力がありそうな少女だ。ミズメリアと言ったか…。



斎場で、呪い殺さんばかりの憎しみを持った視線を投げてきた娘だ。


「君を帰すわけにはいかない。私たちは、自由になるから!」

ミズメリアは、背後から耳を切り裂くような金切り声で叫んだ。

街角の裏道は、石造りの建物のおかげで木霊のようにその声を反響させ、その反響もしずかに闇の中へ消えた。


犬の吠える声さえしない。

そして心臓の音さえ聞こえそうな濃密な静寂に満たされた。


トーケンは静かに応じる。「君たちが自由になるのを阻むつもりはない。僕は、操縦士であればいい。 それだけだ。」


「わかるものか!後顧の憂いは潰してしまうのが我々の決まりだ。 」

そういうミズメリアは、あおざめた顔をして喉の奥から絞り出すような声で言った。


トーケンは呆れ顔で体から力が抜けたようになりながら、「そんな決まり、誰が決めたんだよ」とため息混じりに問いかける。


「私が決めた!たった今! あの中で、はじめにチップを破壊してもらったのは、私とロイだ!その、恩を受けた方に害が及ばない為にも、我々で貴様を粛清する! 」


ミズメリアは怯えている。今自分が置かれた立場に怯えていた。

ミズメリアは、自分の置かれた立場と、居場所を守りたくて怯えていて、主人を守りたくて牙を剝く。その熱がトーケンには鬱陶しいものに感じた。


「獲物をとれ!」

トーケンは、ミズメリアの声に何か持っていたか探るが何もなかった。


フェアではない勝負が始まった。

彼女は何も持ってないのを確認した。その後で若干の後ろめたさと安堵の中途半端な表情が一瞬閃いた。


身を守るものが欲しいなと、辺りを見渡した。ミズメリアが両手で握りしめている一条の白刃の照り返しを目にして思った。


退路を見渡して二、三撃外せばなんとか逃げ帰れるなと踏んでいた。

所詮は小娘だ。


ミズメリアは自分の正当性を主張するように叫んだ。「お前は、みんなの未来を何故考えられない!今団結すべき時なのに、じぶんだけ良ければそれでいいと思っている堕落した奴隷だ!自分の意思がない、心を持ってない肉の塊だ!」


叫んでいるうちに、気分が高揚してきたらしく声には狂気が混じってきた。「血まみれにして全部喰らってやる!お前のマベリアも惨殺だ!」


「なんだ?俺はお前と面識はないぞ?」

「我々リクルーターを舐めんなよ。貴様ら全部の出自はバレている。」

「そうか、マーキュリーは、かなりの情報網を駆使してるんだな。」

「黒幕だろ?」


ぞわぞわと、虫が衣服の下を這い回るような不愉快さ。

それが二人の中で這い回っていた。


「マベリアに手を出したら、マーキュリーを殺すぞ?」


「じゃあ、ここで、どっちが死ぬかだね?私が生き残ったら、あの集会で生き残ったリクルーターが、まずお前の姫様を陵辱して殺す!」


トーケンは、負ける気がしなかった。

自分の手に獲物はなくても、肉体機能で負けるはずはなかった。

ゼロレンジコンバットは、奴隷になった頃から年上にも負けたことはなかったし、目立たないように負けるという神業のような所作でさえ、身に付けていたから。


命のやりとりで負けるはずはない。

立ち姿からして、あの女の子然としたミズメリアに負ける気はしなかった。


路地裏ステージだ。

彼女の獲物はやたらと長い。

ならば、その獲物が使えない場所に潜り込めばいい。


それだけの話。


そう考えた時に、今までいた場所が燃えた。

少女アリスによる、レイバーチップの暴走によるアラゴンの私設の鎮圧が行われたのだ。

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