第12話 イギ国の攻勢始まる

 ~ガーネット 7月24日~


 ドンドン、ドンドン、と戸を激しく叩く音とともに、臣下の上ずった声が廊下から響いてくる。

「ガーネット女王陛下!恐れながら申し上げます!たった今、フォリーシュより伝書鳩が到着しまして、本日の午前十一時三十分頃、イギ国の正規軍が、我が国土へ侵攻してきたとの連絡がありました!その数、約三万兵!参謀長を始め、将軍たちが作戦会議室に集合されていますので、陛下にも至急ご足労頂きたいとのことです!」

 恐れていたことが起きたと、ガーネットは血の気が引くのを感じた。ちょうど湯浴みから上がり、私室に戻ったばかりの時だった。

「分かりました。すぐに参ります」

 そう手短に答えると、その伝言を手に、バタバタと廊下を走り去っていく臣下の足音が遠のいていくのが聞こえた。

 ガウンを着ていたガーネットは、周りで怯えている女官たちにすぐさま指示をだし、着替えを手伝わせ、ものの五分で部屋を出ると、会議室に急いだ。

 背をぴんと伸ばし、大股で颯爽と歩く後ろ姿は、こんな非常事態でも動じない強い女王の威厳を改めて周りに示したが、その口元が、僅かながら小刻みに震えていたのに気づいた者は、誰もいなかった。

 会議室に入った時には、参謀長を始め、主要な軍人はすでに揃っていた。入室する女王に全員が起立して敬意を表したが、その表情は皆一様に、苦虫を噛み潰したような冴えないものだった。

「フォリーシュにイギ国の正規軍が攻めいった、と聞きました」

「は!今から三十分ほど前に、フォリーシュから伝書鳩が到着し、イギ国の正規軍約三万兵が我が領土へ侵攻してきたとの情報をもたらしました。その内、魔法部隊が何人含まれているかは、現時点で不明です」

 ガーネットより一回り年下の、背が高いがやせ形で、土気色の顔をした参謀長が、眼鏡の奥から射るような眼光を光らせて答える。

「そう。魔法部隊は見た目じゃ判別できないようにしているものね。この後の情報が待たれるわね……」

 口元に手を置きながら考え込むように話したガーネットは、つと顔を上げると、参謀長の方を向いた。

「確か、フォリーシュには十万兵が防備を固めていたわよね?数で言えば、こちらの方が上だわ」

「仰る通りです。攻めいるには、防備をしている兵士以上の数が必要とされるのは、戦の鉄則です。しかしながら、相手は強力な魔法部隊を擁するイギ国です。それに、後方にはまた別の兵団が控えていると考えるべきだと存じます。イギ国からフォリーシュの前に広がる平野へと侵攻するには、山々の間を縫って走るファラ川沿いの狭い道を進まねばなりません。そういった地形を考慮に入れれば、まだ平野へと侵攻できずにいる兵がたくさんいると考える方が、自然かと」

「対岸の瑞穂帝国へ、援護の要請はしないのですか?非常事態ですぞ!」

 太った赤ら顔の将校が、口角泡を飛ばし、大袈裟な身振りで参謀長に訴えた。しかし、参謀長はその将校をギロッと一瞥すると、冷たい声色で諌めた。

「それが、瑞穂帝国に対して後に大きな借りとなるのが分かっていても?」

「しかし……」

 すかさず、ガーネットが声を上げた。

「グウィドー要塞に駐屯している兵士の半分、二万兵を援軍として送りなさい。そうすれば、相手の兵数の倍近くまでなるわ」

 それを聞いた参謀長は、ふっと表情を緩めると、ガーネットに向き直り、先程とは打って変わった温かみのある声で話を引き取った。

「仰せのままに。まさに今、フォリーシュを援護すべく、伝書鳩をグウィドー要塞に向けて飛ばす準備を大至急進めております。また、念のため、ベアナ炭鉱からも一万兵を援軍としてフォリーシュに送りたいと考えておりますが、よろしいでしょうか?あそこは、イギ国とは標高の高いアンロー山脈を国境として接しておりますので、イギ国がベアナ炭鉱へ直接侵攻することは、大変考えにくいと存じます」

「構わないでしょう」

 そう答えたガーネットは、じっと参謀長を見つめた。

 そのエメラルドのような輝きを放つ瞳を見つめ返した参謀長は、その瞬間、ガーネットがなにか重大なことを発言しようとしていることを瞬時に覚った。

(この女王陛下は……)

 そう心の中で思いながらも、参謀長は、この勇猛果敢な女王に敬服の念を抱かずにはおれなかった。

 そんなことを思われているとはつゆ知らず、ガーネットは、ちらと近くに座る息子ジェイドの横顔を見ると、また参謀長に視線を移し、居合わせる将校たちの度肝を抜く一言を放った。

「さらに念を入れるため、この王都に駐屯している兵の内、二万兵をフォリーシュに送りましょう。陣頭指揮は、ジェイドに任せます」

 会議室内は、一気にざわめきに包まれた。

 陣頭指揮を仰せつかったジェイドは、よく見ればやっと気づくことができるほどのわずかな驚きを顔に浮かべたが、すぐさま真顔に戻り、立ち上がると、ガーネットの近くまで歩み寄り、膝をついて敬意を表した。

「必ずや、フォリーシュを守って見せましょう。陛下、ご安心ください」

 将校たちは、侃々諤々それぞれの意見を、隣にいる他の将校や直接参謀長あるいはガーネットにぶつけている。

 しかし、ガーネットはそんな将校たちには耳を貸さず、ただひたすら自分の前でひれ伏しているジェイドを見つめていた。

 参謀長も、しばしじっとガーネットを見つめると、小さくため息をつきながら目を閉じた。そして、微かに首を横に振ると顔を上げ、ガーネットをしっかり見つめながら、迷いのない力強い声で返答した。

「かしこまりました、仰せのままに」

 その発言を聞いた反対派の将校たちは一気に色めき立ち、不平不満を声高に訴え始めた。

「そこまでする必要はあるのですか!」

「王都の守りが弱まりますぞ!」

「前代未聞だ!」

 そこに賛成派の将校が参戦し、会議室はまるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 参謀長は、自分をじっと見つめてくるガーネットに軽く頷いてみせると、ぱんぱんと手を叩き、みなを静めた後、朗々とした声で話し始めた。

「みな、周知の通り、我が国の軍はミァン炭鉱を炭鉱夫から奪還すべく、現在、北部に集中している。南部のフォリーシュにすぐさま駆け付けられるのは、先程、恐れ多くも陛下が仰った兵団以外にはない。それでも、歩兵では一か月もかかる行程だ」

「しかし、王都こそ一番守るべき場所ではないのですか!こここそが、「金」の加護を受けている地なのですぞ!それに、民はこのことをどう思うのか。王都の守備兵団の一部を向かわせるなどと知ったら、それこそ過剰に事態を憂い、パニックに陥りますぞ!」

 反対派の将校から、そうだそうだといった声が一斉にあがる。

 その様子を黙って見守っていたガーネットは、すっと静かに立ち上がった。

 拳を振り上げ、あるいは真っ赤な顔で論戦を戦わせていた将校は、皆驚いたような顔でガーネットを見上げた。

 ガーネットは、そのまま静かに立っていた。

 その微動だにしない姿は、周りに居並ぶ将校たちに畏敬の念を抱かせ、大人しくさせるのに十分な効果を発揮した。

 そしてまもなく、会議室は水を打ったかのような静けさに包まれていった。

 その時を待っていたかのように、ガーネットは周囲を見渡すと口を開いた。

「過剰な措置と思われる方もいるでしょう。グウィドー要塞とベアナ炭鉱の兵団あわせて三万兵も送れば、フォリーシュにいる十万兵とあわせて十三万。相手は三万兵とのことなので、普通に考えれば十分な兵数と言えます。

 しかし、先程参謀長の話にもあったように、相手は強力な魔法部隊を抱えているイギ国の正規軍です。また、今まさに、次々と後方に控えていた軍がフォリーシュに侵攻していることも考えられます。フォリーシュから王都へと向かう途中にあるグウィドー要塞まで四百キロ、そこから王都までは、たったの五百キロです。フォリーシュが破られると、途上にグウィドー要塞があるとは言え、あっという間に王都まで攻めこまれるでしょう。それこそ、民は動揺するのではないでしょうか。

 また、この王都は我が国が「金」の守護を受けられる要の土地ではありますが、ここを死守することを第一に考えるべきではないと思います。あくまで最優先すべきなのは、国民の保護であることを忘れてはなりません。

 ……現状、ミァン炭鉱にいる兵団を向かわせるのは難しい中、これが今採れる最善の策かと思います」

 決して大きな声ではないが、ガーネットの声には有無を言わせない威厳のようなものが秘められており、これに異議を唱える者は現れなかった。

 反対意見がなくなったことを確信したジェイドは、立ち上がると、会議室全体を見回し、敬礼の姿勢をとった。そして、出陣の準備を進めるべく、颯爽と退出していった。

 静まり返った会議室の中、初老の将校が手を上げて発言の機会を欲した。

「なんだ、ロベルト」

 参謀長の指名を受けたロベルト将校は、手を降ろすと、静かに立ち上がり、ガーネットを真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「恐れながら女王陛下に申し上げます。先程、ミァン炭鉱にいる兵団を向かわせるのは難しいと仰せられましたが、それはなぜなのでしょうか?確かに、ミァンとフォリーシュではかなり離れておりますので、向かわせるには時間がかかるでしょう。しかし、国土が荒らされている今、軍をミァン炭鉱より動かさないというのは、軍の存在意義が問われるかと思いますが」

 小柄ではあるが、鋭い眼光で睨めつけるように話すロベルトをじっと見つめながら、ガーネットは口を開いた。

「もちろん、ミァン炭鉱の反乱が静まったら、すぐにでも向かわせるつもりです。だからこそ、今の人数で早々に反乱を鎮めてもらいたいのです。どちらも中途半端になるよりましでしょう。それに、今回の反乱は、いつもとは違うような気がしてならないわ……」

「……」

「……他には?」

 腕を組んだり肘をついたりなど皆一様に仏頂面ではあったが、意見を述べる者は現れなかった。

「では、至急、グウィドー要塞とベアナ炭鉱に連絡を取り、一部の軍隊をフォリーシュに向かわせることとする。

 次に……」

 会議が進行しだした途端、参謀長の声がすぅと遠くなった。

 その代わりに、頭の奥に直接話しかけてくる声のようなものが聞こえてくるのにガーネットは気が付いた。それはキンキンと甲高く、なぜか吐き気がこみあげてくるような、ひどく不快な響きであった。

 本能が、その声に耳を傾けてはいけない、と諭したような気がしたガーネットは、必死に参謀長の説明に集中しようとした。

 その真剣なまなざしを湛えた額には、玉のような汗がたくさん浮かび上がっていた。




「どぷん、どぷん」

 港に打ち付ける波の音が、月夜に響く。

 風のない、穏やかな夜だった。

「それにしても、ミァン炭鉱はどうなっちまったんかねぇ。ああもたくさんの軍隊が駐屯していたんだろう?」

「さぁね。きっと、腑抜けばかりだったんだろうな……。よし、この一手」

「……!むむ、気が付かなかったなぁ」

 そう言うと、男は頭を一撫でし、口に手を当てて考え込み始めた。ランタンに照らされた盤上では、大型船が小型船の奇襲を受けて、息も絶え絶えとなっている。

 ここは、ソラス王国の数少ない港街、トンだ。

 ここから、ソラス王国の輸出品である材木や小麦、鉄製品を他国に輸出している。彼らは夜の見張りの任に就いていたが、だいたいきまって「ソウクイ」をやるのが定番となっていた。

「どぷん、だぷ、どぷん」

 波の音が、夜空に響いている。

「……こりゃぁ、厳しいな。一手戻っていいかい?」

「いいわけないだろう。何言って……」

「どぷ、だばっ、ざぶん」

 反論しかけた男は、急に言葉を切ったかと思うと黙り込み、じっと耳をそばだて始めた。

「一回だけだよ、いいじゃねえか……」

「しっ!静かにしてくれ……」

 男は手でもう一人を制すと、今度は目を閉じ、うつむきながらじっと耳を澄ませている。

「どぷっ、どぼっ、だぼん」

「……。どうしたってんだ?」

「しっ!波の音がおかしいのに、気が付かないのか?」

「ん?波の音?」

「どぷっ、ざぼ、だぶん!」

 異変を察知した男が立ち上がろうとした瞬間、ひゅん!という音と一緒に、なにかとてつもなく早いものが耳元をかすめていった。

「うわっ!」

 驚いて、思わず尻餅をつくと、右手に長い棒のようなものが触れたのに気付いた。

 引き抜いて、灯りに照らしてみると、それは矢だった。

「矢が、なんでこんなところに……?」

 訝しんでいると、空から、ひゅん!ひゅん!と音を立てて、次々と矢が降り注いでくる。

「まずい!早く逃げないと……!」

 瞬く間に、矢が雨あられのように降り注ぎ始めた。

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