第18話

 状況を監視していたバーデンは小さく溜息を吐いた。まさかこんなことになるとは。そう言いながら肩を竦め、苦笑する。


「笑い事じゃねぇだろ」

「怒っても仕方ないでしょう?」


 アルメの言葉にもそう返し、さてではどうするかと暫し考える。当初の予定ではここでカサンドラは神官長の断罪により正体を暴かれ聖女達に討伐されるはずであったが、しかし。

 あの様子では向こうの一員として受け入れられそうだ。そう結論付けると、彼は撤収の準備を始めた。


「おいバーデン、何やってんだ?」

「カサンドラがこちらを裏切った以上、ここに留まる理由もないですからね」

「魔王領へ戻るのか?」

「とりあえずは」


 アイレンベルク公爵領での痕跡を消し去りながらそう述べる。カサンドラがいる以上完全には無理だろうが、辿れないようにするのは容易い。手早くそれを済ませると、では行きましょうかとアルメに述べた。

 が、彼女はふんと鼻を鳴らすのみ。腹の虫が収まらないのか、その表情は怒りに満ちていた。


「アルメ、落ち着きなさい」

「落ち着けだ? この状況であの失敗作を見逃すって言われて落ち着けるわけねぇだろ」

「カサンドラが向こう側に下った以上、堂々と始末出来るようになったわけですから。機会はこれから無数にあります」

「どうだか」


 ジロリと彼を見たアルメは、面白くなさそうに視線を逸らすと近くにあった木箱を蹴り飛ばした。魔物の惰力による蹴りで砕け散ったそれを一瞥し、彼女は少し息を吐く。


「大体、ぶち殺す機会っつったら今が最善だろ? あの騒ぎで油断してる上に、弱体化してるときた。違うか?」

「慌てても碌な結果にならないと思いますがね」

「はっ! なわけねぇだろ。元々、出来損ないの聖女や王国の連中なんぞ私一人で十分なんだよ。失敗作だって同様だ」

「そうですか」

「なんか文句あるのか?」

「いえ。私は一人では戦いたくはないと思っただけですので」

「腰抜けが」


 そう言って鼻で笑ったアルメは自分の考えを改める気はないらしく、それならとっとと帰れとバーデンを手で追い払う仕草を取る。それに苦笑しながら分かりましたと返した彼は、彼女へと《契約書》を差し出した。神官長の持っていた書類と繋がっているそれは、魔物の連絡手段や対象を操るために使うなど多目的に使用できる。受け取ったアルメは所有者をバーデンから自身に移し替え、彼の痕跡を消し去った。


「それで、どうする気ですか?」

「尻尾を巻いて逃げるお前に教えて何になる」

「それもそうですね」


 まあ、精々頑張ってください。そんなことを言いながら移動魔法陣でこの場から消え去るバーデンを一瞥したアルメは、さてと、と手の中の《契約書》を眺めた。書いてある内容の書き換えを行い、他者を操るものから、強制転移の文面へと。


「……まあ、あいつの言う通り、念には念を、だ。私が行くより、向こうが来な」






 一応死んでいなかった聖騎士連中と神官長を拘束し、エミリー達は一息吐いた。戦闘が終わったということで、野次馬していた謁見の間に集められた面々も何故か戻ってくる。仕事しろよ、というエミリーのツッコミは、いやこれが仕事なのでと返された。意味が分からない。


「近衛は、城の警備が仕事ですからね」


 そう言って宰相は苦笑する。未だ異形の姿のままのカサンドラを一瞥し、そう簡単に解散は出来ないのだと続けた。


「父さん。その視線は、どういう意味かしら」

「何だトルデリーゼ、分からないのかい?」

「分かっていて聞いているのよ。場合によっては陛下に暫く宰相は職務を休むと伝えなければいけなくなるけれど」

「お前一人でここの騎士全員を相手取る気かな?」

「勿論。エミリーさんも一緒よ」

「いやまあドラ様に危害加えるならやるけど……」


 そういう空気じゃないよね。そう言って周囲を見渡す。うんうんと皆一様に頷いたので、やっぱりそうかと息を吐いた。だったらあのやり取りなんなんだと思わないでもないが、恐らく父娘の軽口なのだろう。何せトルデリーゼは『分かっている』と言ったのだから。


「ふむ。では話をする前に……カサンドラ嬢、人の姿には変われませんかな?」

『あ、やっぱり不気味ですよね……』

「そうですな。我々にとっては、魔物というのは姿だけでもある程度脅威を覚えるものです。余計な軋轢を生むのはよろしくない。あなたがこちら側に立ってくれるというのならば、尚更」

『はい。ただ、その……今はちょっと』


 先程の《星見の姿見》の力で、魔物の能力が弱体化しているため、変化も使用出来ないのだと項垂れた。ごめんなさいと頭を下げる蟲の異形に、周りの面々はどう反応していいのか若干困る。見た目以外は完全に普段のカサンドラなのだ。


「フルーエ。なんとかしろ」

「だから要望が雑! んー……呪いっつーかデバフっつ―か状態異常っつーか、多分そんなところだと思うんだよね、これ」

「聖女が聖女の力を呪いとか言いやがりましたね」

「いや呪いっしょこんなん」

「まあ、そうですね。ジゼルも割と同意見です」


 元来の魂が古上英美里である以上仕方ないのかもしれないが、弱体化効果を相手に与える能力ならば味方とか敵とか関係なしに考えているのだ。実際転生前の会話でも聖女の呪いとか平気で言っていた。

 そういうわけで、彼女の感覚ではこれは呪い系の状態異常だ。つまり、治療する方法がある。


「万物の祈りを力に、穢を、蝕みを、祓い、清めろ――」


 聖剣を取り出し、それを掲げる。そうしながら呪文を構築し、魔法陣を生み出す。単純な話だ、呪いならば、解呪すればいい。


「それは魔物に使用しても大丈夫なのですか?」

「聖女の記録では!」

「一応、その辺りは実証済みなのね……」


 ジゼルの素朴な疑問に即答したエミリーを見て、止めようかと手を伸ばしていたトルデリーゼはそれを下ろす。クリストハルトはそれでも何かあったらすぐさまその呪文から離脱させようと身構え、カサンドラは動じることなくそこに立つ。


「つーわけで、《ディスペル》!」

『ひゃ』


 魔法陣がカサンドラの足元から光を放ち、彼女を包む。一瞬の浮遊感に思わず声を出したが、しかしそれ以外には何も起きないことで思わず自身の体を見渡した。手をぐーぱーと閉じ開き、そしてううむと首を傾げる。


「あれ? 駄目だった?」

『あ、いえ。能力の制限は撤廃されたみたいで……人への擬態と移動魔法陣は問題なく使えると思います」


 そう言いながら、蟲の異形がぐねぐねと形を変え見慣れた美少女の姿へと変わっていく。あまり変化を見られたくなかったですねと人間状態のカサンドラは苦笑した。

 そうしながら、弱体化そのものは多少緩和されたもののまだ解呪されないようだと口にした。腐っても聖女の力ということであろう。


「普段の半分くらい、でしょうか」

「それでもあたしより強い気がする……」

「そんなことはないですよ。聖女様もかなり成長していますから」


 そう言ってカサンドラは微笑む。だといいんだけどな、とエミリーは頭を掻いた。そうしながら、宰相に話の続きを促す。


「そうでしたな。ではカサンドラ嬢、あなたには、魔物としてこの王国に一体何をしていたかを、そして向こうの情報などを提供していただきたい」

「はい。……とは、言っても。わたしの持っている情報は微々たるものなんです」


 そう言ってカサンドラは言葉を紡ぐ。戦闘能力は高くとも魔物としての能力を殆ど持たない自分は失敗作だとして爪弾きにされていたこと。碌な情報も与えられることなく、王国への潜入の役割を命じられたこと。潜入する以外の行動や指示は全て監視役の魔物が行っていたこと。


「ん? あ、じゃあこの間のあれは」

「はい。わたしの監視役がやったことです」


 そうは言いつつ、自分の責任だと言わんばかりの表情でごめんなさいと頭を下げた。村のゴブリンはそれそのものと関係ないし、直接被害を受けたのはエミリーとクリストハルト、そしてトルデリーゼの三人だけだ。問い掛けたエミリーも気にしていないようなので、まあいいでしょうと宰相はそれを流した。


「ねえ、カサンドラ」

「あ、はい。どうしましたトルデリーゼ」


 ならば、と話を続けようとした宰相に被せるようにトルデリーゼが問い掛ける。今の話を聞く限り、カサンドラの役目とは一体何だったのか、それが不明瞭だったのだ。だからそれを尋ねたのだが、カサンドラは何とも言いづらそうに視線を逸らす。


「何か、隠し事があるのですかな?」

「あ、いえ、その……そういうわけでは、ないんですけど」


 その態度に何か不穏なものを感じ取った宰相の言葉にも、やはり歯切れが悪い。ざわり、と周囲の空気が変わっていく中、クリストハルトはそれでも彼女を信じようと、いざとなったら連れて逃げようと身構え。


「……で、殿下の、妻に……なるように、と」


 その言葉を聞いて完全に動きが止まった。周りの面々も同じである。何でこのタイミングで惚気けた。エミリー以外の皆がそう思った。エミリーはいきなりのそれにビクンビクンとしていた。


「あ、いえ! その、そういう意味ではなくて! ……恐らく、魔物が王国の王太子の妻になることで魔王側に取り込む、あるいは有利な情報を引き出そうとしていたんだと思います。あ! でもその! 役目だからとかではなくて、わたしは好きでこの立場にいるので、ですから、殿下のお嫁さんになるのはむしろ嬉しいというか」

「カサンドラ、ストップ。殿下もエミリーさんも限界よ」

「え?」


 隣を見た。顔を手で覆ったクリストハルトが天を仰ぎながら動かなくなっていた。エミリーは血の海に沈んでいた。鼻血である。ちなみに、彼女のダイイングメッセージは日本語で『クリドラ尊い』であった。

 話が脱線した、と宰相は咳払いをする。まさかこんな流れになるとは思っていなかったトルデリーゼもそんな父親の言葉に頷き、先程の続きを促した。

 カサンドラの監視役を兼ねていた実行犯の魔物。それらは一体何者なのか。


「あ、はい。ただ」

「どうしました?」

「わたしがこちら側についたことを、向こうは既に知っているはずです。なので、もうこの国にはいないかもしれません」

「構いませんよ。とりあえず特徴や能力などを教えていただければ」


 宰相の言葉に、分かりましたと彼女は頷く。それを聞いていたジゼルは、相も変わらず変化しない表情のまま呟いた。そんなにあっさりと仲間を売るのですね、と。


「向こうはわたしを仲間だと思っていませんでした。それはこちらも同様です。わたしの仲間は、こちらで出来たみんなですから」

「そうですか。それならばジゼルはお口チャックしておきます」


 ふむふむ、と彼女が一歩下がる。納得したのかしていないのかは表情からは全く読み取れないが、少なくとも疑っていはいないらしい。はい、と頷いたカサンドラは改めて宰相へと向き直り。


「――っ!?」

「これは!?」


 足元に突如魔法陣が現れたことで表情を変えた。宰相を魔法陣の外へと押し出し、周囲には近付かないようにと叫ぶ。王国の面々は見覚えのない魔法陣だろうが、彼女には分かるのだ。これは間違いなく。


「移動魔法陣……。誰かが、違う、アルメがわたしを呼んでいる……!」


 どうやらそう簡単に見逃してくれるわけではないようだ。そのことを覚ったカサンドラは、光を強める移動魔法陣の上で覚悟を決める。あいつを倒して、またここに戻ってくる、と。

 ただ、今の自分は万全ではない。そのつもりはないが、そうでないとも言い切れない。


「すいません。話の続きは――わたしが生きて帰ってこられたらで」

「カサンドラ!?」


 トルデリーゼが状況を察し、叫ぶ。そんな彼女に笑みを浮かべ、カサンドラは相手の呼び出しに応じようと。


「って、何で一緒に入るんですか!?」

「当たり前でしょう。私達があなた一人で行かせるわけないじゃない」

「でも……え? 達?」


 あ、と横を見ると、いつの間にか復活していたクリストハルトとエミリーもトルデリーゼ同様に彼女を掴み移動魔法陣の中に立っていた。呪文自体はその魔法陣の中を対象として転移させるものだ。この状態ならば、対象は四人。


「殿下、聖女様……!?」

「俺はお前の婚約者だ。どこへだってついていくさ」

「何か気の利いたことは言えないです! でもついてく!」


 いえい、と手を振り上げたエミリーは、そのまま宰相へと向き直った。そういうわけなので、ちょっと追手をぶっ倒して来ます。そう笑顔で言ってのけると同時に、呪文が起動し四人はこの場からいずこへと消えていった。


「残念ですね。ジゼルもこいつらの捕縛がなければ一緒に行ったのですが」


 やれやれ、と肩を竦めると、ジゼルは仕方ないのでこちらのフォローの手伝いでもしますかと転がっていた神官長を部屋の端へと放り投げる。その拍子に懐から飛び出た紙は、そのままひらひらと彼の真横に舞い落ちると、書かれていた文字が掠れて消え去り、紙もボロボロと崩れていく。


「……証拠隠滅されましたか」


 摘んだ切れ端もバラバラになるのを見ながら、これの続きも向こうの帰還待ちだと彼女は小さく息を吐いた。

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