第10話 ソフィア、久しぶりの再会、そして誤解も解ける
~ソフィア 7月22日~
「あら、タクゴを補充し忘れちゃったみたい。ソフィア、悪いんだけど、倉庫から取ってきてくれるかしら」
「タクゴですね、はい、わかりました」
ペンを走らせていた手を止めたソフィアは、手紙から顔を上げると、アンナのほうを向いて答えた。
「ソフィア、代筆は、また後で時間ができた時でいいよ。ありがとう」
ソフィアが座る椅子の近くのベッドに横になっている兵士が言った。
「ごめんなさいね、コニー。ソフィア、よろしくね」
アンナはそう言うと、患者のほうに向き直り、火傷の薬であるタクゴを塗る手当てに戻った。
「コニー、少し待っててね。すぐ戻るから」
ソフィアはそう言って立ち上がると、手紙とペンを椅子の上に置いて、医務室を後にした。コニーは両手を怪我していて手紙を書くことができないので、ソフィアが代筆を買って出ていたのだ。
医務室の外に出ると、ソフィアは右に曲がって、そのまま廊下の突き当りまで進んだ。そして、突き当りにある扉に手をかけると、ぐっと引いた。
昨日の夕方から降り出した雨は、夜のうちには止んだようで、まだ三時を少しばかり過ぎたこの時間はたくさんの陽の光に溢れている。
ソフィアは眩しそうに目を細めると、そのまま倉庫へと歩いて行った。
昨日の騒ぎは、あの後すぐに駆け付けた警官によってお開きとなった。
乱暴な言葉を吐き散らしながら警官にくいよる人たちも何人かいたが、ソフィアはすぐにその場を離れ、イーディスの家へと足早に向かった。
帰る道すがら、ソフィアはどうして自分があんな集会に参加してしまったのか、戸惑いを感じていた。確かに、兄グスタフの消息がほぼ絶望的といえる中、炭鉱夫に対する強い憎悪という感情が胸の内を渦巻いていたのは事実だが、だからといって、炭鉱夫を模した人形を火あぶりにするような集まりに我を忘れるほど高揚した気持ちで参加していた自分に、とまどいというか、恐れにも似たような感情を抱いたのだ。
このことは、帰宅してからも誰にも言えなかった。
あの親友のイーディスにさえも。
倉庫から薬が梱包された箱を手にして出てきたソフィアが、外廊下をつたって詰め所へ向かおうとした、その時だった。
ふと、門の外が騒がしいことに気が付いた。視線をやると、正面の門の外にいた歩哨が一人、慌てた様子で詰め所内に駆け込んでいくのが見えた。
(どうしたんだろう?)
なにが起きたのか気になって、その場でしばらくの間様子を見守っていると、先ほど詰め所に飛び込んだ歩哨と一緒に別の兵士が二人、全速力で詰め所から飛び出すと、正面の門へと走っていくのが見えた。その後、何人かの兵士が、後から後からぱらぱらと飛び出してくる。
ふと、胸騒ぎを感じたソフィアは、薬を手にしたまま正面の門の方へ急いだ。
すると、門の脇の通用口が開き、そこから見覚えのある人が入ってきたのだ。
それは、何度も無事にいるのか気をもんだ相手、兄グスタフだった。
以前会った時よりも痩せて、髪もぼさぼさだったが、それは、まぎれもなくグスタフだった。
ソフィアはあまりの驚きに、思わず薬が入っている箱を落としてしまった。そして、信じられないといった具合に手で口を押さえると、ぱっとグスタフに駆け寄り、思いっきり抱きついた。
「グスタフ!無事だったんだね!ずっと心配してたんだよ!」
「え、ソフィア……?なんでここに……?」
グスタフの問いは、ソフィアの耳に届いていなかった。
そのままグスタフに抱き着いたまま、人目もはばからず大泣きをした。
自分の胸で泣きじゃくる妹のソフィアを最初は戸惑った様子で見つめていたグスタフも、ふと、優しい眼差しを浮かべると、ソフィアの背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「心配かけて、ごめんな」
そう声をかけると、ソフィアの背中を優しくさすった。
しんみりと、そしてほっこりとした空気が流れた。
その光景を見守っていた兵士も、ソフィアがずっとグスタフのことを待ち続けていたのを知っていたのだ。
少しの間、我を忘れて泣き続けていたソフィアだったが、泣き続けていると、だんだん気持ちが落ち着いてきた。
それを見計らったように、一人の兵士がぽんとソフィアの肩に手を置いた。
「ソフィア、よかったな。
……それにしても、グスタフ、よくぞ無事に戻ってきたな。とりあえず中に入ろう。詳しい話は中で聞かせてもらうよ。いや、先に休んでからにするか?」
「いえ、先に上官殿にお話ししなければならないことがあります。一刻も早く」
ほのぼのとした空気から一転、張り詰めた空気に変わった。
「そうか。なら疲れているところを申し訳ないが、早速話を聞かせてもらおう。
……おい、そこの炭鉱夫もな」
温かみのある声が一転、氷のような冷たい響きを持つものに変わった。
炭鉱夫という単語を耳にした途端、ソフィアの体がびくっと震えた。そして、グスタフの胸から顔を上げると、辺りを見回した。
すると、何人もの兵士に囲まれた兄とは対照的に、見張りの冷たい視線を受けながらそっぽを向いてポツンと一人で突っ立っている、黒髪黒目の褐色の肌をした男が目に飛び込んできた。
「彼はセルマンっていって、セガラ連邦から無理やり連れてこられて働かされていたんだ。
……彼がいなかったら、俺は、今でもあそこに閉じ込められたままだったろうよ」
ソフィアのセルマンに対する戸惑いを敏感に感じ取ったのか、グスタフはわざと明るい調子で話した。
それを聞いたソフィアは、余計に頭が混乱した。
今まで、グスタフは炭鉱夫たちによって殺されたとばかり思っていたのに、そのグスタフが炭鉱夫と一緒に現れ、しかも、その男に対して弁護するようなことを口にしたからだ。
ソフィアは、知らぬ間に眉間にしわを寄せると、その男をじっと訝しく見つめた。すると、たまたま炭鉱夫がソフィアのほうを向いて、二人の視線が合った。
(あ……)
と思ったときには、ソフィアは思いっきり目をそらして、グスタフの後ろに隠れるよう頭を引っ込めてしまった。
「まあ、詳しい話は中で聞くよ。とりあえず中に入ってくれ。
……ということで、ソフィア。悪いけど、少しグスタフを借りるよ。感動の再会の続きは、また後でな」
兵士の一人がそう言うと、詰め所へ向かっていった。
「ごめん、ソフィア。また後で会おう」
グスタフは申し訳なさそうな顔を浮かべると、ソフィアの頭をポンポンと軽くたたき、兵士の後に続いた。
最後に、犯罪者を見るような眼付きで睨む兵士に監視されながら、ソフィアの前を炭鉱夫が通り過ぎていった。ソフィアは上目遣いでその炭鉱夫の表情を盗み見た。しかし、その男の表情からは、何の感情も読み取ることができなかった。
そして、その男は、一度もソフィアのほうを見ることなく去っていった。
彼らが詰め所に消えていくのを見届けたソフィアの肩を、歩哨は笑顔でポンとたたくと、持ち場である正面の門の方へ戻っていった。
ソフィアは、その場に一人取り残された。そうやってしばらくの間、足が地面に吸い付けられたかのように、その場から動くことができなかった。
ソフィアが落とした薬の箱から、割れた瓶が転げ落ち、中身の軟膏が石畳の上にクリーム色のシミを広げていった。
「ふぅ……」
休憩室で水を一口飲んだソフィアは、ため息をついた。
あの後のソフィアはどこか上の空で、手紙の代筆も誤字が多く、血圧を測る時にも腕を強く締め付けすぎて失敗したり、包帯も必要以上に巻いて腕を二倍の太さにしてしまったりなど、ミスを連発してしまい、少し休憩室で休むように言われてしまったのだ。しかし、それはソフィアの兄であるグスタフが炭鉱夫と連れ立って帰ってきたという、すでに兵士の間でもちきりの噂からくる憎悪の目から、ソフィアを避難させるためでもあった。
そうとは知らず、ソフィアは誰もいない休憩室で一人ポツンと座り、グスタフとの久しぶりの再会のことを思い出していた。
(無事でよかったけど……。でも、炭鉱夫からひどい目に遭わされていたんじゃないの?なのに、なんで炭鉱夫と一緒に来たの?……一体、何があったの?)
無事に会えた喜びから一転、炭鉱夫と一緒にいたことに対する戸惑いなどで、ソフィアの頭の中はこんがらがっていた。と、同時に、心がどこか落ち着かないような、あちらこちらへ彷徨っているような、そんな不安が胸の内に渦巻いているのを感じていた。
考えれば考えるほど、ますます訳が分からなくなり、思わず机に突っ伏していると「トントン」と扉を叩く音が聞こえた。ソフィアはぱっと体を起こして、扉の方を見た。
すると、ガチャという音とともに、そろそろと扉が開いたのだ。
扉は、ほんの少し開いたところで止まった。その隙間から、亜麻色の髪をした眼鏡の男性が顔を覗かせ、きょろきょろしているのが見える。衛生兵のリチャードだ。
リチャードは、ソフィアを見つけるとニコッと笑って、紙袋を軽く振ってみせた。
「ソフィア、僕も今から休憩に入るんだ。クッキーもらったから、一緒に食べようよ」
「あ……」
即答できなかった。
気持ちが塞がり、だれかと会話を交わすのが億劫となっていたのだ。
ソフィアの戸惑った表情を前に、リチャードは一瞬怯み、しんとした空気が流れかけたが、すぐに空元気を出すかのように、再度口を開いた。
「あの……、入っていいかな?」
休憩室は、医療従事者ならだれもが好きに使っていい部屋だ。なのに、入っていいかと尋ねるリチャードが少しおかしく、ソフィアの気持ちは多少和んだ。それに、押し寄せてくる不安から誰かと一緒に居たい、という気持ちもあったのも事実だった。
「もちろん。どうぞ」
それを聞いたリチャードは、ほっとしたように顔を緩め、紙袋をガサガサ言わせながら入ってきた。そして真正面に座ると、紙袋を机の上に置き、大きく開いてソフィアのほうへ差し出した。クッキーの甘い香りがぱぁっと部屋中に広がった。
「ここのクッキー、おいしいんだってさ。こんなにいっぱいもらったんだけど、食べきれなくてさ。ソフィアも手伝ってよ。
あ、僕、水を取ってくるよ。先に食べてて」
ここまで走ってきたのか、火照った顔に汗を浮かべ、息を切らせながらリチャードは言うと、水差しのところへ水を取りに行った。
ソフィアはその後ろ姿をぼんやり見つめた後、前に向き直り、差し出されたクッキーに手を伸ばした。
それは、まだ温かく焼きたてだった。そして、それを一口かじった。
その瞬間、メープルの甘さが口いっぱいに広がった。
そのふわっと香る甘さが、暗く沈み込んでいたソフィアの心をじんわりと温めてくれた。
「どう、おいしい?」
「……うん、おいしい」
ソフィアがそう答えると、リチャードの顔にぱあっと笑みが広がった。
「よかった!どんどん食べてね」
「うん、ありがとう」
ソフィアは、手にしたクッキーをゆっくり食べながら答えた。
少しの間、休憩室にはクッキーを食べる音だけが響いていた。
ぼんやりしながら手にしたクッキーを口に運ぶソフィアを、リチャードはじっと見つめていた。そして意を決したようにグラスを手に取ると、ぐっと一気に飲み干して、ソフィアに話しかけた。
「……お兄さん、無事だったみたいだね」
ソフィアの動きがはたと止まる。
その様子に少し慌てたリチャードは、急いで言葉を紡いだ。
「い、いや、アルバート先生から聞いたんだ」
ソフィアはゆっくり顔を上げて、リチャードを見つめた。その瞳は、心なしか虚ろ気だった。
「そう……。アルバート先生も、もう知ってるんだ……」
そう答えると、ソフィアはしょんぼりとうつむいてしまった。
医師のアルバートの配慮で休憩室に待機させられていることを、ソフィアは知らない。
「うん、ご存じだよ」
そう言うと、リチャードは一度深く深呼吸をした。
「……炭鉱夫と一緒に帰ってきたってことも」
それを聞いた瞬間、ソフィアはばっと顔を上げた。
その顔は今にも泣きだしそうで、リチャードは言い過ぎたと思ったのと同時に、あの噂は本当なんだという確証を得て、何とも言えない複雑な気持ちになった。
「……ソフィア、いろいろ思うところがあるかもしれないけど、今はお兄さんが無事に帰ってきたことを喜ぼう。まだ話が終わってないようだけど、それが終わり次第、ソフィアを会わせてもいいっていうことになってるんだって。
……せっかくの再会だ。元気出して、ね」
そう言うと、クッキーが入った紙袋をソフィアに差し出した。
しかし、ソフィアは手をつけず、しゅんとうつむくと話し始めた。
「……そうですね。喜ぶべきですよね……。でも、なんというか、複雑で……。
最初、グスタフを見かけたときは、本当に信じられなくって、うれしくって……。私、あまりのうれしさに、グスタフに抱きついて大泣きしたんです。でも、少ししてから、炭鉱夫と連れ立って帰ってきたっていうことがわかって……。なんというか……、その……。どうしてって思ったんです」
「どうして……?」
「はい。今まで、どこでどうやって過ごしていたのかはわからないけど、炭鉱夫たちが起こした暴動に巻き込まれたのは、確かだと思うんです。なのに、その炭鉱夫と一緒に現れて……。それに、私自身、傷ついた兵隊さんの看病を、下手なりにお手伝いさせてもらっていますけど、その兵隊さんたちって、あの暴動に巻き込まれて、怪我したわけじゃないですか。中には、一生残るひどい怪我を負った人もいるし、亡くなった人だっている……。だからこそ、炭鉱夫と一緒に無事に帰ってきたグスタフを、素直に喜べないというか……」
兄を心配するあまり、薬局の友達の力を借りてまでここに乗り込んできた、ということを知った時には、見た目によらずなんてたくましいんだと思ったものだが、思いもかけない展開に直面した今、困惑して憔悴しきっている姿はあまりに痛々しく、この話題を振ったことに、リチャードは後悔を覚え始めた。しかし、自分がここに来たのはあくまでソフィアを元気づけるためだ、ということを思い出し、言葉を慎重に選んで話し出した。
「……そうだね、お兄さんとの久しぶりの再会もつかの間、想定外の事態も同時に起こったわけだからね。素直に喜ぼうと言われても、そうは思えないよね……。
だけど、ソフィア。一つ気になったことがあるんだけど、いいかな?」
最後の言葉にソフィアは顔を上げると、リチャードを見つめた。
「まず、暴動が起きた日のことだけど、最初に龍のような形をした炎が空から舞い降りて、軍の駐屯所を嘗め尽くした。その後、暴徒化した炭鉱夫がつるはしやスコップを手に襲い掛かってきた、ということは聞いてる?」
ソフィアは頷く。
「うん、ここで重要なのは、たくさんの兵士が負傷、あるいは死んだのは、あくまで空から舞い降りた炎の龍に焼かれたためであって、暴徒化した炭鉱夫にやられたわけじゃない、っていうことなんだ。もちろん、なかには炭鉱夫にやられた兵士もいたけど、それは負傷した兵士のごく一部だったんだよ」
「……。でも……」
「待って。言いたいことはわかる。それも、炭鉱夫が起こしたことなんじゃないかっていうことだよね?そう考える気持ちはわかるよ。
……でも、正直それはないんじゃないかと思う。もしそんなことが炭鉱夫に可能なら、とっくの昔にそうしているはずだよ。なのに、今までそうして来なかった。
なぜなのか。
それは、それが炭鉱夫によって引き起こされたものではないから、と考えるのが、一番自然なんじゃないかと僕は思ってる」
「……でも、そうだとしたら、その炎の龍はだれがやったの?」
「それは……。ごめん、わからない……」
最後は消え入りそうな声で答えたリチャードは、答えられなかった恥ずかしさからか、顔を赤らめると頭をぽりぽり掻いた。
でも、すぐにソフィアに向き直ると、真剣なまなざしで訴えた。
「それでも、炭鉱夫がやったという証拠はどこにもないんだ。みんな、兵士が怪我したのは炭鉱夫のせいだと思い込んでいるけど、まだなにもはっきりしたことはわからないんだよ。じゃあ誰がやったのかと聞かれると、辛いものがあるけど……」
「……」
「……あるいは、誰かが炭鉱夫に罪を擦り付けるために画策したこととか……?」
「?」
「いや、なんでもない。独り言だよ……。
とにかく、実際なにが起きたのかわからない内に、あれが悪いとかこれが悪いとか、決めつけるのはよくないと思うんだ。正直、あの日の詳しいことは、未だによくわかっていない。それを明らかにするために、君のお兄さんと炭鉱夫が一緒にここまでやってきたんじゃないかな。
……大丈夫、心配しないで。君のお兄さんは無事に帰ってきて、この後すぐ君も会える。あんなに無事を願っていたお兄さんじゃないか。もっと素直に喜んでいいんだよ」
そう言うと、リチャードはソフィアを見てほほ笑んだ。
ソフィアは、それまで不安からふるふると震えていた心が、リチャードの笑顔を前にジーンと温められ落ち着きを取り戻していくのを感じた。そして、リチャードの思いやりのある優しさに触れ、目からぽたっと涙が溢れ出るのを止められなかった。
それを見たリチャードは、滑稽なほど慌てた。しかし、リチャードが慌てれば慌てるほど、ソフィアの涙は溢れ出してくるのだった。
(確かにそうだ。今までもうだめかもしれないって何度も思ったことを考えると、こんなにいい結果ってないかもしれない。
……グスタフは、生きてたんだ)
そう思うと、真っ赤な顔をして動揺しているリチャードに向かって、ソフィアは目に涙を湛えたまま微笑んだ。
ソフィアが休憩室に入ってから、今まで何人の人が出入りしただろうか。
「お兄さん、無事でよかったね」と話しかけてくる人もいれば、ちらっと一瞥した後、無言で出ていく人など、様々だった。
すでにリチャードは仕事に戻っており、まだたくさんのクッキーが入っている紙袋を前に、休憩室でたった一人、グスタフに会える時を待っていた。
時刻はすでに六時十分前。
すると、しんと静まり返った廊下から、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
ソフィアは、扉のほうにぼんやり視線を向けた。すると、足音は休憩室の前でぴたっと止まり、それと同時に、トントンと扉をノックする音が聞こえてきた。
「ソフィア・コリンズはいるか?」
「は、はい。私です」
はっと我に返ったように上ずった声で返事をすると、ソフィアは慌てて立ち上がった。その弾みで椅子が後ろに倒れ、大きな音を立てた。
「聞き取りは終わったから、今からグスタフのところに案内する。ついてきなさい」
「は、はい!」
そう返事をすると、急いで倒れた椅子を起こし、目の前にある紙袋をひったくると、扉へ小走りに向かった。
扉の向こうには、見知らぬ兵士が一人立っていた。
「こっちだ」
無表情でそう言うと、ソフィアから向かって左側となる、正面玄関ホールへと続く方面へ足早に歩きだした。
ソフィアは遅れまいと、小走りにその後をついて行った。久しぶりにグスタフに会える緊張からか、心臓がトクトクと早鐘を打ち始めたのを感じる。
正面玄関ホールに踏み入れると、そこはたくさんの兵士で溢れ、かなり騒々しかった。
行き交う兵士の表情を見ていると、中には笑顔で談笑している人や時にはどこかでどっと歓声があがったりもしているが、だいたいはどこか真剣な面持ちで、ソフィアはミァン炭鉱への出兵も近い、という噂を看護中耳にしたのを思い出した。
前を行く案内役の兵士は、たくさんの兵士で溢れかえった玄関ホールを、後ろを行くソフィアに気を配りながら突っ切ろうとしていた。ソフィアは顔見知りの兵士に会うのがなんとなく気まずく、面を上げずにうつむき加減で兵士の後に続いた。
何度か行きかう兵士にぶつかりそうになりながらも、玄関ホールの反対側に到着したソフィアたちは、そのままらせん階段で二階まで上った。そして、医務室がある棟とは逆になる、ソフィアがまだ足を踏み入れたことがない本館の右側にある棟へと入っていった。
右側の棟に足を踏み入れ、後ろ手に戸を閉めると、玄関ホールでの賑わいはパタッと聞こえなくなった。
そして、前に向き直ったソフィアの前には、医務室の前の、殺風景で積年の汚れがあちこちにみられる廊下とは違い、明らかに来賓客用の作りとなっている、シックながらも洗練された廊下が奥まで延びていたのだ。
天井からは、いくつもの火の結晶が眩しいほどに輝く華奢な作りのシャンデリアが垂れ下がり、両側の壁には、窓こそないがいくつもの絵画が飾られ、また壁の下半分は、滑らかな光沢が美しいマホガニーで覆われている。足下は足音が響かないためか、毛足の短い絨毯が敷き詰められており、きれいとは言えない靴で踏むのがためらわれるほどだった。
ソフィアは初めて目にする豪華さに体を縮ませながらも、胸の中で頭をもたげる好奇心には勝てず、回りをキョロキョロ見回しながら先を行く兵士についていった。
廊下突き当たりの部屋の前で、案内役の兵士は立ち止まった。
ソフィアも立ち止まると、そこには、同じくマホガニーで作られた立派な部屋の扉があった。
この扉の先に、グスタフがいる。
そう思うと、嬉しさのあまり、頬が紅潮していくのがわかる。
案内役の兵士は、その場でくるりと後ろを振り返ると、無表情を崩さず口を開いた。
「お前の兄は、この部屋で待っている。……炭鉱夫も一緒だ」
「え?」
あまりの驚きに、口をポカンと開けたソフィアは、自分を見下ろす兵士を大きく見開いた目で見上げた。
「グスタフが言い出したんだそうだ。なんでかまでは知らん。
……時間も遅くなったから、夕飯をここに運ぶ。ここで食べていっていいそうだ。では、俺は戻るぞ」
最後まで無表情だった兵士はそう言い残すと、その場でくるりと踵を返し、今来た廊下をきびきびと歩いていってしまった。
その後ろ姿が扉の向こうに消えるまで、ポカンとした顔つきで見つめていたソフィアは、部屋の扉に視線を戻した。その顔には、先ほどまではなかった困惑した表情が浮かんでいた。
グスタフだけに会うのと、炭鉱夫も一緒に会うのとでは、全く違う。
先程まで胸の中で高鳴っていたグスタフとの再会の喜びは、音もたてぬまま、あっという間にしぼんでしまった。
ソフィアは一瞬、この扉を開けるのに躊躇した。
しかし、意を決してすーと深呼吸をすると、扉をノックした。
「はい?」
たった一言だったが、中から聞こえてきたのは、紛れもなくグスタフの声だということが分かる。
「グスタフ?私だよ、ソフィアです」
緊張からか、声が震える。
すると、すぐさま部屋の中からガタッという大きな音と共に、グスタフの興奮したような大きな声が聞こえてきた。
「ソフィアか!」
だだっと走る音が聞こえたかと思うと、扉がばっと開いた。
そこには、やはり少しやつれてはいるが、ずっと安否を心配していた兄、グスタフが立っていた。
「ソフィア!お前、ほんとにここでなにやってるんだよ!
話は聞いたよ。お前、ここで看護の仕事を手伝っているんだってな。驚いたよ!
あ、立ち話もなんだから、中に入ってくれ、な!」
グスタフは満面の笑みを浮かべながら捲し立てると、扉を抑えたまま、部屋へ入るよう手招きしている。ソフィアは、昔からよく知っている明るくて賑やかなグスタフを前に少しほっとすると、おそるおそる部屋へ入っていった。
部屋は広く、ちょうど正面に見える演習場に面した大きな窓からは、傾いた陽の暖かみのあるオレンジ色の光が射し込んでいる。それとは別に、天井や壁にかかっている照明からも、まぶしいほどの明るさが部屋に降り注いでいた。部屋の右奥には衝立があり、おそらくその先にはベッドがあり、また扉の近いところにはトイレと洗面台があった。
しかし、それらにソフィアの視線が注がれることはなかった。部屋の真ん中に置かれたテーブルと椅子に腰かけている炭鉱夫に、目が釘付けになっていたからだ。
そんなソフィアを気遣うような温かい眼差しで見つめていたグスタフは、軽く肩をすくめると、ソフィアの肩に手をぽんと置いた。
「ソフィア。さっきはバタバタしちゃって、ちゃんと紹介できなかったな。
彼はセルマンといって、ミァン炭鉱で働かされていた炭鉱夫だよ。ここからずっと南にある、海の国の出身なんだ。彼には、ここまで来るのに本当に助けてもらったんだ」
グスタフの話を聞いている間、ソフィアはじっと炭鉱夫を見つめていた。
黒髪に褐色の肌。体つきはあまり大きくはないが、かといって華奢とは言えず、炭鉱夫という力仕事を長年やってきた強靭さというものをソフィアは感じた。
そのセルマンという名の炭鉱夫は、所在無さげにあちこちに目をやったりしていたが、グスタフに名前を呼ばれると、しっかりとグスタフの方を向いた。
「ということで、セルマン。この子が道中何度か話した、妹のソフィアだ。ほら、ソフィア。ごあいさつ」
そう言うと、グスタフはソフィアの背中をわざと強めにぼんと押して、前に押し出した。
押された勢いでソフィアは思わず前につんのめり、床に手をついてしまった。
ソフィアは、ふと、視線を感じて顔を上げた。すると、少し驚いたような顔をした炭鉱夫が、漆黒の瞳で自分を見ているのに気がついた。
(みっともない姿を見られた……)
恥ずかしさから、かぁっと顔が赤くなったソフィアは、赤くなったことにさらに気恥ずかしさを覚えてますます赤くなり、耳まで真っ赤になった。
その様子をポカンと見守っていた炭鉱夫は、ぷっと吹き出すと、うつむきながらクックと笑いだした。ソフィアの様子をにやにやしながら見ていたグスタフも、ぷっと吹き出し、あははと笑いだした。
真っ赤な顔をしたソフィアが、ぽつんと一人床に手をついている中、二人の男の笑い声が部屋の中に響く。
その間、ソフィアは炭鉱夫が笑う姿を見つめていた。
顔付きは全く異なるが、黒眼黒髪というグスタフと似たような風貌を持つこの炭鉱夫の屈託なく笑う笑顔に、ソフィアはなぜかほっとするような安心感を覚えた。
少なくとも、今まで抱いていた炭鉱夫に対する印象(卑怯でずるい奴)を、この炭鉱夫からは感じられず、ソフィアの気持ちも次第に落ち着いていった。
一通り笑い終えた炭鉱夫は、目尻の涙を指先で軽く拭うと、立ち上がってソフィアに向かい合った。
「ごめんなさい、笑っちゃって。俺はセルマン。グスタフの話にもあったが、ミァン炭鉱で働いていた炭鉱夫だ。ソフィアだったよね?よろしく」
そうセルマンは言うと、柔らかな笑みを浮かべて、軽く会釈した。ソフィアも、慌てて立ち上がると、腰を軽く曲げて会釈をした。
「こちらこそ、変なところをお見せしちゃって……。
私はソフィア。グスタフの妹です。兄がお世話になったようで……」
ソフィアがそう言うと、セルマンは穏やかな顔つきのまま静かに首を左右に振ると、優しさを湛えた瞳で口を開いた。
「いや、お世話になったのは俺のほうだよ。グスタフがいなかったら、俺はあのまま炭鉱でくすぶっていたと思う」
そう言うと、セルマンは感謝の気持ちがこもった視線をグスタフに投げかけた。
グスタフは、そんなことないよと言わんばかりに肩をすくめたと思うと、急に真顔になってソフィアに向き直った。
「ソフィア。たぶん、いろいろ聞きたいと思ってるだろうから、今までのこと、全部話すよ。あの日になにが起きて、そしてその後、俺がどこでどうやって過ごしてここまで来ることができたのかを。そして、そこにいるセルマン、いや、この国で働かされている炭鉱夫のことも……」
そうグスタフは言うと、セルマンの方を向いた。ソフィアも目をやると、セルマンが軽く頷いたのがわかった。
長くなるからと椅子を勧められたソフィアは、セルマンの隣の椅子に軽く会釈しながら座ると、姿勢を正し、膝の上にきゅっと結んだ手を置き、真剣な面持ちでグスタフを見上げた。その様子を見守っていたグスタフは、その隣に椅子を持ってきて座り、あの日、ミァン炭鉱でなにが起こったのか、ぽつぽつと語り始めた。
途中、何度かソフィアは質問しようとグスタフの話を遮ろうとした。
時には質問に答えてくれたり、時には最後まで聞けと言わんばかりに手で制止されながら、ソフィアはグスタフの身になにが起こったのか、そしてグスタフの言う事件の真相と炭鉱夫の実態について、聞いたのだった。
途中、ゴロゴロとした野菜や肉がたっぷり入った、おいしそうな匂いを漂わせたシチューや新鮮なサラダ、そして小麦の香ばしい香りを放つ焼きたてのパンが運ばれ、テーブルに並べられたが、それを口にする者は誰もいなかった。
「……ということで、詰め所の正面の門の前までやっと到着したんだ。後は、ソフィアも知ってるだろ?」
そう話すと、さすがに疲労が隠せないのか、疲れた顔で天井を見上げると、ふぅとため息をついて目を閉じた。
覚悟はしていたが、思っていた以上の内容で、ソフィアは頭の中が混乱していた。
暴動が起きてから、懲罰部屋に監禁されていた間のグスタフが経験した壮絶な体験、名前は聞いたことがあるが、ソフィアも実際は見たことがないドワーフとの出会い、そのドワーフが教えてくれた、隣のイギ国の魔法使いが生み出した土人形と呼ばれるものたちがミァン炭鉱に潜入しているという話、そして、ソラス王国で働く多くの炭鉱夫が、禁止されている人身売買で強制的に連れてこられ、過酷な労働を強いられているという事実。
あまりに強烈な内容に、ソフィアの理解が追い付かず、文字通り頭を抱えてしまった。
それを見たグスタフは、ソフィアの隣にしゃがみこむと、目線を合わせて優しく語りかけてくれた。
「いろいろ詰め込んで話したから、頭の中がぐちゃぐちゃになっているよな。俺もこんなのいきなり聞かされたら、叫んじまうくらい混乱するよ。
……でも、俺は全部真実なんだと思っている。さっき、この話を上層部に報告したら、明日、俺とセルマンと他何人かで王都に報告に行くことになったよ。早速、伝書鳩と早馬が王都に向かって出発したとのことだ」
それを聞いたソフィアは、顔を上げた。
せっかく会えたのに、明日にはまたいなくなってしまう。そう思うと、寂しさが込み上げ、その気持ちを隠すことができなかったのだ。
その寂しそうな様子に、グスタフはソフィアの頭をポンポンと軽く叩くと、立ち上がった。
「そんな顔するなって。消息不明になるわけじゃないんだし」
グスタフは、にやっと笑った。
「ということで、なにかお土産を買ってくるよ。なにがいい?」
その時だった。ソフィアのお腹がぐーと鳴ったのだ。
慌ててお腹を両手で押さえたが、一瞬、部屋の中はしんと静まり返った。
すぐさま、グスタフの大爆笑が部屋中に響き渡った。
「ちょっ……、お前……、なんなんだよ!……っく、おかしすぎ!」
声にならない声を喉の奥から絞り出しながら、グスタフは九の字に体を折り曲げて、腹を抱えて笑っている。セルマンは遠慮しているのかグスタフほど大きな声で笑ってはいなかったが、うつむきながら口に手を当てて、肩を小刻みに震わしながらくっくと忍び笑いを噛み殺しているのがわかる。
そんな二人を見ていると、ソフィアもなんだか可笑しくなってきて、「あはは!」と声を出して笑った。その様子にセルマンもぶっと吹き出すと、グスタフに負けないくらい大きな声で笑いだした。
しばらくの間、部屋は三人の笑い声で溢れかえっていた。
グスタフはあまりに笑ったためか、最後はゲホゲホ咳き込むと、目に涙を湛えた真っ赤な顔を上げた。
「ああ、ほんとお前は笑わせてくれるやつだよ……。
よし、飯にしよう。せっかく出来立てを持ってきてもらったしな。完全に冷めない内に、早く食べちまおう。俺たちはさっき軽く軽食を食べたけど、ほぼ丸一日食ってないから、あれじゃ全然足りないよ」
そう言うと、グスタフは早速席について、パンを手に取りシチューに浸して口に運んだ。
「うん、まだ温かい。しかも、うまい!久しぶりに、まともな食事にありつけたよ。なんか、ほっとするな。
おい、二人とも、早く食べちゃおうぜ。じゃないと冷めちまうぞ」
シチューの中に入っていた大きな肉の塊を口いっぱい頬張りながら、グスタフはモゴモゴと言った。
ソフィアとセルマンもテーブルに向かい、スプーンを手に取り、シチューを一口、口に運ぶ。まだ十分温かさが残るシチューは、お腹の中に入ると、気持ちをほっと温めてくれるように感じられた。
パンを浸して食べようと、山なりに盛られているかごに手を伸ばそうと顔を上げたとき、ふと、隣に座っているセルマンが、じっと動かないでいるのが視界の隅に映った。どうしたんだろうと思って見ると、シチューをじっと見つめたまま動かないでいる。
「……どうしたんですか?」
おそるおそる話しかけたソフィアの問いかけに、はっとした表情になったセルマンは、ソフィアの方を向くと、ちょっともじもじしたように、モゴモゴと話しだした。
「いや、ちょっと、こんなもの、食べたことなかったから……」
「……炭鉱では、どんな食事を食べていたんですか?」
ソフィアの問いかけを耳にしたグスタフは、少し気まずそうに鼻の頭をポリポリ掻くと、聞こえなかったようなふりをして、目の前の食事を食べることに集中し始めた。
「うーん……、そうだね。これと同じようなシチューとか、じゃがいもとベーコンの炒め物とか、ポトフとかかな。それにだいたいいつも黒パンがついてきたよ。
……でも、向こうで食べていたシチューは、こんなに濃い味じゃなかったな。もっとさらさらしていて、水っぽいというか……。具も、こんなに入ってなかったな」
セルマンはそう話すと、もう一口分スプーンで掬って、それをしげしげと見つめると、口に運んだ。そして、よく味わうかのようにゆっくり噛み、ゴクンと音を立てて飲み込んだ。そしてソフィアの方を向くと、にこっと笑った。
「ちょっと俺には味が濃いけど、美味しいよ」
そう言うと、黒パンに手を伸ばし、シチューにつけて頬張った。うんうんと頷きながらあっという間に飲み込むと、貪るように食べ始めた。
ソフィアは夢中で食べ始めたセルマンにほっと安心すると、食べることに専念することにした。
しばらくの間、部屋の中は、三人の食べる音や食器の触れる音以外、何も聞こえてこなかった。
「ああ、食った!ごちそうさま!」
最初に食べ終わったグスタフはそう言うと、座ったままうーんと伸びをした。そして、人目も憚らず大きなあくびをすると、
「腹一杯になると、なんだか眠くなっちゃったよ」
と言ってテーブルに突っ伏し、ぐーぐー寝息を立てて眠りに落ちた。
あまりの一瞬の出来事に、ソフィアとセルマンは顔を見合わせて、そして笑った。
「よっぽど疲れてるんだ」
「そうだね、昨日の夕方あたりから寝てないからね」
そうだった、と思いながらセルマンの顔を見ると、疲れや眠気からか、目をしぱしぱさせているのがわかる。
ソフィアは早く退出しなきゃと思い、慌てて立ち上がった。
「あ、あの、長居しちゃって、ごめんなさい。お疲れでしょ?私はこれで戻ります」
驚いた顔でソフィアを見上げたセルマンも、慌てて立ち上がった。
「ちょっと待って!まだ、全部食べ終わってないよ。
……そうか、昨日から寝てないって言ったのを気にしてるんだね。そんなの気にしなくていいんだよ。ほら、残すなんてもったいない。全部食べていきな、ね?」
「でも……。明日、出発するんでしょ?今日は早く休まないと……」
「明日は馬車に乗っていくらしいから、そんなに疲れないよ。ほんとは馬で行く方が早いらしいんだけど、俺、乗ったことないしな。
……炭鉱で働いてきたから体力には自信あるし、それに、なんだかいろんなことが一遍に起こったからか、興奮していてあまり疲れや眠気を感じないんだよ」
身ぶり手振りで熱弁をふるうセルマンを見ていると、不思議なことに、この人ともっと話をしたい、という気持ちがわきあがってくるのをソフィアは感じた。
その気持ちがなんなのかソフィアには分からなかったが、それは「縁」と言えるようなものだった。
ソフィアは静かに席に着いた。
きょとんとした顔でこちらを見つめるセルマンににこっと微笑むと、口を開いた。
「せっかくだから、食べてく。お腹はまだいっぱいじゃないし。でも、疲れて休みたくなったら、遠慮なく言ってね」
そう言うと、ソフィアはサラダに手をつけ始めた。
その様子を見つめていたセルマンは、ふっと安堵の表情を浮かべると、椅子をガタッと引いて席につき、残りの夕飯を食べ始めた。
少したってから、セルマンが口を開いた。
「君のお兄さんは、と言ってもまだ知り合ってからそんなには経ってないんだけど、いつもあんなに前向きで明るいの?」
それを聞いたソフィアは、くすっと笑うとセルマンに笑顔を向けて話しだした。
「ふふ、そうですね。私は五人兄弟なんですけど、グスタフはその中でも一番明るくて、いつもみんなを笑わせてくれるんです」
そう言うと、ソフィアは自分の家族の話を始めた。
グスタフを始めとした兄弟や両親のこと。ここから数日、馬車に揺られてやっとたどり着く山の麓にある自分たちの村のこと。それに、飼っている羊や山羊、牛といった家畜のこと。
夏は新鮮な草を求めて山に移牧に行き、冬は山の麓の村にある家に戻って家畜の世話をしながらチーズ作りに励むこと等。話している合間にセルマンがいい塩梅で合いの手を挟んでくれるので、ついついソフィアは夢中になって話し続けた。セルマンは、特に移牧に興味を持ったみたいで、どうしてそういうことをするのかとか、そんなにたくさん放し飼いをしていて家畜がいなくなったりしないのかとか、いくつもの質問をぶつけてきた。その度に、ソフィアは得意気に説明してやった。
そんなやり取りを重ねていくうちに、最初、二人の間に残っていた見えない壁は、音もなく溶けていった。
「へえ、そうなんだ。移牧かぁ……。うまくできてる仕組みだね。それに夏でも溶けない雪が残る山かぁ。……ちょっと想像できないな。見てみたいもんだね」
憧れを抱くかのように目をきらきらさせながら話すセルマンに、ソフィアはぱっと体を向けると、拳をぐっと握りしめて熱を込めて話しだした。
「家に遊びにおいでよ!グスタフも喜ぶし、きっとお母さんたちも大歓迎だよ!危ない所でグスタフを助けてくれた恩人なんだし!」
目を輝かせながら話すソフィアとは対照的に、セルマンの表情は曇っていた。
なにかまずいこと言っちゃったかな?と自分の発言に思いを巡らしていたソフィアだったが、そんな時、セルマンがぽつんと呟いた。
「うーん、気持ちはとても嬉しいし、ぜひソフィアたちの家族や家畜、山や村も見てみたいけど……。歓迎されるのかな……」
頭をポリポリ掻きながら、最後の一言は消え入りそうな声で、セルマンは呟いた。
ソフィアは、はっとなった。
確かに、ソフィア自身はセルマンと話していく内に、それまで抱いていた偏見もなくなり、むしろ好意さえ抱くようになっていたが、セルマンのことを全く知らない家族や、特に村のみんなはどんな反応をするんだろうと思うと、不安な気持ちが全くないとは言えなかった。ましてや、ただでさえ炭鉱夫を犯罪を犯した悪人だと皆が決めつけている中で、今回のミァン炭鉱の暴動が発生したのだ。歓迎されるどころか、石を投げつけられて追い返される可能性の方が高いということに、いやがおうでも気づかずにはいられなかった。
(本当は、炭鉱夫の人たちは悪くないのに……)
そう思うソフィアの心の底から、悲しみが溢れだしてきた。
見る見るうちに肩を落としてしょげていくソフィアを目の当たりにして、セルマンは慌てて言葉を紡いだ。
「いや、ごめん。なんかしーんとさせちゃって……。
でも、いつか行ってみたいという気持ちに、嘘はないんだよ」
無理に笑顔を作ってソフィアに笑いかけると、ソフィアもそれに応えようと、口を横にきゅっと引き締めてお愛想笑いを返した。
しんとした部屋の中に、規則正しく聞こえるグスタフのいびきだけが響いている。
何気なく視線をグスタフに移したソフィアは、気持ち良さそうな寝息をたてるグスタフを見つめたまま、ぼそっと呟いた。
「……セルマンさんが過ごした海の国って、どんなところなんですか?」
セルマンは驚いた様子でソフィアの方を向いた。まさか自分のことを聞かれるなんて、思ってもいなかったからだ。
ぼおっとグスタフを見つめるソフィアをしばらくの間見つめていたが、セルマンはふぅとため息をつくと、背もたれに深くもたれかかった。そして、口元に手をやり、ゆっくりと撫で回した。そのまま、どこか遠くの方を見るような目つきで、ぽつぽつと話し始めた。
「俺が過ごしたのは、ここからずっと南に行ったところにある、セガラ連邦を構成している小さな島の一つだ。セガラ連邦っていうのは、無数の島で構成されている国、というか島の集まりで、大型船を利用した輸送業や漁業が盛んな地域なんだ。昔は、自然に吹く風の力や人力だけで広い海を航海していたからそこまで世界に大きな影響力を持ってはなかったみたいだけど、イギ国から風の結晶が入るようになると、船の航行を自然に吹く風なくしても思い通りにできるようになって、輸送業が急速に発展していって、一大産業となったんだ。イギ国の結晶によって一番生活が変わったのは、セガラ連邦だと言われてるくらいなんだよ。
……そう、セガラ連邦と言えば、なんと言ってもどこまでも広がる広大な海だよ。あの国は、全ての恵みを海からもらうんだ」
「全ての恵み?」
それを聞いたセルマンは、ソフィアの方を向くと、あははと無邪気に笑った。
「例えだよ、例え。それくらい、セガラ連邦の人たちは海から計り知れない恩恵を貰っている、ということ。魚は食卓に欠かせないし、それを売って生計をたてている人が多いしね。移動も、舟で海を渡るわけだし」
そうセルマンは言うと、幼い頃に親しんだ海が目の前に広がっているかのような懐かしそうな眼差しを浮かべて、穏やかな声で話を続けた。
「海は、本当に綺麗なんだ。同じ海でも、時間や天候、あとは風の強さによって、毎回異なる顔を見せる。
……ソフィアは、海を見たことがある?グスタフはないって言ってたけど」
「ううん、私もない」
ソフィアがそう答えると、セルマンは心底残念そうな顔をした。
「それは本当にもったいないよ。この国だって、海に面しているのに。……まあ、そんなこと言ったってしょうがないか。
とにかく、海は美しいんだ。色も、砂浜が広がる浅瀬の透き通るような水色や、波の穏やかな場所で見られる心奪われるようなエメラルドグリーン、他にも、外洋の力強く荒々しい青色や、夕陽に照らされて真っ赤に染まる海とか。
……ああ!俺の語彙力じゃ、あの美しさを言い表すのは無理だよ」
そう言って、セルマンは頭を抱えた。
その様子を微笑ましく思ったソフィアは、柔らかな笑みを浮かべた。
「そうなんだ。いつか、私も見てみたいな!
……それと、セルマンさんの家族って、どんな人たちだったの?」
ソフィアの無邪気な質問を耳にした瞬間、セルマンはびくっと体を震わせた。
その様子を最初は不思議に思ったソフィアだったが、すぐに自分が失言したことに気づいた。なんらかの理由によって、セルマンがセガラ連邦から強制的に連れてこられたことを思い出したからだ。
ソフィアは慌てて釈明しようとした。
「ご、ごめんなさい!私、そんなつもりじゃ……」
セルマンは、ゆっくり顔を上げるとソフィアを優しく見つめ、首を振った。
「いや、なにも謝ることはないよ。
……それに、俺にもちゃんと家族はいたんだよ。もう、長いこと会ってないけど……」
そう言うと、海の話をした時のように、どこか遠くを見つめるような眼差しで語り始めた。しかし、その眼差しは、先程とは違い、どこか痛みを抱えているようにソフィアには映った。
「俺が育ったのは貧しい家庭でさ、親父が海で漁をして得たわずかな収入で、なんとか家族みんな暮らしていたんだ。家族は親父とお袋、それに俺を始めとする兄弟四人、あ、お袋のお腹の中に赤ちゃんがいたから、そいつも合わせれば全部で……、七人か。まあ、貧しいのに子沢山だったから、ほんとに生活は苦しくって、時には一日に一食しか食えない日もあったんだ。
俺も、物心つくくらいから親父の漁を手伝ってさ。二人で小さな舟、きっと見たらあまりの小ささに驚くぞ、そんな舟に乗って、海に漕ぎ出すんだ。
……漁って、ほんと力仕事なんだよな。舟を海に漕ぎ出すにも、後ろから勢いつけて押し出さないといけないし、そのあと櫂を使って漕ぐのにも、かなりの力が必要だ。ある程度沖合いに出て帆を張って、風の力をうまく使いこなせれば楽なんだけど、毎日いい風が吹くとは限らない。まあ、ほんとは、風の結晶があればそんな苦労もいらないんだろうけど、毎日使えるほどの余裕は、家にはなかったしな。まあ、そんなこんなで、俺は親父の漁を手伝っていたんだ。
親父は普段は大人しい人だったんだけど、ひと度酒を飲むと、手をつけられなくなるほど暴れる奴でさ。よく、お袋にケンカを吹っ掛けたりしてたな。お袋も相手にしない方がいいのは分かってるから、最初は無視するんだけど、親父がわざとお袋の逆鱗に触れるようなことを言ったりして、それでお袋の堪忍袋の緒が切れてケンカになる。そのケンカの仕方も激しくって、物は飛び交うわ殴る蹴るの応酬は続くわで、最後は近所の人たちの仲裁が入ってなんとか収まるんだけど、それまで俺たち子供は部屋の隅に身を寄せあって震えてるか、家から飛び出すかでその場を乗りきる、その繰り返しだった。
……俺は、そんな生活に嫌気がさしていた。どうにかそこから抜け出したいと、ずっと考えていた。そんなある日のことだった。……そう、あれは俺が八歳になった年のこと、今から十年以上前のことだけど、俺の友だちが、近くの大きな島で、と言っても、セガラ連邦の中では大したことないんだが、そこで開催される年に一度のお祭りに一緒に行かないかって誘ってきたんだ。自分のところの舟で行くからお金は要らないってことでさ。その時、たまたま親父が足首を捻挫していて漁に出られなかったから、親から行ってもいいって許可をもらえたんだ。もちろんおこづかいなんてもらえないから、ただお祭りの雰囲気を味わうことしかできないんだけど、俺は全く気にならなかった。というのは、それを機に家出しようと思ったからなんだ」
「家出?」
「そう、家出。さっきも言ったけど、ケンカが絶えない家だったし、それに、その頃には……」
セルマンは、そこで言葉に詰まった。
ソフィアは、そんなセルマンを、眉をひそめて見守っていた。
セルマンは、口にしづらいことを告げる決心がついたのか、ソフィアをわざと見ないようにして前を向くと、はっきりとした口調で話を再開した。
「俺も、親父に暴力を振るわれるようになってたんだ」
ソフィアは、驚きのあまりはっと息を吸うと、両手で口を覆った。その瞳は、なにか恐いものを目の当たりにしたかのように大きく見開かれていた。セルマンは、そんなソフィアの視線を痛いほど感じながらも、表情一つ変えることなく、そのまま前を向いて話を続けた。
「両親のケンカの原因を作るのは、いつも親父だった。お袋からってことはなかったな。
……俺は、お袋が大好きだった。お袋は、いつだって俺たち子供には優しかったんだ。そりゃ、時には怒られることもあったけど……」
そう口にしたセルマンが、懐かしさに目をそばめつつ、照れくささから少し頬を赤らめたのを、ソフィアは見逃さなかった。
「だから、俺はケンカが始まると、お袋を庇うようになってたんだ。それが、親父の気に入らなかったんだろうな……。
最初は体を押されるくらいで済んだんだけど、もうその頃には殴られたり蹴られたりで、青あざが絶えることはなかったんだ。お袋はそんな俺を必死に庇おうとするんだけど、結局お袋も殴られるわで。だから、友だちからの誘いを絶好の機会だと考えたんだ。
家出の方法は、ほんと単純でさ。その島に行って祭りを見物している間に姿を眩ます、ただそれだけ。もちろん、友だちの家族は慌てて俺のことを探すだろうが、いつまでもそんなことに時間は割いていられないしな。滞在費だってかかるし、自分たちの暮らしもあるから。その間の寝床や食料については、なんとかなるくらいに考えていた。まあ、俺も子供だったし……。
最初、俺はそのことについて、誰にも言わないつもりだった。……でも、やっぱり我慢できなかったんだよ。祭りに連れてってもらう前日、俺は、お袋だけにそのことをそっと打ち明けたんだ。もう、家には帰らないって。
最初、泣きつかれるかと思ったんだが、お袋は薄々気づいていたんだな。そう、と一言だけ呟くと、しばらく黙り込んでいた。俺もその場で黙りこんで、しばらくの間、お互い口を開かなかった。
すると、いつも肌身離さず身に付けていたペンダント、といっても豚の革をなめして作った袋に安っぽいビーズが縫い付けられただけの代物なんだけど、それを外して、俺の手にぎゅっと握らせたんだ。そして、俺の手を包み込むように握りしめると、こう言った。
「行きたいなら、行きなさい。それが、あなたの進む道なら。……母さんがあなたにしてあげられることはあまりないけど、これは母さんからのせめてもの贈り物よ。あなたがこれから直面するだろう困難の際に、きっと助けになってくれるはずよ」
そう言うと、お袋は握りしめていた手を緩めて、俺の耳元に囁いたんだ。
「それは、結婚する時に、母さんの母さん、つまり、あなたのおばあちゃんにもらったものなの。この先、なにか困るようなことがあったら、その袋から中身を出して手にしなさいって。きっと、あなたの助けになってくれるはずだからって。でも、今の母さんには必要ないから、これはあなたにあげる。いざというときに使いなさい」ってね。
もちろん、俺はこんなのいらない、なんとかなるって突き返したんだけど、母さんは頑として受け取ろうとしなかった。逆に、受け取らないんだったら、これを海に捨てて、俺が家出しようとしているのを親父に言いつけるって言うんだよ。参っちゃってさ、しょうがないから、そのままもらったんだ。
それを見た母さんは、ほっとしたような顔をしたんだけど、すぐに悲しそうな瞳で俺を見つめると、ぎゅっと抱き締めてくれたんだ。ずっとずっと、ぎゅっと抱き締めてくれたんだ。……俺は、その時の母さんの温もりを、この先も忘れないよ」
最後はかすれた声で呟いたセルマンの瞳には、傷ついているような、また後悔しているような色が浮かんでいるのに、ソフィアは気が付いた。
また、ソフィアは、その青い珊瑚こそがセルマンたちを危機から救ったという事実を前に、どんなに遠く離れていても子を思う母の強い気持ちを感じ、心を打たれた。と同時に、その時の思い出を心の拠り所にして、今まで生きてきたセルマンのことを思うと、なぜか胸が締め付けられるような苦しさも覚えるのだった。
少しすると、セルマンは頭をポリポリ掻きながら口を開いた。先程よりは、明るい口調だった。
「なんか、暗い話でごめん。ソフィアの家族とは大違いで、びっくりしただろ?」
ソフィアはううんと言って首を横に振り、ニコッとセルマンに笑いかけた。それを見て少しほっとしたのか、また照れ臭そうに頭を掻くと話を続けた。
「で、俺は母さんのお守りを胸に大事にかけて、友だちと一緒に祭りに出かけたんだ。その時は、まさかこんなことになるなんて思いもしなかったけどな……。まあ、それはそれとして。
で、俺は友だち家族と一緒に祭りが行われている島に行ったんだ。そりゃあもう、近くの島から人がたくさん集まってきていて、本当に賑やかだった。一緒に行った友だちはあまりの賑やかさにあちこちに気を奪われていたけど、俺は、ただひたすらじっと逃げ出すタイミングを窺ってたんだ。そして、ついにその時が訪れたんだ。
夜になると、祭りの賑わいは頂点に達した。通りを歩くのにも、肩と肩がぶつかり合うくらいの混雑で、なかなかのものだったんだ。そんな時、友だちがある屋台に引かれて俺から離れていったんだ。よし、今がチャンスだ!と思ってさ、人混みをかき分けると、そのまま元来た道に流れに逆らって進んでいったんだ。すぐに、友だちが俺の名を呼ぶのが聞こえてきたけど、そんなのには構ってられなかった。その場から、少しでも早く離れようと必死だったよ。で、俺はあまり人通りがない暗い路地を見つけると、そこに飛び込んで、その日は一晩そこで明かしたんだ。
で、次の日の朝。起きてみると、辺りはすっかり人の波が引いててさ。まあ、何人かの酔っぱらいが千鳥足で歩いてたり、そこら辺に寝転がったりしていたけどさ。でも、うまくいったんだと思うと、すごくうれしかったのを覚えてるよ。自分の身を縛っていた、目に見えない鎖から解放されたかのような、そんな解放感に浸っていたんだ。だけど、人間どんな時でも腹は減るもんなんだよな。昨日の夕飯を食べ損ねていたから、腹と背中がくっつきそうなくらい腹ぺこでさ。そんな時、たまたま話しかけてきた男が……。まあ、運の尽きだったんだろうな……」
最後は消え入るような低い声で呟いたセルマンの、ぞっとするような暗い目を見たソフィアは、その男がどんな奴だったのかだいたい検討がつき、肌が粟立つのを感じた。
「まあ、その後すったもんだあって、俺はこのソラス王国に連れてこられたってわけだ。……まあ、あまり面白い話じゃなかっただろ?」
気まずさを隠すかのように、また頭をポリポリ掻きながらそう言うセルマンに、ソフィアは黙って首を振った。
「ううん、そんなことない。セルマンさんのお母さんの、子を思う気持ちとか聞けて……。素敵なお母さんだね」
今更ながら、母との思い出話に気恥ずかしさを覚えたのか、セルマンはちょっと頬を赤らめると、今度は鼻の頭をポリポリ掻いた。
そんな様子を微笑ましく見つめていたソフィアだったが、ふと壁にかかっている時計の針が九時を回っているのに気が付いた。
「いけない!もう、こんな時間だ!明日、朝早いのに、ごめんなさい!」
慌てて立ち上がった拍子に、椅子がドタンと後ろに倒れる。
一瞬驚いた表情を見せた後、くしゃっと笑顔を見せたセルマンは、ソフィアに優しい眼差しを向けた。
「いや、こっちこそ、遅くまで引き留めちゃったりしてごめんね。たくさん話せて、楽しかったよ。
……て、こんなに遅くなって大丈夫だった?これから一人で家に帰るの?」
今日はこのまま医療従事者用の仮眠室に泊まって、明朝、二人の出発を見送ると伝えると、忙しいのに悪いよと最初は断ったセルマンだったが、最終的には了承してくれた。
ソフィアはセルマンにお休みと告げると、部屋を後にした。来た時とは違って、心も足取りも軽かった。
ソフィアは、セルマンと話せて心底よかったと思った。久しぶりに会ったグスタフが炭鉱夫をかばうのを見て、最初は困惑と嫌悪感しか抱かなかったが、実際セルマンと話してみると、ソフィアたちと何ら変わらない同じ人間だということが分かったからだ。
しかし、ソフィアはまた、禁止されている人身売買が国民の知らないところで行われていることについて、背筋が凍るような恐ろしさも覚えた。人が人として待遇されることなく、物として扱われる。それが平然と行われていることに、疑問や不快感を覚えたのだ。
ソフィアには、まだよく分からなかったのだ。世の中には、本音と建前というものが存在するということを。
次の日の早朝、グスタフとセルマンは、他の兵士と一緒に馬車に乗って、王都へと出発していった。
ソフィアは、その姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていた。
そこにいる誰一人として、気づいている者はいなかった。
この数時間後、国家の存亡を揺るがす出来事が、起ころうとしていることに。
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