終電、なくなっちゃったね

蒼山皆水

終電、なくなっちゃったね


「終電、なくなっちゃったね」

 彼女は僕の耳元で、嬉しそうに言った。


 ◆ ◆ ◆ ◆


「さ。帰ろうか」

 僕は、ほんのり顔の赤くなった彼女に言う。


 僕と彼女は、お洒落なバーでお酒を楽しんだところだった。

 アルコールで火照った体に、冬の冷たい空気が沁みる。


「ねぇ……まだ飲み足りないんだけどぉ……」

 とろんとした目で僕を見上げながら、彼女は言った。呂律が回っていない。


「そんなこと言ったって……。もう夜遅いし。今日は帰ろう」

 僕は腕時計を確認しながら返答する。


「やだぁ~。帰りたくないの~」

 しかし彼女は食い下がった。僕の腕をつかんで、ぶんぶんと上下にゆさぶる。


 こうなったら、彼女はもう誰の言うことも聞かない。

 結局、僕は彼女の言う通りにするしかないのだ。

 まったく。骨が折れる……。


「はぁ……。わかったよ」

 僕はため息をついて、駅の方へ歩き出した。


 適当に話を合わせながらどうにか帰らせよう。

 彼女はそれなりに酔っ払っているので、もしかすると何事もなく帰らせることができるかもしれない。


「え~。ここ駅じゃん!」

 駅の改札をくぐったところで、彼女が言った。


「そうだよ」

 それがどうかした? というような、堂々とした口調で応じる。


「何でそういう意地悪するの~!」

 彼女はその場で地団駄を踏む。


 やはりだめだったか……。

「まあまあ。とりあえず電車に乗ろう。ね」

 僕は説得を試みる。


 先ほどよりも酔いは醒めているはずだから、わかってくれるかもしれない。

 しかし彼女は納得できないようで、首を横に振る。


 そして突然、僕を強く抱きしめた。

「どうしてそんなこと言うの?」

 彼女の声は潤んでいた。


 彼女のサラサラの髪が僕の頬を撫でる。くすぐったい。

 ふわりと香るいい匂いに、頭がくらくらしてきた。


「私はこんなに好きなのに!」

 僕を抱きしめたまま、彼女は言った。


 どうしよう。胸が苦しい。息ができない。


 ――三番線に、最終電車が到着します。危険ですから、白線の内側でお待ち下さい。


 アナウンスが、駅のホームに響いた。

 この電車に乗らないと帰れなくなる。


 しかし僕は彼女の腕の中で、身動きが取れずにいた。

 どうにか振りほどこうとするが、びくともしない。

 彼女の力が強すぎるのだ。


 次の瞬間、耳をつんざくような、大きな爆発音がした。


「終電、なくなっちゃったね」

 彼女は僕の耳元で、嬉しそうに言った。


 そこで、僕はようやく彼女から解放される。


 胸いっぱいに酸素を吸い込んで――むせた。


 彼女に折られた腕の痛みに、意識が持っていかれそうになる。


 後ろを振り向くと、木っ端微塵になった鉄屑が視界に飛び込んできた。

 元の四角い形が想像もつかないほどに、本日の最終電車はバラバラになっている。


 僕の目の前で不敵に笑う彼女の右手からは、先程の強烈な一撃のせいか、白い煙が立ちのぼっていた。

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