物語のセオリー
おはようございます。
出勤前の蜜柑桜です。日差しが強いですね。真昼間に外移動になりそうなので今から怖いです。
先のエッセイではコメントありがとうございました。自分に縁遠いジャンルも、書きたくなったらチャレンジしてみたいなぁなんて思いが強まります。
それで、Twitterの創作関連のアカウントさんのツイートで、「物語を面白くしたいなら主人公に気付きを与える」という趣旨のものがあったのですね。これを見て、思い出したことがありまして。ちろっと忘れないうちに短くエッセイに。
これ、大昔からの物語創作のセオリーだな、って。
大学生時代に海外研修へ行った時、現地大学の文学の集中講義を受けたのですが、内容がハリー・ポッターを例にした児童文学の作法。
主人公が何か自分が知らなかったことに気付かされ、それにより衝撃を受けて、物語が進む。
ハリー・ポッターは自分の出生の秘密を知り、それによりハリーは悩みますし、お話が大きく展開していくわけです。っと言っても私は全巻読んでないので途中までしか知りませんが。
さて授業で学んだことに従えば、これが古代詩作法に則っています。
作例としてどこに例があるのか、というとギリシア悲劇叙事詩です。『オイディプス王』。オイディプスも自分の出生の真実を知り、話が「転」へ。
そこでふと思い返してアリストテレスの『詩学』(岩波文庫、松本仁助、岡道男訳)を見てみますと、確かに第十六章に「認知」についての項があるわけです。それも何による認知かの別を説明した上で、認知の優劣も論じる。傍線引いてるのに覚えていない自分よ。ここでもオイディプスが例に上がっています。
(上記の岩波文庫にホラティウスの『詩論』も所収されていますが、こちらはざっと目次を見る限り「気付き」についての記述はなさそう?)
ついこの間に読み終わった本にも、「転」の部分に主人公の「気付き」があって、それがなければ物語は浅薄なものに終わっていたなぁと思いました。やはり古来のセオリーはセオリーになるだけのことはある、と。
そんなことを思っていたら、ふっと全く書いたことのないアイディアも浮かんできたり。あやかしもの。
ただし、このアイディア、「気付き」がもしかしたらありふれているかもしれません。妖ものあまり読まないのでよく知らないですけれど、ひょっとするとありきたりな筋なのかも。
ストックとしてとっておきたいと思います。
短いとか言っておきながら1000字書いていた。
ではまた後ほど!
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